器用に処理をするハナシ

 話がまとまり楽団の情報を聞いている最中、扉の向こうからぱたぱたと慌ただしい足音が聞こえてきた。既にぼんやりしている乾が其方へ目を遣り、説明を聞いていた俺や浮島も注意が逸れる。その時ふと視界を横切ったのは、十鈿女とうずめの横に佇んでいた歌姫の、嬉しそうな顔だった。

「十鈿女さあん! 頼まれてた資料、見つかりませんでした!」

「ケイっ!」

 勢いよく入ってきたのは先程別れたマウスの少年ケイで、それを見た瞬間、歌姫の表情が一気に華やいだ。ケイを探してこの部屋に入った時と同じもの。一目見て、「幸せそうだ」と分かる顔。好きなんだろうなあ。

 歌姫に想われる幸運なマウスは、いつ気付くのだろう。「あ、リンちゃん来てたんだ!」という無邪気な発言から察するに、脈があるかは微妙である。歌には惚れこんでいたし、いけないこともなさそうだが。

 そんな微笑ましい様子を眺めていると、正面の十鈿女から盛大な溜息が漏れた。

「雑用もこなせないようでは困りますね、マウス如きが。立場をわきまえなさい。謝罪もロクに出来ないようですし」

「あ、えっと、すみませんでした!」

 慌てて頭を下げるケイだが、また何度もやらかす程度の反省具合だろうと、出会ってヨジュン程度の俺でも分かる。しかしコイツの様子を見ていると、邪気……と言うか力が抜けてしまうのだ。苛立ちが霧散し、まあいいかと感じてしまう。それが長く使われている(らしい)理由だろうか。もしくは、隣で楽しそうに笑みを浮かべる歌姫の動機づけかもしれない。

「……フゥ。リン、貴女そろそろ練習の時間でしょう。向かいなさい」

「わ、分かりました」

 十鈿女が扉を顎で指した。歌姫が名残惜しそうにしながら頷いて部屋を出ていく。早速護衛しなくていいものかと聞いたが、練習は待機中の亜人も多いらしく、俺達の出番はないらしい。その代わり、と提案されたのは、この練習場の下見だった。そこのケイがご案内いたします、と続けられると名前を出された本人はいたく喜び、「再びマウスという立場の自覚を」という叱りを受ける。やっぱり学習しないようだった。

「そうだ。皆さん、少し立ち止まってください」

 早速移動しようと動き始めた俺達に静止の声が掛かる。それに従い、何事だと無言で視線を投げると、十鈿女は俺達にステッキの先を向けた。

「シルゥイ・スィ」

 ヤツがそう呟いた途端、ひゅうと風を切る音と共に頭に舞い降りたようなそれは、被っている帽子の丁度ヘコんだ部分に落ちたようだった。手に取る前に、乾たちを見れば魔法の正体が分かる。小さいシルクハットの装飾が付いたリボンだ。しゅると衣擦れの音を立てて、俺は帽子に、乾や浮島は頭に結ばれていく。正直に言おう、かなり面白い。あのオトボケ乾やエセ真面目浮島の頭に、可愛らしいシルクハットの付いたリボンが巻かれている。

「ぶっは!」

 先程の乾のように吹き出してしまったが仕方のないことだと思う。俺が笑い出したことに気付いたか嫌がったか、二人は魔法行使が終わった瞬間にそれを動かし、首に垂らす形にした。

 わざとらしく残念ですねと話す十鈿女が言うには、そのリボンは認可証らしい。練習場を立ち歩く許可を出して動いている者なのだ、と。確かに十鈿女が被っているシルクハットを模した装飾になっているし、楽団長の関係者ということは一発で分かるだろう。

「けど魔法の名前なんて言っちまって、勝手に使われたりしねえのか?」

 可愛いシルクハットのリボンなんてブツは、見れば一発で認可証に類するものだろうということが推測出来る。魔法に長けている存在ならば、シルゥイ・スィを真似して使うことも、ヒァカトでそのリボンに変化させることも出来てしまうのではないか。ふと疑問に思い尋ねてみると、何ともある意味予想通りの答えが返ってきた。

「そのリボンは私にしか分からない特別な細工がありますし、魔法を使ったことを団員にすぐ伝えていますから。絶対に問題は起きませんよ」

 絶対と断定する強い口調に内心驚きつつ、成程ナァと頷く。返答がお気に召したのか、ふと息を吐いて笑ってみせると、十鈿女は俺達より先に部屋を後にした。本来の遠慮のない、こつこつという早足。階段からボールが転がっていくような音だった。

 何気なくケイに目をやる(マウスは小さいからか、つい目が行ってしまう)と、楽しそうな表情で十鈿女を見送っている。先程こっ酷くなじられ叱られていたが、嫌悪感を抱いている訳ではないらしい。マジか。すごいな。マウスってどいつもこいつも亜人を憎んでいるのかと。

 練習場を見回る必要もあるが、終わったらケイと話せないだろうか。普段なら通り過ぎてしまうであろうマウスの個体に興味が湧くのは久しぶりだ。まあ殺される心配も無さそうだし、カヴラノウファという思い出のピースにマウスが居ても面白いだろう。

 乾は今回は大人しく着いて行く気分のようで、ケイの後ろに控える。そして、隣に何とも微妙な面持ちで立つ浮島。俺はヤツの隣に並び、多目的施設から歩いた道のりと同じ形で、練習所案内が開始された。


 流石はカヴラノウファの中でもとびきり有名な楽団、と言ったところだろうか。広い広いと話した建物内は本当に広く、それでもケイは迷う事なく流れるような速さで部屋の説明をしていく。正直、まったく着いていけない。この楽器の練習場所、あの人の休憩室・寝室、ホール二階席へ続く道、特にこれと言った用途はないが適当に使われるスペース、までは辛うじて思い返せるが、取りこぼしはあるだろうし、今ケイが話す解説はすっかり右から左へ流れてしまっている。

 声は綺麗だが歌詞が聞き取れない歌と一緒だ。言葉でなく心地いい音として耳に入ってしまう。乾は既に戦線離脱し、ゆらゆらと波に漂う葉のように頭を動かして歩き、最後の砦である浮島だけがしっかり記憶しようと相槌を打っているところだ。最初の隊列は何処へやら。今はケイと浮島が先頭になり、後ろを俺、時々立ち止まってないか不安で振り返ってしまう程度に距離が空いているのが乾だ。三、四度浮島からヒァロのような視線を向けられたが、気付かなかった振りをした。

 乾の真似をして練習場の廊下を見回してみる。続く絨毯、並ぶ扉、吊るされた照明、奥の方に見える、また別の部屋。芸術の町を意識した造り、というのが感じ取れる。風来坊の俺達には、似つかわしくないが。

 いつも聞こえる靴の音が、絨毯の上では聞こえない。何だか落ち着かないし、乾や浮島の首元で揺れている認可証リボンがやっぱり面白くて、変な気分だ。ケイの歌も聞こえてくる、夢のような、曖昧な空間。数日間は確実に滞在することになるが、果たして慣れるのだろうか。ふとそんなことを考えた。

 と、突然ケイが足を止め振り返る。慌てて合せた浮島ががしゃんと騒々しい音を立てて、乾は跳ねるように駆け寄ってくる。

 どうしたのかと代表して尋ねると、指を遊ばせ彷徨わせた後、迷ってるんですと返事が来た。

「この先、全部空き部屋なんです。後から去間さん達の部屋が割り当てられると思いますし、今話してもなーって……」

 成る程言い分は理解したので、ほぅと声を上げた。ケイは部屋の内装やその理由まで事細かに話をするが、此処に限ってはその必要もないだろう。

 別に浮かんだ疑問を尋ねようか悩んでいると、浮島が、辺りを見回しながら口を開いた。同じことを考えていたらしい。

「余りが出るようにこの建物を作ったんですか?」

「え?」

「ご存じないですか? 亜人は皆適当ですからね、必要ならば作り出せば・作り変えればいい、って場合が多いんですよ。なので、予め空き部屋を用意しておくのは珍しいと思いまして」

 浮島の質問に、へえっと感心した声が返って来る。やはりマウスとは感性が違うようで、とても意外だと軽く頷いて視線を向けられた。主に俺や浮島だ。乾には一度目を送っただけで、すぐに俺達へと戻って来ている。まあ察しが付いたんだろう。アレはとある一面において物凄く亜人らしい亜人だ。

 しかし確かに亜人としては珍しいが、十鈿女の神経質そうな言動を思い返せば納得出来る。魔法で新しい部屋を用意する、という結果がみっともなく気に入らないタイプだ。あの性格だからこそ成功を収めたのだろうとも思う。

 亜人で明確に成功してるのは、亜人管理所の上位集団か地域の管理者か、こういった芸術という風変わりな路線で名声を獲得したヤツくらいだろう。享楽的な種族である俺達は、どうにも分かり易い娯楽に飛びつき易い傾向がある。闘技や簡単な遊戯といった、どの場所でも容易に行えるコトは誰でも好みやすい。浮島だって豪勢な闘技場で有名なフィブラッカに寄る時はしばらく滞在したいと困ったことを言っていたし、あれだけ澄ました顔の十鈿女だって、フュラギュィやルーレットのひとつでも誘えばちゃっかり応じるに違いない。

 閑話休題。ケイは俺達の話を興味深そうに聞いた辺りで、あくまで多目的施設の雑用係であるヤツには分からないのだろうと察したし、実際その通りだった。だからこそ憧れるコトが出来ているのだろうか。元来の性格かもしれないが。

 練習場の部屋はそれでお終いだったらしく、俺達三人は横並びになってケイと向かい合った。最後に、あそこへ向かいましょう。ヤツは至極楽しそうに、勿体ぶった口調で笑った。

 来た道を一旦引き返し、先程は口頭で説明されただけだった階段をゆっくり登っていく。向かう場所に関して理解はしたが、口に出すのは野暮なので、黙って進む。

 階段や壁にヘコみや傷が見えるが、楽器を引き摺った跡だろうか。扱いはそこまで適当なのか。隣を歩くマウスに尋ねてみようと視線を降ろすと、目が合った。呆気に取られた表情を一瞬作って、すぐに一本指が口の前に寄せられる。ケイの口角がにゅっと上がって、そして、

「ハバぁッ!」

 盛大に足を踏み外し階段を転がり落ちた。大丈夫かアイツ。色々と。


 ケイを拾って(乾が待つのを面倒臭がって脇に抱えた)階段を登り切ると、最後に両開きの扉が待っていた。重厚なつくりのそれを、俺が一歩前に立ち両手を出す。浮島や手がふさがっている乾よりも俺が適任だからだ。微かに冷えた心地を感じながら、手に力を込めた。音は出ない。演奏をする為の練習場だから、配慮されているのだろう。もしくは演奏以外の物音が響かないような魔法を掛けているのかも。

 無音の来訪者と化した俺達を待ち構えていたのは――様々な楽器の音が鳴り渡る、今まで見たようなコトのない練習風景だった。

 見たような、と言うか、当然見たことが無かった。まず演奏なんて御大層なものをやってるような輩はさっさとこのカヴラノウファに来ているし、考えられる身近な音楽と言えば適当な(鼻)歌くらいのものなのだ。

 規模が違う。そもそもオトが違う。剣戟や魔法の行使音などとは似つかない、形容出来ない独特のオト。それが、数え切れないほどステージ上に並んで、一斉に波状攻撃を仕掛けてくるのだ。敵わない。敵わない。音楽のことは何も分からないが、それでも言葉を失う程度に圧倒されてしまい、二階席からぼんやりとステージを見下ろすことしか出来ないのだ。

 演奏がふと途切れた瞬間、我に返る。亜人には効かないが、魔法を掛けられたらこんな気分なのかもしれない。そんなことを考えながら浮島や乾の様子を伺ってみると、ヤツらは俺ほど衝撃を受けてなかったようだ。浮島は知った顔で演奏を評価しているし、乾もいつの間にか席に座って、風の匂いを感じるように演奏に耳を傾けている。何やら様になった鑑賞をしていて、悔しさからケイに話しかけてみた。

「他にも楽団つーのはあると思うんだが、やっぱココが最高か?」

 マウスの聴力に合わせて耳元で囁いてやると、ヤツは大層楽しげに頷いた後、息を吸い込んで。ぱく、と唇を動かした。

「――――?」

 自分でも不思議そうに首を押さえて首を傾げたマウスは、直後合点が行ったようで、一度大きく頷いた。再び笑顔に戻り、小さな掌を広げて甲で口を隠し、空気を押し出すような動きをした。

 「そうだ、声が出ないようなマホウが掛かっていました」

 そんな事を伝えたかったであろう、恥ずかしそうに笑ったケイに、一瞬言葉を失った。

 魔法は先程も述べたが、不思議なことに、亜人に直接干渉するものが無い。効果を発揮しないようだ。例えば、翼を生やすだとか筋力を強化するだとか、洗脳するだとか。

 しかし対象をそれ以外――マウスでも器物でも何でも――に変えると、途端に魔法が発動するのだ。たとえマウスの数がより多くても、複雑な脳を有していても、これのお陰で亜人はマウスの支配権を獲得出来るのだ。

 そんな、不条理の塊とも言える概念を前にして、生苦の底を味わっているケイは朗らかに笑った。すっかり忘れていました、と。

 様々な楽器による大合奏。中央にマイクを握った歌姫が控えるその絢爛たる光景と、二階席で佇む俺達とケイ。同じ空間の中で、細かく世界が分かれていた。


 驚くことにこの練習場、風呂も用意されていた。三人で順番を決めて、有り難く遠慮なくお借りする。行脚道中も身体は適度に清潔を心掛けていたが、やはり一息吐けると安心感が違うしとても気分が良い。

 ひとつ息を飛ばすと、湯気に溶けて夜空へ消えていった。ぽかりと浮かんだ月をぼんやりと見上げる。衝立から溢れる町の光は視覚情報でも暴力的な程で、ツォルセーの都市……どころか、首都ツヴェルト・ショーンの賑やかな彩りに匹敵するかもしれない。

 芸術の町、カヴラノウファ。この場所に集う変人共は、今一体何をしているのだろうか。如何せん全く普段の生活が想像付かない。そこらで派手に灯りが点いているというのに、生活音は少なく、活動している実感がちっとも湧かない。「変人」がどんなものか、そんな疑問はあるが、面倒な気もする。

「そもそも今任務中だしなあ」

 歌姫の護衛と、脅迫者による干渉の妨害。前者は今日ほぼ仕事が無かった。あの後練習は夜まで続き、歌姫様はそのまま自室に戻ったらしい。夜に来訪者は来ないよう経営している上、仮に誰かが忍び込めば侵入探知魔法が働くということなので、それが起きる以外は仕事無しとなる。まあ無いとは思うが。

 明日になれば何かあるかもしれない。練習場の館内図はまだ全然頭の中に入っていないし、明日どこかの機会に確認をしておきたい。

 温まっていく頭で適当な予定を立て終えると、体勢を変えて再び風呂の湯を楽しむ。波が揺れて、少し縁から流れ出した。

「はぁ」

 何度目かになる溜息を吐いてしまう。任務中と言いながらも待遇はそれなりに良い宿に泊まっているようなものなので、気はすっかり緩んでいた。ただ万が一何かあれば待機中の乾と浮島が動いてくれるだろう。今は休憩時間だ。よし。あと少しだけ。浸かっていよう。

 こうしてすっかり長風呂してしまった俺は、行水派の二人に詰られる羽目になったのだった。

 

 次の日、朝食を済ませた俺達は十鈿女に呼び出され、練習場の入り口まで向かう。指定された場所に到着すると、既にヤツは俺達を待っていた。隣には、昨日より簡素な、それでも鮮やかな色の服を身にまとった歌姫さんが立っている。これは風呂での想像が当たったのではないかと思った。

「おはようございます、皆さん」

 十鈿女が足を揃え、胡散臭い恭しさで会釈する。反応があったことを確認すると、十鈿女は早速本題を切り出した。

「朝一に恐縮ですが、リンの護衛をお願いします。町の外には出ませんが、それでも十分危険なので」

 詳しいことは彼女にお尋ねください。シルクハットのつばを指で弾く十鈿女の言葉に、嬢ちゃんが頷く。丸く小さい瞳は宝石が転がるように動き、俺達を見つめていた。何を考えているかは、分からんし割とどうでもいい。

 そこで、外に出ることだし、と身に着けていた認可証を外そうとした乾に、制止がかけられる。

「認可証は建物を出るまで外さないでください。罠が作動するので」「ホ」

 乾は指示通り動きを止め、認可証の輪に通していた腕を引き抜いた。そこまで考えてなかったので、十鈿女の周到さに感心する。罠っつーか多分えげつない敵対魔法でも容易してあるのだろう。建物を出た瞬間に周囲から火柱が立つとか。

「じゃ、出たら取って、入る時にまた着ければいいんだ?」

「そのまま着けておいてもいいですよ?」

「乾は兎も角僕は遠慮させていただきます」「私にも答えさせろよ!?」

 愉快だな。朝から。俺のパーティメンバーだけど。


 さて、練習場の扉を通り、街路を歩き出す。歌姫さんしか目的地が分からないので先導出来ず、俺が横を、乾と浮島が後ろから護衛する、この町に来てから繰り返している隊列だ。

 それなりに朝早い時間だが、ちらほらこちらに視線を寄越す通行人が居たので多少驚いた。活動時間もそうだが、「あの歌姫が居る」という意外性からつい注目してしまう、フツーの反応をする輩が居る事実も。誰かのファンとかその類だろうか。

「なあ、どこに向かうんだ? 嬢ちゃん」

「嬢ちゃんんン?」

 場所を知らないなりに説明は受けておこうと疑問を尋ねると、俺の呼び方が気に入らなかったようで、足を止めて睨まれた。迫力や恐ろしさはちっとも感じられないが、浮島は昨日の衝撃を思い出すようで、ウッと小さく小さく呻き声を上げた。届いたのは恐らく俺と乾だけにだろう。

 歌姫さんは肩にかかった長い髪の毛を手甲で勢いよく払う。サと髪の毛が擦れる音がして、黒い髪が流れていった。マウスのような長毛だと手入れが大変そうだなあ。そんな気の抜けた思考を射抜くような声で、話しかけられる。

「アンタ、去間っていったっけ?」

「ああ。あっちの犬が乾。鳥が浮島」

 頷いて、ついでに二人を指差しておく。契約成立後の軽い自己紹介を覚えていてくれたようだった。歌姫さんの言動は不愛想そのものだが、相手がマウスだからだろうか、不思議と苛立ちはしない。これが短気で下らない自意識のある亜人だったらすぐにリンをぶっ飛ばしていただろう。

「あっそ。そんな事より、嬢ちゃんって言い方やめて欲しいんだけど」

「おめぇさんは歌姫様~って褒めそやされる方がお好きなのか?」

「そうじゃないっ! 名前で呼びなさいってコト! 私にはリンって立派な名前があるんだから!」

 二倍近くありそうな体格差を感じさせない大喝だった。その返答でようやく何がご不満だったのか気付き(回答を教えられたから当然なのだが)、ははあと頷いて納得する。俺も格好つけオッサンとかニコチン中毒者とか呼ばれるのは不愉快だ。そう言えばカヴラノウファに着いてから葉巻出してないな。唐突に吸いたくなってきた。が、一旦我慢。

「そうかい。まあ愛称みてーなもんだ、時々は許してくれよ。ついでにリン、一個質問だ」

「何よ?」

「呼び方云々は置いておいて、おめぇさん、歌を褒められるのは好きなタチだろ?」

「あったりまえじゃない! どんどん褒めなさい!」

 うん。性格、嫌いじゃないな。多分乾が話し相手で気に入るタイプだ。現に後ろでヒュウ! と歓声を上げている。浮島は……なんやかんや付き合っても良いかと思うだろう。彼女が歌姫なのもあって。

 機嫌を直したお嬢ちゃん改めリンと引き続き町を歩く。足を動かしながら、今回の行く先に関して漸く教えてもらえることが出来た。

 なんでも楽団を熱烈に応援してくれる亜人が、今回の演奏会延期を受けていたく動揺しているらしい。それをわざわざ知らせに来たもんだから、その亜人お気に入りのリンが直接会いに行き、機嫌取りをするそうだ。勿論、その亜人は多額の出資や宣伝活動をしてくれている、重要な支援者である。

 タダ働きなんて冗談じゃないけど、仕方ない。仕事の重要性は理解しているのか、不満そうだが納得している口ぶりで説明してくれたのだった。

 ふと視線を遊ばせると、どこからか「ウヴァンリャ仕事募集中」を示す青い煙が立ち上っているのが見えた。同業者が朝から精を出しているようだ。やはり変人の巣窟だし常駐は少ないんじゃないだろうか、文句付けられるのも面倒だし。逆にそれを好みそうなヤツも居そうだが。

 手紙が俺達を横切り、どこかへ飛んでいく。他にも朝食になるであろう野菜がふわと窓から民家へ入ったり、露天商が物をカェルリィで綺麗にしたり。カヴラノウファの住人は活発になるのが早いようだ。

 そんな俺の様子を見ていたリンが、ぽつりと疑問を呈した。

「ねえ。亜人はどうやってあんな風に、魔法を使うの?」

 魔法の使い方。同じ言葉を小さく繰り返して、俺は暫く考えていた。そうだなぁと、一言置いて、話し始める。

「多分、嬢ちゃんが歌を披露する時と同じノリだ。普通に喋る時は、何も考えずに話すだろ? けど歌ってる時は違って、息を吸って腹に溜めて、そっから声を出す。考えて行動しないといけない。それと同じさ、頭の中で思い描きながらじゃねえと発動しねぇんだよ、魔法も」

「長い。去間、説明ヘタクソね。四点」

 今後ろで吹き出した乾はあとで叱り飛ばそうと思う。

 しかしリンも、口では辛辣な評価を下しながら、納得は出来たようだ。俺の言葉を吟味するように頷きながら、魔法行使の様子を眺めていた。今視界に広がっているのは何とも浪漫の欠片もない魔法達であるが、それでも羨ましいものだろうか。よく分からん。異種族マウスだし。

 そこから魔法の話が発展する事はなく、逆に支援者の話へ戻った。悪い言い方をするとリンが勝手に話し始めた。牛型亜人で全体的に黒っぽいので表情が分かり辛いだとか、けど言動は結構優しい人だとか、それでも面倒なものは面倒だとか。

 適度に相槌や感想を挟むと、打てば響くような反応をしてくれる。やはりここのマウスは活動的だ。芸術に寄り添うと精神力が強くなるのだろうか。ケイと同じく、元の性格も関係ありそうなものだが。

 そうして練習場を出て半ジュンほどだろうか、多少歩いたな、という意識が芽生えた、そんな時だった。

「――円を描くように歌姫を囲めッ!」

 切り裂くような号令と共に、武器を装備した大量のマウスが俺達を取り囲む。どこに控えていたのか。一瞬の出来事だった。

 そしてその一瞬でナイフを手に装着していたのが乾。コイツは相変わらず対応が早い。俺は得物の位置を把握しておきつつ、歌姫と周囲のマウスの間に立つ。浮島は剣の柄に大層な手(翼か?)を添えていた。

 護衛対象の様子を確認すると、結構な動揺を見せており、体を強張らせながら、両の手を合わせて握りしめていた。これはマウスの手に渡った時点で任務失敗になりそうだ。自衛は期待出来そうにない。

「気分はどうだ? 歌姫様よ」

 マウスに命令を出した声の主が、屋根から飛び降りて俺達の前に立った。少し体格の良い、鳥型亜人だ。得物は無し、装備も軽装。本当に襲う気があったのか? ウヴァンリャをからかう楽団の差し金なんじゃないかと疑ってしまう程、相手は余裕そうに構えている。逆に手を出しづらいので、警戒の為に口を開いた。この手の役割分担は決まっている。俺が会話担当だ。奔放な乾もこの時ばかりはふざけない。

「随分マウスを用意したんだなァ、おめぇさん」

「部外者は黙ってろ、遺言なら後で聞いてやる。さて、改めてリァステルンの改造歌姫よ。今まで随分良い思いしてきたんだろうが、それも今日までだ」

「改造歌姫……? 何を言っているの?」

 怯えていたリンだが、それでも自分の表現として疑問を投げずにはいられなかったようだ。口ぶりから察するに、思い当たる節がない。変な誤解をして拗らせたんじゃないだろうか、この鳥型亜人。まだ誰かの依頼で駆り出されていた方がマシなんだが、まあ、それならこんな軽装で敵の前に姿を現さないか。

「とぼけんじゃねぇクソマウスが!! お前の! あの歌は、声は! 魔法で調整されてんだろォ!?」

「そんな事してない!! 馬鹿にしないで!」

「嘘を吐くなァァアッ!」

 言いがかりを付けられながらも(だからこそか?)気丈に否定するリンだったが、それは悪手だったようだ。火に油を注ぐ結果となり、逆上した亜人は腹の底から叫び声を上げた。その迫力に、一瞬、呑まれる。これだから拗らせた相手は怖いんだ。何してくるか分からない。

 ブチ切れた鳥型亜人はリンにしか目を向けていない。叩きに行っても良いが、あの態度がそれを見越した上の演技という危険性も残っている。少し悩んだものの、様子見という選択を取った。

「お前は! 魔法の! お陰で!! 最高の状態のまま歌い続けてられるんだろ!! そうだろう、ふざけやがって!!」

「だから脅迫状なんて出して、練習場を爆破したのか?」

「……アァ? さっきからグダグダと煩ぇ野郎だなァ……」

 今度は冷静さを失っていたからか、俺の方に意識を向ける。盛大な舌打ちをひとつ。その割に息を飲むようなやり方だったので、悪ぶっている根暗というのが正解なんじゃないかと思う。威圧感を出そうと、実際不慣れな事をしているタイプ。確かめてみたいが更に油を注ぐのは少し怖いので、会話を続けることにした。

「俺達、コイツの護衛を任されてるからな。そっちが手出す気なら戦うことになるぞ」

「…………」

 俺の言葉に奴は無言だった。しかし、目を細められたことで察する。奴さんはそろそろおっぱじめようと考え出したのだ。無理やり切り上げて変に殺意を向けられても困るが、いや待て今似たような状況か?

 乾が靴で地面をこつりと叩いた。そろそろ始めてもいいのではないか、という合図だ。我慢出来なくなってきたとも言う。ああ、俺もそう思う。

「たった三人でこの大量のマウスを相手取れると思ったのかよ? 御目出度いな連中だなァ! 歌姫様がぶっ殺されるのを倒れながら見てろ!」

 喜劇に腹を抱えて笑う観客のようにケタケタと口を開ける鳥型亜人に石でも投げ入れたい気分になったが、そんな油断は次に発せられた「いち!」という言葉に掻き消された。周囲に待機していたマウス達が武器を構えたのだ。ゲ、と浮島が小さく呻き声を上げた。恐らく乾も多少は不安に思ったことだろう。

 マウスを操るズェイイという魔法がある。しかし意のままに操れるかと言われるとそんな簡単な話では無く、操られたマウスの動くさまを細かに思い描かなければ魔法が失敗してしまうのだ。正直、先日浮島が作り出していたコンなんたらという魔法並みに使い勝手が悪い。マウスを処分する際も、自害の様子を詳細に考えてズェイイを唱えるよりも、自分で殺して適当に捨てたりヒァカトで別の何かに変えてしまう方が圧倒的に手間が掛からない。当たり前の話ではあるが。

 だからこそ、「一」と叫べば武器を構える……という設定まで細かく定めた上で、ズェイイを成功させている奴はただの拗らせ馬鹿と侮りにくいのだ。次の号令でどんな風に仕掛けてくるか分からないので事前に対策を考えられないし、加えてマウスの数はうじゃうじゃと数え切れない。そしてマウス一匹でも歌姫に辿り着かれたらアウトだろう。

 町で、恐らく突然の乱闘に胸を躍らせ観戦する亜人が多い中、

「――行けっ! 二ぃ!!」

 マウスが俺達に飛び掛かり、戦闘が始まった。


 号令がかかった瞬間動き始めたマウスの数は膨大だ。一匹ずつ相手取るのは難しい。以前のように魔物が列を作るようにやってくるのなら話は別だが、これはどれもほぼ同時で、加えて武器を抱えていた。刀は最前列のマウスのみが握っており、後は鉄拳を身に着けている。無言で迫り来る大量のマウスという絵面は、正直気持ち悪かった。

「こんな沢山、掃除が面倒だなァ!」

 似たようなことを考えていたのか、乾が楽しそうな声を上げて、一番に駆けだした。ヤツが飛び出すのは分かっていたので、多少位置をずらしリンを守り易くする。

 乾は風のように駆け、灰色の線を描く。マウスに肉薄し、そのまま――肩を入れて、武装された壁に突っ込んだ。ガァン! と鎧と肩鎧が衝突する音が響き渡り、マウスが倒れ込んでいく。武装してると言っても、一回り程大きい乾に勢いよくぶつかればそうなるだろう。そして俺達はその確信が欲しかった。マウスの身体強化までは、出来ていない!

「浮島ァ!」「分かってます!」

 つい笑みを浮かべながら声を駆けると同時に、味方の鳥型亜人も剣を手に動き出す。俺も多少リンから距離を取った。ぱち、と護衛対象の小さい目が瞬きをして、俺を見る。流石に分からないか。分からないだろう。安心させるために、ウインクを飛ばしてやる。

 リンを守る必要などなかったのだ。何故って、この戦いはすぐにカタが付くのだから!

「吹っ飛べ、ヒノォヅ!」

 被っていた帽子を外しながら魔法を行使する。成功した、と感じた瞬間、辺りに閃光が瞬き爆発が起きた。俺やリンが巻き込まれないよう、内側から外側に高熱が飛んでいく仕様だ。発生地の近くに居たマウスはそのまま肉体を弾け飛ばし、爆風と共に他のマウスを傷付けていく。乾や浮島の戦う場所から少し離れたところで爆発させたので、あいつらは上手い事避けてくれるだろう。

「去間テメー威力強すぎだぞ! 抑えろ! ヘタクソ!」

 辛うじて怪我を負わなかったらしい乾から怒声が飛んでくる。見れば爆発の影響でよろめいているマウスを空中で横から蹴り飛ばしているところだった。ついでに後ろに居たマウスの首を一閃し、戦闘不能に陥らせている。

「ちょっと鎧が汚れたんですけど、責任とって綺麗にしてくださいよ!」

 戦闘中とは思えないような言葉を俺に投げかけながら、浮島は剣を振るいマウスを二匹纏めて薙ぎ倒している。ごぎ、とマウスの骨が折れる音が俺の耳にも届いた。続けて襲ってきた一匹に気付いて、剣を構え直し、振り上げ、斜めに斬り下ろす。その攻撃をまともに食らった相手は、鎧を割いてぶっ倒れていった。

 そうして気が付けば敵はマウスが四体と鳥型亜人一体。このまま魔法を使わせる前に勝利する。敵の魔法行使を邪魔する為に、ヒァロを飛ばす。この時、初めて無言でヒァロを使う事が出来た。ぼうっと燃え盛る音を立てながら、巨大な矢は鳥型亜人に飛んでいく。しかし流石に正面から飛んできたためか、横に転がりうって奴はそれを回避した。当たってくれれば最高の気分だったものを。

 クソ、と悲鳴染みた声を出す敵に続けて魔法を撃つ。マウスはそろそろ二人が処理してくれることだろう

「ヒァロ・サンド! オラ、観念しとけ!」

 この前出来立てのアレンジ魔法を使う。今度は三つの矢が多角的に鳥型亜人へと向かっていく。後ろからも攻撃出来たら逃げ場を潰せるんだが、それにはまたアレンジが必要だろう。魔法ってヤツは中々難しいところがある。だからこそ浪漫が詰まっているのだが。

 火の矢は鳥型亜人へと襲いかかり、直撃したかと思うと同時に黒煙を上げ始めた。視界不良で当たったかどうか判断が付かない。逃走ではなく不意打ちを選ぶのではないかとリンの元へ走り警戒するが、杞憂だったようだ。マウスも死に、煙が晴れた後、その場には敵が居なかった。

 一先ず戦闘は終わったと考えて間違いないだろう。町民の反応も含めて周囲を伺うが、巻き込まれた亜人も居らず、大きな問題は無さそうだった。浮島がちゃっかり「何かお困りの方は是非どうぞ。リァステルンさんの練習場に滞在させてもらってます」なんて宣伝をして、拍手まで貰っている。さっきの乱闘は多少時間潰しの見世物になったようだった。もうちっと長く戦えばおひねりが貰えたかもしれない。惜しいことをした。

 脅迫者による干渉の妨害は行った。捕縛こそ行えなかったものの、犯人の特徴を伝えれば特定出来そうな気もする。安易な見通しだが、それで銀貨十枚くらい追加交渉してみようと思う。

 まず最初に襲われたリンへ、改めて心当たりがないか尋ねようとして……俺は動きを止めてしまった。

 リンは、真っ青な顔で、震えながら俺を、俺達を、亜人を見ていた。

「なんで。なんで……?」

 先程と同じように手を握りしめ、しかし表情は先程よりも恐怖に満ちたものとなっており。死の危険よりも、亜人の方が怖いってか? どうにも分からんが。

 問いかけが何を指しているか分からず、無い頭を振り絞って考える。どうして襲ってきたマウスを全て殺したのか、だろうか。いや分からん。マウスの、しかも死やら何やらと恐らく無縁の生活を送ってきたであろう存在の考えることなんてちっとも分からんのである。

 一応、先程の考え通りだと仮定して、話を続けることにした。でないと何も始まらない。

「あのマウス達は操られていたし、油断してうっかり殺される可能性もあったしなァ。ズェイイって魔法知ってるか? マウスに限らず、何でも操れるがちと発動制約が面倒な魔法だ。あいつら全員それ掛かってたんだよ」

「操るって……そんなことまで」

「貴方もどこかで納得していませんか? マウスにしては、様子がおかしいと感じたでしょう」

 視線を泳がせるリンへ向けられた浮島の言葉は、説得力があり、それ故に効果はてき面だったようだ。歯を噛みしめ顔を強張らせ、リンは俯いた。髪の毛が肩から流れ落ち、さらさらと行き場を失ったように揺れる。

 浮島に便乗する形で、乾が口を開く。コイツはいつだって軽やかな雰囲気で、鮮やかに無意味なコトをしたり弱点を突いたりする。何かぶっ飛んだコト言い出さなきゃいいが。

「まだズェイイで意識ない状態だったから優しいんじゃない? リンもさ、どんな生き方してきたか私は知らんけど、亜人にとってマウスがどんな存在で、どんな扱いをしているか、少しくらいは知ってるだろ?」

「……そうだけど、でも!」

「でも、何だ? 止めなきゃお嬢ちゃんが奴に捕まってブチ殺されてたぞ」

「大層貴女を恨んでいたようでしたし、ええ、それはもう陰惨な方法で」

「…………………」

 乾への反論を潰すように正論を突きつけると、浮島も畳みかけて、リンは沈痛な表情で黙り込んでしまった。

 戦いに慣れていないという事情を踏まえても、ここまで怖がり、俺達の対応を否定的に見られると納得いかない気持ちが湧いてくる。そこまで嫌がらなくても、という多少の苛つきだ。まあ暫く葉巻を咥えられないでいる方が苛々するだろうから、少しささくれ立った程度だが。

 リンの護衛は任務内容に含まれているが精神面の面倒を見るのは対象外だし専門外だ。こちらの仕事の支障が出ないよう振る舞うことも可能だろう。我儘な感情のまま過ごしていれば、回り回って痛い目を見るのが自分だということも理解している筈だ。

「ごめんなさい。申し訳ございませんでした」

 その考えは当たっていたようで、ひとつ息を吐いた後、リンは俺達に向かって頭を下げた。スイッチを切り替えられたらしい。

「そんな無理して言わんでも。助けられはしたけど、同じ種族を目の前で叩っ斬られ爆発して燃やされて悪い気分だろ? どう言われようが私達は歌姫様を守るから、安心して昨日みたいに振る舞えばいいよ」

「え。あ、うん……」

 そして、そんな感情の切り替えを中途半端に弄ったのが乾だった。スイッチの例をそのまま使うのならば、指で弾いてみた、ような。

 言われたリンは勿論、俺や浮島も呆気に取られてしまった。本当に思考が分からないヤツだ。内容の理解は出来るが、今それを言うのか? という展開があまりにも多い。そして付け加えると、乾がそんな内容の話をしたことも今回は意外だった。

「乾、おめぇさん昨日変なものでも食ったか?」

「バカにすんな! 知ってるぞ、『相手の気持ちになって考える』と良いんでしょ! さっき脳内で沢山の去間と浮島が死んだ!」

「…………」

 どんな気分だったか、とか聞く気にもなれず。

 浮島と二人、何とも言えねえ気持ちになった。


 やっとこさ歩みを再開し、程なくして目的地へ到着する。交戦した場所からあまり遠くなかった。見られてても……まあ然程問題はあるまい。

 「受け手」として芸術と接していると言うその亜人の家は、確かに他の町や都市で見かけそうな、一般的な家だった。歓迎の意を示す為か威圧感を与える為か、扉がリンの三倍の規模だったが。

 リンが少し背伸びをして、軽やかにこつんと戸を叩く。しかし小さく悩む素振りを見せると、今度は強めに二度拳を振るった。しばし沈黙、待機。ややあってその扉は勢いよく開かれる。後ろで待機しておいて良かったと感じそうな程激しく開いたので、慣れていたらしいリンを除く俺達三人は、一瞬また戦闘かと錯覚してしまう程だった。

 現れた白いカーディガンを羽織った牛型亜人は、間を置き、大好きな歌姫の姿を知覚すると途端にわあと歓声を上げた。

 「やああリン! 八日ぶりだったかな? それとも七日? どっちでもいいか! 会えて嬉しいよ!」

 無邪気な声色だ。しかし話に聞いた通り、黒い毛並みの彼はいまいち笑っているかどうか判断付きづらく、台詞で判断するのが賢明なようだった。十鈿女といい、カヴラノウファにはこんな亜人が多いのだろうか、とアホなことを考える。

 リンの返事を待つ前に、後ろに控えている存在に気付いた支援者の亜人は、それでも動揺することなく俺達へ話しかけてきた。

「君達もリァステルンさんの関係者かな? 歓迎するよ。さあ、中に入ってゆっくりしていってくれたまえ」

 扉から数歩距離を置き、通り易い道を作ると、腕を伸ばして家の奥を指し示してくれた。そわそわと、落ち着かない様子で、実に嬉しそう(だと思われる態度)だ。

 穏やかに吹き出す声が聞こえた。出どころは勿論、言うまでもなく。

「ふふ、この人達についても後程説明させて頂きますが……まずはお返事を。有難うございます。私(わたくし)も会えて嬉しいですわ、先生」

 今まで俺達が見たことも聞いたこともない、歌姫らしい姿で、リンはそう挨拶して見せたのだった。


 俺達は客間に通され、もてなしを受けることになった。驚くことにリンに出された飲み物は、彼女の小さい手でも違和感なく扱えるような特製の茶器だ。美しい加工が施されており、本当に歌姫が気に入られているのだと分かった。

 雰囲気は楽団に似ており、高級感溢れる雰囲気となっている。この中折れ帽は気に入っているが、こういった場所ではどうにも違和感が出てしまう。どうしたものか。ニェン中でたった今俺しか考えてないような事で悩みながら、「先生」とリンの雑談に耳を傾けていた。

 内容は当然リンを心配するものから始まり、表向きと、少し詳細な説明をリンが返す。その途中で俺達がリンの護衛を受け持ったウヴァンリャで、先程も亜人から助けられた、という話をすると、彼は俺達に激しく感謝してくれたのだった。金と格好良さに釣られた結果の任務受注であるが、褒められて悪い気はしない。笑って返事をしておく。

「言われるまで気付かなかったよ。完璧にリンを護衛してくれたんだね、素晴らしい」

「有難うございます。依頼は完遂したいのでね」

「良い心意気だ。マウスの薄汚い返り血からも守ってくれたのか」

「指一本触れるどころか、近付くという行為すら退けるべきだと思いましたよ。即座に吹き飛ばしました」

 嘘は吐いてない。マウスが近付いてきたら危険だと思ったし、乾や浮島を巻き込みつつ爆発魔法を使用した。それを彼の理想通りに飾って伝えただけだ。満足そうに、そうかそうだなと頷いた。様子が気になってリンを一瞥したが、予想に反して彼女は楽しそうに笑みを作っていた。にこにこと。

「そう、彼らの協力の甲斐もあって、二日後には演奏会が行えそうですのよ」

「本当かい! それはなんとも、嬉しい話だ」

「秘密裏に準備をして、派手に演奏会を再開する算段ですから、御内密にお願いします」

 先生にだけ特別、そんな風に笑って人差し指を口の前で立てる。この場で誰よりも優雅な振る舞いをしているマウスが、恋煩う少年に微笑み、そうでない俺(達)を貶すような性格だとは、目の当たりにしなければ気付くまい。それ程リンの言動は完璧だった。

「あと、もう一つ……いえ、これは当日のお楽しみ、ということで」

「ふふふ、気になるなあ。でもリンがそう言うのなら、あと二日我慢しておこう。それも楽しみだからね」

 おお凄い。乾が聞いたら飛び上がって驚きそうな発言だ。我慢なんて大嫌いだからな。まあ亜人は基本的にそうだが。

 これは暇つぶしの妄想だが、あの牛型亜人は欲求の発散方法を芸術鑑賞、という形にしたからこそ、こんなにも穏やかなのではないだろうか。亜人にも個性はあるが、傾向として「享楽的」で「短絡的」なヤツが多い。彼は珍しい部類に入る。これがもし鑑賞ではなく創作だったら、性格はまるっと違っていたに違いない。自分の作品を見てもらいたくて、奇行に走るとか。完全にイメージで話しているが。

 和やかな会話を背景に、アァと思い至った。道中リンを殺そうと襲いかかってきた鳥型亜人は、歌姫の才能に嫉妬していたのか。だからこそ「最高の歌声は魔法で調整された」と憤っていたのだ。恐らく奴も歌唱に心を奪われてカヴラノウファにやって来た。が、それより後か先か、リァステルンという強大な楽団には、美しい歌声を持つマウスの歌姫が人気を獲得し。結果、怨念を向けるコトになった。

「(ン?)」

 歌姫の排除という目的が達成されなかった以上、あいつは再びやってくるに違いない。対処法を練る為、奴のことを思い返していたのだが――一つ、引っ掛かった。そう言えば、否定しなかったが、肯定もしなかった俺の言葉があった筈なのだ。

 忘れないうちに浮島でも引っ掛けて相談しようと思ったが、二人の会話がそろそろ終わりに近付いているようなので、大人しく待つことにする。前に置かれていた水を飲み干すと、乾いていた喉が潤った。戦闘で多少水分を消耗していたのを忘れていた。

「申し訳ございません、先生。練習の時間が近付いてきたので、そろそろお暇致しますわ」

「そうか! それは悲しいが、笑って送り出さないとねえ。演奏会、本当に楽しみにしているよ」

 基本やり取りを眺めるだけであったが、気のいい牛型亜人と、にこやかに言葉を返す「歌姫」リンの歓談時間は、悪いものでなかった。

 立ち上がり握手を交わして帰り支度を始める歌姫に倣って、俺達も席を立つ。一人、魔法を使わない(謎)主義の所為で水を飲むのに苦労していた乾が、俺達から遅れて腰を上げたのだった。


 支援者亜人に見送られて、帰路に着く。長居してないと思っていたが、活気づく町並みを見るにそれなりの時間が経過していたらしい。まあ、そこら辺の管理はリンがしているだろうし、遅れても問題あるまい。

 先程まで浮かべていた笑顔は消え失せ、無表情で歩を進めるお嬢ちゃんに着いて行く。心なしか行きよりも早足で、靴音を鳴らし、それはすぐ喧騒に掻き消された。

 俺より後ろを歩いていた浮島が、がしゃと鎧の音を立てながらリンに近付く。亜人がその気になればマウスへ追い付くことなんてあっという間だ。

「お上手でしたね、演技」

「何ソレ、嫌味?」

「えっ。本心ですが……別人のようでしたよ、リンさん。演技経験の無い僕には出来ない芸当だと思いました」

 リンの冷ややかな返答に躊躇いながらも、そう感じた理由を説明する。浮島にとっては世間話のつもりだったのだろう。俺も何気なく感じながら、具体的に尋ねようとは思わなかった事だった。襲いかかってきた鳥型亜人ではないが、豹変、そんな感想を抱いていた。言ったら怒られるか。

 だが俺達の疑問はリンにとって意外であったらしい、嫌味ではないと理解した時からしかめっ面を作り、発言を咀嚼するようにうんうんと小さく唸る。路上パフォーマンスや町中スケッチをしている亜人どもの横を通り過ぎ、露天商を見物しながら練習場へと歩いていき、あのどえらい建物が見えそうになった頃、漸く結論を出してくれた。

「うん、普通。私にとっては当たり前の事だし、ケイだって、他の人だってきっとそう」

「え? 何が? ああ、演技か」

 やや遅い返答で、乾が会話の内容を思い出すのに時間が掛かっていた。そこから何か続くのかと思いきや、そんな事はなく。リンはそれで言葉を終わらせてしまった。特に含みも無く、本当に普通で、それ以上話すことも無いようだ。

 だがまあ折角出してくれた返事なので、暇つぶし代わりに突いておこう。

「ケイが演技出来るっつーのは嘘っぱちじゃねえ? 良い意味で」

「…………やれば出来るわよケイだって。見た事無いけど」

 返って来た台詞に笑ってしまう。だろうと思った!

 ケタケタ笑い声を上げていると、丁度練習場の入口から出てきた件のマウスが、俺達に気付いて駆け寄って来た。

「リンちゃんともう仲良くなったんですね! 嬉しいなあ」

 何故? とツッコみたくなるが、話が逸れて大切なコトを忘れてしまいそうなので我慢。

 違うわよと冷静に訂正したリンに続いて、何かしら雑感を述べようとした乾の言葉を塞ぐ形でケイに声を掛ける。浮島にも相談し忘れていたし本当に危ない。ここで全員に伝えてしまうに限る。

「帰る前にさ、ちっと案内して欲しい場所があるんだよ。頼めるか?」

「はい、勿論!」

 信頼してくれて嬉しい限りだが、コイツ騙されて楽団辺りの情報漏らしてないだろうか?


 そんな不安になるマウスに連れて来てもらったのは、十鈿女が話していた「爆破被害」にあった場所だ。ヒァカトか何かで修繕したらしく、すっかり綺麗な休憩所の室内である。自分達だけでは見付けられなかっただろう、ケイを捕まえられて良かった。

「んで、何するんだよ去間ァー」

 話は目的地に着いてから、と勿体ぶっていたので、不機嫌気味な乾の催促が入った。そろそろ話してもいいだろう。乾浮島にケイ、それからまだ練習に戻ってないリンをぐるりと見渡し、浮島を指差した。ヤツに協力してもらう必要がある。

「浮島、ここでアレだよ、過去再現魔法使ってくれ!」

「コンツィエントですってば! けど、何でまた」

「再現出来るかどうか試して欲しいんだよ。アイツの顔、覚えてるだろ?」

 リンを襲った鳥型亜人。同型の浮島なら詳細に記憶出来ているだろう、尋ねてみると首を振って肯定された。そして扉まで戻り、部屋を眺めてから、瞳を閉じる。何となく声を出すのが憚られて、皆無言になった。

 浮島が魔法を行使しようと微動している様を眺めていたが、ある時ヤツはしかめっ面を作った。多少の苛立ちが滲み、足に現れる。トントントン、ここでは靴の音が軽やかに響く。

「……出来ませんね。せめて脅迫状に関してもう少し知りたいところです」

 やがて溜息と共に、浮島はコンツィエントを諦めて口を開いた。多少想定していた事態なので、予測が正解に近付き、過去を追体験出来るよう助け船を出す。

「脅迫状は分からねえけどよ、あいつがそれを置きに来るトコだけ思い描いてみてくれねぇか」

「なんだっけ、トーズメさん、綺麗な字で読み辛い程びっしりとか言ってた気がする。脅迫状な」

 俺の言葉に続いて、乾がそんな、いつ聞いたのか浮島の望んでいた情報を教える。俺達の発言に多少驚く様子を見せたものの、真意の追求より行使実現を目指したらしい、再び目を閉じた。沈黙の間。今度は、先程より長くなかった。浮島の反応が明らかに変わったのを見て、成功を悟る。やがてヤツは怪訝な表情でゆっくりと俺を見た。

「あの人、爆破はしてなかったです」

「っつーことは、目的は分からんけど『敵』が居るなァ。アイツ以外に」

 乾がさらりと話す内容に、二時間ほど前襲われたばかりのリンの身体が分かり易く固まった。ケイも苦い顔をしているように見える。対して乾は気楽なものだったし、俺や浮島もそうなのか成程と頷く程度だった。定住しているヤツとそうでないヤツの差だろう。こっちには戦闘手段もあるし。乾なんか少し胸を躍らせてるんじゃなかろうか。

 そう、大量のマウスを引き連れていたあの鳥型亜人は、俺の「練習場を爆破したのか?」という質問に、肯定も何もしなかった。「煩い野郎だ」と。加えて、殺すと息巻いた、憎んでいた対象は楽団ではない。改造歌姫と蔑んでいたリンである。わざわざ練習場の一部を爆破させるのは余計な労働ではないかと考えたのだ。

 結果は大正解。十鈿女に報告をして、心当たりがないか聞いてみるべきだろう。まあ、「多すぎて分からない」といういつぞやに聞いた答えが返って来るだろうが。

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