大金に目が眩むハナシ


 そんな訳で俺達一行は次なる目的地となったカヴラノウファまでやって来た。

 と鮮やかに言えれば格好も付いたが、実際は村を出るのも一苦労という残念な話である。乾は一度気を抜くと中々出発したがらないし、浮島は理由を付けて鍛錬を続けようとするのだ。何とかそれを乗り越えて、途中の食料爆発事件も解決させ、魔物を斬り伏せ燃やし尽くし叩き倒しながら道無き道を進んできた。リェヒィの村からカヴラノウファまで、気軽には向かえない距離だからか、恐ろしく整備が進んでいなかったのだ。

 本来のルート先にあったアメォイへの道は整ってていたと記憶しているので、乾の興味本位な提案に賛成したことを少し後悔した。疲れはしない、怪我をすることも滅多にないが、精神的に疲れるのだ。デコボコ道というやつは。

「暇だなァ~。前みたいに魔物の大群でも来ないかな。全部宝石にしてやるのに」

「乾にしては良い事言いますね。この前は機会が無かったですし、僕の良い力試しになりそうです」

 俺の気苦労にはまったく気付かないまま、若人二人は血気盛んな言葉をわいわい交わしている。熊型魔物が大量に村へ押し寄せた時のことを話しているのだろう。あの時戦闘に参加出来ず仕舞いだった浮島はあれから二日間、愚痴を溢していた。どうやら胸の内では燻っていたらしい、腰に差している剣を魔法で躍らせながら自信ありげに発言している。一人で相手取る時は剣技よりも体術の方が重要になる気はするが、いちいちツッコんで反感を買う趣味もない。あと、俺は疲れているのだ。繰り返すが。

 しかしその後の会話はどうであれ、乾の暇だという発言には内心同意を示してしまい、密かに小さく頷いてしまう。カヴラノウファに居るマウスの歌姫が目当てであった乾は、その目論見がバレていると気付くや否や、それを隠さずに楽しみだなんだの騒ぎ始めた。そして騒ぐのに飽きた。これが村を出て三日目のことだ。今は村を出て十一日目になる。戦闘もなく、ひたすら目当ての町へ向けて歩き続ける日々……。かなり苦行である。数日前の食料爆発事件であれだけ不快になったにも関わらず、あの刺激が恋しいと感じてしまった。

「去間? オイ?」

 不意に乾から呼び掛けられて、ふわと漂っていた思考が自分の体に戻ってきた。前後の話がまったく読めず、怪訝な顔の乾に、似たような変顔を返してしまう。

「すまねえな、ボーッとしてまっったく聞いてなかった。何だって?」

「ひで! 去間はカヴラ行ったことあるのかって話してたんだよ!」

 急に唐辛子を十個程口に詰め込まれたような顰め面をしながらも、乾は律儀に同じことを繰り返してくれた(のだろう)。聞かないような略称を平然と使う癖をここでも発揮していた。まあ、意味は伝わったので問題あるまい。

 カヴラノウファは「芸術の町」だが、俺に言わせれば偏屈どもの巣窟である。音楽だの何だのに興味のあるヤツが集まって有名になった町なんだから、そりゃ当然どっかしら熱狂的な部分の持つ輩しか居ないのだ(もしかしたら、知名度にあやかってそこに住んでいるヤツも居るかもしれんが)。しかもそれぞれ面倒臭い拘りがあるもんだから、他より争いや揉め事が多いという噂もある。

「行ったことあるが、すぐ帰ったから町の様子とか覚えてねえなあ。誰かと話しちゃいねえあの時は」

「勿体ねェなー。まあ着いてからのお楽しみってコトだと思えばいいか」

「そうですねー」

 物事ってやつは期待し過ぎると裏切られるから、いい塩梅だろう。話の内容が昨日の昼食に変わったのを確認してから、ふむ、と再びカヴラノウファに思いを馳せる。乾に話した内容は事実である。遠巻きに眺められはしたが、声を掛けることも掛けられることもなかった。俺の溢れ出る魅力的な雰囲気を感じ取って、近寄れなかったんだろう。中々俺も罪深い存在だ。

 と、冗談はさておき。カヴラノウファで行っている演奏会と名付けられたそれを、乾は大層楽しみにしているようだが、ひとつ気付いてしまった心配事がある。一体いつ開催されているのか? ということだ。着いたとしても、次の演奏会までかなり期間が開いてしまうような事態になると非常に困るのだ。首都で果たす約束の為にも……なんてことはないのだが。特に予定も待ち人も居ない、悲しい事に。

 恥ずかしい話だが、単に俺自身の性格が危ういのだ。一度だらけると、うっかり定住してしまいそうになる。正直に言って乾より酷い。そうして中途半端に住処を作ってもういくつになるだろうか。それを避けるためにも、旅という形を取っている以上は滞在期間を短くしておきたい。出来れば二人に気取られないように……。


 そんな心配をしながらようやっとカヴラノウファに到着した。

「着いたーっ! 二十日間の長い道のりの末!」

「いや、まだそんなに経ってねえだろ」

「十一日ですけどそんなコトはどうでも良い……」

 雑すぎる乾の日付感覚を指摘し、どこか放心状態の浮島の言葉を聞きながら、大層久しぶりに訪れることになったカヴラノウファの町を眺める。リェヒィの村と違い、地には瑞々しい色の草木が生え、町中にはシンボルになりそうな噴水が見える。街路に仕組みがあるのだろう、奏でられた美しい旋律が耳に届いてきた。まさに芸術の町!

 しかし、それでも美しいという印象が抱けなかったのは、立ち並ぶ民家がそれぞれ家主の好みに従ったであろう、ドギツイ色彩を描いていた所為だ。色だけではない、形も一般的なものから本当に住めるのだろうかと疑問を抱いてしまうようなものまで、様々、統一性を欠片も感じられない有様だ。まさに芸術の町!

 何が一番怖いって、すぐ帰ったとは言えこんな町並みなのをすっかり忘れ去っていた俺の頭が怖い。住人が変わって住居も頻繁に建て替えられているのだと思いたい。

我に返って、隣に立っている二人の存在を思い出した。そう言えば浮島がやたらぼんやりしていたが、この強烈すぎるデザインに自我を焼却されたのだろうか。心配して二人を見てみると、乾はいつもと変わらぬ素振りで町中へと続く道を眺めていて、浮島の方も軽く頷いているくらいで、特におかしい挙動は見せない。問題はなさそうだ。

「演奏会って、どこでやるんでしょうね」

 辺りを見回しながら、浮島がそんな、乾の言いそうなコトを口にした。件の乾がそうだなあと頷いてさっさと歩を進めたので、俺達は慌てて後を追うことになる。

 三人で旅を始めて、度々こういう場面には出くわした。奔放な乾に、多少振り回されてしまうのだ。亜人は適当揃いだが、中でも乾はずば抜けて酷いとよく思う。宝石にするため追い続けていた魔物を、一度攻撃しただけで放置し俺達に処理を任せたり。敵対してきた相手をそれなりに痛めつけた後、自分から手当しようとしたり。何と言うか、気紛れが過ぎる。思考や行動を理解するのに一拍必要としてしまうから、その間にヤツはふらふらと先へ進んでしまう。身勝手で、危険も何も考えない行為だ。中々面倒臭いヤツとパーティを組んでしまったという感想を抱いてしまう。

 まあ、嫌いではないから続けているのだが。

「あー! っそこにありそう! 建物がそれっぽい!」

 指を折り曲げることが手間なのだろう、手を伸ばし方向を示す乾に近寄り、そちらを見やる。なるほど確かに一際大きく派手な建物が、やや歩いた先に建っていた。

「行きますか」

 はあと息を吐きながら浮島も歩き始める。足取りはどこか軽やかに。あれもしかして浮島これ結構楽しみにしてるんじゃねえのか? そんな予想が脳を過ぎりつつ、整備された道を歩く有り難さを噛み締めながら俺は二人の後を着いていった。


 その予想が間違ってなかったのを知ったのは、ほんのイジュン先である。入り口から建物まで歩いた所要時間。補足すると、建物前に辿り着き、扉の側で控えていたマウスから話を聞くまでの短時間。

「開催中止?! この先五日間は!?」

 マウスの言葉を驚きに満ちた声で繰り返したのは、乾――ではなく浮島だった。すっとんきょう、だったか。飛び上がるような高い声で、目の前で旧来の親友が憎んでいた敵だと明かされたような必死の顔。ヤツのこんな表情を見るのは中々無い。滅多にない、とは言い切れないのが浮島の残念なところだ。二枚目にはさせん。

 浮島の剣幕にマウスがすっかり怯えてしまった。小さく縮こまって、くすんだ灰色の髪の毛をふるふると揺らしている。視線を逸らせば殺されると思っているのだろうか、瞳に涙を浮かべ呼吸は酷く荒い。固く結んだ掌には何かが握られているようだった。

 こうして、浮島とマウスの両者を眺めてみると、アレが縮してしまう気持ちも分からないでもない。浮島は俺よりほんの少しデカいし、重そうな甲冑が威圧感を増やしている。扉と浮島に挟まれ潰されそうな気さえする。マウスが潰れる時の音はどんなだったか。流石に覚えていないし、乾が嫌いそうなオトだろうなあ。

 何故ですか理由を説明してくださいでないと納得出来ません分かり易く教えてくださいほらさあ。マウスの恐怖心を理解しているのかいないのか、矢継ぎ早に言葉を発する浮島を見て、乾と二人顔を見合わせてしまう。もし意図的にやってたら性格悪ぃよなあ……。乾も似たようなことを考えていたらしく、何度か軽く頷いた後ニタニタと悪人面で視線を向けた。

「浮島~、今お前めっちゃ格好悪いぞォ」

「はっ?!」

 格好悪い、というのは浮島にとって結構な禁句である。凛々しさ・気高さの象徴である騎士に憧れる浮島は、自分もそうありたいと願っているからだ。知っていて躊躇なく突っ込む乾は中々情けというものを持ち合わせていない。

 ただ、それが冷水代わりになったようで、ふうと一度深呼吸を経た後、いつも通りの浮島に戻っていた。詰めすぎていた距離を離し、改めてマウスと向き合う。あれ、本人的には真摯な気持ちを表すためなのだろうが、怯え切ってしまったマウスにそこまで通じない気がする。

「ええと、そうですね。理由。演奏会が『延期』になる事情を、貴方は知っていますか?」

「そ、それが、その……。そう……ですね……」

 「中止」ではなく「延期」であることを強調しながら疑問を投げた浮島に、未だ震えるマウスは明快な返答を返すことが出来ないようだった。視線が泳ぎまくっている。なんか最近見たな、乾が賊を痛めつけた後の奴らの顔があんな感じだった。恐怖・困惑・逡巡、そんな言葉が似合うような、弱い顔。

 浮島は求めたものが得られず苛立ちを募らせているようだったが、俺は逆にこの哀れで可哀想なマウスの姿を見て、ピンと来るものがあった。

 何も知らない訳ではないだろう。情報開示を先延ばしにすることで延命を図る、なんて今のマウスが考えられるコトじゃない。演奏会を中止せざるを得ない理由を、アレは突如やってきたよそ者に話していいのか悩んでいる。

「五日間をもっと短縮させることは出来ないんですか? 別に急いではいませんが、出来ることなら早く見たいですし」

「マ、そこまでで良いんじゃねえの?」

 自分が見たいという態度をまったく隠さなくなった浮島に声を掛けると、やや呆れたような顔を向けられる。何故だ、俺の訳知り顔が今は腹立たしいのか。仕方ない、半ば癖になっているし、事実詳細は分からないまでも、一番重要なことは察せた。そう、つまり、

「小僧、演奏会やってる楽団のトップは何処に居る?」

「え?」

「ウヴァンリャ、って言えば分かるだろ? ――面倒事なら俺達に任せとけ」

便利屋が活躍できるような厄介事の匂いがする!

 後ろで乾が「だろーな」とカラッとした声で呟いた。


 面倒事を引き受けることと、開催中止の事情を俺達が知ることは、結果的に同じコトではあるが、俺の言葉が心に響いたのだろう、マウスの少年は楽団の練習場所(拠点)まで案内してくれると申し出てくれた。有り難い話だ。

 少年の隣を進んで歩く。乾や浮島には歩幅を揃えるという芸当が難しそうだったことと、単純な話、一番信用されているのが俺だったためだ。頭空っぽバカな乾と一週回ってアホな浮島とは違うのだ。後ろを向いて勝者の笑みを浮かべたいところだが、「つい普段の癖で足をぶらつかせてしまった」等と言い訳をされながら攻撃されそうなので黙っておく。

「去間さん、去間さんは、どうしてカヴラノウファに来たんですか?!」

「言ったろ、演奏会目当てだよ。ホントはアメォイに向かう予定だったんだけどな」

「そうでしたね! 予定を変えてくれて嬉しいなあ~」

 ……信用と言うよりは、好感かもしれない。マウスらしからぬ陽気さで、少年――ケイ(勝手に名乗った)――は俺に話しかけてくる。紳士として、あと単純に怒る理由もないので適当に付き合いながら歩いていく。

 ケイはあの建物の雑用係として働いているそうだ。パフォーマンスやショーなど様々な催しが行われる、多目的施設。歌姫の楽団は、目玉であり一番の利用者でもあるらしい。今まではほぼ毎日演奏会を開いていたんですよ、と恍惚とした表情でケイが語り出す。外でも話題になるほどの楽団に対し、ケイも並々ならぬ感情を抱いているようだった。

「僕は実際の演奏を見た事はないんですけど……ゲネやリハの時に機材の関係で見学させてもらえる時があって。凄いんですよ! もう、あれのお陰で毎日楽しく過ごせるって言うか! 悩みとか辛さが一気に洗い流されるような!」

「演奏で、かあ……そりゃ随分盛大なんだろうなァ」

「そうですね、派手なやつもありますよ。でも僕は、あの子が静かに歌い上げる、題名も知らない曲が好きですね……。きっと演奏会でも締めとかどっかでやると思うので! お勧めです!」

 幸せそうに笑うケイ。俺の方を向いて喋るもんだから危うく建物の角に顔をぶつけそうになった。辛うじて危機を回避。「僕結構運がいいんですよ!」と笑っちゃいるが本当に大丈夫だろうか。

 後ろでは小さく呻くような空気を変に噛んだようなくぐもった浮島の声が聞こえる。大方、話を聞いて更に興味が湧いたものの、開催中止という事実を思い出し、悔しさとケイへの理不尽な怒りを募らせてしまったところだろう。辛うじて飲み込んだ辺り、よく我慢したと思う。さっき醜態を晒したことも関係していそうだが。そして隣の乾が隠しもせず笑っていた。

「早く去間さんたちにも聞いてもらいたいなあ……これで事態が好転すると良いんですけど」

 独り言のような雲に似た言葉をふうと吐き出して、ケイは俺から視線を外した。新しく視界に入れた先を、同じように眺めてみれば先程の派手な多目的施設よりスゴい建物が見えて、ああアレだと直感で分かった。

 スゴい、というのは規模の話だ。と言っても高さや大きさではない。高さは他の建物と変わらぬくらいだが、その分横にバカデカいのだ。そりゃ入り口で探していた時は見落としていた筈である。色や装飾こそ落ち着いているものの、だからだろうか、いやに迫力のある建物になっていた。

 四人で心持ち足早に、建物の入り口へと向かう。いつの間にかケイが俺よりも数歩先を歩いていた。小さい体でよくもそこまで、と観察すると、あいつ走っていやがった。どれだけ楽しみなのか。年齢も乾より大分若いようだし、マウスという存在ながら、運良く爛漫に育ったのだろう。子ども、って程ガキでもないだろうが……。

 そんなケイは入り口が近付いたところで一度立ち止まると、俺達にその場で待機しているように話し、するりと扉の前まで駆け寄っていた。拳を作りこつこつと叩く。何やってんだろ、と考えもせず言い放つ乾に、浮島がバカ丁寧にも解説を始めた。

「僕達のようなウヴァンリャにも知られているような、有名楽団ですからね。入る為には一定の手順を踏まなければならないんじゃないですか?」

「んあ?」

「……つまり、合言葉、のような」

 溜息を寸でのところで堪え、あいや盛大に吐いたわ溜めてただけだった、浮島が分かり易く喩えると、漸く乾は納得出来たようでははあ! と雲が風で吹き飛ぶような声を上げた。そうして再度ケイへ視線を投げ、ぽつりと感想を漏らす。

「でもあれさあ、こっからだと充分見えちゃうよな」

「俺達の視力なんてマウスケイには分からないんだろう。そういうことにしておけ」

 話を聞く限り受付仕事も担当しているケイに、亜人からの指導も入っている筈だが。まあ、損をしないのでいいのだ。

 ややあって、扉がゆっくりと開く。出てきた先には、燕尾服を身にまといシルクハットを目深に被った亜人が立っていた。お、と後ろで乾が声を上げる。「あれ、変容亜人だ」。続けられた呟きに、成程と納得して俺は頷いた。

 獣型亜人しか居なかったという集落から出てきた乾にとっては、相対するのは初めてなのかもしれない。そういえば、カヴラノウファには変容型も結構居たな、と思う。

 燕尾服の亜人はケイと二、三言会話を交わすと、持っていたステッキの先で鮮やかに円を描き、一周させると最後に彼の頭を叩くように殴った。「アダァッ!」という呻くような悲鳴響き、小さいマウスは頭部を押さえる。その様子にシルクハットを揺らすと、亜人はこつこつと小気味良い足音を立てて俺達の前へとやってきたのだった。

 そうして、確信する。顔を見せない亜人だと思ったが、それは何もないからだ。シルクハットと燕尾服、白手袋と袖の隙間、そこには奥の景色しか映されない。

 即ち、透明人間。

「君達がケイの言う『何でも解決出来そうな有能ウヴァンリャ』ですね? やむを得ず自己紹介をさせていだきます。楽団『リァステルン』の団長、十鈿女とうずめいたるです」

 こつ、と再び似たような音、揃えられた足、優雅なお辞儀。しかし言葉の内容や声色は親しみとは正反対の位置にあった。仕方ないから利用してやろう。そんな意思を隠そうともしない態度に、こりゃ本当に「面倒事」だったな、と内心苦笑いをする他ないのであった。


 建物に通された俺達は、入り口すぐ近くの部屋へ足を踏み入れた。敷かれている絨毯が柔らかく、靴が若干沈んでしまう。高級な作り、をイメージしているのだろう。それに反して机は簡素な白いもので、酷い落差を感じた。特に言及することもなく十鈿女は座るよう促した。

 指し示された横長のソファ。我先にと飛び込んだのは乾だった。浮島を見ると机とソファの距離が近く入り辛そうにしていたので、俺が代わりに滑り込む。正面に置かれた豪勢な椅子に、十鈿女がゆっくりと腰掛けた。俺達が全員座るのを待つつもりは無いらしい。そりゃそうか。しかし、俺達よりも確実に大きい、長身の十鈿女が椅子に座り足を組む姿は、敵(?)ながら様になっていて、正直悔しい。

 実を言わずとも、変容型は基本形がマウスのそれなので、やたらと服装の揃えが良いのである。亜人用の服は、マウスの型を改良したものが多く、必然種類が減ってしまう。体躯の形が近い猿型亜人でもそれは変わらない。俺は必死になってこの装いを仕上げたというのに、十鈿女のヤツは別段苦労せずにあの格好を選んだのだろうと思うと悔しさが勝手な恨みつらみに置き換わり、膨れ上がっていくのを感じる。

 隣で乾が早速くつろぎ始めているのも気に入らん。あいつは拘りも何も無さそうで羨ましい限りだ。まあこの苦しみも分からんヒヨっ子と見下すことで平静を取り戻すことにする。

俺がそんな風にすっかり依頼のことを忘れていると、それを見越してか主導権は自分が握りたいのか、十鈿女がひとつ頷いて事の次第を話し始めた。

「――所謂、脅迫状です。九日前に、この練習所が何者かの手によって一部爆破被害を受けまして。その跡地に残されていたんですよね」

 ふう、と本当に困っているのか本当に微妙な声色で溜息を吐いてみせる十鈿女に、出来事を予想していたらしい乾はアァと納得したように頷いた。普段その反応を担当している浮島はまだ頭が働いていなかったようで、小さく目を見開き固まってしまった。しかしまあ、少し考えれば分かる。爆発までされたというのは意外だが、他に公演が延期になるような理由もそうあるまい。歌姫が逃げ出したとかな。

「元々カヴラノウファでも一二を争う有名どころなので、反対勢力もそれなりに居たんですけどね。全て叩き潰したので、最近はめっきりだったのですが」

「へぇ~。トーズメさんやるぅ」「目障りですから」

 冷やかす台詞とニヤケ面で合いの手を入れた乾に対し、意にも介さずさらりと返答する団長様に内心こいつやるなと思ってしまった。ヤツの扱い方を心得ている。完全に無視はせず、適当に返せば本気で文句をつけてこないのだ。出会ってニジュンと経たずに読み取ったというのだろうか。

 依頼に関して中々集中出来ないが、それでも話は進んでいく。

「敵に対して心当たりが多すぎるので、調査が手間なんです。今は演奏会開催時期で、それ以外の雑事に気を取られたくないのですよ」

「けれど延期にはされていますよね? それは何故?」

「ああ……あと五日間は、という形で餓鬼を始めとした周囲にはお伝えしておりますね」

 疑問を挟んだ浮島への返答を聞き、流石に俺達三人おおと顔を見合わせた。口ぶりからそれは真実ではないのだろうと察せられるからだ。宝石のように浮島の瞳がらんと輝いた。

「脅迫状の主に屈するのも癪ですからね。明後日までに犯人が見付からなければ、」

 心なしか弾んだ声で十鈿女が口を開いた。手にしていたステッキの柄をゆっくりと撫で上げ、ふっと息を吐く。透明な彼は今ゆるく笑みを作っているのではないかと思うが、うーんやっぱ分からん。透明人間だしなあ。

 さて、その言葉が急に途切れたのには理由がある。勿体ぶっているのでもなく、単純にそれを遮る声が現れたからだ。それは俺達三人でもなくケイでもない、突然の第三者。

「ねえちょっと、ケイが来てるって本当っ!?」

 応接室の扉が勢いよく開かれ、転がり込むように駆けてきたのは一匹のマウスだ。

しかし彼女のために誂えたであろう洒落た衣服、整えられた長い髪、薄く紅色に染まる血色のいい顔。それらは一般的なマウスとはかけ離れた扱いだと言えよう。

恐らく俺達三人同時に気が付いた。そして、誰よりも早く反応したのは浮島だった。

「もしかして貴方が歌姫、……ですか?」

「はァ? だから何だっての。っていうか誰、あんた達。ケイは何処?」

 そして応対一番ドギツイ言葉を掛けられ一瞬固まったのも、当然浮島だった。その落差に「んぶファあ」と気色悪い吹き出し方をしたのが乾で、やっぱり面倒な依頼になりそうだなァと思ったのが俺だ。

 異種族の俺でも整った顔立ちだと分かる顔を思い切り顰めて、俺達を品定めするように睨みつけながら、部屋をきょろきょろと見渡している。小器用だな。しかしケイは俺達がこの部屋に入った時から別行動を取っている。十鈿女に耳打ちされていた(流石でもないが聞き取れなかった)から、内密に雑用でも頼んだのだろう。

 それを教えようと口を開きかけたその時、こつん、と再び小気味良い音。見れば十鈿女が足を組み替えていた。あっと小さく息を飲む声は、扉付近――歌姫が出したものだろう。さり気なく視線を送れば、先程の不遜な態度は何処へやら。すっかり落ち着き、を通り越して青い顔になっている。浮島にガンつけられたケイのような。強大な相手に対して怯えることしか出来ない、マウス。一瞬で力関係が理解出来てしまう。

「大人しくしなさい、リン」

「はい…………」

 十鈿女の静かな言葉に、短い返答。消え入りそうな二文字は、一瞬で溶けて消えた。ついでにこの空間もなんか落ち着いた、ような気がする。乾も浮島も何となく察しが付いたようで、十鈿女を見ている。

 俺達の視線に気付いたヤツは、ああとわざとらしく微笑んで、話し始める。

「脅迫状の主は彼女に殺意を抱いているようでして。絶対に殺してやるとまで宣言しているんですよ」

「ほほう。それは困るなあ」

 うんうん。首を振って頷く乾は恐らく適当に相槌を打っているだけだろう。そこまで殺意持ってるの凄えなとか思ってそうな顔をしている。

 リンと呼ばれた歌姫が、躊躇いがちに十鈿女の側へ寄っていく。そのように訓練されているのだろうか。相も変わらず目を伏せ、自分を守る様に両手を握りしめていた。その姿をぼんやり観察しようとしたものの、タイミングが良いのか悪いのか、十鈿女が依頼の詳しい説明を始めたのでそちらに気を取られてしまう。

「依頼したいのは、『リンの護衛と脅迫者による干渉の妨害』です。方法は、ウチの名を落とさなければ何でもよろしい」

「何でも……」「一人で突っ走らないでくださいよ、乾」

「その依頼の場合、条件達成が曖昧だと思うんだが、そこはどうなる?」

 浮島が乾を止めている間に、俺達にとって最重要部分、報酬の話を持ち出しておく。前回のように乾を外に放り出せればいいのだが、他人の所有している建物内は難しいだろう。とっとと話を成立させるに限る。

 疑問点を出すと、十鈿女は小さく頷いた。透明人間だから、どんな目線か断定は出来ない。が、きっと俺達を小馬鹿にしているのだろう。

「最低で銀貨四十枚は保障しましょう。脅迫者による干渉の妨害を完璧に達成した場合は銀貨二十枚。加えて脅迫者の特定・捕縛出来れば更に銀貨二十枚をお渡しします」

「乗ったッ!」

 それなりにウヴァンリャとしてやってきた俺でも即決してしまうような額を、躊躇いも無く提示出来るような金持ちだ。そりゃ小馬鹿にもするだろうし、こんな素晴らしいお客様ならいくらでもどうぞ!

 俺の返答に、またしても乾が吹き出した。

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