第65話 オルト視点 アスカからの知らせ

 先日の一件では一応エーテルを操ったとはいえ完全に無意識で、それはある意味暴走状態にも等しい。

 そんな力は自分だけでなく、周囲の人にも害を及ぼす可能性が非常に高い。

 だから今はエーテルを操るのではなく、なんで宝石からエーテルが溢れ出してくるのかを確認するための作業を行っている状態だ。

 ただ・・・


「おかしいなぁ。」


 あれ以来レティの事をどんなに強く思い浮かべてもエーテルが溢れ出るどころか、うっすらと滲むこともなくなってしまった。

 そう、またしても大きな壁が立ちふさがったのだ。


「なんでダメなんだろう?こんなんじゃ・・・」

「・・・」


 僕のつぶやきに反応するでもなくイロハさんは隣で正座して眉毛一つ動かさず目をつぶっている。

 これはうっかりエーテルが暴走したときのための措置として居てもらってるんだけど、その必要性については議論の余地がありそうだ。

 握りこんでいた宝石を首に戻すとため息をついてゆっくりと立ち上がり、気分転換に屈伸と柔軟の体操をした。

 長い時間正座していたせいで凝り固まった筋肉が少しだけ悲鳴を上げながら引き延ばされ、痛みとともに気持ちよさを感じる。

 そんな僕の様子を薄目を開けてみていたイロハさんも、さすがに飽きてきたのか立ち上がって上半身をひねって腰を回す。

 そしておもむろに壁際にすたすた歩いていくと立てかけていた竹刀を手に取って軽く振った。

 ヒュンヒュンと風を切る音が静かな道場に響き渡ってしばらくの間静寂が訪れる。


「動こう。」

「え?」


 唐突な提案に戸惑っていると足元の籠手を拾い上げて僕に投げ渡してくる。

 慌ててそれを受け取ると同時に正眼に構えたイロハさんが一気に距離を詰めてきた。


「うわっ!?」


 上段から振り下ろされた竹刀を間一髪のところで躱しながら後転して距離を取り、そのすきに籠手をはめてその感触を確かめる。


「急に何!?」

「操気術の訓練は簡単じゃない。」


 問いに短く返事をすると、床を軽やかに蹴って逆袈裟に竹刀を振り下ろしてくる。


「私もそうだった。」


 ひたすら後転して距離を取りながらやっとの思いで立ち上がると、いつの間にかイロハさんの顔が目の前に急接近していた。

 繰り出される突きには一切の手加減がなく、空を裂きながら鳩尾めがけて伸びてくる。


「くっ!」


 体を半歩横に逸らしながら籠手を竹刀の切っ先すれすれに掠めさせて軌道を変え、その流れのまま背後に回り込む。

 イロハさんは突きの勢いのまま僕がいた場所を通り過ぎると、キュッと乾いた音を響かせて床を踏み込んで急停止し、しゃがみこむ姿勢を取るとそのまま後方へジャンプした。

 その鮮やかなまでの身のこなしに見とれつつさっきの言葉を思い出す。


「イロハさんでも?」

「ん。」


 背面飛びの状態から短い返事が帰ってくると、空中で体を捻り、その勢いを殺すことなく竹刀が真上から振り下ろされる。

 見たこともない予想外の動きに反応できず頭の上に腕をクロスさせて受け止める。

 バチンという乾いた音とともに激しい衝撃が両腕に襲い掛かって手がしびれ、前のめりに倒れこんだ。

 イロハさんは籠手を打った衝撃を利用すると、更に空中で一回転して着地し後ろから僕の頭を軽く打った。


「痛っ!」

「勝ち。」


 腕と頭を擦りながらイロハさんにジト目を送る。

 それがどうしたとばかりに竹刀を肩に乗せてトントンした後、目の前に正座した。


「私も悩んだ。今もカグラの足元にも及ばない。」


 そういって膝の上に置いた手を握りしめた。

 でも僕を見つめる瞳には一切の迷いがない。

 それは常に高みを目指している証拠だ。


「けど諦めない。だから、ハクも弱音を吐いちゃダメ。」

「うん・・・わかった。」


 返事を聞いたイロハさんはすくっと立ち上がって竹刀を壁に戻して道場出入口へ向かった。


「もうお昼。」


 時計もないのによくわかったなぁと思ったら外から魚の焼ける匂いが漂ってきた。

 なるほど、確かにもうお昼の時間だ。


「今日もありがとう、イロハさん。」


 籠手を外して元の位置に戻しながら、いつも修行に協力してくれることに感謝の言葉を口にした。

 その言葉を聞いたイロハさんは履きかけていた草履を脱ぐと僕の目の前まで歩いてきて、ぴしっと指を指した。


「『さん』はいらない。」

「え・・・」

「年はハクのほうが上。」

「いや、でも・・・」


 敬称なしで名前を呼ぶことに抵抗というか気恥ずかしさがある。

 あまりいろんな人と接点を持てなかったから人との距離を図るのが苦手というのもあるし、体に染みついた習慣というのはそう簡単にぬぐえるものじゃない。

 突き出された指が鼻をぐいぐい押しながら曲げる気はないと言わんばかりの表情を浮かべている。


「努力・・・します・・・」

「ん。」


 何とかその場を取り繕ってイロハさんを納得させ、そのうち自然に呼び捨てにできるようになるといいなと思いながら道場を後にした。


 ◇◇◇◇◇


 それからしばらく経ったある日の事、縁側に座って借りている武術の本を呼んでいると僕の名前を呼ぶ声が聞こえて顔を向けた。

 声の主は聞き間違えるはずもない、クルス様本人だ。

 姉妹を従えたクルス様は「時間をくれるか」と言うと僕を書斎へと案内した。

 めったに入ることのない書斎へ招かれるとあって、妙な緊張が走る。

 以前書斎へ入って聞かされた話はかなり重いものだった。

 きっと今回もそれに準ずる内容なんじゃないだろうか。


「失礼します・・・」


 クルス様の後に続いて戸の敷居をまぎ、恐る恐る書斎へ足を踏み入れる。

 相変わらず重めの雰囲気が室内を覆っていて、クルス様はこんな部屋でよく仕事ができるものだと感心してしまう。

 部屋の中央に置かれた机の両端に用意されている椅子に深く腰を掛け、正面に座ったクルス様に顔を向けた。


「まぁそんなに緊張することはない。気楽に構えていてくれ。」

「はぁ。」


 何とも気の抜けた返事をしてしまい、くすりとクルス様に笑われてしまう。

 それも束の間の出来事で、すぐさままじめな表情に戻るとゆっくり口を開いた。


「先ほどアスカに常駐させておる配下の者から火急の知らせが届いた。」

「火急・・・ですか。」

「うむ。単刀直入にいうがハクを探している連中がいる。」

「僕をですか?」


 心当たりがないわけじゃない。

 聞いた話じゃ街中で事件を起こしていたらしいし、そのせいでクルス様に匿ってもらっている。

 反対勢力の人たちからもよく思われていないだろうし、クルス様の庇護がなかったらどうなっていたかわかったものじゃない。

 でもそんな僕の予想は次の言葉で別の角度から裏切られた。


「そうだ。わざわざグランザムからな。」

「えっ!?」

「それはハクが生まれた国?」


 僕の驚きとイロハさんの疑問の声が重なる。

 クルス様は小さくうなづいて言葉を続けた。


「数日前にウミナトへ入国してあちこち聞きまわった後、どうやらバイカンの手のものに連れられてアスカにいるとのことだ。」

「そうなると・・・」

「うむ。」


 カグラさんのつぶやきの先を察してクルス様は頷いた。


「相手の出方にもよるが、ここへ来るのも時間の問題だろうな。」

「そうですよね。」


 そういうと懐から小さな紙を取り出して掻かれている内容を目で追いながら顔をしかめた。


「父上?」

「厄介なことに、グランザムの来訪者のうち一人は金髪赤目の女とのことだ。」

「まさか!?」


 クルス様の様子を見て不安に感じたカグラさんがその言葉を聞いた途端、驚きの声を上げた。

 金髪で赤目の女の人がどうしたというんだろう。

 確かにトーシャ村には金髪の人も赤い目の人もいなかったけど、世間一般でも珍しいんだろうか。


「それがなにか?」

「ハク、あなた知らないの?グランザムでその特徴を持っているのはあの一族だけ。」

「あの一族?」

「そう。戦乙女の一族よ。」

「えぇ!?戦乙女っておとぎ話じゃないんですか!?」

「今ではそうだけど、今でもずっと続いているのよ。グランザムでは有名な話でしょ?」


 有名な話。

 確かに昔話として両親から聞かされたことはあるし、ローラおばさんの勉強の時にも聞いたことはある。

 でもそれは伝承の一つとして伝えられているだけで、実在するなんて聞いていなかったし縁遠い存在だったから深く追及することもなかった。

 なんせトーシャ村では日々の生活で手一杯でほかのことを考える余裕なんてなかったから。


「あ、ごめんなさい・・・」

「いえ、気にしないでください。大丈夫ですから。」


 いつの間にか寂しそうな表情を浮かべていたようでカグラさんが心配そうに声を上げた。

 まだトーシャ村でのことを思い出すと胸が痛む。

 生まれだ場所だし家族と一緒に暮らしてきた記憶もある場所だ。

 でも今はそのことを胸の奥に押し込んで一息ついた。

 そんな人が僕を探す理由なんて一つしかない。


「源泉・・・ですね?」

「そうだろうな。」


 自然と机の上に置いていた手に力が入る。

 脳裏に浮かんだ忌まわしい記憶とともに守るべき少女の面影が浮かび上がってくる。


「イエスタの間欠泉はもう少し調査が必要だが、機能を取り戻したと見て間違いなかろう。もっとも調査できる状況ではないがな。」


 そういってクルス様は苦笑いを浮かべた。

 間欠泉は北にそびえる霊峰ロクシキの、鬼人族の勢力圏に開いた風穴からしか入れない。

 ようするにクルス様たち人間がおいそれと近づける場所ではないということだ。


「グランザムの源泉での異変、イエスタの間欠泉の復活。そしてその両方にハクがいたこと。これらはどう考えても無関係ではあるまい。」

「ははは・・・」


 自分では何もわからない。

 一介の村人である僕が世界を衰退させている源泉に関係しているなんて想像もできない。

 ただ、これまでの事実がそれを裏付けている以上、僕がそれを否定する意味はない。

 否定したところで何も変わらない。


「何者なんでしょうね、僕は。」


 誰に聞くでもない問いが口からこぼれる。

 ただしその問いの答えを知っている人はここにはいない。


「自分が何者であるか・・・か。」


 僕のつぶやきを拾ったクルス様は深く考え込んだ。

 誰しもが次に発する言葉を待つかのように書斎の中は静寂に包まれている。

 そしてゆっくりと目を開いたクルス様は僕をまっすぐ見つめた。


「ハクよ、それは己にしか決められん。ほかの誰でもない、己が決めればよいのだ。」


 発せられた言葉の一つ一つが体を突き抜けていく。


「だれしも自分が何者であるかなど知っているものはいない。それは私とて同じだ。だた一つ言えるのは・・・何がしたいか、ではないか?」

「何が・・・したいか。」

「そうだ。誰かに言われてするのではなく、自分で考え、決め、行動する。その一歩ずつが道となって己が何者であるかが定義される。私はそんな風に考えておるよ。」


 その言葉は僕だけに向けられたものではなく、ここにいるみんなに向かっていった言葉なんだろう。

 言葉の重みを感じながら大きくうなづいて力強く返事をした。


「分かりました。不安が消えたわけじゃないですけど、今僕がしたいことをするために、全力で頑張ります。」

「そうだな。ハクよ、お前は一人ではない。それを忘れるな。」

「はい。」


 取りあえず今考えても仕方ないことにはいつか答えが出ると信じていったん蓋をしながら直面している課題に目を向ける。


「グランザムとしても間欠泉の異変は取り除きたい。戦乙女が駆り出されている理由もその一点だと思います。そうなるとハクは見つかり次第拘束、グランザムへ連行される可能性が高いかと。」

「うむ。ただ、ハクが異変の直接的な原因であることを掴んでいるとは考えにくい。ハクはずっとここにいたのだからな。あくまで任意同行を求めてくると考えておる。とはいえ向こうがどう出てくるかは分からん。」

「ではどのように?」

「相手の出方次第ではハクを任せることもできようが、今決めるわけにもいかん。いずれにしても一度顔を合わせる必要があるだろう。」

「分かりました。屋敷の者には滞りなく準備させます。」

「任せるぞ。」

「はい。ハク、あなたは絶対出てきちゃダメよ?」


 クルス様とカグラさんとの間で方針がまとまったところでふいにこっちへ言葉を投げかけられた。

 少なくとも戦乙女とかいう人とはあまり関わり合いになりたくないので、ブンブン頷いて肯定の意思を伝える。


「イロハも。変に顔を見せないでよ?」

「む!分かってる!」


 なぜかイロハさんにも注意が飛び火して不機嫌そうにほっぺたを膨らませる。

 とはいえイロハさんの勝手な行動には前科があるから仕方ないのかもしれないと心の中で笑った。

 程なくして話し合いはお開きとなりその翌日。

 クルス様の見立て通り、お昼を過ぎたころ門を叩く音が屋敷に響き渡った。

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