第64話 オルト視点 修行は続く
気持ちを落ち着かせて深く息を吸い込む。
夏が終わり秋に移り変わってソラーナの光も衰えを見せ始めた。
早朝ともなると少し肌寒く感じる季節の中、道場の中心に正座してエーテルの流れを追いかける。
十七年生きてきて感じたことのない力を自分の中から見つける。
そんなわりと無茶苦茶な事を成し遂げるために、今日も今日とて修行は続いていた。
そんな僕の隣ではイロハさんがいとも簡単に風の力を操っている。
先日のお願い以来、イロハさんに朝の修業のお手伝いをお願いしている。
お手伝いといっても直接何かを教えてもらうわけじゃなくて、エーテルをどんなふうに操っているのか近くで見せてもらっている。
僕とイロハさんで何が違うのか分かれば、それが解決の糸口に繋がるんじゃないかと考えてのことだった。
とはいっても、正直何が違うのかが分からない。
マジマジ見ていると、その気配を感じ取ったのかイロハさんが片目を開けて口を開いた。
「息を吸い込んだら、全身に巡らせる。」
そういってイロハさんは目の前で実演する。
息を吸うと同時に何かの層のような膜のようなものが体を包み込んで、その後辺りの空気が意思を持ったようにうねり始めて風を成しイロハさんを包み込んでいく。
もちろん同じように吸い込んでいるけど、全身に吸い込んだ空気を巡らせるってどういうこと?
「感じて。」
感じるって何を?
頭の上にはてなが浮かんで首を傾げた僕を見てイロハさんは小さくため息をついた。
「何かない?」
「何かって?」
「空気以外の何か。」
空気以外に感じられるものと言ったら・・・何もない。
夏や冬なら温度の違い、屋外なら砂埃、後は匂いとかそんなところかな。
それら以外の何かをイロハさんは感じ取っているらしい。
「何かおかしい。」
そういってイロハさんは僕の正面に座りなおし、頭のてっぺんから順番に眺めながら、何が自分と違うのか確認している。
イロハさん自身が鬼人族ということもあって人間とはエーテルの操り方が異なるものの、基本的には同じ仕組みらしい。
誰しも多かれ少なかれ体内にエーテルを宿し、それを外部のエーテルに干渉させて思い描いた術を行使する。
だからまず最初にしなければならないことは自分の中にあるエーテルを認識するところから始める。
ここでエーテルを操る才能があるかないかがはっきりするとのこと。
それが出来なければ一生エーテルを使った術を行使することはできない。
「でもハクはちゃんと気を練ってた。」
独り言を漏らしながら僕の顔をまじまじと見つめてくる。
みんなの話では、それは大層な術を発動させていろんな事件を引き起こしていたらしい。
クリっと大きな瞳で見つめられるとなんだか恥ずかしくなってきて視線を外すと、イロハさんの左耳に薄い緑色の丸い宝石が付いたイヤリングが輝いているのが見えた。
表面に刻まれた模様に見覚えがあって、うんうん唸っているイロハさんを尻目に記憶の糸を辿っていく。
「あ。」
つい口から飛び出した言葉にイロハさんが反応する。
「何?」
「いや、別に修業とは関係ないんだけどね。イロハさんの耳の・・・」
「これ?」
そういって左耳にかかった黒髪を掻き上げて見せてくれた。
うっすら汗をかいたうなじに目が吸い込まれそうになるのをぐっと堪え、耳たぶにぶら下がっている宝石を見つめる。
不思議な模様が刻まれたそれと同じものを僕も持っている。
道着の胸元に手を突っ込んでその感触を確かめると取り出して手のひらに乗せて眺めた。
「それ、ハクがずっと持ってる・・・」
「うん、大事なものなんだ。とっても。」
そういって青く輝く菱形の宝石をそっと握りしめる。
ローラおばさんからお守り代わりにもらった宝石は手の中で静かな光を湛えていた。
(ごめんね、ローラおばさん。レティをあんな目に合わせたままで。でも必ず助け出して見せるから・・・)
心の中でその思いを強く念じた。
その様子をイロハさんは黙って見つめている。
しばらく無言のまま時間が過ぎて、いつまでもこうしてはいられないと首に宝石を掛けなおそうとしたとき、握っていた宝石が僅かに振動したような気がした。
何かと思って手を開くと、青い光を放ちながら刻まれた模様がゆっくりと発光し始めているではないか。
「えーっと、これは・・・なんだろう?」
冷や汗をかきながら手のひらに置いている宝石をイロハさんのほうへ差し出した。
それを見たイロハさんはぎょっとして飛び下がり、慌てた様子で腰のあたりに手を回して不安そうに武器を探している。
「ハク!すぐ止めて!」
驚愕の表情を浮かべたイロハさんから怒号が飛び出して、これがとてもまずい状況なんだと理解する。
とはいえ、僕自身が何かした覚えはないし、止めようとして止まるものなのかも定かじゃない。
そうこうしている間にも青い宝石は不思議な力が満たされていくように上に向かって模様が輝き、そしてついにすべての模様が光を放つと同時に手が凍り付いてしまうほどの冷気が宝石から溢れ出した。
「なんだこれ!?」
宝石から手を離すとそれは空中に浮かんだまま輝きを増しつづけ、道場の中を極寒の冷気で包み込んでいく。
それを見たイロハさんは意を決したように足を肩幅に開いて両腕を腰にためると深い息を付きながら瞳を閉じた。
「ハク!離れて!」
「っ!?」
そう叫ぶと同時に周囲の空気がイロハさんを中心に渦巻き始めた。
辺りに充満していた冷気も一緒に吸い込みながら道場が激しく振動し、壁に掛けている竹刀や木刀、積んでいた本がバラバラと崩れ落ちていく。
激しい騒音が鳴り響き、慌てて目をとして頭を抱えて塞ぎこんだ。
「・・・」
それからどれくらいの時間が経っただろう。
気が付くと騒音も振動も収まっていつもの道場に戻っていた。
しかしさっきまでの異変は夢ではなく、床に散らばった道具たちがそれを物語っている。
辺りに立ち込めていた冷気は跡形もなく消え去って、床には何事もなかったかのように青い宝石が静かに光を湛えていた。
「さっきのは・・・一体・・・」
そういいながら恐る恐る宝石を摘まみ上げると、あの冷たさは失われていていつも通りの状態に戻っているように見える。
そこでハッとしてイロハさんの姿を探した。
さっき何かをやろうとしていたし、無事だろうか。
「イロハさん!大丈・・・ぶ・・・?」
その姿はすぐに見つかり、駆けよって声をかけたところで見とれてしまった。
僕自身鬼も鬼人族を見たことがなく、屋敷に置いている絵本の挿絵でしか知らない。
鬼人族は目にしていたはずだけど、意識がない時だったから覚えていない。
だから目の前にいる鬼の姿に変化したイロハさんに畏怖にも似た感情が心を染めていく。
でもその感情は恐怖ではなく、僕にはない力への憧れに近い感情だろうか。
足元から立ち上るエーテルによって禍々しいオーラを纏い、引き締まった四肢には血管が浮き上がって筋肉が隆起している。
黒かった髪は毛先に向かって緑色に変色し、口からは小さい牙が顔をのぞかせている。
そして鬼人族たる所以でもある額の角は通常の鬼人族のそれとは全くの別物だ。
イロハさんの角はエーテルが凝縮して出来た疑似的なもので、それが鮮やかな緑色となって額のあるべき場所から天に向かって伸びていた。
『鬼人化』と名づけられたそれはイロハさんの身体能力を飛躍的に向上させる反面、膨大な量のエーテルを必要とする。
そのため、いつでもどこでも使えるわけじゃない限定的なものだったはず。
何度か発動させようとしてうまくいかないと嘆いていたはずだったのに、なんでこんな時に発動したんだろう。
「イロハさん、なんで?」
「・・・食べた。」
そういってゲップをするみたいに一息ついておなかを撫でまわした。
「食べた・・・ってエーテルを?」
「そう。あのままじゃ道場が吹き飛んでた。」
「それって・・・」
「そう、ハクがやった。」
状況に理解が追い付かず頭が混乱する。
普段実行できない鬼人化を発動できたのはエーテルが満たされていたからで、そのエーテルを僕が生み出したというのだろうか。
でもあの時、僕自身が何かした覚えはない。
キツネにつままれれたかのような事態に自分の手のひらを眺めることしかできなかった。
しばらくそうしていると道場の外から数人の足音が近づいてきて、勢いよく戸が開かれた。
「イロハ!ハク!何事!?」
血相を変えて道場に乗り込んできたカグラさんがイロハさんの姿を見て辺りを警戒しながら身構える。
「シン!サキを連れて離れなさい!」
「どうしたんだよ!何があったんだよ!?」
「いいから早くなさいっ!」
カグラさんはいつでも術を発動できるよう心を落ち着かせて僕たちを背にすると殺気を探し始めた。
「カグラ、違う。」
イロハさんは小さくつぶやくとカグラさんに声をかけて肩をポンと叩いた。
「違う・・・ってどういうこと?」
「またハクが暴走したから気を食べた。」
「え?」
「暴走って、言い方・・・」
カグラさんは周囲への警戒を解くとこっちに振り向いて僕たちの様子を観察した。
それと同時にシン君とサキちゃんもカグラさんの言いつけを破って道場に飛び込んでくると、姿の変わったイロハさんに猛然とダッシュして近づき羨望のまなざしを向けた。
「おー!イロ姉ぇかっけぇ!」
「ホントだ!できるようになったの?」
「場合による。」
そういって力こぶを作る仕草を見せた。
それを見たカグラさんはガクッと肩を落としてやれやれといった表情を浮かべた。
「あなたたち、紛らわしいことしないでよね!」
「ごめんなさいカグラさん。」
「まぁ何事もないのならいいわ。それはそれとして、ちゃんと片付けなさいよ?」
そういってカグラさんは顎でくいっと道場内に散らばった道具を指した。
今度はこっちがガクッと肩を落とす。
そんな僕の顔をカグラさんはまじまじと見つめてきた。
「それにしても極端ね。普通に使うことはできないのかしら?」
「それが分かればこんなに悩んでませんから・・・」
「んー、でも今回はちゃんと意識がある状態から気を扱えたのよね?何をどうしたの?」
「それは・・・」
興味津々に聞いてきたカグラさんに向かって、さっきの状況を簡単に説明した。
今は何の変化も見せていない宝石をゆっくり持ち上げて手のひらに乗せて眺める。
「それでそれで?」と興味津々な瞳で僕を見つめるカグラさんの目の前で宝石を力いっぱい握りしめ、心を落ち着かせてエーテルの流れを感じ取ろうとした。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・?、何も起きないわね・・・」
「そう・・・ですね。」
やってることはさっきと同じはずなんだけど、宝石は静かに光を湛えたままさっきのような変化を起こすことはなかった。
そもそもさっきだってエーテルの流れなんて感じてなかったし、それは今も変わらない。
何か違うんだろうと思いながら辺りを見渡すと、シン君とサキちゃんがギャアギャア騒ぎながら鬼の格好をしたイロハさんに追いかけ回されている。
「あ。」
「ん?何か思いついた?」
その光景をぼんやり眺めていると、そういえばさっきはレティの事を考えてたことに気づいて、もう一度手に持っている宝石を握りしめると強く念じた。
すると手の中で僅かに宝石が振動してさっきと同じように光を放ち始めた。
「これは・・・すごいわね・・・」
変化を現した宝石を冷静に観察するカグラさんだけど、僕にはそんな余裕なんてない。
「いや!ヤバいですって!」
「え?でも・・・」
慌てふためく僕をしり目にカグラさんは手のひらから宝石を摘まみ上げると、周囲を走り回っているイロハさんに向かって放り投げた。
光の尾を引きながら宙を舞う宝石に気づいたイロハさんは急停止すると、すかさずその宝石を受け取り、ギュッと握りしめて再度溢れ出したエーテルを丸のみにした。
その瞬間、縮んでいたエーテル製の角が元の大きさに戻る。
「・・・私をゴミ箱みたいに使わないで。」
「あははは、ごめんなさいね。でもああなると気を消費しきらないと止まらないんでしょ?」
「そうみたい。」
「だったら一番安全な方法じゃない?」
「む。」
何とも言えない説得で言いくるめられた形になってイロハさんはほっぺたを膨らませる。
それはともかく、これはいったいどういうことなんだろう。
改めて手のひらを見つめてみても、案の定答えが聞こえてくるわけじゃない。
「案ずるより産むがやすしってね。とりあえず、何かわかったんでしょ?」
そういってカグラさんは肩を叩いて元気づけてくれる。
「うーん、そうなのかもしれません。」
「よかったじゃない!これで一歩前進ね!」
「まぁ・・・そう思うことにします。」
自在に操るとは到底及ばないけど、エーテルを使ったという点では間違いないんだろう。
基本的な技能が圧倒的に足りてないけど、これをきっかけに一歩ずつ進むしかない。
「暴走したらお願いします!」
「まかせて?」
何とも間抜けなやり取りになってしまったけど、イロハさんにはこれからもお世話になります。
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