第63話 オルト視点 修行の日々
目を閉じて呼吸に意識を集中させる。
鼻で大きく吸い込んで口からゆっくりと吐き出す。
意識的に呼吸を繰り返して精神を落ち着かせ、体の中を流れるエーテルを感じ取る。
感じ取る。
感じ取る・・・
感じ取る、感じ取る、感じ取る・・・
「ダメだぁ・・・」
修行を初めて一ヶ月。
僕の体の中に眠っているであろうエーテルの流れを感じる修行は全く進展を迎えていない。
一歩どころか半歩すら進んでいない状況だ。
道場のそばにある池の前で姿勢を正して座禅を組み、情けない言葉を口にした後、後ろに倒れこんだ。
「痛っ!」
受け身をとることも忘れていたので、飛び石に後頭部を打ち付けて目の前に星がちらつく。
後頭部を擦りながら身もだえ、痛みが引いていくと同時に大きなため息をついた。
アスカではあまりにも目を引く青みがかった白髪を黒色に染め、その髪の毛が朝のさわやかな風に吹かれて一房目にかぶさってきた。
僕の象徴ともいえる白髪は周囲の人たちを遠ざけ、または忌避の対象として見られ、小さいころから酷いいじめにあってきた。
そんな僕の髪をきれいだと言ってくれた人たちの事が頭をよぎる。
こうしている間にもレティは氷柱の中で苦しんでいるのかもしれない。
そう思うと心がざわついて息が詰まる。
むくっと起き上がってもう一度姿勢を整え、心を落ち着かせる。
(早く何とかしないと!)
そう思うと余計集中力がかき乱されて心を落ち着かせることができない。
聞いたところによると、かなり強力な精神術を何度も行使したというではないか。
それなのに意識的にその力を行使することもできなければ、その力の源すら感じることができない。
本当に僕がそんなことをしたのか疑いたくなるけど、すぐ近くに目撃者がいるからそれを否定するのは無意味だ。
(その力をモノにしなきゃ!)
体の傷は完治し、筋トレと称して武術の修行もやっているので衰えた筋肉も徐々に戻りつつある。
武術のほうは道場に散乱していた本の中から僕に合いそうな指南書をカグラさんが見繕ってくれたものを独学で学んで、まぁ一応形だけは取り繕うことができる。
精神術に関してはそもそも素養のあるなしが大前提にあって、さらに素養のある人の中でも才能のあるなしによってその力は大きく変わるらしい。
素養も才能もあると断言されたのにその鱗片すら感じさせない今の僕の状態はどう表現すればいいんだろう。
毎朝の日課だけど進展がないって本当にきつい。
結局今日もエーテルの流れを感じ取ることができないまま朝食の時間を迎え、汗をかいてもいないのに井戸の水を汲んで顔を流した。
「今日もダメだったの?」
首に掛けていた手拭いを取って顔を拭ていると後ろから声を掛けられた。
凛と透き通るような声色の持ち主はこの屋敷の中で一人しかいない。
「はい・・・」
「そう、こればっかりは言葉で伝えてどうにかなるものでもないから・・・難しいわね・・・」
カグラさんだ。
顔を拭き終わって声の主のほうを振り返って心臓が大きく震える。
朝日を浴びた黒髪が艶やかな光を反射して風にそよぐ。
すらりと姿勢のいい体は大人の女性のそれで、巫女装束に包まれた胸元が大きく膨らんでいて目のやり場に困ってしまう。
別に意識しているわけじゃないのに、その美しさゆえに釘付けになる。
未だに面と向かって顔を見ることに抵抗があり、勝手に赤面して俯き加減になる。
するとすぐ近くで砂利を踏む音が聞こえて心臓が口から飛び出そうになる。
「うわっ!」
「おはよう。」
いつの間にか朝の修業を終えた声の主が汗を流すために井戸へ来ていた。
僕やカグラさんより一回り小柄で前下がりのショートボブに切り込んだ黒髪をかき上げ、水にぬらした手拭いで汗を拭いている。
カグラさんの妹のイロハさんだ。
姉妹といっても血のつながりがあるわけじゃなくて義理の姉妹で、実は鬼人族の女の子。
その証拠にかき上げられたおでこの端が僅かに膨らんでいる。
どういう経緯かは詳しく知らないけど誰もそのことを気にしている様子もないし、変に詮索する必要もない。
もっともここの人たちは僕の命の恩人なわけで、そんな人たちを変な目で見ようはずもない。
小っちゃくてかわいらしい女の子の仕草に、カグラさんがいることの緊張がほぐれて笑みがこぼれた。
「なに?」
笑みに気づかれてイロハさんにその理由を問われる。
「いや、イロハさんは小っちゃいなって。」
思ったことがうっかり口から飛び出してしまい、それが変にイロハさんに伝わったらしく顔が真っ赤になった瞬間、肘がきれいに鳩尾に突き刺さった。
「いや・・・今のは誤解・・・だって・・・」
「フンッ!」
両手で胸元を隠しながらイロハさんは立ち去って行った。
その様子を目を細めながらカグラさんが笑っている。
いや、マジで痛いんですけど・・・
まぁそれはそれとして、本当に何とかならないものだろうか。
クルス様にも言われたけどこれから先、自分の願う未来を勝ち取るためにはいろんな能力を身につけなくちゃいけない。
足りない点は山ほどあるけど、絶対に必要な能力となる守る力を身に着けるためにも、エーテルを扱えるようになるのは必達目標だ。
何かきっかけでもない限り、目の前の壁を突破できそうにないもどかしさでまたしても大きなため息が零れ落ちた。
「焦っても結果が出るわけじゃないし、とりあえず朝ご飯にしましょ。」
「そうなんですけど・・・」
「もうっ!男の子なんだからこんなことでうじうじしないの!」
心の中を見透かされ、発破を掛けるように背中に強烈な一撃が襲い掛かった。
「ほらほら!セツが準備して待ってるわよ!」
何が楽しいのか、カグラさんは少し小躍りするようなステップを踏みながら縁側へ駆け上がると食堂へ向かって消えていった。
確かに考えて何とかる時期はとっくに過ぎている。
両手でほっぺたを叩いて気分を入れ替えると、カグラさんの後を追って縁側に足をかけた。
◇◇◇◇◇
食堂へ足を運ぶと長机の奥にはすでにクルス様が座って朝ご飯を食べていた。
その両隣にはカグラさん、小袖と袴に着替えたイロハさんが座り、イロハさんの横にはシン君とサキちゃんが並んでいる。
いつものようにカグラさんの隣に進むと皆に向かって挨拶してから席に着いた。
「おはようございます。」
「おお、おはようハク。」
「「ハク、おはよう!」」
クルス様の落ち着いた声と子どもたちの元気な返事が少しだけさっきの憂鬱をかき消してくれるような気がした。
その隣で黙々とご飯を頬張っているイロハさんは僕を一瞥すると「フンッ」と鼻を鳴らしてそっぽを向く。
その様子を見てカグラさんは微笑み、クルス様は怪訝そうな表情を浮かべた。
「イロハ、何かあったのか?」
「・・・ハクに聞いて。」
つっけんどんな返事を受けたクルス様は目を丸くすると僕に視線を送ってくる。
「いえ、些細な行き違いで・・・」
「そうか、まぁなんにせよ仲良くな。」
「はい。」
クルス様はそういうと食事を再開した。
小さく息を吐いてお箸を持って正面を向くと何やらシン君がにやにやしながらこっちを見てる。
また嫌な予感がしてきた。
「なんだよハク、イロ姉ぇとなんかあったのか?」
「さっきも言ったでしょ?何もないよ、単なる行き違いがあっただけだって。」
「行き違いって何のことだよ?」
「えっ!?いや、それはちょっと・・・」
「なんだよなんだよ!教えてくれてもいいだろう!?」
最初小さかった声がどんどん大きくなって、椅子に座りながら地団太を踏み始めた。
その様子を隣で見聞きしていた妹のサキちゃんが慌ててなだめに入る。
「もう!シンってば声が大きいよ!ご飯時なんだから静かに食べなさいっ!」
「えー、だって気になるだろ?な?サキだってホントは聞きたいくせに!」
「えっ!?わたしは・・・別に・・・気にならないよ?」
「ウソつけー!」
あれ?サキちゃんまでさっきの一件を気にしているの?
好奇心旺盛な時期だから仕方ないのかもしれないけど、本当にただの誤解をこんなところで引っ張りだこにされるとは思ってもいなかった。
とその時、シン君の隣から木の枝のようなものが折れる乾いた音が鳴り、続いて室内だというのにどこからともなく風が舞い始めた。
その変化を感じ取った子どもたちは慌てふためいてその発生源に顔を向けた。
「ごめん!冗談だよっ!もう聞かない!もう聞かないから落ち着いてくれよっ!?」
「ごめんねイロハおねえちゃん!わたしも気になってないから!?」
その言葉を聞いたイロハさんは手の中で真っ二つになった箸を机に叩きつけると二人となぜか僕を睨んだ。
「ならいい。」
いつもながらの端的な言葉が零れると冷や汗をかいていたシン君とサキちゃんが椅子に座りなおして、小さな声でお互いの言動に文句をつけ合っている。
入り口で控えていたセツさんが楽しそうに笑みを浮かべながら、無残にも砕けた箸をそっと入れ替えて食堂を後にした。
「まぁまぁ」とそれをなだめつつ、さっき室内に起きた変化を発生させた張本人に目を向ける。
まさにさっきのがエーテル、気を使った技の一端だ。
いとも簡単にその技を行使するイロハさんに羨望のまなざしを向けていると、その視線に気づかれて目を細められる。
だけど今回は別にやましいことなんてない。
・・・いや、最初からやましいことなんて考えてもなかったし、思ってもなかった。
とまあ、そんなことは置いておいて、少しイロハさんに時間をとってもらうようお願いしてみる。
「イロハさん、この後、時間もらえないかな?」
「なんで?」
至極当然の返事が冷めた表情から繰り出される。
イロハさんだってさっきのは誤解だとわかっているはずなのに、余程お気に召さなかったのだろうか。
とはいえ、ここで怖気づくわけにはいかない。
糸口だけでも掴まなければ、いつまでたってもクルス様から屋敷を出ることを許されない。
「見せてもらいたいんだ。イロハさんがエーテル・・・じゃなった、気を操るところを。」
「ん?」
何のこと?と言わんばかりに首を傾げたイロハさんを楽しそうに見つめていたカグラさんが何やら不敵な笑みを浮かべる。
「あら。そういうことなら私でもいいんじゃないの?」
そういってカグラさんは指で空中を妖艶になぞるとぴしっと立てた人差し指の先に小さな火を灯した。
「おぉ!・・・あ、でもカグラさんじゃちょっと僕が集中できないっていうか・・・」
そういって俯きながらカグラさんの顔色を窺っていると、なぜか反対側から怒気を纏ったつむじ風が巻き起こる。
そこには肩を震わせて眉間にしわを寄せたイロハさんがぎりぎりと歯を鳴らせていた。
「なに、それ?」
「ふぇ!?」
聞かれたことの意味が分からず、何とも情けない返事が口元から零れ落ちる。
何に怒っているのか分からないけど、こういう場合は謝ったほうが賢明だと脳が警鐘を鳴らしていた。
「ごめんなさい!イロハさん、イロハさんに見せてもらいたいです!!」
「だよね?」
「はい・・・」
その言葉に納得したのか、吹き荒れていた風が徐々に勢いを弱めて霧散していく。
イロハさんは残りの朝ご飯を掻き込むと勢い良く立ち上がって食堂を後にする。
「いくよ。」
「え?う、うん!」
僕も手つかずの朝ご飯を味わう間もなく頬張ると慌ててイロハさんの後を追いかけた。
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