第62話 クロエ視点 クルスの屋敷
アスカを出た辻馬車は初秋を感じさせる空の下をゆっくりと東へ向けて街道を進んでいる。
正直、移動中は何もすることがないので一番暇な時間だ。
ぼーっと荷台の開口部から覗く空を見つめながら、ふとさっきのシーンを思い出した。
「そういえば二人とも息がピッタリね。」
そういって唐突に声を上げる。
同じく何も考えてなさそうな表情を浮かべていたレオンと何か本を読んでいたニーナが同時にこっちを向いた。
「ん?」
何のことを言われたのか見当もつかないという顔でこちらを見ながら疑問符付きの返事をした。
自分でもさすがに説明不足だと思うので補足する。
「荷台に乗るときニーナに手を貸してたでしょ。」
「あぁ。」
「ニーナもすぐレオンの手をステップ代わりにしてたし、以心伝心ってやつ?」
「いえ、あれはそういうものではありません。」
別にからかうつもりで言ったわけじゃないけどニーナが申し訳なさそうに俯いた。
「荷台に乗りづらそうにしていた私を見かねてお手伝いいただいているのです。レオン様からは抱えられたり背負われたりを提案されたのですが、そこまでしていただくのは気が引けますのであのような形式になったというだけです。」
「まぁそういうことだ。ってこれは旅に出て最初からなんだけどな。」
「そうだったの?」
最初からそんな話があったとは知らなかった。
「いつもすみません」と頭を下げるニーナに「気にするな」と片目を閉じたレオンを見ながら、なんだかんだ兵舎でずっと一緒に暮らしていたことを思い出して納得した。
少ない言葉でもお互いの意思が伝わるのはそれだけ接点が多く、お互いの信頼が深いからこそなんだろう。
粗雑なレオンにも紳士的な一面があることをからかってやろうと画策していたけど、ニーナに免じてやめておこう。
それからも他愛のない会話を何度か続けて昼を過ぎたころ、馬車がガタンと大きく揺れた。
外に目をやると東へ進む街道からわきへ逸れる道に入ったことが分かる。
少し北に進路を変えた馬車はそれからしばらく進み、御者台の主の声が聞こえたかと思うと馬車はゆっくりとスピードを落として止まった。
「着きましたよ。」
前方から到着の知らせが聞こえ、ニーナがそれに答えるように二、三度声をかけてから荷台から降りる。
御者はわたしたちが降りたことを確認すると屋敷の壁際に馬車を移動させた。
「帰りの運賃も頂いておりますのでここで待ってますから。」
「ありがとう!」
大きな声で返事をするとクルス邸の門の正面へ足を進める。
屋敷はかなり広く、取り囲んでいる塀が道沿いに長く続いている。
漆喰で塗られた塀の上には折り重なるようにカワラという建物の屋根に使われる素材が並べられていて贅沢なつくりだ。
屋敷の主の身分の高さが見て取れる。
2メートルほどの塀の内側に不思議なエーテルの流れを感じるけど、危険なものではないと思う。
ただし注意は怠らないほうがいいだろう。
なんせ、この屋敷に近づくにつれて誰かに見られているような気配が続いている。
それは今も同じでほんの少しだけ息苦しさも感じる。
どうしても気になるようなら『エーテル認識』を発動させるけど、エーテルを直視する反動で眩暈を起こしてしまうから極力使いたくはない。
こういうことに詳しいであろうヒルダ先生がいないのでいつにもまして注意を払う必要があるだろう。
「レオン、気を抜かないでね。この屋敷には何かあるよ。」
「お前が言うんならそうなんだろうな。」
いつもなら茶化してくるレオンも何かを感じ取っているのか、無言で門を注視している。
馬車の主もニーナも特に何も感じていない素振りなので普通の人には分からない何かなんだろうけど、逆にそれだけ気づかれないように張り巡らせていることに違和感を感じずにはいられない。
実害がないだけたちが悪く感じるけどこれ以上考えても埒が明かないので、門の前まで進んで硬く閉ざされている木製の扉に拳を叩きつけた。
「クルス様のお屋敷と聞いてきました!突然で申し訳ないのですが面会のお時間を頂けないでしょうか!」
事前に連絡を入れているわけでもないしつてがあるわけでもない人間がどうやって国の偉い人に会えるか考えてはいたけど、何をやってもダメな時はダメなんだし結局こういう形になってしまった。
これに関してはレオンもニーナも同意見だし、この行動を見ていて止めることもしない。
我ながら強引すぎる手段ではあるけどアスカに人脈があるわけじゃないから、こういう方法しか知らないんだよね。
何度かドンドン叩いてしばらく待っていると、門の向こうから砂利を踏む音が聞こえてきた。
ゴソゴソと門の向こう側で何かを外す音が聞こえ、重厚な木製の門の片方がゆっくりと押し開けられる。
「ようこそお越しくださいました。」
開いた門の向こう側にお団子頭の女性が一人、深々と頭を下げて立っていた。
その所作には何一つ乱れがなく、そしてわたしたちが来ることを知っていたかのような言葉に驚いてしまう。
「え、えーっと、ご丁寧にありがとうございます。クルス様はご在宅ですか?」
「はい。本来はご予約のない方からの面会はお断りいたしておりますが、今回は家主から許可が出ておりますゆえご案内申し上げます。どうぞこちらへ。」
「ありがとうございます。」
促されるままにその女中の後ろを付いていき、屋敷の玄関に案内される。
屋敷の玄関は大きく開かれていて土間の脇には木の板で組まれた敷物があり、一段高くなった床が屋敷の奥へ続いている。
全体的にシックな色調で整えられていてとても落ち着いた雰囲気で、さっきから感じているエーテルの違和感を忘れてしまいそうになる。
「お履き物はこちらで脱いでお上がりくださいませ。」
女中に促されるままに靴を脱いで木製のすのこに足を下ろし、続いて玄関へ上がっていく。
ひんやりとした床が足の裏の熱を冷まして気持ちがいい。
姿を消していた女中がいつの間にか玄関に姿を現すと日の当たる廊下を進んでいく。
程なくして女中は部屋の前まで来ると両膝をつくと、格子状の木枠に白い紙が張られた戸を開けてこっちに頭を下げた。
「主をお呼びいたしますので、しばらくお待ちください。」
返事をして部屋に入ると静かに戸が閉まる音が聞こえた。
日の光を浴びた白い戸は適度に光を遮り、眩しくない程度に部屋全体を明るく映し出している。
部屋には木製の机と椅子が中央に置かれ、壁には一輪挿しの花瓶とどこかの風景を映した絵が飾られている。
玄関同様落ち着いた雰囲気の色調で整えられた室内は、その統一感もあって心が落ち着く。
小さく息をついて椅子に座り、家主の登場を待っていると廊下を歩いてくる複数の足音が聞こえてきた。
立ち上がって姿勢をただしたところで戸が開き、逆光の中から静かに男の人が姿を現した。
「突然の訪問で申し訳ございません。ご面会をお許しいただきありがとうございます。」
すかさず頭を下げて無礼を詫びる言葉を伝える。
家主は机を挟んで反対側に進むと頭を上げるよう声をかけてきた。
「これはご丁寧に。さぁ、気にせず腰かけてください。わざわざ屋敷までご足労頂いてさぞお疲れでしょう。セツ、飲み物を。」
「はい、かしこまりました。」
促されるままに椅子に座り、屋敷の主クルスをその目に捉える。
ゆったりとした着物を羽織ったクルスはこちらの警戒心を解くように静かな笑みを湛えている。
「後ろのお二人も、どうぞ座ってください。」
そういってクルスはわたしの隣に空いてる椅子へ座るよう二人に声を掛けた。
「いえ、私たちはこのままで。お気遣いいただきありがとうございます。」
「そうですか、分かりました。でもお疲れならいつでも座ってください。こちらに気を使う必要はありませんよ。」
言葉尻から人相など、どこをとっても腹黒い人には見えない。
バイカンは裏のある人物だと豪語していたから、かなり警戒していたけど本当にそうなんだろうか。
だけど国のお偉いさんだし、簡単に見抜けるような人物ではないだろう。
第一印象で相手を判断するわけにはいかない。
セツと呼ばれた女中が飲み物を取りに戻った直後、開いていた戸に新たな人物の姿が現れた。
その瞬間レオンがピクリと反応したけど、その素振りを見せることなく平静を保っている。
何に反応したのかと思ってその人物に焦点を合わせた瞬間、うっかり声が漏れ出してしまった。
「きれい・・・」
そこには女の私から見ても見とれてしまうほど美しい女性が立っていた。
特徴的な白衣にくるぶしまで隠れるゆったりとした裾広の赤いスカートを履き、ポニーテールで括られた黒いロングヘアーは妖艶な光を反射している。
整った顔立ちに切れ長の瞳の女性はクルスの後ろに到着すると小さくお辞儀をしてそっと目を閉じた。
「これは恐縮です。こちらはカグラといいまして私の娘です。本日の面会に同席させても?」
「えぇ、もちろん問題ありません。」
「ありがとうございます。」
表情を崩さないクルスはカグラの紹介を済ませると視線をこちらに向けた。
さすがに表情から考えていることを悟らせてくれるような人物ではない。
こちらの面々を一通り確認したところでセツがトレーにコップと飲み物をもって現れ、机の上に並べた。
「さて、本日はどのような用向きで?」
セツが部屋を出たのを確認すると、笑顔は絶やしていないものの目が笑っていないクルスが口を開いた。
突然国外の人物が家に訪ねてきたら怪しむのは当然だろう。
もちろん用件はオルトがここにいるのかという一点だけだけど、ここの人たちがバイカンの作戦を妨害した上、鬼人族たちと怪しげな密談をしているという話しが本当なら、こっちも出方を考える必要があるだろう。
「申し遅れました。わたしはクロエ・ヴァーミリオンと申します。」
「おぉ、やはり!それではあなたがかの有名な戦乙女の継承者であらせられると?」
「えぇ、そういうことになりますね。」
その言葉を聞いたクルスとカグラは頭を下げて敬意を表した。
別に頭を下げてもらいたくて名乗ったわけじゃない。
あんまり下手な言葉遊びをしたくないし相手のペースに乗せられたくないから、嫌々戦乙女の肩書を使わせてもらっただけだ。
「そんなに畏まらないでください。戦乙女なんてただのレッテルです。」
少しだけ語尾のトーンが落ちて目も伏し目がちになってしまう。
わたし自身、戦乙女だからといって何かしてきたわけじゃない。
実際、いざという時に何もできなかったし、何なら足手まといだった。
机の下に隠れた手が無意識にギュッと握られた。
「・・・そうなるとますます用向きが分かりかねますね。戦乙女殿がなぜ私のような者に?」
一呼吸、間をおいてクルスが疑問の声を上げる。
どうせ駆け引きしても勝ち目はないだろうし、ここは直球勝負。
ただしグランザムの実情は明かすわけにはいかない。
「人を探しています。」
「ほう、人探しですか。自国ではなく他国にまで足を運ぶとは。」
「そうですね。国内の捜索には十分な人員が確保できていますので、わたしたちは国外を担当しています。」
「ふむ、国を挙げての大捜査・・・よほど重要な人物なのでしょうな。」
「え、えぇ。」
笑顔を絶やすことなく言葉の端々を摘まみ上げてこちらから情報を引き出そうとしてくる。
国政を担うほどの人物だし当然のスキルだろう。
こちらの事情もある程度知られていると考えていいのかもしれない。
それに謀反を考えているかもしれない人物にターンを渡しっぱなしにするのはまずい。
そんな危険人物かもしれない相手の屋敷に三人で乗り込んでいるわたしたちは、自らアリジゴクの巣に飛び込んだ蟻のようなものじゃないんだろうか?
少しだけ背中に冷たい汗が流れる。
「その人物の詳細は明かせませんが、ある情報筋からこのお屋敷にいるのではないかと教えていただいたもので。」
「ある情報筋ですか。大方バイカン辺りだと考えますが・・・違いますか?」
「えっ?・・・いや、それは・・・お答えできません。」
「左様ですか。で、その人物とやらがここにいると?」
クルスは腕を組んで考えるポーズを取っている。
カグラに至っては涼しい顔で目を閉じたままだ。
完全に相手のペースに乗せられていて、この流れから脱する手段が思い浮かばない。
助け船を求めようにもレオンは拳で語るタイプだし、侍女のニーナが口を挟めるはずもない。
ここは何とかわたしだけで乗り越えなくちゃいけないみたい。
「はい。心当たりはありませんか?国外の人間だからすぐにわかると思うのですが。」
「まぁそうですね。アスカの民でなければすぐにわかるでしょう。ただ私の反応をご覧になられているのであればお分かりかと存じますが・・・」
「そうですか・・・特徴としては中肉中背で白髪、黒目。右目を負傷しているとのことです。こういった人物も心当たりはありませんか?」
「ふむ、残念ながら屋敷の中にはそのような人物はおりません。私自身、官職の身ですからあまり城下へ足を運ぶこともありませんので。心当たりと言われましても目にする機会がないのですよ。カグラ、お前はどうだ?」
クルスからの問いかけにカグラは目を開け、少し考えてから口を開いた。
「申し訳ございませんが私にも思い当たる節はございません。」
ゆっくりとした口調だけど、これ以上考える余地はありませんと言わんばかりの答えだ。
屋敷にはいないし町で見かけたこともないと言われてしまえば、それ以上の詮索に意味はないだろう。
何か揺さぶりを掛けられる情報はなかっただろうか。
そうしてしばらく考えていると大事なことを聞くのを忘れていた。
居酒屋のおじさんには口止めされていたけど、顔が割れてないんだから大丈夫なはず。
「そういえば町の人から聞いたのですが、その人物は市場で騒ぎを起こしていたはずです。たしか人命にかかわるほどの。」
「ほう。」
クルスの表情が少しだけ動いたような気がしたけど、気のせいではないと思いたい。
ここは一気に畳みかけたほうがいい気がする。
「国政を担う立場なのであれば、こういった情報もクルス様のお耳に入るのではありませんか?」
「えぇもちろん。最終的に私のところにはすべての情報が集まります。」
「では!」
「ただまぁ、市場での事件は日常茶飯事で割と大事に伝えられますからな。実際はそこまで重大な事件など起きておりません。」
こちらの質問に対してのらりくらりとあいまいな返事をしながらけむに巻こうとしているのか。
額に指をついて記憶をたどるような仕草を見せているけど、どこまで本当なのかわかったもんじゃない。
それならば。
「その際に精神術を行使したと聞いています。人が凍りつくほどの。さすがに日常茶飯事とはいかないですよね?」
平静を装っているのか、額をトントンしている指先には一寸の狂いもない。
ただ、張り付いている笑みに変わりはないものの、体の中を流れるエーテルに若干の乱れを感じる。
敷地内を覆っている妙なエーテルの流れに疎外されて感知し辛いけど、少しだけ解放したエーテル認識の能力がその僅かな乱れを映し出していた。
「精神術というのはアスカでいうところの操気術に似た力のことですね?たしかにそのような事件であれば記憶に残るでしょう。」
「ですよね?目撃者の話しではお奉行様とお付きの兵士が氷漬けにされたと聞きましたが。」
「ふむ、やはり何か勘違いなされているようだ。」
クルスはそういうと市場近辺で発生した事件の内容を並べ立てた。
「ここ最近市場で発生した事件でいうと、スリや物取りが14件と場所取りに関する暴力沙汰が8件。そのうち任命に関わるものは1件のみで人が凍結するというものではありませんでした。クロエ殿の入手した証言の信ぴょう性を疑うのは失礼かと存じますが、何かの勘違いではないでしょうか?」
「私も操気術を嗜みますが、人を氷漬けにするほどの気を扱う人間など聞いたこともありません。そのようなデマを吹聴する輩が我が国にいると思うと・・・」
クルスに続いて発言したカグラは悲しそうに俯いて言葉をこぼした。
芝居じみているといえばそう見えなくもないけど、それを裏付ける根拠も証拠もない。
これ以上ここで粘っても無意味だ。
オルトの足跡だけでも辿れたらよかったんだけど、それすらも見当たらない。
「そう・・・ですか。残念です。」
「力になれず申し訳ない。」
がっくりとうなだれて立ち上がろうと椅子を下げて立ち上がる。
その時、椅子の足が後ろに立っているレオンのつま先に当たって、立ち上がりかけていた体がぐらつくと同時にレオンに両肩を押さえられてしたたかに椅子へ叩きつけられた。
「痛っ!ちょっとレオン!?」
「まだ終わるにゃ早いんじゃねぇか?」
レオンの行動に驚いたのはわたしだけじゃなく、クルスもカグラも呆気に取られている。
こいつはいったい何を言い出しているのか。
打ち付けたおしりを擦りながらレオンを見ると、いかにも悪ガキがしそうな表情を浮かべてこっちを見た。
「ここにあいつが居ねぇってのはよくわかった。残念だが他を当たるしかねぇな。」
顔はわたしに向いているけど話している内容はクルスたちに向いているようだ。
そして他を当たるって言ってるけど、ほかにどこがあるっていうのよ。
「なぁクロエ、確かオルトはアスカで何度か精神術を使ったって言ってたよな?」
「えぇ。」
ここまで表情を崩さなかったクルスがその言葉を聞いた途端、笑みが消え去った。
「俺たちが聞いた話じゃ市場で一回、そしてもう一回は戦場だったか。信ぴょう性がねぇっていうのはあるが俺たちが得た情報もこれだけだからな。当たってみるしかねぇよな?」
「だからどこに?」
「どこって・・・そりゃ鬼人族に、だよ。」
たっぷりと間をとって発したその言葉が響いた瞬間、室内の空気が瞬間的に何度か上昇したような気配に包まれた。
この男は相変わらず無茶なことを言ってくれる。
鬼人族と言ったら戦争状態にある敵対勢力なんだけど、そんな奴らにどうやって話を聞きに行くっていうのよ。
なぜか得意げな表情を浮かべているレオンに腹が立ってきた。
せっかく穏便に話を進めていたのに、これじゃ警戒を強くされるだけじゃないの。
一言文句を言ってやろうと立ち上がったところで黙り込んでいたクルスが口を開いた。
「賢明な判断とは言えませんな。」
さっきとは打って変わって冷静かつ冷淡な口調に変わったクルスの目がレオンに向けられている。
普通の人ならそれだけで尻込みしてしまうだろう、その視線を真向に受けながら意に介すことなくレオンも言葉を続ける。
「そうなんだろうな。けど、こっちにも事情ってもんがあってね。お宅んとこをひっかきまわすようで悪いが、協力してくれねぇってんなら虱潰しに行かせてもらうぜ。」
「それがひいては国家間の軋轢を産むことになっても、ということですかな?」
「そりゃ上の連中が考えることだろ?俺はこいつに降りかかる障害を取り除くことだけが仕事だからな。国がどうなろうが知ったこっちゃない。」
「・・・」
無茶苦茶な理論をぶちまけるレオンに開いた口が塞がらない。
アスカとグランザムはそれほど国交がないとはいえ、無暗に関係を悪化させるわけにはいかない。
「無茶苦茶言わないで・・・よ・・・」
レオンの暴挙を止めようと口を開いたところで肩に置かれていた手にギュッと握られて痛みが走る。
何事かとレオンに視線を送ると、一転してまじめな表情に切り替わっていた。
普段はだるそうにしているレオンの顔に一瞬デュークの面影が重なる。
そうだ。
こんなところで足踏みなんてしている暇はない。
源泉のこと、謎の敵のこと、そしてデュークのこと。
それらに繋がる可能性を持っているオルトを何としても探し出して知っていることを聞き出さないといけない。
「レオンの言うとおりね。ここで情報が手に入らないなら、そっちに聞いてみるのも悪くないかも。」
「お待ちください。」
レオンの意見を肯定するようにクルスに伝えると、それを黙って聞いていたカグラが動いた。
こっちを見つめる瞳には一戦交えてもいいと言わんばかりの覚悟が見て取れる。
「本気でおっしゃっているのなら、どうぞご勝手になさってください。その代わり、この国を出るまで命の保証は出来かねますが、よろしいのですね?」
「へぇ、いったい誰が命を狙おうっていうんだ?戦乙女っていやぁ世界の救世主だぞ?」
「それはわかりません。ただ、鬼人族へ会いに行くというのであれば・・・そういうことなのではないでしょうか?」
「濁すじゃねぇか!」
相手の挑発に乗るようにレオンは私の方に置いていた手を振り上げると目の前の机に叩きつけた。
激しい衝撃音が屋敷中に響き渡り、部屋と廊下を隔てている戸がビリビリと振動を繰り返している。
「やめなさいカグラ。」
「・・・はい。」
クルスの言葉にカグラは目を閉じていつもと変わらない態度に戻った。
小さく息を吐いたクルスは組んでいた腕を解くと机の上について立ち上がり、腕を戸のほうへ振る。
そのしぐさの意味は全国共通だろう。
帰れということだ。
「貴重なお時間を頂き、ありがとうございました。」
「こちらこそお力になれず、申し訳ない。」
今度こそ椅子を引いて立ち上がるとクルスに向かって一礼する。
謝罪の言葉を述べたクルスだったけど、その言葉には全く気持ちが籠っていない。
カグラが戸を開くと廊下に膝をついた姿勢で座っていたセツが立ち上がる。
「お客様がお帰りです。玄関まで送ってあげて。」
「はい、カグラ様。」
廊下に出るとセツが一礼して先頭に立ち、ゆっくりと玄関に向かって歩き始めた。
来た時と同じくひんやりと冷たい廊下を歩きながらセツの後を付いて歩いていく。
クルスたちの反応を見る限り、この屋敷にいるのかどうかはわからなかったけど、何も知らないということはなさそうだ。
なんで隠し立てするのか、鬼人族の話になった時に感情を表に出したのか、分からないことだらけだけど種は撒けたはずだ。
ある種の手ごたえを感じながら玄関に向かっていると、ふいに後ろのほうから騒がしい音が聞こえてくる。
何事かと思って立ち止まり振り返ってみると廊下の続く先、クルスとカグラが立っている更に後方の曲がり角から突然子どもが飛び出してきた。
黒髪の小さな少年は辺りをきょろきょろした後でわたしと目が合うと、驚きの表情を浮かべたかと思ったら満面の笑みを浮かべて指さしてきた。
「うわっ!ホントだ!すげぇ!」
言葉の意味からわたしたちのような外国人を見たことがないのだろう。
驚きの声を上げてこちらに一歩踏み出したところで、突然廊下に突っ伏した。
見るとその少年の足にまた別の誰かがしがみついていた。
同じく黒髪の少年・・・ではなく、わたしと同じくらいの年齢の男の人が少年にしがみついて動けなくしている。
「痛ぇ!何すんだよハクッ!」
「ダメだよシン君!・・・」
何か言い争っているようだけど遠くてはっきり聞こえない。
よく見ようと二人の隙間を覗き込もうとしたとき、カグラの体がすっと動いて視線を遮った。
「失礼しました。お気になさらず。」
そういって小さく頭を下げると飛び出してきた子どものほうに向かって歩き始める。
その姿を見た子どもは「ヒッ!」と小さく悲鳴を上げると、しがみついていた男の人を振りほどいて廊下の角に姿を消した。
振りほどかれた男の人もすぐに立ち上がって戻っていく。
廊下の角に姿が消える瞬間、こっちを窺うように顔を向けた一瞬だけ視線が交差する。
その瞬間、忘れていた何かを思い出さなければいけないような気がして瞼を閉じた。
次に目を開けた時にはもう姿はなく、何を考えていたのかさえ忘れ去っていた。
言葉にしがたい感情が胸に広がってむしゃくしゃが止まらず、知らず知らずのうちに右手が胸の前のブラウスを強く握りしめる。
「どうした?」
レオンに声をかけられてハッとして右手の力を解き、謎の感情の正体を考えてみるものの答えは見つからない。
「何でもない。」
一言だけ返事をするとセツの後ろについて玄関に向かった。
「ありがとうございました。失礼します。」
靴を履いて頭を下げているセツに向かい、最後の言葉を告げると玄関を出て砂利の引かれた通路を辿り門をくぐって外へ出る。
そのころにはさっきまでのもやもやはきれいになくなり、何を感じていたのかさえも消えていた。
門から少し離れた場所で止まっている馬車に近づき、御者にアスカまで戻ってもらうよう伝えると荷台に乗り込む。
「レオン、ありがとね。」
「ん?何のことだ?」
「さっきのことよ。うまいこと種をまけたのはレオンのお陰よ。」
「・・・だから何のことだよ?」
クルスたちに対して吹っ掛けたことをもう忘れてしまったんだろうか。
何のことかピンと来ていないレオンに向かってもう一度声をかける。
「いやだから、クルスたちに鎌をかけたでしょ?もし本当に内通しているんだったらわたしたちに余計な動きされちゃたまったもんじゃないでしょ?」
「あ?あーあれはマジで鬼人族んとこへ行くつもりで言ったんだが?」
「はぁ?本気なの?何考えてんのよ、まったく・・・」
やっぱりレオンは脳筋だ。
とはいえこれでクルスたちも何かしらの動きを見せるに違いない。
「ま、いいわ。早く帰って網を張りましょ!」
大きなため息を付くと動き始めた馬車に身を委ねてさっきまでの緊張を解く。
石ころを踏んだのか荷台がぐらりと揺れて力を抜いた体が倒れそうになるところを、そっとニーナが支えてくれた。
「お疲れさまでした、クロエ様。」
「ありがと。」
そういって寄り添うように横に座ったニーナの肩を借りて目を閉じる。
張りつめていた糸が切れてどっと疲労感が押し寄せてきて強烈な眠気に襲われ、急激に瞼が重くなっていく。
「どうぞお休みなられてください。」
「そうさせてもらうわ・・・」
荷台の程度な揺れが意識を刈り取っていく。
寝落ちる寸前、レオンの顔に浮かんだデュークの面影を思い出して少しだけ手に力が籠る。
(待っててねデューク・・・絶対見つけ出すんだから・・・そのためにも・・・オルトを・・・)
そう思ったのも束の間、意識は夕暮れ間近の空に溶けていった。
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