第61話 クロエ視点 とある居酒屋で

 宿屋で明日の予定を話し合った後、お腹が減ってきたのでみんなで夕暮れ時の城下町へ足を運んで手頃そうなお食事処を探すことにした。

 できるだけ目立たないようにとは思いつつも、顔つきがアスカの人たちと違うしガタイのいいレオンも隣を歩いるから目立つなというほうが無理だろう。

 悪意を向けられるようなことはないけど、ウミナトほど異邦人に親しみのないアスカの人たちは遠巻きにこちらの様子を窺っている。

 アスカに来た時は物珍しさのせいで気にならなかったけど、多分最初からこんな感じで見られていたんだろうなぁ。

 居心地の悪さも手伝って、早々に目についた酒場の戸を引いて身を隠すように滑り込む。

 カウンター席と座敷という靴を抜いてテーブルの前に座るタイプの客席があり、既に多くのお客さんが席について食事を始めていた。

 まだ日も落ち切っていないのに飲んだくれている客もちらほらいて、お店の中はかなりの賑わいを見せている。


「三人、入れるかしら?」


 流暢にイエスタ語を操り、姿の見えない店主に向かって声をかける。

 その瞬間、騒がしかった店内が急に静かになってその視線がこっちに集中した。

 普段の客とは明らかに違う風貌のわたしたちが余程珍しいのか、頭のてっぺんから足の先まで皆の視線が行ったり来たりしている。


「あ、あの~・・・」

「どこでも空いてるところに座ってくんな。」


 恐る恐る声を上げると、カウンターの向こうからぬっと姿を現した店主からぶっきらぼうな声が聞こえてきた。

 普段から不愛想なのか警戒しているのかは分からないけど、声をかけた以上ここで回れ右ができるわけもないので、店内を進んで奥のほうの空いているカウンター席へ進んで四つ足の角張った椅子に腰を下ろした。

 収まるところに収まったのを確認したのか、賑やかさを取り戻した店内には大きな話し声が飛び交う。


「注文は?」


 その様子を眺めていると、突然カウンター越しに不愛想な店主が声をかけてきた。

 どうやらこの不愛想はもともとのようだ。

 カウンター席に置かれた小さなメニューを眺め、いくつかの料理と飲み物を注文する。

 どうせレオンはイエスタの字が読めないだろうから適当に注文しておいた。

 注文を聞いた店主はわたしの顔を物珍しそうに眺め、それも一瞬の出来事ですぐにカウンターの奥へ姿を消すと注文の品を作り始めた。


「敵意とか害意じゃねぇし、気にするこたぁねぇな。」

「そうですね。ここのお客様方はみんな一般人のようですし、そこまで警戒する必要はないでしょう。」


 レオンとニーナの見立て通り、騒いでいるお客さんの中に兵士や役人のような見た目の人は見当たらない。

 見た目で判断してはいけないと思うけど、ここは二人の意見に賛同しよう。


「ずいぶんと賑やかなお店ね。」

「いいことじゃねぇか活気があって。それだけアスカってところが平和ってことだろ?」

「そうね、暗いよりは明るいほうが食事もおいしいし。」


 そんな他愛もない会話をしていると店主がカウンター越しに料理を差し出してきた。

 雑に差し出された料理を笑顔で受け取り、目の前の箸入れから割りばしを一膳抜き取ると両手の親指と人差し指の間に挟んで「いただきます」と小さくつぶやいて割りばしを割った。

 同時にレオンもニーナも目の前の料理に箸をつけ始める。

 注文した料理はイエスタ独特の魚を生で食べる「サシミ」というものだ。

 皿の上にきれいに盛られた魚の切り身を慣れない箸でゆっくりと挟み、恐る恐る口に運ぶ。

 生魚特融の生臭いにおいが鼻に抜けてくると思って警戒していたけどそんなことはなく、程よく冷えた魚の切り身はほんのりとした甘みが口の中いっぱいに広がって溶けていく。

 不思議な触感と感覚にほっぺたを押さえて喜んでいると、何やら店主が黒い液体を注いだ小皿を差し出してきた。

 どうやらこれにつけて食べろということらしい。

 もう一切れ箸でつまみ上げ、少しだけサシミをその黒い液体に付け、おもむろに口へ放り込む。


「ンッ!?」


 思わず声がこぼれてしまった。

 今まで味わったことのない、例えようのない味覚が口の中に染み渡っていく。

 甘味と塩味、わずかな酸味と言葉では表現できない新たな旨味がサシミと一体となって押し寄せてくる。

 その感動はレオンやニーナも同じだったようで、あっという間に目の前のお皿が空になってしまった。

 その様子がお気に召したのか、店主は口の端をニヤリとさせると次の料理を繰り出してきた。

 今度はお皿の真ん中に飴色に輝く大きめの切り身が鎮座している。

 立ち上る湯気が鼻の中を容赦なく攻め立て、口の中に広がっていく唾液を制御することができない。


「な、なんなの!?この・・・味の暴力は!!」

「フッ・・・」


 驚きの声を聞いた店主は勝ち誇ったかのように不敵に笑う。

 震える右手を左手で強引に押さえつけ、不慣れな箸をその黄金に輝く切り身へ挿入していく。

 少しだけ焼かれた表面を箸が突き破ると中からフワフワの白身が姿を覗かせ、ジワッと油が滲み出る。

 一口サイズに切り取った身を落とさないように口の中へ頬張った瞬間、脳に電気が迸った。


「ンンッ!?」


 体が上気したかのように熱くなり自分でも分かるほど顔が赤くなっていく。

 手から箸が机に零れ落ち、落ちてしまいそうなほっぺたを両手で包み込んだ。

 程よい甘さをその身にまとった魚の切り身は外はパリッと中はふっくら。

 一噛みするたびに口の中で溶けていき、咀嚼するのがもったいなくなってしまう。

 溢れ出す味の波に体ごと包まれて、どこかに押し流されてしまいそうな錯覚に陥ってしまった。


「ハッ!?」


 潤んだ瞳で空中を呆然と眺めていることに気づき慌てて落とした箸を拾い上げて平静を取り繕うものの、時すでに遅し。

 店主は異邦人との味勝負に完全勝利を収めたようにふんぞり返っていた。

 別に勝負していたわけじゃないはずなのに、負けた気がして俯いてしまう。


「あんた方、いいやつだな。」


 打って変わって不敵な笑みを浮かべた店主からぼそりと声が漏れた。


「うまいもん食って包み隠すことなく態度に表す奴に悪りぃやつなんざいねぇってことよ。」

「え?」


 店主はそういうと注文していない料理を次々と運んできて目の前を埋め尽くした。


「あんたみたいにうまそうに食うやつは久しぶりだ。それは店のおごりにしてやるよ。」

「マジかよっ!?」

「あ、ありがとう!でも・・・」

「いいってことよ。その代わり贔屓にしてくれりゃ文句はねぇってもんだ。」

「では遠慮なくいただくことにしましょう。」


 レオンはいざ知らず、ニーナまでもが店主の申し出に賛同し出された料理をおいしそうに頬張っている。

 そういうことなら、とわたしも店主に同意の意思を告げるように頷くと、目の前に広がっている魅惑のフルコースへ腕を振り上げた。


「あんたら、どこから来なさったんだい?」


 しばらく料理の味を楽しんでいると後ろの座敷に座っていたおじさんが声をかけてきた。

 顔は赤く目は若干うつろで大分お酒が回っているように見える。

 一瞬どう答えようか迷ったけど、変な噂が立つよりはいいだろうと思って本当のことを答えた。


「ロードヴェイルのグランザムから来たの。」

「うえっ!?ロードヴェイルっていやぁ隣国のそのまだ向こうじゃねぇかい?随分と遠いところから・・・観光かい?」

「まぁ・・・そんなところね。」

「こんなご時世に観光たぁ、ずいぶんと命知らずというかなんというか・・・おっとこりゃ失礼。」

「いえ、お気になさらず。」


 そういいながら、こちらの様子をまじまじと見つめてくる。

 思考の回らなくなった頭をブンブン振って何かを思い出すかのように天井に目を向けた。

 何やらよくわからない動きを示すおじさんを訝しそうに見つめていると、その視線に気づいたのか申し訳なさそうに頭を掻いた。


「すまねぇなぁ。異国の人とこうやって話すことなんてねぇもんで。珍しいんでさぁ。」

「いえ・・・」

「ただね、ちょっと前にもあんた方みたいな人を見たなぁなんて・・・」

「それってどんな人だったか覚えてる?」

「いやぁ、あんた方みたいっていってもちらっと見ただけだからなぁ。俯いてて顔もよく見えんかったもんで。」

「そう・・・」


 少し前のめりに聞き返してみたけど、覚えてないというんなら仕方がない。

 やすやすと目撃情報が得られるわけじゃないのはウミナトで分かり切っていたことだし、今のところはクルス邸に匿われているとの話なので別段必要な情報が得られるわけでもないか。

 そんなことを考えていると、何かを思い出したかのようにおじさんは慌てて背を屈めると耳打ちするような姿勢をとってにじり寄ってきた。


「思い出したぞ!でもこりゃ箝口令が敷かれてるからなぁ・・・どうしたもんかなぁ・・・」

「なによ!そこまで口にして教えてくれないの?」


 するとニーナの腕がすっと動いておじさんが座っている薄っぺらいクッションの下に手を差し込んだ。

 ニーナの手が引っ込んだ後、おじさんはニーナが差し込んだ位置に手を入れると満足そうに口元をほころばせた。


「おっと、こりゃうっかり口が滑っちまうなぁ。誰にも言わないでくれよ?」


 どうやら空気を察したニーナがおじさんを買収したらしい。

 わたしが口を開く前におじさんは独り言のようにひそひそと話し始めた。


「ありゃあ夏前だったか、貧民街の市場へ買い物をしに行ったときだ。用も済んで帰ろうとしたときに事件が起こったんだ。」

「事件?」

「ああ。たまにしか姿を見せねぇお奉行様が取り締まりに来たのさ。」


 お奉行様というのは法の番人のような役職のことを指しているらしい。

 そもそも住民が街道の脇に店を出すことは禁じられているとのことで本来はそれらを取り締まるはずなんだけど、どうやら暗黙の取引というのがあるみたい。

 他国の事情には首を突っ込みたくないので深くは聞かなかったけど、その取り締まりの最中に何があったというのだろう。


「魚を売りに来とった子どもがお奉行様に盾突いたらしいんだよな。まぁ盾突くって程のことをしたとは思えねぇんだがよ。理由なんてどうでもいいのさぁ、口実さえありゃ相手はお奉行様だかんなぁ。」

「酷いものね・・・」

「どこだってそうじゃねぇのかえ?」


 半目でうつろな表情のおじさんにそんな風に言われてグランザムのことを思い返してみる。

 目の届く範囲でいうと、そういった権力者が横暴を振るうなんてことは耳にしたことない。

 ただ耳に入らないだけで、実はそんなことがあったりするんだろうか。

 横目でちらりとレオンに目線を送ってみたけど、「知らねぇよ」と言わんばかりに肩をすぼめるだけだった。


「で?」

「そっからは巻き添え食いたくなかったからよ。すぐに逃げたのさ。ただその後、悲鳴が聞こえて来て急に辺りが寒くなって、そっからは一目散よ。」

「寒く?」

「そうさ。ほかのやつの話しじゃお奉行様と取り巻きが氷漬けにされたとかなんとか。そんなことあるわけねぇけどな。」

「氷漬け、ね。」

「後のことは知らねぇ。町にゃ箝口令が出て変な噂を広めた奴には折檻が待ってるっていうんだからなぁ。あん時のことをベラベラしゃべる奴はいねぇだろうよ。」


 そこまで話すとおじさんはクッションの下からお金を取り出すとそそくさと懐に仕舞い込んでお店を出ていった。

 おじさんを見送ってカウンターに向き直り、湯気を上げている卵焼きを頬張りながら話を整理する。


「理由はわからねぇがオルトのやつ、こっちでも精神術ぶっぱなしてんのか。」

「詳しい生い立ちは分からないけど、トーシャ村で聞いた話では精神術に長けていたという話はなかったはずよ。」

「異国での目立つ行動は得策ではありません。何かやむを得ない事情でもあったと考えるべきかと。」

「なんにせよ接近する際は用心に越したことはないわね。氷漬けだなんてまっぴらごめんよ。」


 秋めいてきたとはいえまだ身震いするような寒さじゃないのに、氷漬けを想像して鳥肌が立ってしまう。

 出された料理をみんなでおいしくいただき、店主に料理のお礼をして宿屋へ戻ると部屋に作り付けの戸を開けて布団を取り出す。

 今日もいろいろとあったけど大きな収穫もあったし、明日に備えるために布団に潜り込んだ。


 ◇◇◇◇◇


 翌朝、薄っぺらい布団をめくって体を起こし、「ん~」と声を上がら伸びをした。

 いつものようにレオンもニーナも私より早く起きていて、出かける準備を始めている。


「クロエ様、おはようございます。」

「ふぁ~、おはようニーナ。それとレオンも。」

「おう。今日は早ぇじゃねぇか。」


 レオンは既に準備万端といった感じで荷物を背負っている。

 装備品は外して荷物袋に収納している関係で手荷物はかなり大きくなっている。

 わたしは昨日みたいに表立って人と話をする機会が多いから、威圧感を与えてしまう装備品は基本、装着していない。

 それはレオンもニーナも同じだけど、レオンの装備品に関してはそれぞれのパーツをばらせる仕様になってはいるものの、もともと体が大きいこともあって全部を袋に収めることはできない。

 脛あてや腰回りのアーマーだけ装着して上半身は普段着というラフな格好に大きな盾と鞘に収まった剣を背中に担ぎ、さらに大きな荷物袋を背負うというスタイルになっている。

 ちなみにその大きな荷物袋の中にはわたしとニーナの防具一式も入っていてかなりの重量だと思うけど、レオンはそれを全く感じさせずに軽々と背負っている。

 体力お化けにもほどがあると思うけど、馬車や荷物持ち《ポーター》を雇ってないので率先して荷物を持ってくれるレオンには感謝しなければならないだろう。

 その荷物袋の縛っている口から銀色の剣の柄が顔をのぞかせている。

 窓から差し込む朝日を浴びて輝く剣を見つめて「よし!」と声を上げ気合を入れて立ち上がった。


「それじゃあ大本命のところへ向かいましょうか!」


 手櫛で寝起きの髪を梳かしながら二人に声をかけて合意をとる。

 部屋を出ると玄関先で掃除をしていた宿屋の女将さんに今日以降も数日間お世話になるから部屋を取っておいてもらうよう伝え、クルスの屋敷があるという東を目指してアスカの城下町を進んでいく。

 歩いても行ける距離だとは聞いていたけど、さすがに時間がかかってしまうだろうから街の外れにある馬車の停留所に向かい、馬車の御者台に座って客を待っている人物へ声をかけた。

 交通にまつわる世界の常識として大きく二つに分類され、定刻通りにある区間を通るものと客の指定で目的地まで送ってくれるものがある。

 今回利用するのは後者の辻馬車だ。


「へぇ、クルス様のお屋敷までですね。でしたら料金は・・・」


 ニーナが手早く馬車の主と手早く話をつけて荷物を荷台へ預けて乗り込む。

 安物の馬車にはタラップがないので強引に飛び乗るか先に乗っている人に引っ張り上げてもらうことになるけど、馬車の旅にはもう慣れたので荷台に手をかけて飛び乗る。


「ほい。」

「いつもありがとうございます。」


 ふと後ろに目をやると荷物を乗せたレオンが荷台と地面の間に手のひらを上に向けて待機している。

 ニーナはその手の上に片足を置いて荷台に上がりこんだ。

 その様子を確認したレオンが最後に上がってくると、その重さに荷台がギシギシと悲鳴のようなものを上げながら大きく揺れる。


「お願いします!」

「はいよっ!」


 皆が座ったのを確認して主に声をかけると、威勢のいい返事とともに手綱を使って馬に合図を送った。

 馬は小さくいななくと重くなった荷台を力強く引っ張り、止まっていた車輪がゆっくりと回転し始める。

 目指すはクルス家の屋敷。

 バイカンからもたらされた情報が正しければそこにオルトがいるはず。

 すんなり会えればいいんだけど。

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