第60話 クロエ視点 バイカンとの会談
アスカに鎮座するエンジュの城は白色を基調とした美しい外観で、その色調は城内に至るまで統一されている。
漆喰と呼ばれる、石灰石を粒子状にしたものにつなぎとなる糊を加えて水で練ったものを壁に塗り付けることで、島国特融の強い湿気を調節する役割を担っているらしい。
城の玄関で靴を脱ぎ、板張りの廊下を先導に従って歩いていく。
この靴を脱ぐという文化が今までに存在しなかったものなので、違和感がぬぐえない。
まだ暖かい季節だからいいけど、秋も深まり冬になるころにはこの床、相当冷たいのではないだろうか。
慣れない行為の違和感を楽しみつつ城内を見渡していると、ある部屋の前で先導の兵士が立ち止まって入るように促してきた。
小さく会釈して戸を開けて部屋の中に入ると、奥にいた人物がこちらに気づいておもむろに立ち上がった。
「おお、遠いところからよくお越しくださいましたなぁ。」
そういって紋付き袴姿の男は部屋の中へ案内すると、既に準備されていた四角いクッションに座るよう促してきた。
「ご丁寧にありがとうございます。」
断る理由もないので手荷物を後ろに回してクッションの上に腰を下ろすと、レオンは「いらねぇ」とばかりにそれを押しのけてわたしの横に胡坐をかき、ニーナは後ろに膝をついて座った。
「おや、座布団がお気に召しませんでしたか?」
「あぁ、レオンは礼儀を知らないので気にしないでください。」
どっかりと腰を下ろしたその男は服から除く四肢から分かる通り、かなり体格がいい。
にこやかな笑顔を見せているけど佇まいに隙がなく、だからといって警戒している素振りを見せるわけでもない。
肌には大小さまざまな傷痕があり武人であることは一目瞭然だけど、表情や言葉遣いを鑑みるに話術や交渉術にも長けていると見える。
「そういえば名乗っておりませんでしたな。私はバイカンと申します。大将軍トウリ様が率いるイエスタ軍の一角を任されておるものです。」
そういって分厚い胸を拳でドンと叩いた。
なるほど、素振りや態度からにじみ出る圧はそういうことか。
「お会いできてよかったですバイカン様。既にご存じかと思いますがクロエ・ヴァーミリオンと申します。」
そういって軽く頭を下げ、バイカンも私に倣って頭を下げた。
ウミナトの役人から話しが通っているようで、頭を上げて目が合ったタイミングで口を開いた。
「えぇ、知らせは受けておりますからな。あなたのような御高名な方がわざわざ足を運んでまで人探しとは、余程のことなのでしょう。敢えて事情は聴きますまい。」
「ご配慮、感謝いたします。」
顎に手を当てて擦りながら何やらうんうん考えている素振りを見せる。
こちらとしては国の一大事なので詮索されても多くを語ることはできないから、相手の心証を悪くする可能性がある。
こちらの事情に踏み込む気はないとのことなので、そこは一安心といったところか。
「それで早速本題なのですが、わたしたちの目的は人探しで間違いありません。」
そう切り出してこちらが把握している情報を伝えた。
こちらの情報を伝えた瞬間、顎をさすっていた手がピクリと動いたのを見逃さなかったけど、それ以外は特に何の変化も見られない。
ふむ、と考え込む姿勢をとっていたのも束の間、バイカンはすぐさまこちらに向き直ると自信ありげといった表情を浮かべた。
「なるほど、白髪黒目の男ですか。イエスタではさぞ目立つことでしょう。」
「ええ、ご存じありませんか?」
バイカンの言う通り、アスカの住人は基本的に黒髪で統一されている。
年を取って白髪交じりになることもあるだろうけど、生まれながらの白髪とそれとでは色見が違う。
その違いをイエスタの人が分からないなんてことはないだろう。
「もちろん、そのような輩の目撃証言はすでに掴んでおりますぞ。」
「ほ、本当ですか!?」
「ええ。それにその者の居場所も突き止めております。」
「えっ!?」
あまりにも突然のことに驚いて言葉に詰まってしまった。
イエスタについて調査を始めたばかりだというのに、とんとん拍子に事が進んでいく。
レオンとニーナの顔を見て頷くとバイカンへ顔を向けた。
「その情報、お教えいただけませんか?」
「やや!そのように頭を下げずとも、もちろんお教えいたしますとも。こちらとしましても戦乙女様にご協力いただけるのであれば願ったり叶ったりですからなぁ。」
しっかりと頭を下げながら最大限の敬意を払ったわたしに手を差し出してきた。
顔を上げてその手を握り返して、バイカンが口にした言葉の中にあった『協力』の意味を推し量った。
「情報提供、本当に感謝いたします。それで協力というのはいったいどういうことでしょう?」
「実は私どももその者には手を焼いておりましてなぁ。大ごとになる前に始末・・・あ、いや、国外へ退去してもらおうと考えておったところです。」
何か不穏な言葉が飛び出したように聞こえたけど、それはそれとして。
「その人物・・・オルトがアスカで問題でも起こしたのでしょうか?」
「ええ、まぁ詳細はお教え出来ませぬが、先の戦で鬼人族の砦を夜襲した際にその者の仕業と思われる妨害にあいましてな。」
「妨害ですか。それがオルトであると特定するに足る証拠があるということですね?」
「無論です。」
どうやらオルトはアスカに来て二度、精神術を使ったようだ。
一回目はアスカの露天市場で、そして二回目がその戦場で。
なぜそのような場所にいたのか、なぜ力を行使したのか。
その理由をここで考えても答えには到達できないだろうし、今はバイカンの協力を得てオルトに会い、話しを聞く必要がある。
「分かりました。こちらとしましてもオルトの監視と護送が任務です。何としても会わなければなりませんので協力を惜しむつもりはありません。」
「ありがたいお言葉、感謝いたします。それでは早速ですがその者は今、クルスという男の屋敷に匿われております。」
バイカンは小さく頭を下げると矢継ぎ早に言葉をつづけた。
よほどオルトが邪魔と見える。
その言葉の中に新しい人物が登場してきたので、その人物についても質問してみた。
「クルス、というのはどういった方なのでしょう?」
「その者はですな、アスカの政を担っておる文官職の長という立場の者です。そのような立場でありながら国に危険が及びかけないことを画策するのです。」
「危険、ですか。それは穏やかではありませんね。武官も文官も国のために協力しあわなければならないと思うのですが・・・あ、失礼しました!」
レオンに脇腹をつつかれてハッとして謝罪を口にした。
余計なことを口にしてしまったことを後悔したけど、バイカン殿はそれを気にする様子を見せず笑って済ませた。
「ははは、まことにお恥ずかしい限りですな。戦乙女様の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいですわ!」
「爪の垢・・・ですか?」
「ええ!あいつらは事もあろうに鬼人族と密談を交わしておるようなのです。我々があの残虐な奴らにどんな目にあわされてきたのか忘れおって。」
イエスタ諸島における人間と鬼人族の争いについては聞きかじった程度のことしか知らない。
昔から対立関係にあるということは理解しているけど、他国の内情にはあまり首を突っ込まないほうが賢明だと思う。
この件にはあまり触れないでおこう。
「へぇ、そうなんですね。どんな事情があるにせよ、国のトップな訳ですし同じ方向を向いてもらわないと困りますよね。」
「その通り!いやぁ、さすがは戦乙女様!話が分かる方だ。」
その後もクルスという人物に対する愚痴を散々聞かされて少々ウンザリしたけど有益な情報も手に入った。
ひとしきり話し終わって満足したのか、バイカンは一息つくと立ち上がってこちらに目を向けた。
「慣れない土地ではいろいろと不便でしょう。アスカ滞在中は我が屋敷を自分の家と思って使ってください。」
「お心遣い、感謝いた・・・」
「いや、その必要はない。アスカに来たのは見聞を広めるためでもあるしな。これ以上俺たちに気を使う必要はないぜ。用も済んだことだし、明日はクルスって奴のところへ行くんだ。さっさと宿を見つけて休もうぜ。」
わたしの言葉を遮るようにレオンが口をはさんで遮り、おもむろに立ち上がると腕をつかんで無理やり立ち上がらせる。
「ちょ、何をそんな急に!」
「なんだよ?まだこのおっさんになんか用があるのか?」
「あんた!言うに事欠いて失礼すぎるでしょ!?」
「いえいえ、武人の礼儀など己が主以外には不要でしょう。まぁそういう意味ではもう少し戦乙女様に対する接し方について見直すべき点はあるかと思いますがね。」
「ふん、こいつは俺の主なんかじゃねぇ。どっちかっていうとお守りしてやってんだ。さぁ、行くぞ!」
「何がお守よ!本当にすみません・・・ってレオン!ちょっと待ちなさいよ!」
もう私の言葉もバイカンの言葉も耳には届いてない様子で、レオンは入ってきた引き戸を無造作に開けるとドカドカと廊下を進んでいった。
わたしもニーナもバイカンにもう一度頭を下げるとすかさず踵を返してレオンの後を追った。
◇◇◇◇◇
硬く口を閉ざしたレオンが城を抜けて城下町へ向かい、繁華街の端っこに立っている少々さびれた宿屋の戸を開いた。
すかさずニーナがレオンの横に進み出て女将さんらしき女性と話し始める。
いくつか言葉を交わした後、玄関で靴を脱いで母屋に上がり、これからお世話になる部屋へ案内される。
先を歩く女将さんがちらちらとこっちを窺っているのが気になるけど、今はぐっとこらえて案内された部屋の中に収まることにした。
「それではごゆっくり・・・」
最後にそう言って女将は部屋の戸を閉めて姿を消し、廊下を戻っていく足音が小さくなっていった。
部屋の隅に荷物を無造作に投げおくと、通りに面した壁の窓を開けて周囲を見渡している。
何をしているのか何となく想像がつくけど、さっきの女将さんがそうだったように、時すでに遅しだと思う。
「今更警戒しても遅いんじゃない?」
「まぁそうかもしれねぇが、用心に越したこたぁねぇだろ。」
「それはそうかもしれないけど。」
そういいながら金色に輝く髪の毛を手で梳く。
さらさらと流れ落ちる金色の糸のような髪を眺めながら、そりゃ確かに目立つわねと引きつった笑みを浮かべた。
「危害を加えられるってことはねぇと思うが、さっきのやつみたいにお前を利用しようと企む連中がいるかもしれねぇからな。」
周囲の状況を確認し終わったのか、窓を閉めながらつぶやいたレオンの言葉が引っかかる。
わたしを利用するって?
誰のことを言っているのかピンと来ず、部屋の真ん中に置かれた脚が短く丸い質素なテーブルの前に膝を折って座りレオンに目を向けた。
「さっきのやつって誰のことよ?」
「あぁ?そりゃさっきのやつだよ。なんていったっけ・・・」
「バイカン様ですね。」
「あぁ、そいつだ」
バイカンがわたしを利用するとはどういうことだろう?
クルスって人が武官職の人たちの言うことを聞かずにオルトと一緒に勝手なことをしているから、それを止めたいという話しだったはず。
オルトに関して言えばわたしたちの目的の人物でもあるわけだし、ここは協力を惜しむべきところじゃない。
だけど、よくよく考えたら別にわたしたちじゃなくてバイカン自身が手を下せば済む話ではある。
なんで自分たちで動かず、たまたま現れたわたしたちの手を借りようとするんだろう。
「確かにレオンのいうこともわかる。けど、だからといって利用するって言い方はどうなの?」
「はぁ、お前って本当にあれだな。」
「あれって何よ?」
「自分のことには無頓着というか関心がないというか。」
そういってレオンはため息をついて頭をボリボリ掻いた。
自分のことに関心がないわけがない。
いつだって研鑽を怠ったことはないし、当代戦乙女としての礼儀作法は意識している。
自分の体を見渡しても大きな見落としはないはずだ。
「何よ!わたしだって戦乙女としてちゃんと・・・」
「それだよ。戦乙女としてどうとかそうじゃなくて、お前の存在が周囲に与える影響についてとか、考えたことねぇんじゃねぇの?」
「わたしの存在が周囲に与える影響・・・?」
「あぁ。お前はお前自身が戦乙女であることに慣れちまってるから何も思わねぇんだろけどな。一般人にしてみたら戦乙女ってのは大昔から語り継がれる生ける伝説だぜ。グラムザムは昔から戦乙女のお膝元だったってこともあるから皆親しみを持って接してくれるが、よその国じゃ勝手が違ってもおかしくねぇ。」
「それは・・・」
「さっきのバイカンってやつの態度を見たら大方想像はつくぜ。戦乙女の後ろ盾を得ましたーとか言ってお前を笠に着て勝手な事しでかすかもしれねぇだろう?」
レオンがそんなことを考えているなんて思ってもなかった。
言われてみれば確かにレオンの指摘は的を射ている。
私との口約束をいいことに自分の都合のいいようにわたしたちを利用しようとしているのかもしれない。
そんな風に考え始めてテーブルに頭を付いてうんうん唸っていると、急にレオンが噴き出した。
「プッ!・・・あははははっ!お前って本当に単純だな!マジで面白れぇ・・・・・・あははははっ!」
「何がおかしいのよ!?あんたの言うことに一理あると思って考えてたんじゃないのっ!」
「あのな、さっきのは冗談だ。」
「はぁ?・・・あんたねぇ!いい加減にしなさいよ!わたしだって真剣に・・・」
「でもな、あながち冗談でもねぇんだなこれが。」
もうこいつが何を言いたいのかわからない。
冗談と言ってみたり冗談じゃないと言ってみたり、さっきから支離滅裂なことばかりを並べ立てて私を混乱させて何が楽しいんだろう。
「単純といったのは言葉がわりぃが言い換えりゃ素直ってことだ。それはお前の長所なんだよ。だけど弱点でもある。お前は戦乙女だからな。周りの意見にいちいち流されちゃいけねぇのさ。」
「レオンのくせに何偉そうに言ってんのよ!」
「お前なぁ、年長者のいうことはしっかり聞かなきゃダメだろうが!」
偉そうに語り始めたレオンに「ふんっ!」と捨て台詞を吐いてそっぽを向く。
そんな姿を見たニーナが呆れたような微笑ましいような顔でわたしたちを見ていた。
「さぁお二人とも。明日の行動予定を立てましょうか。」
てきぱきと荷物を片付けたニーナが丸テーブルの反対側に座り、レオンにも着席を促す。
窓際にもたれていたレオンもニーナの指示には逆らえない様子で、しぶしぶ私の隣にどかりと腰を下ろした。
相変わらずいがみ合っているわたしとレオンを尻目にニーナは明日の予定プランを述べていく。
本当にわたしたちはこんな感じで大丈夫なんだろうか・・・
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