第四章 絡み合う運命、すれ違う思い
第58話 クロエ視点 イエスタへ
さわやかな風が海上を吹き抜け、潮の香りと水しぶきを舞い上げる。
空は青く澄み渡って、今まで気づかなかったけどこんなに空が高かったのかと驚いてしまうほどだ。
不思議なほど澄んだ空気の中を風と水しぶきが戯れるように舞い踊り、ソラーナの光をキラキラと反射させて目の前に小さな七色の虹を描いた。
「遠いなぁ・・・」
そんな虹の美しさも最初のうちは感激したものだけど、今となっては見慣れた景色だ。
人生初となる国外遠征で、二度目の渡船ともなれば潮風も水しぶきも映し出される虹もいい加減見飽きてしまった。
何なら空気中に含まれる海水の塩分のおかげで体はべたつくし、髪も風に煽られていい感じのヘアスタイルに早変わりする。
そのたびに手櫛で梳いて整え、何度目になるかもわからないため息をついた。
何もしていない時間がもったいないというか何というか。
「船の上ってすることがないのよねぇ。」
「お前なぁ、黙って座ってることもできねぇのか?」
わたしの声を聴いて、さも面倒そうに隣の大男が声をあげた。
独り言なんだから別に絡んでこなくてもいいのに。
長椅子に腰かけて、けだるそうに背もたれに体を預けた大男に向かって目を細めてそっぽを向いた。
「ついさっきまでは静かにしてたでしょ!それにそんなにうるさくしてないし!」
そうだ。
さっきまでは椅子に座っておとなしくしていた。
おとなしくしていたというか寝ていたというか。
ただ、それにも限界がある。
「今が一番うるさいんだよ。」
「それはレオンが余計なこと言うから!」
「クロエ様、どうかお静かに・・・」
船の手すりに肘をついて霞がかった水平線に向かって愚痴っていただけなのに、なんでわたしがニーナにたしなめなければならないのか。
「なんでわたしが怒られるのよ!?」
「そりゃお前が騒ぐからだろ!」
「レオンが口を出す前まで静かにしてたじゃない!」
「そりゃお前が黙って座ってないからだろ!」
「お二人とも、いい加減にしてください。」
案の定レオンと口論へ発展し、物静かだけどどすの利いた声でニーナがもう一度口を開いた。
風になびく紺色の髪の隙間から覗く、笑っていない目がわたしたちを押し黙らせる。
眼鏡の奥に光る瞳がわたしを捕らえて離さず、おずおずとレオンの横に小さく腰かけて、風になびくスカートを両手で抑え込んだ。
「なんで俺まで・・・」とぶつくさつぶやきながらレオンも俯いて口を尖らせている。
「ありがとうございます。ほかのお客様のご迷惑になりますからね。」
そういうとニーナはにっこり微笑んでわたしたちの後ろに回り、両手でそれぞれの肩を叩いた。
ニーナを怒らせてはいけない。
それがわたしとレオンの共通認識だ。
レオンとニーナは主の息子と給仕という関係で屋敷の兵舎で一緒に暮らしているから、お互いのことはよくわかっている。
年はニーナのほうが若いのにレオンはお世話になっているから頭が上がらないとか。
主のデュークが戦死、というか行方不明扱いとなって以降も変わらずレオンの世話役を続けている。
兵舎にいたころから怒らせると怖いとは聞いていたけど、まさかわたしにまでその矛先が向くとは思っていなかった。
この物怖じしない性格だからこそ、王国最強と言われたデュークの給仕を任されていたんだろう。
ここに至るまでに何度ニーナに叱られたことか。
それもこれも全部レオンが絡んでくるからだ。
いや、全部は言い過ぎかもしれない。
でも大半はそうだったはずだ。
思い出すとだんだん腹が立ってきたけど、後ろで立っている笑顔のニーナを見上げてその気持ちを押し殺した。
わたしたちは今グランザム王国のあるロードヴェイル大陸の南、グリムエンテ大陸の最東端の港町ロシュポートとイエスタ諸島の玄関口となるウミナトへ向かう船の上にいる。
ここに来るまで約二ヶ月近く移動を重ねて、目的地となるイエスタまでもう少しのところまで来た。
初めて国を出るときに乗った船旅で海を見て感動し、グリムエンテ大陸では東西に広い大陸の大半を森林が覆っていて見たことのない景色ばかりで心が躍った。
ほとんど駆け足で通り過ぎ景色や街並みを楽しむ余裕はなかったから、いずれは何の目的もなく旅をしてみたいと思う。
世界の広さ、そしてそこに息づく人々や文化に触れてみたい。
そのためにも今やるべきことをやる。
王国軍親衛隊隊長のクロノス兄様からもたらされた情報によると、水の源泉で変化が起きた時の唯一の生存者であると目されるオルトに似た人物がイエスタで目撃されたということだ。
なんでそんなところにとか、どうやってそこまでとかいろいろ気になる点は多い。
でも八方ふさがりだった源泉調査の解決の糸口につながる可能性を無視するわけにはいかない。
そんなこんなで目撃情報の真偽を確かめるべく名乗りを上げたわたしは、一路イエスタを目指しているというわけだ。
「ほらクロエ、見えてきたぞ。」
物思いにふけっていると、ふいにレオンが声をかけてきた。
レオンの指さす方向へ目を向けると、水平線の向こう側のもやの中にうっすらと黒い影が映し出されていた。
長椅子から勢い良く立ち上がると、甲板を走り抜けて船首の手すりからグイっと身を乗り出す。
「遠かったよぉ、イエスタ・・・」
次第に大きくなってくる影が徐々にはっきりと見え始めて島の輪郭に色彩が浮かび上がる。
ほかの乗客も下船の準備とばかりに手荷物の確認や身支度を始めた。
船の帆は強い風を受けて目いっぱいに膨れ上がって船をイエスタへと運んでいく。
まだ見ぬ国への上陸に胸の高鳴りが抑えられないけど、遊びに来たわけではないことを強く念じて手すりを握りこんだ。
◇◇◇◇◇
程なくして船はイエスタの玄関口となるウミナトへ接岸した。
グリムエンテ大陸とイエスタ諸島を結ぶ連絡船は人と物資を運搬する目的で運行され、ウミナトの中だけであれば制限なく歩き回ることができ、出入国の際の細かい手続きはウミナトからアスカに出る側の関所で必要だそうだ。
そういうこともあって乗客は基本的に商い目的の商人が大半を占めていて、種族も様々。
種族が様々なのはグリムエンテ大陸の種族割合が人族とそれ以外とで半々なのが理由と考えられる。
われ先にと下船していく商人たちを横目に見ながら手荷物を背負うと、その人波に身を投じた。
「おい!クロエ!お前もちったぁ荷物持てよ!」
後ろのほうでレオンが文句を言ってたようだけど、そういうだけで、いざ持とうとしたら「いや、いい」っていう。
なんなの?
よくわからないレオンの言葉を無視してイエスタ諸島の大地に記念すべき一歩目を踏み出した。
「やっと着いたぞぉ!」
人目をはばからず両手を上げて凝り固まった体をほぐす。
船上とは違って港を漂う海風は優しく穏やかで、背中に受けた風が金色の髪を撫でて虚空へ溶けていく。
大声を上げたせいか、ここでは悪目立ちしそうな衣服のせいか、周囲の人たちが私へ集中した。
「あ、すみません・・・」
船上でニーナに怒られたことを思い出して小さくなってレオン達が下船してくるのを待つ。
でも確かにこれじゃ目立つかもしれない。
イエスタ諸島にある国、アスカの人たちは布を羽織って腹部で巻いて止めているだけのような服を着ている。
キモノという代物らしく、ここの気候風土に適しているとのことだ。
ゲタやゾウリという足がむき出しの履物も特徴的だ。
わたしはというと白いブラウスに首元にはリボン、赤いスカートに膝上まである黒ニーソといういで立ち。
目立たないわけがない。
でもそれはレオンやニーナにも当てはまる。
給仕服を旅用にカスタマイズした白と黒のニーナに、若草色のシャツとズボンで偉丈夫のレオン。
荷物を抱えて降りてきたレオンとニーナを客観的に眺めながら、ただでさえ目立つのだから言動には注意が必要なことを再認識した。
「アスカの人たちって独特ね。」
「そうだな。俺も見るのは初めてだ。まぁでも向こうからしたら俺らのほうが妙な格好に見えんじゃねぇの?」
船から降りていった客たちはわたしたちとそんなに変わらない服装だったけど、いつの間にか見当たらなくなっていて、わたしたちだけが妙に浮いてみえる。
旅そのものに不慣れなためかもしれないけど取り繕うこともできない。
こういう時は黙ってニーナの後ろに隠れるが吉というものだ。
背丈の変わらないニーナの後ろにすごすごと身を隠して「よろしくね?」と小さくつぶやいた。
「はい」と言い切ったニーナは旅慣れているわけでもないはずなのにすでに目的地が決まっているか、すたすたと歩き始めた。
レオンと顔を見合わせて遅れまいと歩いていくニーナの背中を追いかける。
しばらく歩いていくと港と町の境目あたりに行列が出来ていて、ニーナもその列の最後尾に並んだ。
わたしとレオンもニーナの後ろに並ぼうとしたら「そのあたりで待っていてください」と言われ、道端へ移動してその列が何なのかを眺めた。
屈強な石造りの建物に取り付けられた窓には鉄格子がはめられていて、周囲の建物と比べると明らかに異質な存在だ。
並んでいる人たちは船から降りた商人たちのようで、懐からルピナを取り出して建物の中にいる人に手渡している。
中にいる人はルピナを受け取ると脇から紙束を取り出し、指で器用にめくりながら大小数十枚を引き抜いてその商人に手渡した。
「ねぇ、あれは何をしているの?」
「あ?あー・・・あれはな。ってお前しらねぇの?」
「だから聞いてるんじゃない!で、あれは何なのよ?」
「ん?あれは・・・あれだよ、あれ。あの紙がいるんだよ、この先。」
「・・・レオン。あんたも知らないんでしょ。なに知ったかぶってんのよ!」
「バ、バカ言え!誰が知らねぇって言ったよ!だから・・・あれはこっから先必要なんだよ!あの、えーと、あ!あれだ!通行証だ!あれがねぇと町に出入りできねぇんだよ、きっと!」
「ふーん、通行証ね・・・」
あ、なるほど。
確かにそうなのかもしれない。
その紙束を受け取った商人たちは意気揚々とウミナトの街並みに姿を消していってるし、あれがないとこの先立ち行かないんだろう。
「・・・って、きっとって何よ!?やっぱり知らないんじゃないの!?」
適当なことを言ってわたしをバカにしようとしてくるレオンと口論になっていると、商人たちと同じように紙束を持ったニーナが戻ってきた。
争っているわたしたちを呆れ顔で見つめながらたしなめられる。
「お二人は本当に仲が良いですね・・・」
「おいおいニーナ、勘弁してくれよ・・・俺はおこちゃまなこいつの面倒を見る親代わりみたいなもんよ?」
「は?何言ってんの?あんたが親なわけないでしょ!」
「だ~か~ら~。親代わりって言ったんだよ!お前が余計な事しないように見張ってやってんだろ!?」
「ぐっ・・・いや、でも親代わりは勘弁してほしいわね!」
「お?認めるのか?自分が落ち着きのないことを!?」
「キーーーーーッ!」
「はぁ・・・」
相変わらずのやり取りにニーナはため息を付いてわたしたちの間に割って入ると、手に持っている紙束を差し出した。
突然差し出された紙束に視線が集中する。
よく見ると、その紙には細かい絵が書かれていて中央には大きな字が書かれていた。
見覚えがあり、そしてイエスタの言葉や文字を勉強するにあたって最初に学ばされた内容だ。
なんといっても時間はたっぷりとあったし、こんなこともあろうかとヒルダ先生から渡されていた語学本を熟読した甲斐があったというものだ。
こっちの言葉で一万を表す文字と通貨を示す文字が目に飛び込んできた。
「へぇ・・・これがアスカのお金なのね。」
「はい。先ほどの建物は両替所です。手数料は取られますがアスカでルピナは使えませんからね。ルピナをこちらの通貨である円に両替してきました。」
「当たらずとも遠からずってとこだな。」
「何言ってんのよ!全然的外れじゃない!」
「な!?お前聞いてなかったのか!?あれがねぇとこの先立ち行かなくなるって言っただろ!そこは当たってんだろ!!」
「そんなこと一言も言ってないわよ!」
「はい。一言も言っていませんでしたね。」
「あ、あれ?言わなかったっけ?」
レオンを言いくるめながらスカートのポケットに仕舞い込んでいた巾着袋から硬貨を一枚取り出し、ここでは使いえないお金とニーナが差し出した紙幣を交互に眺めた。
アスカを除き、世界共通の通貨であるルピナ。
手に取った銀貨は鈍い青色に染まった青銀貨で100ルピナの価値がある。
硬貨は価値の低いものから銅、銀、金といった金属をベースに別の金属を混ぜ合わせて価値を変えて作られている。
黄色、青色、白色の順に価値が上がり、銀貨の中でも黄銀貨と白銀貨だと白銀貨のほうが価値が高く、黄銀貨は50ルピナ、白銀貨は500ルピナで最低硬貨の黄銅貨は1ルピナに換算される。
取り出した銀貨を巾着袋へ戻しながら、これからのことに思考を切り替えた。
「それじゃまずはどうしたものかしらね。」
「そうですね。オルトという人物がイエスタにいると仮定して考えると少なくともここを経由する必要があります。彼がいつイエスタに来たのかは分かりませんので、覚えている人がいるかどうかは分かりませんが、手始めに港を中心に聞き込みを行うのはいかがでしょう?」
「わかったわ。そうしましょ!」
ニーナの考えに賛成を唱えると、未だに自分の発言を思い出そうとしているレオンの背中を勢いよく叩いた。
「痛てぇな!なにしやがんだっ!」
「ニーナの話、聞いてなかったでしょ?」
「はぁ?ニーナの話だぁ?聞いてたに決まってるだろ!」
そういうとレオンは荷物を担いで町のほうへ歩き出した。
やっぱり聞いてなかったんじゃない。
「ばかっ!最初に港で聞き込みするって話だったでしょうが!」
「え?そう・・・だったな!いやな、手荷物があると移動も不便だから先に宿を見つけたほうがいいかなと思ってだな・・・」
「ふーん、じゃあレオンは宿を探してきてくれるのね?そっちは任せたわよ?」
「お、おう!任せとけ!あれ?でも俺イエスタの言葉・・・」
そういって胸を叩いたレオンにわたしたちの荷物を投げ渡し、最後にこぼした不安そうなつぶやきを無視して港で仕事をしている人を探しにその場を離れた。
(にっしっしっ・・・言葉が通じなくて困るがいいわ・・・)
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