第53話 それぞれの思い

私たちに残された時間は多くない。

父の治療が終わり次第、コクセイ城を追い出されてしまう。

そうなると和平交渉や間欠泉の問題が棚上げになってしまう。

みんな死ぬ思いでここまで来たのに、何の成果も得られないなんてまっぴらごめんだ。

すでに父の体は概ね回復していて、今では立って歩くこともできるようになっている。

とはいえ時折傷痕が痛むみたいなので、完治まであと数日といったところだろうか。

その数日で残りの問題に手を付けなければいけないのに、レンギョウへの連絡手段もなければ伝言も受け付けてもらえなくなってしまった。

前回は父の話の続きがあったから顔を見せたけど、その必要がなくなった今、わざわざ来てくれるわけもない。


「結局、関所の件も取り付く島もなかったわね。」

「ん。」


胡坐をかいて布団の上にに座っている父を取り囲むようにして、カグラの言葉を皮切りに私たちは現状の分析を始めた。

双方にとって利点の多い提案だと思ったんだけど、そもそもお互い憎み合っている相手だ。

和気あいあいと商売できるわけがない。

それを可能とするためには最低限、相手に憎しみを抱かない人じゃないといけない。

ただ、今の鬼人族にそんな考えを持っている人はいない。

どうしても恨みや憎しみの感情が先に立って、貿易の利点を見ようとはしない。


(仕方ないのかも・・・)


それは人間側にとっても同じだろう。

父や私たちの思考が異端なのだ。


「でも・・・そこで終わっちゃダメ。」


今はまだ私たちだけ。

でもここで足踏みしてても前には進めない。

一歩ずつでいい。

その一歩ずつの積み重ねがいつか大きなうねりとなってイエスタ全体に広まったら。


「そうね。諦めるわけにはいかない。」

「イロハの言う通りだ。私たちが諦めれば和平の実現はもう不可能。必ず成し遂げなければならん。」

「ん!」

「でも、どうしたら・・・」

「難しいところだな。私たちはこの部屋から出るなと厳命されている。となると・・・」


父はそこまで言うとカグラと顔を見合わせ、そしてゆっくり私を見てきた。

ぴくっと体を震わせて父とカグラの顔を見て肩を落とした。


「・・・わかった。」

「方法はイロハに任せる。失敗しても構わん。ただ、無茶は禁止だ。」

「ん。」


今まで散々心配をかけてきた手前、これ以上父に迷惑をかけたくはない。

何とか話し合いで私たちの言葉を信じてもらるよう努力したいところ。


「本当は私も付いていきたいけど・・・」


カグラは目を伏せるとそうぼやいた。

とはいえ人間のカグラが城内をうろつくとそれだけで鬼人族の神経を逆撫でするだろう。

たとえカグラに敵対心がなかったとしてもだ。


「何かあったらすぐに行くから。その時はちゃんと呼ぶのよ?」

「ん。」


二人の期待を裏切るわけにはいかない。

すくっと立ち上がると二人を見て力強く頷き、戸の前まで移動しておもむろに引き開けた。

突然戸が開いてびっくりしたのか、両端に立っている兵士が体を震わせると私を見た。


「部屋に戻れ!」

「バカお前っ!・・・相手はリン様だぞ!?」


即座に兵士の一人が声を荒げて槍をこっちに向けてくる。

するともう一人の兵士がすかさず制止の声を上げた。


「だがレンギョウ様はリン様ではないと・・・」


目の前で私の姿に困惑した兵士たちが相談を始めたので、それをしり目に廊下へ出た。


「あ、こら!待て!いや・・・お待ちください!」


待てと言われて待っていられるほどこっちにも時間は残されていない。

この数日間でレンギョウと接点をもてるのは私だけだろう。

レンギョウとの関係に心の整理ができているとは言えないけど、尻込みしている場合じゃない。

私は兵士たちの制止を振り切って廊下をまっすぐ歩き始めた。


◇◇◇◇◇


勢いよく部屋をでたものの、コクセイ城の構造を知っているわけじゃない。

レンギョウの居場所もわからないので、手当たり次第に廊下を突き進んでとりあえず上を目指した。


(長なんだから、いるとしたらきっと上のほうよね。)


どこにいるかは分からないけど以前一度だけ泊ったことのある部屋、あの部屋の向かいがレンギョウの部屋だ。

とりあえずそこを目指して上に上がる階段を探した。

その最中、すれ違う鬼人族たちは私を見ると一様に奇異の目を向けてくる。

それもそうだろう。

私たちの存在は城内のみんなに知れ渡っているはずで、さらにその中の一人が実は鬼人族だったという事実も。

そして鬼人族なのに最たる特徴といえる角が見当たらない。

多分鬼人族の力を失った影響なのだろう。

少しだけ記憶が戻った影響なのか、僅かに角らしきものが額に生えてきているけど、鬼人族のそれとは明らかに大きさが違う。

そんな私の生い立ちを知ってか知らずか、もしくは近寄りがたい何かがにじみ出ているのかわからないけど、誰も近づいてくることはない。

監視対象だと思うんだけど止められない以上、勝手に進ませてもらうことにする。

壁の向こう側に見える景色からみてここは一階であることが分かる。

二階へ上がる階段は城の入り口の正面にあったので、日差しの差し込む方角と自分の歩いている場所を照らし合わせながら大体の位置を予想して廊下を突き進む。

しばらくすると目的の階段が姿を現したので、小走りで階段に近づいたとき、ふいに大きな声をかけられた。


「リン様!なぜこのようなところに?部屋にいたはずでは?」


声のするほうへ顔を向けると、兵士を連れ立ったハクキが小走りで近づいてきた。

小太りな巨体を揺らしながら近づいてくると、私の顔を覗き込むように少し体を屈めた。


「レンギョウを探してる。」


言葉少なめに目的を告げる。

こういう場合は単刀直入に言ったほうが誤解が少なくて済む。

ハクキは私の言葉を聞くとふいに目を細めた。

温和ともとれるその表情の直後、すぐさま真顔に戻ると私を遮るように階段の前に足を進めて仁王立ちの姿勢をとった。


「若を探してどうするおつもりか?」

「話しがある。」

「話・・・それはまた和平交渉ですかな?」

「・・・そう。」


ハクキは私の言葉を聞くと盛大にため息を付いた。

ため息の理由は考えなくてもわかる。

だけど部屋でおとなしく時間が過ぎていくのを待っているわけにはいかない。


「どいて。」


そういって立ちふさがるハクキの横を通り抜けようとすると、体を割り込ませて私の進行方向を塞いだ。


「そうはいきませぬ。部屋に帰ってもらいますぞ。」


そういうと前からはハクキが、後ろからは兵士たちがじりじりと距離を詰めながらにじり寄ってくる。

こんなところでことを荒立てたくないけど、捕まると次はもうないだろう。

ハクキから伸びてくる手を搔い潜るために気をため込んだその時、後方から声が響いてきた。


「これはこれは。リンちゃんとハクキ老がこんなところでいったい何を?」


声のするほうを向くと、城の入り口から鬼人族の青年が入ってきた。

逆光で顔がよく見えないけど、この軽い口調の人物は一人しか知らない。

なぜかわからないけど上半身裸で足元も少しふらついているように見える。


「ソウマか、良い所へ来た。疲れとるかもしれんが手伝え。リン様を取り押さえるのじゃ。ささ、リン様。お部屋までご案内しますぞ。」


ソウマに声をかけるとハクキは両手を広げて距離を詰めてくる。

指示を受けたソウマは「人使いが荒いなぁ」とぼやきながら首にかけた手拭いで額から流れる汗を拭きとると、ニヤリと笑って近づいてきた。


(五鬼将が二人も・・・)


手荒な真似はしてこないと踏んではいるけど、この二人を相手に隙をついて上に上がるのは至難の業だ。

どう動くか頭を悩ませていると、近づいてきていたソウマがピタリと止まり両手を広げた。


「なーんちゃって。」


間の抜けた声を上げると腕を頭の後ろで組み、包囲している兵士たちをかき分けると和たちの横を通り過ぎてハクキを階段の端っこに押し込んだ。


「ソ、ソウマッ!何をしておるのじゃ!?」

「まぁまぁハクキ老、そんなに目くじら立てなくてもいいじゃないですか。」

「ふざけておる場合か!?若の命令じゃぞ!」


その言葉を聞いてソウマはピクッと反応して固まった。

でもそれはほんの一瞬で、ハクキの肩をトントン叩いた。


「死に別れたと思っていた妹が生きてたんですよ?その妹が兄に会いたいというのにハクキ老は邪魔をするのですか?」

「若がリン様を妹と認めておらん!何と言われようと若の命令は絶対じゃ!」

「へぇ~、でもそれはレンが認めてないだけでしょう?ハクキ老はどうなのです?先ほどからリン様リン様と呼んでいるではありませんか。」

「そ・・・それとこれとは話が別じゃ!若はリン様に会いたくないと申しておるのじゃから、それに従うのがワシの役目!」


なぜかソウマが私の味方をしてくれている。

彼らの人間関係がよくわからなくなってきた。

もともと知らないけど。

私の目が点になっていることも知らずに二人は会話をつづけた。


ソウマはハクキの耳元に顔を近づけると「僕は知ってるんですよ」とつぶやき、手を降って人払いをした。

周囲に兵士がいなくなるのを確認するとすっとハクキから離れ、私にも聞こえる声で言葉を続けた。


「あのクルスとかいう人間から話しを聞いた日の夜、泣きながら前長の墓前にリンちゃん生存の報告をしたのを。」

「お・・・おのれソウマッ!見ておったのか!?それ以上口を開くでない!!」


秘密をばらされたのかハクキは顔を真っ赤にするとソウマに襲い掛かった。

ソウマはそれを涼しい顔でひらひらと躱しながら階段を下りていく。

どうやらハクキを引き付けてくれるらしい。

ソウマの言葉が本心なのか裏があるのかはわからないけど好機に違いない。

これ以上呼び止められると厄介なので、階段を駆け上がると大広間まで一直線に駆け抜けて勢いよく戸を開いた。

しかし中には誰もおらず静まり返っている。

レンギョウが普段どこで何をしているのかなんて知らない。

最後の頼みとなる場所を目指して飛び出し、大広間の裏手の階段を目指した。

誰もいない廊下を足早に進んで階段を駆け上がると、以前来た時と同じ戸が並んでいるのが目に飛び込んできた。

そして目的の部屋の前に立ち、戸に手をかけるとゆっくりと引き開けた。

長の部屋というには随分と質素な感じだ。

きれいな照明や部屋を彩るような調度品などは見当たらず、机や本棚、箪笥といった本当に必要最低限のものしか置かれていない。

あとは年季の入った、レンギョウの体格には見合わない刀が一本立てかけられているだけ。

外を見渡せる窓は大きく開き、緩やかな風が室内を巡って入ってきた戸から出ていった。


(いない・・・)


勝手に戸を開けて部屋の中を見てしまうのは失礼極まりないけど、長のくせに戸に鍵もかかってないんじゃ不用心と言わざるを得ない。

そんなことを考えながら主不在の部屋へ足を踏み込んだ時、ふいに廊下の反対側の戸が開いた。

まずいと思って肩をすぼめ恐る恐る振り返ると、そこには炎が揺らめく瞳でレンギョウがにらんでいた。


「人間には作法というものがないのか?」

「それは・・・」


急いでいた、なんて理由にもならないことは百も承知だ。

でもそんなことを気にしていたらレンギョウと話をする機会もない。

ちょっと強引だったけど和平のための糸口をつかむためにここまで来たのに、いざレンギョウを目の前にすると言葉を失ってしまう。

目を落とすと同時にレンギョウは腕を懐に突っ込むと、固まっている私の横を通り過ぎて部屋の奥にある机の前にドカッと腰を下ろした。


(何を話したらいいんだっけ?)


父とカグラに背中を押される形で飛び出してきたものの、どうやって話を進めればいいのか何も考えていなかった。

ここにきて今更後悔しても遅い。

すると沈黙に耐えられなくなったのか、レンギョウが口を開いた。


「用はなんだ?」


いつになく落ち着いた雰囲気の言葉に少しずつ緊張がほどけていく。

私は一歩前に出ると息を吸い込んで胸を張った。


「私たちと和平を・・・」

「無理だ。」


「結んでほしい」と続ける前に背中を見せたままのレンギョウから一言拒絶の言葉が重ねられた。

一考の余地もないと言わんばかり発せられた言葉に二の句が出てこない。


「用が済んだのなら部屋に戻れ。」


全く耳を貸そうとしないレンギョウに少しムッとなってしまう。

そういえば錐使い打倒のためにカンバラ砦を発つ時からそうだった。

ぶっきらぼうでぶしつけな物言い、態度も悪ければ目を合わせることもしない。

議論の余地がないにしても、もう少し言い方というものがある。

作法がどうのこうのいうのならレンギョウだってできていないではないか。


「そっちこそ・・・っ!」


一言文句を言ってやろうと溜まりに溜まった鬱憤を吐き出した瞬間、開け放たれていた窓から一陣の風が舞い込んだ。

強い風に顔を背け、その後ゆっくりと目を開けてレンギョウの背中を見ると、記憶の中に何か引っかかるものがあることに気づいた。

あれは確か錐使いと最終局面での出来事だ。


「なんであの時・・・かばったの?」


レンギョウは何を聞かれたのか分からず背中を向けたまま首を傾げて無口を貫いた。


「私がハクをかばったとき・・・無防備に突っ込んて来たあいつを切ればよかったのに。」

「あぁ、あの時か。」


どのこと聞かれたのか理解したレンギョウは、なおも背中を向けたまま質問に答えた。


「あの時は毒でまいっていたからな。それにあいつの気を弱めるには腹の中のを取り出す必要があった。そしてその筋力がお前にはなくて俺にはあった。だからああしたまでだ。」

「死んでた・・・かもしれないのに?」

「ふん!あの程度で死ぬわけがない。」


勢いよく鼻を鳴らしたけど、あの後倒れこんでいたはず。

どう見ても瀕死だったと思うし、どれだけ強がりなんだろう。

でも。


「私があいつに勝てると?」


いくらあいつが弱体化したとしても、大けがを負っていた私が勝てる見込みは皆無に等しかったはずだ。

何の根拠もなしに危険を冒してまでとる行動ではない。

ましてレンギョウは鬼人族の長なのだ。

どう考えても合点がいかない。

私の問いに答える気がないのかレンギョウは押し黙ったまま背中を向けている。


「・・・重なって・・・」


緩やかな風が部屋を巡る。

撫でられた前髪が視界を塞ぎ、それが気になってレンギョウが発した言葉の一部しか耳に届かなかった。


「え?」


聞き返してみたけど、またしてもだんまりが続く。

急に言葉を濁すレンギョウにやきもきしてもう一度聞き返した。


「今、なんて?」

「・・・もうなにも話すことはない!さっさと部屋に戻れっ!」


ガバッと立ち上がると私を部屋の外に追い出してぴしゃりと戸が閉まった。


「ちょ・・・まだ話が!」


それからいくら戸を叩いても固く閉ざされたまま、二度と開くことはなかった。

父にお願いされた大事な仕事なのに結局口喧嘩みたいな終わり方になってしまい、申し訳なさがこみあげてくる。

肩を落としてレンギョウの部屋を後にして階段を下りた先に、上着を着たソウマが壁にもたれて立っていた。

レンギョウに用事でもあるのかと思い、邪魔しては申し訳ないと足早にソウマの前を通り過ぎた。


「兄弟水入らずだっていうのに、随分と味気ないなぁ。」


その時、背後から相変わらずの口調でソウマが話しかけてきた。

いつも何を考えているのか分かりづらいけど、今回は何が言いたいんだろう。


「まぁ、僕としてはこのままでいてくれたほうがいいんだけどね。」

「どういう意味?」


含みのある言葉に誘導される形で聞き返した。

腕を頭の後ろで組み、飄々とした態度だけど隙が無くいつでも動ける。

そんな気がしてうかつな言葉を選べない。

言葉の意味からして、レンギョウにそのままの状態を維持してほしいという意図だと思う。

だったら私との邂逅はレンギョウを心変わりさせてしまう可能性があるので、避けたほうがいいと考えるべきなんじゃないだろうか。

そんな私の思考を読み取ったのかソウマが答えた。


「リンちゃんは考えていることが顔に出やすいね。素直でかわいいよ。そうさ、僕らは人間と和解したりなんかしないよ。絶対にね・・・」

「なんで・・・会わせるように仕向けたの?」


私の言葉を聞いたソウマは壁にもたれたままゆっくり顔を上にあげた。

いつの間にか時間が経ち、格子窓から差し込む光がソウマの青い顔を赤く染め上げた。


「もし・・・レンが心変わりするようなら・・・その時は・・・」


何バカげたことを言い出すのか。

レンなどと名前を略して呼ぶくらい仲がいいんじゃないのか?

なのにこいつはレンギョウが和平路線へ舵を切ったら裏切ろうというのか?


「そんなこと・・・させない!」

「おおっと、今ここで変な気は起こさないでくれよ?リンちゃんに傷でもつこうものなら、すぐにでもレンが飛び出してくるだろうからね。」


妹と認めていないレンギョウが私の危機に飛び出してくるとは思えないけど、こんな奴がレンギョウの近くをうろついているのはいくら何でもまずい。

とはいえ、今の私は何の武器も持っていない。

いつも癖で腰に下げているところに手をやっても愛刀は失われたままだ。

治療のせいで体もなまっているし、もしそうじゃないにしても五鬼将相手に私が一人で勝てるとは思えない。

要するにこの状況を打開する方法が見当たらない。

急激に緊張が高まり、いやな汗が全身から滲みだした。

そんな私を見てソウマは組んでいた腕をほどくと、小さく両手を広げた。


「ははっ、何もしないさ。今はね。レンが目を光らせているうちは僕も動きづらいからね。」


にやついた表情を張り付けたまま手をヒラヒラと振り、そして急に無表情へ変わるとこちらに顔を向けた。

いつでも捻り殺せると言わんばかりの殺気を漂わせ、私の顔をソウマの瞳が貫いた。


「だからさ、早く帰ったほうがいい。」


その言葉を残すと階段を上がってレンギョウの部屋の戸をノックした。

さっきの態度がまるで嘘のように消え去り、いつもの飄々としたソウマに戻ってレンギョウの部屋に入っていく。

私はそれを目で追うことしかできなかった。


◇◇◇◇◇


結局何の進展もないまま数日が経ち、父の治療は終わりを迎えた。

和平交渉は平行線を辿ったまま頓挫し、間欠泉の調査はこちらの介入を拒絶された。

コクセイ城に戻ってから会うこともままならなかったハクは今、鬼人族から貸し出された荷台に乗せられている。

間欠泉で気を失ってからというもの意識を取り戻すことはなく、シュリから聞いた通り生きているのか死んでいるのかも分からない状態が続いている。

荷台に乗せられたハクを眺めながら、シンとサキになんて言ったらいいのか肩を落として思案しているとふいに背中を叩かれた。


「そんな顔しない!」

「でも・・・」

「父上も私たちも無事。ハクも返してもらえたし、何か問題でもあるの?」

「・・・ない。」


そんな風に言われたら反論の余地もない。

妙に上機嫌なカグラは素早く御者台に飛び乗ると出発の合図を待つように父の顔を見た。

顔を向けられた父は何かを待つように後方を見つめている。

今、私たちはコクセイ城を追い出されて帰路の準備を終えたところだ。

城門の先に見える溶岩でできた天然の迷路が口を開けている。

素人が踏み込んだら出てこられないんじゃないかと思わされるほどの迷路を私たちだけで踏破するのは不可能。

なので、私たちの前には二人の鬼人族が馬に乗って先導してくれるらしい。

そしてカンバラ砦までの護衛もしてくれるとのことだ。


「それもこれも若直々の命令じゃなからな。しっかり感謝せい。」


そういうと追い出す役を買って出たハクキがガハハと笑った。


「ありがとうございます。レンギョウ殿にもお伝えください。また来ます、と。」


父はそう言って深く頭を下げた。

そんなに接点があったわけじゃないはずだけど、父に見つめられたハクキはしばらく見返すと真顔に戻って目を光らせた。

お互いに何か感じ入るものがあったんだろうか。

そして私は相変わらずの見すぼらしい恰好でコクセイ城を振り返った。

ふとレンギョウのことが脳裏に浮かんで消えていく。


(別に・・・いいけど・・・)


鬼人族の長が私たちを見送りに来るとは思わない。

初めて会った時から比べたら少しだけ態度は軟化したけど、レンギョウの性格を考えると姿を現す理由が見つからない。

小さくため息を付いた瞬間、自分の行動と思考にハッとした。


(え?・・・私・・・?)


期待していたわけじゃない。

なのに少しだけがっかりと憤りが混ざりあった感情が心に浮かび上がっていることに驚いた。

あれだけ冷たい態度を取られたのに、最後の最後で顔が見たいなどと思った自分に赤面して俯いてしまう。

その様子を見逃さなかったのか、ハクキが私の目の前に立つと片膝をついて私の手を取った。

大きくてごつごつした手はとても暖かく、そして力強く私の手を握った。


「リン様、残られてもよいのですぞ?ここには実の兄もおります。」


その言葉に心が揺さぶられ、じっとハクキの顔を見た。

その額から伸びる角は鬼人族としての証だ。

ハクキに握られた手とは反対の手を自分の額に当ててみる。

僅かに膨らんだそれを確かめるように撫で、決心はついているとばかりにハクキの手をほどいた。


「私は鬼人族じゃない。」


そしてすぐ言葉をつづける。


「人間でもない。」


そして少し黙り込み、コクセイ城の、レンギョウの部屋のほうを見て声を上げた。


「どちらでもない。だから・・・私にしかできないことを見つける。」


宣言するように胸を張って空を仰ぎ、そしてハクキに視線を送ると荷台に飛び乗った。


「強くなられませ、リン様。」

「私はリンじゃない、イロハ!」

「はっはっはっ、そうでしたな!」


そんな私の声を聞いた父は納得したように小さく頷くとカグラの横に座って出発の合図を送った。

軋む音を上げて荷台の車輪がゆっくりと回り始める。

離れていくコクセイ城にお別れを告げると馬車は天然の迷路へ飲み込まれていった。


来た時と同じく、暗い迷路は迷い込んだものを逃がさない。

前を走る鬼人族の護衛から離れないよう、カグラは巧みな手綱さばきで付いていくことどれくらいだろうか。

徐々に暗がりの先が明るく光を帯びてきた。

明順応によって少しずつ視力が戻ると、来た時とは少し違う場所だと気づいた。

やせた大地に少しだけ緑が生え、そのうえをかすかに風が舞って砂煙を上げる。

洞窟を抜けた先で制止した護衛の鬼人族が、少しだけ距離を取りこちらを見るとすかさず前へ向き直った。

カグラも父も何か小声で会話し、私もとりあえず荷台を下りて周囲を見渡した。

後方には天然の迷路がいくつもの口を開け、吹き抜ける風がその開口部に吸い込まれていく。

その上空には天陽が煌めき、暦の上では真夏となる日差しが乾燥した大地に降り注いている。

更に周囲を探るべく手を翳して日差しを遮るように空を見上げた時、切り立った迷宮の頂に黒い影のようなものが目に映った。

逆光と眩しさでそれが何なのかよくわからず、目を凝らして見つめた。

すると突然、黒い影の周囲が陽炎のように揺らめいたかと思うと、細長い棒きれのようなものが飛来してきた。

一瞬身構えたけど、私はそれを両手で抱え込むように抱きとめた。

なぜかそれを落としてはいけない大事なものだと無意識に理解した。

受け止めたそれは武骨で何の飾り気もない刀だった。

使い込まれた鞘はところどころへこんでいて、鍔に至っては激しい打ち合いの影響による欠けがいくつも付いている。

唯一、巻きなおされた真新しい柄糸が不釣り合いな印象を与えてくるけど、手入れを怠った様子は見られない。

どこかで見覚えのある刀だ。


「必ず返しに来い!」


突如その黒い影から大きな声が上がった。

それは声を聴くまでもなく、立ち上った気の猛々しさですぐに分かった。


「それはガキの頃に親父からもらった大事な刀だ!絶対に壊すな!そして・・・返しに来いっ!」


それだけ叫ぶとくるりと背を向けた。

自然と刀を持つ手に力が入り、胸の奥が熱くなってくるのが分かる。

それが自分の感情なのか、胸に抱え込んでいる刀から発せされている気の影響なのかは分からない。

ただ、刀に残された気が私の気と混ざりあっていろんな感情が浮かび上がってきた。

そして大きく息を吸い込むと、その感情を吐き出すようにレンギョウに向かって力いっぱい叫んだ。


「ばかーーーーーーーーー!」


背を向けたレンギョウから聞こえるはずのない舌打ちが脳内に浮かび上がる。

そしてその横顔に優しく浮かんだ笑みを脳裏に焼き付けた。

兄妹として初めての会話の記憶とともに。




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