第51話 明かされる真実1
額にうっすら浮いた汗を水に濡らして硬く絞った手拭いでふき取った。
季節感のない四季とはいえど、天陽が空高く上る季節には気温も上昇する。
いうほど暑くはならないにしてもこの部屋の作りが悪く、外界との接点といえば格子窓と出入り口の戸だけ。
戸は基本的に開かずの戸で、格子窓は小さく換気にはあまり役に立たない。
必然的に室温は上昇するので体温を保つために汗をかく。
こんなことを分析しても何にもならないけど、何もすることがないのでこんなことでも頭を使わないとぼけてしまうのではないかと不安になってしまう。
さすがに一ヵ月以上も拘束されるとは思ってもいなかったので、体が鈍ってしょうがない。
結局状況は変わらず起きて寝るだけの日々にうんざりだけど、強引な手段で脱走なんてしようものなら命の保証はないし、ハクを連れて帰ることもできない。
そして、あれからまた一週間ほどたっただろうか。
わずかに部屋の外が騒がしく感じて聞き耳を立てた。
兵士たちが場内を走り回っているのか、いくつもの鎧の擦れる音と足音がせわしなく聞こえる。
時折聞こえてくる声からは緊張感が滲み出て、何か重大なことが起きたことを告げているように感じた。
その足音は次第にこの部屋のほうへ近づいてくると戸の前で止まった。
何が起こったのか分からないけど、この部屋の前に来る以上私に関係することのはずだし用心に越したことはない。
そう考えて身構えようとした瞬間、戸が勢いよく開かれた。
お昼時の日差しによって逆光となり視力が奪われ、突然覆いかぶさってきた黒い影に思わず体を捻って避けようとしたけど間に合わない。
がっちりと肩から締め上げられて腕を出すことができず、このまま刃物か何かで刺されるのではないかと振りほどこうとした瞬間、聞き覚えのある声が耳元で聞こえてきた。
それは震えていて、そして無くしてしまった大切なものをもう一度見つけることができた喜びに満ち溢れているような音色で私の耳に滑り込んできた。
「イロハ・・・無事でよかった・・・本当に・・・」
黒く長い髪が私の頬にかかってくすぐったい。
続いていくつもの涙がカグラの瞳から溢れ出して私の顔を濡らした。
「カグラ・・・」
突然の出来事に頭の中が真っ白になって何も考えられなくなってしまった。
ただ、腕が勝手にカグラの背中を掴み、顔を胸に埋めると人目もはばからずに大声を上げて泣き出した。
真っ白に染まった頭の中に色んな事が蘇り、その不安と緊張が爆発してカグラの体に身を預けて泣き続けた。
◇◇◇◇◇
父と共にカグラとの再会を喜んだのも束の間、私たちは今、天守閣にある大広間に鎮座している。
私たちの両側には睨みを聞かせるように四人の鬼人族が挟み込むように座り、少し遅れてきたレンギョウは正面の一段高いところに足を進めるとあぐらをかいて座った。
青みがかった黒髪に青色の肌の人物は確かソウマで、その隣にいる桃色の女鬼人族はシュリ。
反対側の黄色い奴はカグラに傷を負わせたゴウセツで、その隣にいるのは白髪で年配ということだからハクキだろうか。
五鬼将のうち四人も控えているとあって、大広間には得も言われぬ緊張感が漂っている。
あまり言葉を交わす時間もなくレンギョウへの謁見となったため、父やカグラがこれまでどうしていたのか、どうやってここまで来たのか色々聞きたかったけど、今聞くことじゃないので口をつぐんだ。
それからしばらくの沈黙が続き、押し黙っていたレンギョウがゆっくりと目を開けて声を響かせた。
「用件を申せ。」
父はレンギョウに促されると静かに、そして深々と頭を下げ、頭を起こして正面を向いてレンギョウをしっかりと見つめて謝罪の言葉を口にした。
「まずは此度の争いの件、誠に申し訳ございませんでした。そして亡くなられた方々に哀悼の意を捧げます。」
父はそういうと短い黙とうを捧げ、カグラもそれに続いて瞳を閉じた。
その様子をレンギョウは表情を変えることなく見つめ、目を開けた父に向かって次の言葉を促した。
「早速ですが本題といたします。以前カンバラ砦で申し上げましたとおり私どもの本懐はあなた方との和平です。」
そこまで口上を述べた後一呼吸おいて周囲をうかがい、レンギョウを見据えると言葉を続けた。
「私たちの行いによって両者の対立が生まれ、時を追うごとにその溝は深くなっていきました。それは今も変わらず続いております。このまま進めば両者共倒れとなるでしょう。その未来を回避するためには互いに歩み寄る必要があるとお考えいただくことはできませんか?」
そこまで話すと裏も表もない表情で父は口を閉じた。
謁見を許されること自体が稀だろうし、策を弄して下手に相手の心証を悪くするくらいなら最初からこちらの思いをぶつけたほうがいいんだろう。
父の言葉を聞いたレンギョウは鼻で笑った。
「まだそのような世迷言をいうか。貴様ら人間が我ら鬼人族に対して犯した罪を償うまでは無理というもの。それなくして和平などあり得ぬ。」
父を馬鹿にしたような言いぶりに腹が立つけど、言っていることは確かに理解できなくもない。
とはいえ、そもそも罪をどうやって償えというのだろうか。
無理難題を吹っかけて諦めさせようとしているのが見え見えだ。
「クルスよ。結局はお前も他の人間と同じなのだ。同じ痛みを知る者にしか理解できない感情というものがある。」
そういうとレンギョウは小さくため息をついて目を落とした。
なんだかとても悲しそうな表情をうかべ、直後あざ笑うかのように口角を上げた。
「どうしても歩み寄りたいというのなら貴様も味わってみるか?我らが飲まされてきた苦汁を。自由を奪われ同族を・・・家族を目の前で奪われる苦しみをっ!」
そういい放つと右腕に力が籠り、炎を纏ったその腕を肘置きに叩きつけた。
はじけ飛んだ肘置きの木片が周囲に散らばって煙を上げ、大広間に焼け焦げた匂いが充満していく。
苛烈なレンギョウの行動に父は動揺するそぶりを見せることなく顔を向けた。
「たしかに私自身そのような経験はありません。レンギョウ殿の、いえ、あなた方のお気持ちを本当の意味で理解することは難しい。過去の惨劇をなかったことにはできないのは重々承知いたしておりますが、私はこの先の、未来のことを憂いているのです。」
「過去の清算もなく未来だけを見よと申されるのか?」
父の言葉を遮る様に白髪の老将軍が厳かに口を開いた。
恰幅がよく小太りな巨体に白い刺し色の入った年季ものの甲冑を着こんだ姿は、数多の戦場を生き抜いてきた猛者であることを物語ってる。
「未来を憂いておるのはこちらも同じじゃ。子や孫が安心して生きていける世を作るためにワシらは武器を手にしとる。それはひとえに人間のおらん世の中じゃ。人間は騙す、嘘をつく、裏切る。それはもう嫌というほど見てきた。」
そこまで言うと一旦口を閉じ、決意は変わらないとばかりに父を見据えた。
他の五鬼将もハクキの言葉に小さく頷いている。
「それを今さら見なかったことになどできるわけがない。おぬしたちの何を信じろというのじゃ?よしんばおぬしたちを信じたとして他の人間はどうじゃ?全員信用できると言い切れるのか?」
ハクキの指摘はごもっともだ。
それにハクキと同じくらいの年齢の鬼人族のほうが溝は深いだろう。
それにその指摘通り、こっちも一枚岩じゃない。
父の陣営は和平路線だけど、対立陣営の武闘派閥は鬼人族憎しで構成された組織であり軍隊だ。
でも父はその指摘は想定済みとばかりにハクキのほうへ向き直った。
「過去の経緯があるにせよ、我々の中にもあなた方に親兄弟の命を奪わた人間がおります。ですが私はそのことであなた方を責めるつもりはありません。それが戦というものだからです。」
「それはおぬしの娘がここで死んでも同じことが言えるのかの?」
そういうとハクキは異様な気を漂わせながら横に転がしていた巨大な槌に手を伸ばした。
その様子を見て父はすっと静かに手を出してハクキに静止を促した。
「この場でそのような脅迫は無意味でしょう。もとより死を覚悟して臨んでおりますゆえ。」
「・・・食えん奴じゃ。」
ハクキは伸ばしていた手を元に戻すと気を収めて続きを話せと顎をしゃくった。
ちょっと嫌な汗が出たけど父の話術のおかげで事なきを得てほっと胸をなでおろす。
父はハクキの様子を見ると言葉を続けた。
「もちろん今すぐ我々を信用してほしいなどとは言いません。まず私たちを信じてほしいのです。人間の中にも鬼人族と平和に暮らしたいと考える者がいることを知ってほしいのです。」
胸を張って主張した父の目がレンギョウに向けられる。
その真摯なまなざしには嘘や偽りなど微塵も感じられなかった。
その目の真意を確かめるようにレンギョウは父へ問いかけた。
「ならば貴様はこのレンギョウから、どうやってその信用を得ようというのだ?よもや無策とは言うまいな?」
「無論、その準備はできています。」
そういうと父はちらりとこちらを見てすぐに前を向いてレンギョウを視線を合わせ、その直後、カグラが静かに目を閉じた。
「我が娘、カグラをもらっていただきたく存じます。」
「なに・・・?」
聞こえてきた言葉の意味をうまく呑み込めなくて父とカグラの顔を交互に見る。
突然の話に理解が追い付かない。
そんな私を無視するかのように話しはどんどん先へ進んでいく。
「もらっていただく、だと?それはどういう意味だ?」
レンギョウは疑うような目つきで父に次の言葉を催促する。
そんな父は他意はないとばかりに隣に座っているカグラへ手を伸ばすと言葉を続けた。
「その言葉の通りです。カグラをもらってはいただけないでしょうか。」
その言葉が合図のようにカグラは深く腰を折って冷たい床に手をついて頭を下げた。
それが前もって決まってあったかのように、レンギョウに向かって三つ指を付いていた。
しばらく押し黙っていたレンギョウが呆れたとばかりに笑い出し、ひとしきり笑った後で表情を戻した。
「ふざけたやつだ。わが身可愛さに娘を人質に差し出すとはな。」
その言葉が大広間に響いた途端、頭を下げていたカグラがピクリと動いた。
すると父はカグラに目を向け一言「構わん」とだけ告げてレンギョウへ向き直った。
「もちろんすぐに受け入れていただくのは難しいでしょう。ですがこれを信頼の証としていただけるのなら、国交を開く前準備としてタタラとカンバラ砦の間に関所の建設をお許しいただきたい。そしてその関所の管理者としてこちらからはカグラを就かせます。」
口早にそう告げると一呼吸おいて額に浮いた汗を拭って言葉を続けた。
「そちらからも管理者を出していただき、カグラと共同で互いの物資を取引するところから始めてみませんか。こちらからは食材や教育、技術に関する知識を。そちらからは材木や鉱石といった資材を。まずは貿易を通して互いのわだかまりを少しずつ解消したいと考えております。」
言い終わると同時に頭を下げたカグラがレンギョウをまっすぐ見据える。
レンギョウはカグラの視線を無視して父を睨みつけたまま黙り込んでいる。
ハクキを含む五鬼将もどこまで本気なのかを探るような気配を漂わせていた。
鬼人族の暮らす地域は痩せている土地が多く、農作物の種類や収穫量に難があることはこれまで見てきた。
生活水準を見ても人間のそれと開きがあるし、鬼人族としても悪くない話だと思う。
そんな中、今まで沈黙を続けていたソウマが唐突に口を開いた。
「なんでそこまで和平にこだわるんだい?あなたのような文官なら危険とは無縁のアスカ城でぬくぬくと暮らしていればいいものを。分からないなぁ?ざわざわ危険を冒してまで敵地に乗り込んでくる理由が見当たらないんだよね。」
緊張感のないソウマの発言ではあったけど、その言葉には信じることができないという意味が含まれている。
長い沈黙が続いた後、父は顔を上げると意を決したように握りこぶしを作って言葉を紡いだ。
「私も昔は一人の兵士として仕えておりました。ただ、見ての通り体格に優れているわけでもありませんから、後方の補給部隊に配属しておりました。」
一旦そこで話を区切ると喉が渇いたのか生唾を飲み込み、暑いのかしきりに手拭いで額を拭った。
「何かあれば号令がかかり戦場に向かう日々。そして目の前で死んでいく人々。それはもう本当に、私にとっては地獄に様な日々でした。そんな日々に嫌気がさして救いを求めていた頃、妻と出会い所帯を持ってそれなりの幸せに自分の気持ちをごまかすように生きておりました。」
始めて聞いた父の若かりし頃の話。
今の官職に就く前のことなんて気にしたことなかったけど、兵士をしていたことに驚いた。
自分でも言っていたように他人が見ても父の体は肉体労働向きではない。
それは病気とかそういうものではなく単純に体格に恵まれなかっただけ。
だから勝手に最初から文官としてお勤めしていたのだと思い込んでいた。
「他者を排除することでしか自らの幸せを掴むことができない。平和という名の椅子は一つしかなく、その椅子を求めるものが複数存在する限り戦が終わることはありません。そう思っていくつもの戦場を駆け抜けました。ですが、私の心はいつの間にか限界に達していた・・・」
父の話が進むにつれてなぜか胸の奥がざわつき始めた。
しきりに額をぬぐう父の表情は暗く、これから話すことの重大さが滲み出ているようでこっちまで息が詰まってしまう。
調子が悪いんじゃないかと父へ声をかけようとしたところでカグラの視線が静止を促してくる。
少し動かした体をしぶしぶもとに戻すと父の言葉に耳を傾けた。
「あれは・・・そう十五年前、両陣営ともに多大な被害を出す大きな戦がありました。」
十五年前と聞いて鬼人族の陣営は逡巡を始めたと思うと、それがどの戦のことを指しているのかすぐに探し出せたのか、一様に表情を強めた。
特にレンギョウとハクキはその戦に強い思い入れがあるのか表情は硬く、その体から怒気が滲み出ていた。
「私もその戦に・・・」
「・・・その話はやめろ。」
突然父の話を遮る様にレンギョウが口をはさんだ。
あぐらの上に置かれた手が握りこぶしを作り、怒りのためかぶるぶると震えている。
ハクキに至っては今にも父に飛びかからんという勢いで膝を立てていた。
しかし父はそんな二人の様子を見ても臆することなく口を開いた。
「それはできません。」
「貴様っ!・・・死にたいのか!?」
「先ほども申しました通り、元より死は覚悟の上。あなた方がその気になれば私の首などいつでもとれることでしょう。ですが私が死ねば真実は二度と日の目を見ることはないでしょう。」
「真実・・・だと?」
父の意味ありげな言葉に、怒りを漂わせたレンギョウがピクリと反応した。
その直後、槍を手に取ったシュリが怒りを爆発させた。
「ふざけるなっ!これ以上レンギョウ様を傷つけるのなら今すぐあの世に送ってくれるっ!」
「まぁまぁシュリちゃん、ちょっと落ち着こうか。ね?」
怒り狂ったシュリとは正反対のソウマは、飛びかかろうとしていたシュリの前にするりと体を挟み込んだ。
そして肩口から父を見ながら低く声を上げた。
「だが気を付けろ?お前は今、薄氷の上を歩いているようなもの。一歩でも間違えば・・・わかるな?」
突然口調が変わると獰猛な肉食獣のそれを彷彿とさせるような顔つきに変わり、鎧から除いている腕には力が籠り血管が激しく脈動していた。
その様子を見たシュリは小さく舌打ちすると座っていた場所に戻るとドカッと腰を下ろした。
シュリが腰を下ろすのを見届けるといつもの飄々とした表情に戻り、「その舌打ちはもしかして僕に対してなのかい?」などと声をかけなら戻っていく。
父はその言葉に頷いて返事をするとレンギョウに向き直った。
「そうです。あの日、あの場所で何が起こったのか。」
ここにいる人たちにとってあまりいい思い出ではないのは明らかだ。
しかし父の表情から後戻りするつもりがないことは伝わってくる。
レンギョウをまっすぐ見つめる視線がより強いものへ変わると、その真相を紐解き始めた。
「あの日、鬼人族の最前線の砦がついに完成するとのことで祝賀会が催されるという情報を入手しました。最前線という気の抜けない状況で軍務に従事する人を鼓舞するという目的で鬼人族の前長、レンギョウ殿のお父上が姿を見せるという情報も得ていました。それまで戦続きということもあり宴は盛大な盛り上がりになることが予想されたため、闇夜に乗じてその隙を突くというのが作戦の大枠です。」
一旦話を切った父の言葉にレンギョウは舌打ちをし、ハクキは怒りを露わにした。
「情報通り前長も姿を見せ、宴は日を跨いでも行われ十分に酔いが回ったところで突入の合図が上がりました。無論、砦には見張りがいましたが今までの緊張が切れたのか相当酒が入っていたようで、難なく砦内に侵入することができました。それだけ鬼人族側も神経をすり減らしていたのでしょう・・・」
悲しそうに眼を落した父はすぐさま顔を上げると矢継ぎ早に口を開いた。
最前線の砦ということもあって堅牢な作りの壁も、中に入ってしまえば逃げ場のない監獄と同じ。
鬼人族の長がいるということで人間側は将軍二部隊合同の大編成で押し寄せて数を武器になだれ込んだ。
鬼人族側も激しく抵抗し、砦内は足の踏み場もないほどの死体で埋め尽くされたという。
酒に酔っていなければこんな結果にはなってなかったかもしれない。
でも現実は残酷だった。
砦を守る鬼人族の将まで打ち取られた長は、砦の放棄を宣言すると自ら殿を名乗り出て後方へ兵を集中した。
でももっと早く気付くべきだった。
人間側のこれまでにない執念を。
「まさに地獄のような光景でした。すり減らした神経が悪意に汚染されるように、我々人間側の兵士たちは物の怪となり果てていました。」
殺意の衝動に駆られた兵士たちは撤退する鬼人族に襲い掛かり蹂躙を始めた。
殿を務める長は一人で人間たちに立ち向かい死体の山を築いた。
さらに将軍二人の首も跳ねる活躍を見せるものの、数の暴力に飲み込まれてしまった。
無事に砦から逃げおおせたものは少なくほとんどが戦死し、人間側も部隊は壊滅状態だったという。
黙って聞いていたレンギョウは父の話の一言一句を飲み込み、怒りと悲しみの感情に包まれている。
ともすればその両方の感情が爆発して父へ襲い掛かってくるのではないかとさえ感じる。
「駆けつけた時には誰一人生存者はおらず、焼けた建物と血の匂いだけじゃった。ワシが労いをかけてやってほしいなどと言わなければこのようなことには・・・」
そういうとハクキはがっくりと肩を落とした後、父へ向き直ると鋭い目つきで口を開いた。
「そこまで正確な情報を知っておるということは・・・おぬし、あの場におったということか?」
突き刺さるような言葉を受けて父は顔を向けるとしっかりと頷いた。
「はい。私もあの日、あの場所にいました。補給部隊という名目でしたがそれは砦までの仕事で、砦についてからは逃走兵を打ち取るよう命令されていました。」
それを聞いたハクキは突然身を乗り出して父に迫った。
「じゃったら何か見んかったか!?逃げ出した兵が何か抱えてなかったか!?その・・・なんじゃ・・・」
何か言いずらそうに言葉を濁すと、しきりにレンギョウを気にしている。
目を向けられたレンギョウは余計なことは聞くなと言わんばかりに額に青筋を立ててハクキを睨みつけて黙らせた。
「残念ながら・・・」
「ハクキ老・・・もうよい。その希望はもう・・・捨てた。」
その言葉を待っていたかのようにレンギョウは小さく呟いた。
何かとても大事なものが砦にあったということだけはわかる。
しばらく沈黙が続いた後、小さく咳払いして前を向いた。
「私は下された命令に従って仲間たちと門を包囲しました。逃げてくる兵士たちを槍で何度も突きました。そしてふと隣の仲間の顔を見ました・・・」
そこまで言うと父は口を押えて吐き気を堪えた。
「・・・そこには鬼が・・・おりました。もちろん角はありません。ですがその表情は鬼そのものでした。そして足元の血だまりに移る自分の顔を見て・・・絶望しました。」
感情が高ぶっているのか、父の言葉は歯切れが悪くいつもの流暢な口調ではなくなっていた。
「そこにも鬼がいたのです。返り血を全身に浴びて嬉しそうな笑みを張り付けて・・・。そして私はそこから逃げ出しました。」
壮絶な父の体験談に全員が沈黙した。
はっきりとはわからないけど、どこか自分の中にもあるのではないだろうか。
そして思ったんじゃないだろうか。
自分の中にも鬼が潜んでいることを。
錐使いに対して抱いた殺意を思い出して背筋が凍る気がした。
明確な殺意を持って人を殺す。
普段ではありえないことが戦では当たり前に変わる。
家に帰ればニコニコ笑っていても、ひとたび刀を持てば平気で手を血に染める。
錐使いを生かしておくわけにはいかなかった。
でも人をこの手で殺めたという事実が急に現実のものとなって押し寄せ、猛烈な吐き気がこみ上げて口を押えた。
「飲まれないで。」
涙目になって下を向いた瞬間、カグラの手が優しく背中を撫でた。
透き通るような声に邪念がかき消されていく。
小さく「ありがとう」を告げると父の言葉を待った。
しかしいくら待っても父からその先が告げられない。
何事かと思って顔を見た瞬間、父の口元から一筋の赤い液体が流れ落ちた。
「え?」
私が疑問の声を上げた瞬間、むせるように咳き込むと同時に激しく吐血して大きく姿勢を崩した。
すかさずカグラがその体を支え懐から白い手拭いを取り出して父の口元を押えた。
白かった手拭いはあっという間に真っ赤に染まっていく。
「何事だ!?貴様!何を企んで・・・」
「お待ちください!」
声を荒げたレンギョウを父の声が遮った。
危険を感じた五鬼将の面々はレンギョウの前に立ちはだかって警戒を強めたまま父を睨んでいる。
父は危害を加えるつもりはないというように手を前に出すと、もう片方の手を懐に突っ込んだ。
そして胴着を引っ張り出して腹部を晒した。
そこには今だ治りきっていない傷痕から血が滲み巻かれた包帯を赤く染め上げていた。
「どうやら・・・あの者に刺された際に妙な毒を盛られた様で・・・あまり時間がありません。最後までお付き合いください・・・」
「父上っ!」
回り込んでカグラに変わって体を支える。
父の体を私に預けたカグラは祝詞を捧げると、その手に癒しの炎を灯して傷口を覆った。
「まだ・・・まだ死ねぬ・・・」
父はそういうと私の肩をぎゅっと掴んて体勢を立て直し、警戒したままのレンギョウに向かって口を開いた。
「どこを走ったのか、何を目指したのかは・・・憶えておりません。あのままあそこにいたら、人間に戻れない・・・そんな気がして、とにかく走りました。そして見たのです・・・事前に知らされていなかった・・・その存在を・・・」
「もうやめてっ!」
「き・・・貴様っ!?まさか・・・!!」
そこまで言うとまたしても大きくせき込んで倒れ込んだ。
悲痛な叫びをあげて倒れ込んだ父の頭を小さな膝の上に乗せて涙を流した。
カグラの懸命な治療も傷口を塞ぐだけで、錐使いの毒を取り除くことはできないようだった。
私の声を聴いた父は目を細めて私を見上げるとすぐにレンギョウへ視線を戻した。
「そう・・・です。小さな少年の手を引き、もう片方の手で・・・乳飲み子を抱えた・・・奥方様の姿を・・・」
その言葉を発した途端、レンギョウから感じたこともない怒りが膨れ上がり、怒りに染まった双眸から明確な殺意が溢れた。
そして復讐の怒りに燃えたハクキが吼えた。
「おぬしが・・・おぬしが奥様を!リン様を!今ここで死ねぇぇ!!!」
体が何倍にも膨れ上がったかのように気を纏い、その手に持った巨大な槌を振り上げると猛然と突っ込んできた。
「私は・・・走りました・・・死に物狂いで走った!・・・守りたかった・・・でも・・・届かなかった・・・」
その瞬間、ハクキの巨体が停止した。
怒りに染まったままの表情を張り付けたまま、槌を振り上げた姿勢のまま固まっていた。
「守りたかった・・・じゃと?」
焦点が合わないのか、再起された当時の記憶を追体験するように虚空に目線を泳がせた。
そんな父の様子を見ながら、手の施しようがないことをわかっているにもかかわらずカグラは懸命に治療を続けた。
「迫りくる追手から・・・矢が放たれました。腕や肩、足に・・・いくつもの矢が刺さり・・・それでも奥方様は子供たちを守る様に・・・そして前を走る兵士に・・・少年を託した瞬間・・・槍が胸を・・・貫いた。」
言い終わるとハクキが持っていた槌が手から落ちて硬い床にめり込んだ。
そしてブルブルと震えだして膝から崩れ落ちた。
「倒れた奥方様から・・・乳飲み子が投げ出され、地面に・・・叩きつけられました。そして兵士が刀を手に持ち替え・・・振り・・・下ろしました。」
静寂があたりを包み、父の荒い息遣いだけが大広間に響いた。
誰もがたたずを飲んで父の言葉を聞き、そして当時の無念に打ちひしがれていた。
そして父は静かに口を開いた。
「気づくと・・・私は刀を握っていた。そして目の前には・・・兵士がいた。その刀は・・・その兵士を、貫いていた。そして私は・・・叫んだ!叫びながら・・・弓兵に迫り、そして斬った!」
父から告げられた衝撃の真実。
父は味方を殺して鬼人族を助けたというのだ。
「泣き叫んでいた、乳飲み子は・・・意識を失っていた。どうするべきか・・・悩んだ。血に汚れた手で、触れてよいものでは・・・ないような気がしたからだ。その時、奥方様から・・・声をかけられた。私を、鬼人族と勘違い、なされたのだろう。『その子を頼みます』と。」
いつしか父の言葉がレンギョウから私に向けられていることに気づいた。
なぜ父は私に向かって話しているんだろう。
急に耳鳴りが始まって頭の中が騒がしくなり、胸の奥が激しく締め付けられる。
もうそれ以上何も言わないでほしかった。
(やめて・・・)
「その瞬間、手の中には・・・乳飲み子を抱えていた・・・」
(お願いだから・・・)
「絶対に・・・守らねばならない・・・この子の命を。そして止めなければならない・・・この悲劇を!」
口から血をこぼしながら父は私を見つめて涙を流した。
その涙が私のこぼした涙と混ざり合って流れていく。
「すまなかった・・・お前の母を・・・守ってやれなくて・・・すまなかった・・・今まで嘘をついて・・・」
そういって父は手を私の頬に触れ、溢れた涙をそっとすくうとパタリと床に落ちた。
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