第50話 暗い部屋の中で

「ひま・・・」


 誰に呟くでもなく虚空を眺めながら今の心情を口にした。

 私は今、真っ黒い部屋の中にある布団に入っている。

 時間はわからない。

 ただ、格子窓から差し込む明かりがお昼前後であることを伝えてくれる。

 でもこの光はそんなに長いこと差し込んではくれない。

 時間にしてせいぜい4、5時間くらいだろうか。

 一日のうち、この部屋に差し込む光はその程度しかないということだ。

 それ以外の光はすべて部屋に取り付けられている夜行石を加工した照明器具だけ。

 ちなみに部屋の中には布団と枕と私が付けていたボロボロの鎧だけ。

 その鎧に手を伸ばしかけて、その手に巻かれている包帯に目を向けた。


(あれからもう一月近く経った・・・んだよね。)


 そう思いながらその手を上にあげた。

 包帯ががっちり巻かれているけど、手の甲から伸びている傷痕が痛々しい。

 樹枝状に残った傷跡を反対の手でさすってみる。

 傷はほとんど治癒していて、包帯を巻いているのはその傷痕が生々しすぎるからだという理由だ。


(なんで使えたんだろう・・・雷。)


 意識が戻ってからいくつもの疑問に自問自答してみたけど、明確な回答は得られなかった。

 答えを知っている人がいるなら教えてほしいけど、全部自分自身のことなので難しいだろう。

 ただ、この問いに関しては一つだけ手がかりがある。

 錐使いとの最終局面で聞こえてきた妙な音。

 その声ともとれる音から読み取った微かな感覚。


『・・・の慈悲よ・・・受け取り・・・』


 本当にそう聞こえたのかは定かじゃないけど、あの時はそう感じた。

 そのあとから風の気と並行していつの間にか雷の気が発現した。

 あれだけ雷の反動を受けてたら『使えた』というには無理があるけど、本来なら雷の気を呼び起こすことさえできないので、この際『使えた』ということにしておこう。

 そう考えるとしてこの場合、あそこでこの力を使っていたのは得体のしれない二匹の鳥だった。

 片方は風を、もう片方は雷をその身に宿した、いやむしろそのもので構成された気の塊。

 そんな得体のしれない鳥がなんで私に慈悲を与えたのか、心当たりは全くない。


(鳥は好きだけど。)


 たぶんそういうことじゃない。

 ハクと何らか交信していたようにも見えたし、全く無関係ではないだろう。

 そのあたりから勝手に想像すると、ハクを守っていたのが慈悲の理由ではないだろうか。

 ハクと鳥の関係性が分からないので、本当のところはわからない。


(保留っと。)


 そして続く疑問に思考を巡らせる。

 ハクの出現と間欠泉の異変。

 そもそもハクは父やカグラと一緒にカンバラ砦で治療を受けていたはずだった。

 にもかかわらず間欠泉に突然姿を現した。

 これについては本当に何もわからない。

 間欠泉から溢れ続けている気についても謎のままだ。

 そして今、間欠泉がどういう状態なのか。

 たぶん鬼人族が調査なりなんなりしていると思うけど、正確な答えが導き出せるとは思えない。

 答えが出せるんなら、間欠泉の封印なんて解いているかもしれないし。


(ただまぁ、あそこで錐使いの暴挙に腹を立てたという説が濃厚?)


 調査と称して間欠泉で暴れまわる人はいないだろうし、それは鬼人族も同じだろう。

 そういう意味では錐使いの行動が呼び水となった可能性は否定できない。

 とはいえ今までそういった調査が行われたのかどうかもわからない。

 そしてハクは今も別室で療養中とのことだ。


(保留っと。)


 そして私自身の疑問。

 腹部を貫かれたレンギョウに重なる形で見えたあの光景。

 その中でこっちを見つめてた女の人。

 あの光景が私の記憶じゃないかもしれないから、あの人が見つめてたのは私じゃないかもしれない。

 でも状況から考えて、あの瞬間別の人の記憶を私が見るなんてことはありえない。

 あの時はありえないことばかり起きたから、可能性はゼロじゃないかもしれないけど。

 でもあの光景が私の記憶なのだとしたら、あの人はいったい誰なんだろう。

 今となっては鮮明に思い出せるあの光景に思いを馳せると胸がチクりと痛む。

 それから私の体に起きた変化。

 あの時確かに私の額には二本の角があった。

 まじまじと見たり触ったりしわけじゃないけど、あの瞬間確かに角があった。

 それは感覚で分かったし、吸収が容易に行えたこともそれを裏付けている。

 人間ではほとんどできる人がいないのに鬼人族だけは容易に行えるそれが私にも出来た。


(私は人間じゃない・・・)


 決定的な証拠として、包帯の巻かれた額の両脇に小さな突起がある。

 鬼人族のそれとは比べ物にならないほど小さく、何なら前髪で隠れてしまう程度の突起だ。

 だけど角だ。

 その事実が私の心に広がっていき、どんどん変な方向へ想像が膨らんでいく。

 私が鬼人族ってことは家族も実は鬼人族なんだろうか?

 いや、そんなわけはない。

 じゃあ私だけ鬼人族ということなのか?

 そうなると人間である父上は本当の父上じゃない?

 じゃあ母上は?

 カグラは?

 みんな知ってるの?


(私が鬼人族ってこと・・・)


 形のない恐怖が背後から押し寄せてくるように感じて目をつむり、布団の中に潜り込む。

 みんなに早く会いたい。

 でも会ったら何を話したらいいの?

 今まで通りちゃんと目を見て話せる?

 誰がどこまで本当のことを知っているのか分からない。

 そんな相手に私は笑顔を向けることができるのだろうか。


(会い・・・たくない・・・今はまだ・・・)


 胸の奥が強烈に締め付けられて呼吸がうまくできない。

 丸くなって膝を抱え、答えのない自問自答を繰り返す。

 意識が戻ってからというもの相談できる相手もいないし、そもそもここは鬼人族の城の中の一室。

 私に敵意を持った鬼人族たちに囲まれて、治療を受けて生きながらえている。

 知っている顔があるわけでもなく、唯一付き合いのあるレンギョウに関しては一度も顔を見せたことはない。

 向こうからすればざわざわ顔を見せる必要もないとは思うけど。


(ハァ・・・)


 与えられるご飯を食べて治療を受けて、さっきみたいに考え込んでは心をすり減らす毎日。

 今となっては得体のしれないもの同士、ハクの状態が気になるところだけど外出は厠に行く時だけしか許されていないので、確認することはおろか、聞いても教えてくれることはない。


(何で生かされてるんだろう・・・)


 そんなことを考えながら布団から顔を出して真っ黒い天井を仰いだ。

 岩を削り出して作られた壁や天井はぱっと見は真っ黒だけど色んな不純物が含まれているようで、よく見ると一つ一つが違う表情をしていた。

 これは人間にも鬼人族にも当てはまる。

 同じ種族でもいろんな人がいる。

 今まで出会ったことのある人物の顔が浮かび上がって、それが人間と鬼人族に分類されていく。

 そして最後に浮かび上がった自分の顔が、どっちに分類していいのか迷って消えていった。

 人間でありたい気持ちと人間ではないことの事実が心の中で渦巻いて、心のささくれがどんどん大きくなっていく。


(だれか・・・教えてよ・・・)


 いつの間にか瞳から涙があふれ、堪えていた嗚咽が口から零れ落ちて薄日が差し込む室内にしんみりと響き渡った。


 ◇◇◇◇◇


 コクセイ城の一室に監禁状態となって何日が経っただろう。

 もう数えるのも飽きてしまった。

 体のけがは何日も前に完治したし、そろそろ開放してくれてもいいと思う。

 今なら自分の足でタタラの町まで変えることだってできるだろう。

 その時はハクも連れて行かなきゃいけないから馬を借りなきゃいけないけど、貸してくれるだろうか。


(いつまで閉じ込めておく気なの?)


 とはいえ着の身着のまま放り出されると、それはそれで困る。

 私の鎧はすでにボロボロで最早原型を留めていないし、今着ているものだってここに連れてこられたときに着せられていた肌着と、頭と袖を通すだけの上着にももんぺという出で立ちだ。

 敵対勢力の真っただ中を武装もなしに移動するのはさすがに命の危険を感じる。

 そもそも武器がない。

 問題は山積みだけど、それはそれとして。


(今までおとなしくしてたんだし、そろそろ出してくれてもいいよね?)


 別に自由が欲しいんじゃなくて、人間の領地に帰りたいだけ。

 家族と相対したときにうまく振舞えるかはわからないけど、今まで人間として暮らしてきたんだからここよりは居心地がいいはず。

 生い立ちに関する問題については知っている人から聞くしかない。

 不安のほうが大きいけど心の準備はしてきた。

 意を決すると正座を解いて立ち上がり、部屋で唯一の出入り口となる引き戸の前に立つ。

 戸には鍵がかかっていて、その向こうには見張り役が二人常駐していることはわかっている。

 勝手に戸を開けることはできず、よしんば開いたとしてそのまま出ていくことはできない。

 治療してもらった恩もあるし、むやみに事を荒立てるのは得策じゃない。

 見張りへの意思疎通は厠へ行く時だけと決められているが、私の監禁を決めている鬼人族へ話しをつないでもらわないといけない。

 小さく戸を叩くと少し間が空いてから鍵が開錠される音が聞こえて、戸がゆっくりと開いた。

 背が高くて一本角、槍と鎧を着こんだ鬼人族の見張り役が戸から顔をのぞかせて声をかけてくる。


「・・・ついてこい。」


 いつものぶっきらぼうな言葉で厠へ案内しようとする見張り役の目の前に小さく手を突き出して静止の意図を伝えた。

 それを見た見張り役は疑問の表情を浮かべたあと、突然一歩引いて槍を構え、隣に控えているもう一人の鬼人族へ目で合図を送った。

 直後、甲高い笛の音がコクセイ城内に響き渡る。


(めちゃくちゃ警戒されてる・・・)


 少しでも違う動きを見せたら刺し殺してもいいとかいう指示で設けているのだろうか。

 笛を吹いた鬼人族のほうも槍を構えてこちらを威嚇している。


「あ、いや・・・」

「動くなっ!」


 足をピクリと動かした瞬間、喉元に槍を突き付けられて動けなくなってしまった。

 動かした足を後ろに下げて、ゆっくりとした動作で部屋の奥に戻ったけど、見張り役の鬼人族たちは警戒を解こうとせず、じっとこっちを睨んでいる。

 しばらくすると笛の音を聞きつけた鬼人族たちがぞろぞろと集まってきて、部屋の外で騒がしく話し始めた。

 なにか、私を閉じ込めておかなくてはいけない事情でもあるのだろうか。

 たかが小娘一人にここまでの警備が必要とも思えないし、この状況で、というか最初から敵対の意思はない。

 そうこうしていると遅れてまた一人の鬼人族がやってくる気配を感じた。

 感じたというか、敢えて自分の存在を知らしめるかのように、ひりつくほどの気をまき散らしながら部屋の前に歩みを進め、さも煩わしそうに見下ろしてきた。

 桃色の髪の女鬼人族は小さく舌打ちすると、見下ろしている眼をすぼめながら口を開いた。


「なんだ?」


 なんだと言われて、どう答えていいのか一瞬わからなくなってしまった。

 さっきまでの騒々しさが一変して静まり返った廊下で、私の言葉を待つ桃色の女鬼人族たち。

 しびれを切らした女鬼人族とやっとの思いで絞り出した言葉が重なる。


「なんだ!」

「いつ・・」


 そしてまた廊下は静寂に包まれる。

 苛立ちを隠しきれなくなった女鬼人族がついに言葉に殺気を乗せて口にした。


「何が言いたいっ!」


 レンギョウに勝るとも劣らない気迫に空気がビリビリと震え、部屋の片隅に立てかけていたボロボロの鎧が姿勢を崩して床に転がった。

 開放してもらいたいだけなのに、なんでここまで睨まれないといけないのか理解できない。

 でもこうなった以上、聞かないわけにはいかない。


「いつ・・・」


 今にも切りかかってきそうな女鬼人族に向かって絞り出すようにして疑問を投げかけた。

 しかし、それがまた相手の神経を逆なでしてしまったようだ。


「いつ?いつとはなんだ!?」


 そんな勢いで聞かれても、ちゃんと口が開くわけがない。

 なんで鬼人族はこうも短気なんだろう。


「何が言いたい!?お前はまともに口も聞けないのか!!」

「いつまで!」


 女鬼人族の勢いにのっかる形でつい大声で叫んでしまった。

 女鬼人族は私の言葉を聞いて小さくため息をつくと、廊下に棒立ちとなっていた兵士たちに声をかけた。


「ここはもういい。配置に戻れ。」

「は、はいっ!シュリ様、失礼いたします!」


 集まっていた兵士たちはシュリと呼んだ女鬼人族に深々と頭を下げると急ぎ足でその場を後にした。

 それを見送ったシュリは顔はそのまま目だけこっちに向けると私の言葉を反芻した。


「いつまで、といったか?」


 そう聞かれて頷く。


「沙汰が下るまでだ。いつになるかは知らん。」


 そういう答えが返ってくることは予想していたけど、まさにそのままだったことにうなだれてしまう。

 そう来ると踏んでいたので、また別の質問を投げかけた。


「なんで?」

「なんで、だと?・・・どういう意味だ。」


 そういうと全身から気が溢れ出し、額には青筋が浮かんでいる。

 正しく言葉の意味がつたわらないので、今度は単語ではなく熟語でちゃんと伝えた。


「なんで・・・監禁されるの?」


 言葉の意味を理解してくれたのか怒気は次第に霧散したけど、代わりにイライラし始めたのか、つま先で床を叩く音が廊下に響き始めた。


「それも知らん!許しが出るまでお前をここに閉じ込めておけとの命令だ!いったい何を考えて・・・」


 語尾が擦れるように言い終わると、聞きたいことはそれだけかといわんばかりにこっちを睨みつけてきた。

 昔からの因縁や錐使いの行いのせいで人間に対する敵意はより強いものになっている。

 そうやって私を睨むのも無理はない。

 間欠泉で見殺しにされてもおかしくなかったし、今の措置はかなり特別な状況なんだと理解するほかない。

 監禁を解いてもらうのは難しいようだし、無理強いしても状況が好転することはないだろう。

 ならもう一つの質問に答えてもらおう。


「ハクは?」

「はく?それは何だ?」

「白髪の。」

「あの男は・・・分からん。生きているのか死んでいるのかも。」

「ちょ!?それはどういう・・・」

「うるさい!お前の質問に答える義理はない!」


 そういうとこれ以上答えるつもりはないとばかりに踵を返して帰って行ってしまった。

 戸の閉まった部屋の中でシュリから告げられた言葉の意味を整理していく。

 沙汰が下るまで、ということはシュリという女鬼人族が監禁を決めたのではなく、さらに上の身分の人物ということだ。

 記憶が確かなら、初めてコクセイ城についたときにレンギョウが集めた人員が重役を担っていると考えられ、そこにはシュリもいた。

 ということは監禁を言い渡しているのはレンギョウということになるだろう。

 レンギョウは何のつもりで私を監禁しているの?

 そしてもう一つ。

 生きているのか死んでいるのか分からないとはどういうことだろう。

 ハクの置かれている状況が想像できなくてヤキモキしてしまう。


(ハク・・・。あの時、私に力を分けてくれたの、ハクなんだよね?絶対迎えに行くから・・・死なないで・・・)


 アスカの下町で始めてハクを見かけてからこれまでの思い出を巡りながら、祈る様に格子窓の外に目を向けた。

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