第47話 死闘

 レンギョウが発する気が炎の姿となって半球状の空間を明るく照らし出し、その反対側では抑えきれない怒りとともに私の足元からつむじ風が巻き起こって、小さな風の刃が巻き上がった小石をさらに小さく刻んでいく。

 錐使いは炎と風の猛り狂う姿を楽しそうに見つめながら、こちらの怒りをあざ笑うかのように薄気味悪い笑顔を張り付けている。


「お前たちは退路を確保しつつ後退しろ。」


 レンギョウは残りの兵士たちにそう告げると、赤く明滅する鞘から太刀を引き抜いた。

 撤退を指示された兵士たちはそんなレンギョウの様子を見ると、深々と一礼して踵を返す、かと思ったらそれぞれが己の武器を手に取ってお詫びの口上を述べた。


「申し訳ございません、命令違反をお許しください!」

「お前たち、待てっ!」


言い終わると同時にレンギョウの静止を振り切って雄叫びを上げながら錐使いに向かって猛然と突進を開始した。


「我らの仲間を弄んだ罪、ここで清算してもらうぞ!」


 兵士たちは一丸となって錐使いに迫ると先頭の兵士がその勢いのまま刀を水平に一閃する。

 錐使いは笑みを張り付けたままその攻撃を真上に跳躍して回避した。

 そのタイミングを狙っていたかのように後方から複数の矢が錐使いに襲い掛かった。

 その攻撃を察していたかのように胸元から左手を引き抜き、同時に放った針で迎撃して後方へ着地した。

 そこを挟み込むように左右から槍の鋭い突きが何度も襲い掛かる。

 錐使いは細長く変化した腕を巧みに振り回して穂先を正確にはじき返した。

 さらにそこへ高く跳躍した兵士による頭上からの斬撃が襲い掛かり、たまらず錐使いは頭上で腕を交差させると致命傷となりえる斬撃を受け止めた。

 この好機を逃すことなく、左右の兵士たちはがら空きとなった両脇から止めの槍をねじ込んだ。


「ぐわあぁぁぁ!」


 両脇に槍が深く突き刺さり、錐使いは苦痛の声を上げる。

 さらに追い打ちをかけるように火の付いた矢が飛来して錐使いの胸に深々と突き刺さった。

 一人の兵士が苦しみながら膝をついて呻き声を上げている錐使いに近づいて刀を振り上げる。


「地獄へ落ちるがいいっ!」


 憎しみの言葉を吐き捨てると何の躊躇いもなくその刀を首筋へ叩き込んだ。


「ぐぉぉぉぉ・・・なんてな。」

「なっ!?」


 さっきまで攻撃を受けて苦しみの表情を浮かべていた錐使いはふざけたような言葉を漏らすと胸に刺さった矢を投げ捨てた。

 さらに両脇に刺さった槍を引き抜いて驚きの表情を浮かべた兵士の両脇、自分が刺された場所と同じところをその槍で突き刺した。


「ぐふぉ!」

「一時でも優位に立てたとでも思ったか?」


 そういうと高笑いを始めながら懐から針を取り出して両側の兵士に投げつける。

 驚きの硬直から復帰できていなかった兵士たちはその針を顔面に受けると悲鳴を上げて地面を転がった。

 続けて目の前の兵士から刀を奪い取るとその足で跳躍し、後方に控えていた弓兵に肉薄し、背後を取ると喉笛を掻っ切った。


「無様なものだ・・・クククッ」

「そんな・・・」


 あっという間の出来事だった。

 ついさっきまで善戦していたはずの兵士たちは今や物言わぬ死人と化し、裂けた口から零れ出る薄気味悪い笑い声だけが空洞内に響き渡った。

 その様子をじっと見ていたレンギョウは一歩、また一歩と前進すると倒れた兵士たちに近づいてしゃがみこんだ。


「・・・愚か者め。死なずともよかったものを。」


 そういって苦痛に歪めたままの顔に手を当てるとそっと瞳を閉じた。

 その直後、レンギョウから怒りを伴った熱波が溢れ出し、周囲の空気を焦がし始めた。


「楽には殺さん。」


 静かに一言呟くと太刀を携え炎の尾を引きながら錐使いに突進する。

 爆発にも似た驚異的な速度で肉薄すると太刀を上段に構えなおし、そのまま袈裟懸けに切り込んでいく。

 迫りくる太刀を錐使いは避けることなく腕を交差させて真っ向から受け止めた。

 激しい爆音とともに土煙が舞い上がり一瞬視界から二人の姿が消えるが、次の瞬間お互いの体から強烈な気が放出されて土煙をかき消した。


「いいぞ、もっとだ。もっと憎しみの炎を燃やせ!」


 錐使いはそう言ってレンギョウを煽ると受け止めた両腕で太刀を押し返し、奇声を発しながら激しく手刀を繰り出した。

 高速で迫りくる手刀を太刀で受け流したレンギョウは強烈な一歩を踏み込むと左腕を引き絞り、気合とともに錐使いの腹部へその拳を捻じり込んだ。


爆砕刃ばくさいじん!」


 その瞬間、腹部に食い込んだ拳が赤く燃え上がると同時に激しい爆発音が鳴り響き、錐使いが後方へ大きく吹き飛ぶ。

 レンギョウもその爆発に合わせて前方へ跳躍し、上段から炎をまとった刀身を叩きつける。

 錐使いは太刀の軌道の外に体を逃がすと大きく後方へ跳躍し、着地と同時に地面を蹴って懐から取り出した針を飛ばした。

 そして針がレンギョウに到達すると同時に上下左右から手刀を打ち込んでくる。

 しかしその攻撃を予見していたのか、レンギョウは膨大な熱波を放出させて針を融解し迫りくる手刀を指先から焦がした。

 その熱波に怯む様子もなく伸びてくる手刀のいくつかを防ぎきれず腕や顔に浅い傷が付き、鮮血が空中に舞い散った。


「どうした?お前の力はそんなものか?だったら・・・」


 錐使いはそういって距離を取ると、頭からかぶっているぼろきれの端を千切り、その手に気を込めた。

 とたんに黒い霧のような気が渦巻き、千切り取った端切れが引き延ばされて針の形状へ変化する。


「やっぱり遊びにはおもちゃが必要だな。」

「だめっ!」


 いやな予感がしてとっさに飛び出したけど間に合わなかった。

 錐使いが腕を振った先に倒れている兵士の首筋にその針が音もなく突き刺さった。


「キサマ・・・」


 怒気を強めたレンギョウが赤く染まった双眸で錐使いを睨んで言葉を絞り出す。

 その直後、土気色に変色した体がボコッと盛り上がり、糸で吊られた操り人形のように立ち上がった。

 黒く染まった瞳に光はなく、声とも言えない嗚咽を上げながらレンギョウに向かって歩き出した。


「いいぞ、もっとだ!」

「させないっ!」


 さっきと同じように針を生み出して兵士を傀儡に変えようとする錐使いの懐に飛び込んで斬撃を放つも、怒りによって攻撃が単調となり簡単に躱されてしまう。

 その隙に第二、第三の針が死した兵士に突き刺さり、操り人形へと変えられてしまった。

 次々と起き上がってくる兵士だったもの達は覚束ない足取りで苦悶の声を上げながらレンギョウに向かっていく。


「クククッ・・・大将、さぁどうする?」

「レン・・・ギョウ・・・様、ダ・・・ズゲ・・・デ・・・」

「・・・」


 苦しみの声を上げる元兵士は錆びた鉄のような色の涙を流しながらレンギョウにしがみついて腕や足を引っかき始めた。

 その様子を楽しそうに見つめる錐使い。


「生者のみならず死者までも・・・」


 怒りの感情とともに足元から一陣の風が巻き起こり大地を踏みしめる。

 次の瞬間、錐使いの背後を捉えると下段から逆袈裟に切り上げた。


「無駄だ無駄。お前の太刀筋にはもう飽きた。」


 そういうと最小の動きで私の刀を躱すとあらぬ角度から手刀が飛び込んでくる。

 ギリギリのところで刀を射線上にねじ込んで軌道を逸らして少し距離を取った。


「面白い芝居が始まったんだ、少しくらいゆっくり見させろ。」

「何も・・・面白くなんてないっ!あの人たちはレンギョウのことを!」


 心の底から慕っていた。

 どんな危険にも真っ先に飛び込んでレンギョウを守り抜いた。

 大将と兵士の関係なんだから当たり前といえば当たり前だけど、これまでに見てきた鬼人族たちの立ち振る舞いや言動からそれ以上のものを感じた。

 それを生ける屍のように扱いレンギョウにけしかけるなんて。


「それが人のやることかっ!」


 そう叫んだ途端にやついた錐使いの顔が、何を言っているんだといわんばかりに疑問の表情へと移り変わった。


「むしろ人間だからじゃないのか?よもや歴史を知らぬわけでもあるまい。もとより人間とは根っこから残忍な生き物なのさ!」


 そういい放つとげらげらと大声を上げて笑い始めた。

 そしてしばらく狂気じみた笑い声が響いた後、突然凍ったように虚空を見つめて固まった。


「そして・・・俺はもっと強くなる。そうだ、何者も逆らえないほどの力を・・・」


 呟くように言葉を零すと腰の後ろに手をまわし、黒塗りの忍刀と錐を取り出して舌なめずりをした。

 そして残忍な笑みを張り付かせて勢いよく両腕を開き、そこから狂気じみたどす黒い気を放出した。


「そのためにも、お前たちには付き合ってもらうぞ!」


 言い終わると同時に地面を蹴ってこっちに飛び込んできた。

 間合いの掴みにくい腕を巧みに操りながら斬撃と刺突を織り交ぜた波状攻撃が襲い掛かってくる。


「何を・・・訳の分からないことを!」


 あいつがここに来た目的が何なのかは知らない。

 だけど今は目的よりもこの暴挙を止めるほうが先決だ。

 迫りくる攻撃を刀で弾き、すかさず間合いを取りながら風の気を練って刀に纏い素早く斬撃を繰り出した。

 刀から放たれた風の刃は空気を切り裂きながら襲い掛かり、錐使いの目の前まで来ると途端に形を保てなくなって霧散した。

 何で、と口から声が零れそうになったところで反対側から怒りの感情とともに低い声が響き渡った。


「言いたいことはそれで全部か?」


 そういうと全身を覆いつくすほどの炎を纏って苦悶の声を上げる兵士たちを包み込んだ。

 兵士たちの爪が顔や腕の皮膚を引き裂いて傷つきながらも、その表情は慈愛と悲しみに包まれている。


「すまなかった・・・せめて安らかに。」


 小さくそう零すとひときわ大きく膨らんだ炎が空洞内を明るく照らし、傀儡となり果てた兵士たちを塵に変えていく。


「アアァァァァ・・・レン・・・ギョウ・・・様・・・」


 一人の兵士が差し出した手を取り力強く握り返した。

 その手はレンギョウの手の中でボロボロと灰になり、さらさらと零れ落ちて暗い空洞内を漂う風に乗って消えていった。


「あぁあぁ、せっかくのおもちゃが台無しじゃないか。まぁいいか、材料はほかにも沢山いる。クククッ・・・」


 最後の言葉を聞いた瞬間、レンギョウの怒りが頂点に達したのか体を包み込んでいた炎がその性質を一変させた。

 湧き上がる炎が空気を焼き、離れているにもかかわらず顔をそむけたくなるほどの熱量で襲い掛かってくる。


「キサマの目的が何なのか、そんなことはどうでもいいし興味もない。ただ一つ決まっていることは、もうここから生きて出られないということだっ!」


 そういって太刀を持つ手に力が籠る。

 それに呼応するかのように変化を始めた。

 刃文しかなかった刀身にはばきのあたりから徐々にひび割れ、その割れ目が赤く明滅を始めた。

 その割れ目は切っ先まで延び、最終的に刀身全体が強烈な炎を湛えた灼熱の太刀へと姿を変えた。


「我が炎の前に塵となるがいいっ!」


 炎を吹いて燃え盛る太刀を肩口に担ぐと地面を蹴って間合いを詰める。

 肉薄すると同時に左手に炎を纏ってそれを腹部へ捻り込んだ。

 錐使いは抵抗するそぶりを見せずにその打撃を受けた。

 しかし腹部にめり込んだ拳に暗闇の気がまとわりつき、燃え盛る炎を分解していく。


「効かんなぁ。」


 一言レンギョウの耳元で呟くと、それにレンギョウも反応を示す。


「試してみるか?」


 そういって左腕を戻して太刀を両手で握ると上段に構えた。


落炎らくえん!」


 掛け声とともに溢れかえっていた炎が刀身に凝縮されると強烈な光を放ち、錐使いの頭上に赤光する太刀を振り下ろした。


「ほう・・・」


 錐使いはそういうと防御しようとした腕を引いて後方へ飛び下がった。

 直後、太刀は錐使いが残した暗闇の気を切り裂くと同時に消滅させ、切っ先が触れた地面が溶けて抉れた。


「キサマのその気、どうやらこちらの気を相殺する類のものだな。ならばそれ以上の気をもってすれば切り裂くことなど造作もない。」


 レンギョウはそう言って炎の太刀を持ち上げると大地を蹴り、間合いを見定めると強烈な膂力をもって太刀を水平に切り払った。

 錐使いはそれを後方へ飛びのいて躱すと左右に跳躍を繰り返しながらレンギョウに迫り、両手の武器を四方八方から繰り出した。

 レンギョウは一歩も引くことなくその攻撃を太刀ではじき返すと一瞬の隙をついて錐使いの首元を掴んで引き寄せ、鳩尾に膝蹴りを浴びせた。

 それを錐使いは腕を交差させて受け止め、膝を押し返すと同時に懐から針を取り出して投擲し、同時に黒い霧状の気を周囲にばらまいた。


「その手は食わん!」


 レンギョウは気合とともに体から膨大な熱波を放出させるとその邪悪な気を雲散霧消させ、股を開いて腰を落とすと熱波をその身に纏い、地面を蹴って加速した。


焔一閃ほむらいっせん!」


 炎の尾を引きながら太刀を持つ手を引き絞って強烈な突きを放った。

 周囲に漂っていた気はその燃える刀身に引き裂かれて消え去り、錐使いの顔を掠め外套を貫いた。

 忌々しそうに顔をしかめて間合いを取ろうとする錐使いを逃さず、さらに追撃を繰り出す。


切咲きりさき!」


 太刀を引き戻した後、一歩踏み込んで間合いを詰めると眼前の錐使いの首元めがけて燃え盛る太刀を振り下ろした。

 回避を余儀なくされた錐使いは太刀筋を読んで後方へ飛びのいたけど、小さく呻き声を漏らして膝をついた。


「うっ・・・」


 よく見ると太刀を避けきれなかったのか、胸元が大きく切り裂かれてぼろきれの下に着こんでいた鎖帷子が焼けただれている。

 熱にやられたのか皮膚の焼ける匂いが鼻につき、無傷ではないことを物語っていた。


「どうした?もう終わりか?」

「おのれ・・・よくもやってくれたな・・・」


 外套を羽織っていて表情は読み取れないけど焼かれた胸元の苦痛に恨みの言葉を零している。

 レンギョウは太刀を振り払うと間合いを詰めるために一歩ずつ錐使いへ近づいていった。

 と、その時、突然レンギョウの体から発していた熱気が弱まったかと思うと、体がぐらついて太刀を杖代わりにして口元から血が流れ落ちた。


「な、何?」


 自分の変化に戸惑いを隠せないレンギョウに対し、錐使いは苦しみの声を上げていると思ったら突然口を引きつらせるように笑い声をあげた。


「くっくっく・・・、ずいぶんと待たされたがようやく効いてきたようだな。さすがに大将とだけあって、しぶとかったな。」

「キサマ・・・何をした!」


 そういっている傍からレンギョウの体からは気が失われ、立っていることもままならなくなったのか、ついには膝をついて太刀にしがみ付いた。

 その様子を笑いながら見ていた錐使いはかぶっている外套の裾を両手で開くと、どす黒い気を放出した。


「それは・・・」


 憎々し気にレンギョウが呟くと錐使いは得意げに両手を上げて種明かしを始めた。


「あぁ、そうだ。これはお前たちの気を相殺するためだけのものではない。もっともお前が勘違いしてくれたおかげで、こっちの策がうまくはまったわけだがな。」


 そういいながら腰の後ろに手を回すと黒ずんだ小袋を取り出した。

 それを掌の上に落とすと、袋の色と同じ黒い粉が舞い上がり周囲に満ちている気と同化した。


「毒だ。」


 レンギョウは舌打ちをして錐使いを睨みつけた。

 その表情を気に入ったのか、錐使いはげらげらと笑いながらレンギョウに近づいていった。


「相変わらず・・・卑怯な手を・・・」

「卑怯?何を言っている、命の取り合いに卑怯も糞もあるのか?勝てば生き、負ければ死ぬ。その過程に何の意味がある?」


 激しくせき込み、口元を抑える手から血が滲む。

 ゆっくりと歩いてレンギョウに近づくと、手に持った錐を頭上へ振り上げて叫んだ。


「終わりだ。お前の血肉をの供物としてやる!」

「な・・・めるな・・・」


 黒光りする錐がレンギョウの眉間に吸い込まれる瞬間、私の体は空中を舞った。

 レンギョウと錐使いの間を割る様に飛び込んで錐を弾き、着地すると同時に下段から逆袈裟に切り上げる。

 さらにそこから懐に飛び込んで上段から切りおろす。

 いずれの攻撃も忍刀で弾かれてしまったけど、そのあとも手数を増やして切り結びレンギョウから距離を取らせた。

 余裕ともとれる動きで軽く後方へ飛びのいた錐使いは理解できないといったしぐさを見せながら言葉を発した。


「なぜそいつを守る?クルスの娘。」


 そんなこと考えるまでもないし答える必要もない。

 父の理想を実現するためにはレンギョウに生きていてもらわなければならない。


「答えるつもりがないのか、それとも答えられないのか?」


 いちいち癇に障る言い方しかしない。


「答えないといけない理由がない。」


 そういい放つと心を落ち着かせて気を練り、湧き上がってくる風の力を体に満たす。

 辻風つじかぜで一気に加速すると胴体めがけて空気の刃を纏った刀を真横に薙いだ。

 錐使いはその刀をあえて受け止め鍔迫り合いとなる。


「本当はわかってないんじゃないのか?」


 至近距離から放たれた意味の分からない言葉に心がさざめく。

 まるで私の心を見透かすかのように言葉を続けた。


「クルスの目的のためといえば聞こえはいいが、果たしてそれはお前の考えていることと同じなのか?本当に鬼人族などと和平を結びたいと、結べるとでも思っているのか?」


 聞かなくてもいい言葉がするすると耳に届き、考えなくてもいい余計な事に思考が割かれる。

 確かに鬼人族と和平が結ばれれば余計な争いが起こらなくなる。

 無益な争いで尊い命が失われることはなくなるだろう。

 だがしかし、本当にそんなことが可能なのか?

 歴史を紐解けば鬼人族との因縁はそう簡単に拭い去ることはできない。

 そんなことができていたらもうすでに平和な国になっているはずだ。

 今回だってハクという不確定要素だらけの人物だけを頼りに、鬼人族との交渉や間欠泉調査を慣行している。

 父が事を急いているようにも感じられるし、そうしなければならない事情があるのかもしれない。


「どうなんだ、お前はどう考えている?何を思って戦っている?」

「・・・さい・・・」


 反論したいのにできない。

 ここまで来たのに突然投げかけられた言葉によって心の中が不安で満たされていく。

 父の計画を手助けしたい。

 鬼人族との和平を。

 でもこれは父の言葉であって、本当に私のしたいことなのか。

 私がしたいことは何なのか。


「うる・・・さい・・・」

「お前はクルスについてきただけの金魚のフン。何も考えないバカには犬死にがお似合いだ。」

「うるさい!うるさいうるさいうるさい!」


 発狂にも似た叫び声をあげて周囲に流れる風の気を吸収し、その力を一気に解放した。

 間合いまでの距離を一気に詰めると勢いに任せて刀を振り抜いた。

 風の力を帯びた刀は錐使いの顔面を狙って空気を切り裂いていく。

 錐使いは最小の動作でそれを躱すと逆手に持った忍刀で反撃に出る。

 振り抜いた刀に急制動をかけると迫ってくる忍刀を打ち返し、こちらも反撃とばかりに一歩踏み込んでいく。

 踏み込んだ足元から強烈な風が舞い上がり錐使いの視界が砂ぼこりで遮断される。

すかさず錐使いは両腕を払ってその砂ぼこりをかき消したけど、素早く背後に回り込んで致命の一撃を放った。


風牙幻月ふうがげんげつ!」


 がら空きの背中めがけて振り下ろしたけど、ありえない角度から回された手に持っている錐によって弾かれてしまった。

 そして振り向きざまに錐使いの拳が死角から襲い掛かり、脇腹を直撃して大きく吹き飛ばされてしまう。


「無駄だといっただろう。お前の攻撃は単調で直線的、馬鹿でも動きが読める。」

「くっ・・・」


 脇腹の痛みで脂汗が滲み、悔しさで目の前が霞む。

 確かにここに至るまでの間、自分で決めたことは何一つない。

 大きな流れの中に身を委ねているだけなのかもしれない。

 でもだからどうしたというんだ。

 今はまだ何も自分で決められないかもしれない。

 考えが及ばないかもしれない。

 でも、だからといって進むのをやめてはいけない。

 この歩みを止めるわけにはいかない。


「今は・・・まだ・・・」


 覚悟を決めると多少毒を吸収してしまうことを躊躇わず、吸収の能力を開放した。

 空洞内を漂っていた風が私を中心に渦巻きはじめ、その気を喰らう。


「このままで・・・いいっ!」


 いつか自分の足で進められるように。

 いつか自分の考えを伝えられるように。


「う・・・ぐ・・・」


 気が枯渇していく状況において、この間欠泉だけは他より密度の高い気に満ちている。

 それを吸収することで体の中から力が湧き上がってくるとともに、全身の細胞が活性化していく。

 過剰に吸収した気を抑えきれなくなると体の外に溢れ出し、風の刃となって周囲に放たれていく。

 疼く脇腹の痛みを無視して刀を持つ手に力を籠めると、手首を返して鞘に戻して腰に据え、軽く握ると体勢を低く構えた。

 そこから一呼吸おいて錐使いを睨みつけると大地を蹴って前進する。

 蹴った瞬間、吸収した気がその役目を果たすべく体内を駆け巡り、強烈な加速で錐使いとの間合いが消え去る。

 そして鞘を力いっぱい握りしめるとそこから大量の気を送り込んだ。

 次の瞬間、鞘の中で風の気が爆発的に膨張し、鯉口を切ると同時に暴れ狂う気を伴って抜刀する。


旋風烈破せんくうれっぱ!」

「なにっ!?」


 抜刀一閃の刹那に錐使いの回避が一瞬遅れる。

 引き抜かれた刀は暴風を伴って錐使いの胸元を切り裂き、鎖帷子が飛び散って鮮血を巻きあげた。


「くっ・・・だが所詮はこれまでっ!」


 切りつけられて驚いた錐使いだったけど、あっという間に冷静さを取り戻すとこっちの気を消し去る黒い気を放出させながら覆いかぶさるように手刀を繰り出した。

 くねくねと変則的な動きを見せる細長い腕から繰り出される手刀は軌道が読みづらく、腕や足に浅からぬ傷をつけられてしまう。


「ま・・・だ・・・引けないっ!」


 叫ぶと同時にため込んだ気を放出させて黒い気を押し返すと、錐使いと一進一退の切りあいへもつれ込んでいく。

 襲い掛かってくる手刀はこちらの急所を的確に狙って突いてくる。

 吸収で得られた膨大な気を使って身体強化していなければ、とてもじゃないけど捌ききることはできなかっただろう。

 それでもいくつかの攻撃は鎧を破壊して吹き飛ばし、少しずつ傷が増えていく。

 正面から発せられる殺意を持った黒い意識はだんだんと大きくなって、風の勢いを徐々に弱めていく。

 それでも押し負けるわけにはいかないので一歩も引かずに刀を振り続けた。

 その時、後方から灼熱の炎が立ち上がり、間髪入れず熱気が接近すると真上から風を切る音が聞こえてきた。


「しぶとい奴め!」


 錐使いがそう叫んだ直後、その場を飛びのくとそこに赤く燃え上がる太刀が振り下ろされた。

 私が避けたほうと反対側に身を逸らして太刀を躱すと右手に持つ錐をレンギョウに突っ込んでくる。

 それを見た私は姿勢を低くしてレンギョウの後ろに回り、錐を弾いて間に割って入ると刀を鞘に戻して抜刀の姿勢を取った。

 それを見た錐使いは後方へ跳躍すると同時に黒い気を纏いなおした。


「二人がかりというのは卑怯ではないのか?」

「キサマにそれを言われる筋合いはない。」

「ふん、まあいい。俺としては都合がいいからな。だがまだ足りん。もっと本気を出してもらわんとな!」


 そういうと錐使いは放出している黒い霧を両腕に凝縮させると忍刀と錐を手に持った。

 黒く蠢く気が忍刀と錐をさらに黒くおぞましく染め上げていく。

 レンギョウはそんなことは知ったことではないといわんばかりに軽く目を閉じると気を強め始めた。

 しかし口元には血が滲んで表情も険しく、今も毒の影響下にあることが容易に想像できる。

 気丈にふるまっているけど、時間をかけるわけにはいかない。

 私も呼吸を整えると気を練り、錐使いに向かって突進した。


 三人がそれぞれの思惑で激しく気をぶつけ合っているなか、空洞内のある場所で小さな変化が訪れていた。

 戦いの中で渦巻いていた恨みや憎しみ、苦しみや悲しみといった負の感情が様々な気の影響を受けて変化し、その波動となって空洞内に響き渡ってた。

 本来であれば気の波動による影響を受けないが、空洞内に渦巻く負の波動による共鳴によって異変が起き始めていた。

 それは最初小さな亀裂から始まり、その亀裂は徐々に大きくなってあるものの覚醒へとつながっていく。

 空洞内の中央に鎮座している丁の字状の緑色の鉱石。

 その鉱石の亀裂からにじみ出る無垢で純粋な気の流れに気づくものはまだ誰もいない。

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