第4話 命のやり取り

 僕は今、ある獲物と対峙している。

 その獲物は僕をしっかりと捉えていて、隙を見せたらすぐさま襲い掛かってきそうな気配を漂わせている。

 体高約1.5メートル、首は細く長く垂直に伸び、その先についている頭には大きな目が見開かれていて、鋭く尖った嘴が薄っすら開閉を繰り返している。

 胴体には空を飛べそうにないけど大きな翼があり、その両翼を少し開き気味にして小刻みに振動させている。

 威嚇行動というやつだろう。

 そしてもっとも注目すべき点として挙げられるのが足だ。

 体高の半分を占める長い脚には強固な鱗が生えていて、足先には槍の穂先のような爪が怪しげに黒光りしている。

 こいつの名前はロッカードといって、肉食で獰猛な鳥だ。

 空を飛ぶことを捨てて陸上での生活に特化した結果、あのような強靭な脚を手に入れたんだろう。

 自分のテリトリーを周回するように行動し、その中に侵入した獲物を捕食するタイプで、今まさに僕がその獲物というわけだ。

 ただ僕にとってもこの鳥は獲物でもあり、本日の狩猟対象になるんだけど。


 しかしこの展開は僕にとって臨んだものではない。

 本来なら、後方に設置してある跳ね上げ式の罠にかかって宙づりになっているところをザクっといくプランだったんだけど、相手の警戒心と索敵能力が予想を上回っていた。

 テリトリー内の異変に気付いて動かなくなったかと思ったら、僕の隠れているところを凝視してきた。

 枯れ葉や枝をふんだんに縫い合わせた迷彩装備もあまり役に立たなかったようだ。

 昼間だというのに薄暗い森の中でも、迷彩装備を脱ぎ捨てた僕の髪はさぞかし目立っていることだろう。

 僕を見据えて足踏みをするロッカードから目を逸らすことなく、腰の後ろに差している重い方の鉈を右手で引き抜いた。

 地の利でいうとロッカードのほうが有利なだけに、出来るだけ早急に事を終わらせる必要がある。

 長引くとこちらが不利なのは明白だ。

 なんせ周囲は背の高い木と藪に囲まれていて、あるのは僕とロッカードを一直線につなぐ獣道だけ。

 逃げ場のない獣道でロッカードと対峙するのは自殺行為に近いだろう。

 でも僕にはこいつに勝たなければならない理由があった。


 鉈を持つ手にじっとりと汗が滲み、ともすれば荒くなりそうな呼吸を強気で抑え込む。

 最初の一撃にすべてをかけて、前かがみに詰め寄った。

 あれこれ小細工は抜きに、獣道を直進してロッカードに肉薄する。

 ロッカードはその場から動くことなく小刻みに足を踏み鳴らして、攻撃のタイミングを窺っているようだ。

 と思ったら急に前進をはじめ、その直後、伝家の宝刀となる蹴りを繰り出してきた。

 鋼鉄製の鎧をも貫く脚の爪が風を切り裂いてまっすぐ眉間に襲い掛かってくる。


(ここだっ!)


 受け流しのために下げていた左腕を爪と眉間の軌道上に割り込ませ、籠手の上部に爪を添わしながらギリギリのところで攻撃を逸らしていく。

 その瞬間、激しい破砕音とともに左腕の籠手が粉々に砕かれ、軌道がわずかにずれた爪は左腕と頭上をかすめて空中を貫いた。

 致命傷となる一撃を躱したからと言って気を緩めるようなことはしない。

 すれ違いざまに体を支えているもう一本の脚の関節部分に鉈を叩き込み、そのまま走り抜けてすぐさま振り返る。

 さっきの一撃が有効打ではなかった場合に備える必要があるからだ。

 野生動物は生への執着が強く、油断はこちらの死を意味する。

 一秒たりとも油断はできないのだ。

 しかしそれが杞憂で終わったことを悟り、眼前に構えた鉈をゆっくり下ろすと腰に差し戻す。

 ロッカードは大きな悲鳴を上げながら崩れ落ち、立ち上がることができずに地面をのたうち回っていた。

 いつになったら慣れるのかわからないけど、やっぱりこの瞬間だけは罪悪感がある。


「だけどこっちも生きるためなんだ。」


 強烈な蹴りも体を支える二本の脚があって初めて成立する。

 体の支えを失ったロッカードは地べたに倒れ、それでも生きるためにもがいていた。

 手短に終わらせるため、腰に差しているもう一本の鉈に持ち替える。

 こっちの鉈は通常のものとは違って先端が細く尖った剣鉈で、斬る・突くといった用途になる。

 暴れまわる首を押さえて剣鉈を強く押し当て、一気に引き抜く。

 鱗の付いていない首はいとも簡単に両断され、傷口から鮮血が吹き出す。

 血抜きも兼ねたこの方法が手っ取り早く、獲物を長く苦しませることもないと思っているけど、ほとんど自己満足だ。


 動かなくなったロッカードを跳ね上げ式の罠に引っ掛けて宙づりにして血抜きを促進する。

 このままの状態で血が出なくなるまで待ち、背負子に括り付けて背負うと森を抜ける。

 狩猟の場は森の表層より奥に踏み込んだ中層にあたり、完全に森を抜けるには半日ほどかかる。

 ロッカードを背負ったまま悪路を歩き続けるのは結構辛いが、命がけで狩った獲物を放置するわけにはいかない。

 普段より時間がかかったものの何とか無事に森の表層部まで戻ってきたけど、最後まで気は抜けない。

 血の臭いを漂わせているし他の獣が現れないとも限らない。

 森を抜けたところでほっと一息つき、張りつめていた緊張をほどいていく。

 そして重くなった足取りを僕の家ではなく村から北東に向けて、ある場所を目指した。


 ほどなくして見えてきた家は森に隣接する場所に建てられてる。

 家主にとってこの場所がいろいろと都合が良いのだろう。

 家の隣には屋根付きの作業場があり、作業台や井戸が備え付けられている。

 至る所に刃物や農具らしきものが散乱しているけど、それらも良く見渡すとある種の規則に基づいて所定の位置に置かれていることがわかり、家主の性格をうかがい知ることができる。

 背負子を作業台に降ろすとひとしきり肩や首を回してこりをほぐす。


「一人でこの獲物はいろいろと危なかったなぁ。小さめの個体で助かったよ。」


 誰に言うでもなく愚痴をこぼして、家主に狩猟成功の報告をするため玄関ドアをノックする。

 コンコンと乾いた音を立ててドアが鳴り、しばらくしてドアの向こう側からしゃがれた声が聞こえてきた。


「誰じゃ?」

「オルトです。狩猟が終わったので報告に来ました。」

「おると?・・・はてどちら様かの?」

「もう・・・マーガスさん!ボケたふりしてないでさっさと出てきてくださいよ!」

「誰がボケ老人じゃ!」


 急に叫び出したかと思ったら玄関ドアが勢いよく開いておでこに直撃した。


「イデッ!・・・ちょっとマーガスさん!急にドア開けないでくださいよ、それに僕はボケ老人なんて言ってませんよ・・・」

「なんじゃ、誰かと思ったら坊主か。」


 ドアの奥から姿を現したのは、頭頂まで禿げ上がり顔には深くしわが刻まれているけど腰は起きていて年齢の割にはしっかりしているように見える。

 背は低いけど骨太で体つきはがっしりしていて、袖や裾から除く腕や足の太さからただものではない感がヒシヒシと伝わってくる。

 それもそのはず、マーガスさんはトーシャ村で唯一の猟師。

 村のたんぱく源となる獣肉は基本的にマーガスさんから村へ供給されている。

 そしてここはマーガスさんの家で、僕はマーガスさんに依頼された獲物を狩って納品しに来た、というわけだ。


「イテテテ・・・、本題ですけどロッカード、仕留めてきましたよ。」


 したたかに打ち付けたおでこを擦りながら作業台に乗せたロッカードを指さした。

 マーガスさんは作業台のロッカードを見るなり「ふん」と鼻を鳴らして近づくと、括り付けていた背負子を手早く外してロッカードを作業台に横たえ、一言呟いた。


「小さいな。」

「結構重かったんだけど・・・。小さいっていってもマーガスさんよりは大きいし、そもそも大きさの指定はなかったから依頼達成で・・・いいんですよね?」

「ワシの身長を基準に獲物の大きさを測るんじゃないっ!」

「ごめんなさい・・・そういうつもりじゃなかったんだけど、言い方が悪かったかな?」


 その後もしつこく文句を言っていたけど、その後ロッカードの見聞を始めた。

 個体の状態や狩猟の手際やその後の始末を確認しているんだと思う。


「してお主、ロッカードとのやり取りはどうじゃった?」


 ふいにそう聞かれたのでロッカードの発見から狩猟完了までを事細かに説明した。

 その間マーガスさんは解体作業を始め、ロッカードはあっという間に貴重なたんぱく源へと姿を変えていった。

 そして解体し終わった後、マーガスさんは僕の方を見て笑い始めた。


「ワッハッハッ!あやつの蹴りに真っ向勝負を挑むとはとんだ命知らずじゃな!」

「だって罠が効かないんじゃ、あとは突っ込むしかないじゃないですか。」

「じゃから飛び道具を持っていけと言ったじゃろうに。」

「荷物がかさばるのは好きじゃないんです。」

「それで命を落とすことになっても、お主は構わんというのか?」

「うぐ・・・」

「あまり無茶はするなよ?お主にもしものことがあったらトーマスに合わせる顔がないからの。」

「・・・以後、気を付けます。」


 その後もマーガスさんとしばらく話をした後、納品の報酬としてロッカードの肉を少し分けてもらい家路についた。


 水汲み場の一件以来、もっとハードな訓練と称して狩猟を始めた。

 トウジ先生との訓練でも十分修行にはなるんだけど、心に染み付いた弱虫根性を叩き直すためには命に係わる経験を乗り越える必要があるんじゃないかと考えたからだ。

 最初はウサギやネズミといった小動物を対象としていたけど、それじゃ訓練にならないので徐々に大物を狙うようになっていった。

 大型のトカゲやヘビといった爬虫類から単独行動している野犬や狼、鹿や猪なども狩猟対象とした。

 さすがに熊には手を出したことはない。

 手を出してはいけないと教えられたし、さすがに危険すぎる。

 また訓練といっても狩猟でむやみな殺生は禁じられた。

 そもそもそんなに獲物は豊富じゃないということもあるし、命を粗末に扱ってはいけないというのが狩猟者の掟らしい。

 猟師としての知識が全くなかった僕は、最初むやみに森に入って早々に死にそうになった。

 ちょっとした傾斜に足を取られて転がり落ちた先が岩トカゲの巣になっていて、十数匹に囲まれた僕は身動きが取れなくなってしまった。

 そんな時に助けてくれたのがマーガスさんだった。

 バカだのアホだの散々罵られて意気消沈したけど、なんでこんなことをしているのか説明したところ、狩猟の基礎を教えてくれることになった。

 なんで教えてくれるのかっていうと、僕を助けてくれる時に年甲斐もなく無理して腰を痛めてしまったそうだ。

 それと父さんとは旧知の仲だったらしく、父さんの作る野菜がお気に入りで付き合いも長いらしい。

 そんなわけで僕はマーガスさんに狩猟のいろはを教わりながら手伝うことになった。


 マーガスさんの教えは主に獲物の生態と罠の作り方や野営に関するサバイバル術だ。

 身のこなしはトウジ先生から習い、狩猟で実践するという生活を送っていた。

 水汲み場の一件から五ヵ月が経ち、ある程度経験を積んで節目となる大物のロッカードというわけだったらしい。

 今回相手にしたロッカードの個体は慎重派で暴れまわることはなかったからよかったけど、逆の性格だったら手を出さないほうがいいというほどの危険生物だ。

 後で教えてもらったんだけど成熟したロッカードは体高2メートルをゆうに超え、足の太さは僕の胴体並みだという。

 強靭な脚力で俊敏に動きまわり、一撃でも食らおうものなら一瞬であの世行きだそうだ。

 とりあえず当面の目標だった獲物を無事狩猟できた。

 その喜びを噛みしめつつ夕暮れとなった空を見上げ、家のドアを開けた。


 マーガスさんから頂いたロッカードの肉を母さんに渡すと喜びと半分、心配半分という表情が返ってきた。

 確かに狩猟は危険な仕事だ。

 畑仕事から帰ってきた父さんと一緒にロッカード肉のシチューを食べているときにも軽く釘を刺された。

 でも僕は強くなりたい。

 前みたいな訓練じゃ体は鍛えられても、いざというときに尻込みしてしまう。

 相手が強者だったとしても立ち向かっていけるだけの胆力や勇気を養うためには、命を懸けたやり取りが必要だと思う。


「オルト、聞いてるのか?」

「え?あぁ、うん。聞いてるよ。今回みたいな大物はしばらく相手にしないから安心して。」

「それはそうとケガなんかしてないのかい?」

「見ての通り大ごとにはなってないよ。多少のケガはするけどね。」


 そういってロッカードの蹴りを受けた左腕を見せた。

 蹴りを捌いた僕謹製の籠手は、あの時役目を終えて砕け散った。

 おかげで僕の左腕は守られ、一撃必殺の蹴りの軌道を逸らした。

 もっとうまく捌けばケガもせず壊れなかったかもしれないけど、今の僕にはあれが限界ということなんだろう。

 籠手の予備は作ってあるから問題ないけど、作るのは結構大変なのでおいそれと壊していいものでもない。

 大事に使わなければ。


「じゃあ、そろそろローラおばさんとこに持っていくよ。」

「あ・・・ええ、そうね。いってらっしゃい。」


 なぜか歯切れの悪い母さんの言葉が気になるけど、夕食の品が冷めてしまってはいけない。

 鍋を持つと足早に隣家の玄関へ移動してノックした。


「はーい。」


 レティの声が聞こえたので玄関から一歩下がってドアから距離を取り、鍋を顔の高さまで持ち上げる。

 飛び込んでくるレティ対策の構えを維持しつつその時を待ったけど、今日はいつになくドアが開くのが遅い。

 いぶかしんでいるとゆっくりとドアが開き、にっこり微笑むレティが姿を現した。

 心なしか表情に硬さがみられるような気がしたけど、レティの言葉に思考が遮られた。


「もー遅いよ!お母さんと待ってたんだからね!」

「ごめんごめん。じゃあ早く食べよう。」

「うんっ!」


 最初に感じた違和感が気のせいだったのか、いつもの笑顔に戻ったレティを見て安心し、ローラおばさんの部屋に急いだ。


「こんばんは、ローラおばさん。」

「こんばんはオルトちゃん。いつもありがとね。」


 枕を腰に当てて背を起こしたローラおばさんの前にはベッドテーブルが設置されて、炙ったパンと野菜を盛りつけた皿が置かれている。

 ベッド脇のテーブルにも同じものが準備されているので、レティのものだろう。

 レティは台所からシチュー用に底が深めの木皿を三枚持ってくると、ローラおばさんのテーブルとベッド脇のテーブルに並べ、僕から鍋を受け取るとシチューを取り分けた。

 僕もレティの向かいに座って三人一緒に食事を始める。

 少し元気がない様子だったローラおばさんも途中からは明るい表情を見せるようになった。

 食事も終わり後片付けをレティと済ませてローラおばさんにお休みを伝える。

 持ってきた鍋を持ち、玄関まで見送りに来たレティにもお休みを告げた。


「それじゃレティ、おやすみ。」

「・・・」


 レティは俯いたままじっとしていたけど、しばらくして顔を上げると今にも泣きだしそうな表情で言葉を紡いだ。


「おにいちゃん、あんまり無茶しないでね?」


 一瞬何のことかわからなかったけど、狩猟のことに行きつき安心材料を並べた。


「狩猟のことなら大丈夫だよ。ちゃんと安全を確認してからやってるから。」


 今日の相手は全然余裕なかったけど、勝算はあったわけだし嘘はついていないはず。

 安心させるために頭を撫でて表情をうかがってみたけど、あまり効果はなさそうだった。

 それにしても急にどうしたんだろう。

 今までにも似たやり取りはあったけど、今回のはちょっと違う気がする。


「何か気になることでもあった?」

「・・・ううん。」

「じゃあ今まで通りだよ。僕はちゃんと帰ってくるから。」

「・・・うん、そだね。あたしって心配しすぎなのかな?」

「そんなことはないと思うけど、でもありがとう。」


 そういってレティに手を振って自宅へ帰った。

 それから二週間、家の仕事の手伝いは多くなかったからマーガスさんのところに入り浸っては狩りを続けた。

 無作為に狩るのではなく、マーガスのところにくる狩猟依頼に沿って獲物を探しては仕留めて持ち帰り納品を繰り返す。

 マーガスさんは僕が狩ってきた獲物を処理して依頼主に提供し、依頼主はその代わりに食料を差し出す。

 マーガスさんは昔からそうやって生活してきたとのことだ。

 そして今まさに罠にかかって宙づりになったトゲウサギを仕留めて帰路についた。

 そろそろ家に帰って顔を見せておかないと、みんなも心配するだろうし。

 引き上げる予定にしていたので今は森の表層から中層のあたりだし、納品を済ませて家につくのは夕暮れ時かな。

 そんな事を考えながら足早に森を抜けてマーガスさんへ納品を済ませる。

 借りていた剣鉈や背負子の汚れを落として所定の場所へ片付けると、自宅用に獲ったトゲウサギを持って家を目指した。

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