第3話「自由への挑戦」

 寝るときはいつも、ベッド横のCDラジカセで気に入りのCDをかける。

 やはり、私の健全さは顕著だった。月の始めに選択した一枚のアルバムを一ヶ月間流し続けるのが、自分の中で揺るぎないルールだ。だから、毎月一日は選曲に慎重になる。

 その時々のコンディションなどを考慮した上でセレクトし、それが見事に自分の精神状態と合致したときは、微かな満足感を覚える。たいていは全部聴き終える前に眠りにつくので、アルバム終盤の曲はどうしても聴く頻度が落ちるのだが、たまにまだ起きていて耳にしたときの感触はなぜか癖になる。快とも不快とも違った、どこか異次元の感覚だ。


 今月はGARNET CROW——メジャーデビューして最初のアルバム—―の期間だが、おもむろにCDを入れ替え、浜田省吾の『君が人生の時…』を再生した。

 月の途中で聴く曲を変更したことなど、今までに一度もない。私にとっては大いなる逸脱行為だったが、ふと情にさお差し、習慣に背きたい衝動に駆られた。いや、そうすべきであるような気持ちになったと言うほうが正確かもしれない。


 一曲目の『風を感じて』は、由夏が好きだった曲だ。

 彼女は浜田省吾を知らなかったが、私が車でかけているのを聴いて気に入ったと話していた。

 “自由に生きてく方法なんて百通りだってあるさ”というフレーズを特に好んだ。百通りもあるだなんて、どうして根拠なくそんな風に言えるのだろうかと、当時は前向きに享受できずにいた。

 しかし、今夜は不思議と、すっと心に入ってくる。まるで由夏の感性で聴いているようだ。

 一曲聴き終えると、安らかに眠りに落ちた。


 目覚めると、名も知らぬ鳥たちが耳に心地よいメロディを創出していた。

 リヴィングにある木製の古めかしい壁掛け時計は、午前四時を示している。やわらかな朝の陽射しが脳に心地よい。

 仕事に出かけるまでには、まだ三時間もある。こんなに早く朝を手にするのは久しぶりだった。普段よりも睡眠時間が短いのに、驚くほど冴えた気分だ。


 身支度を済ませたあと、冷蔵庫からスミノフアイスを一本取り出した。

 仕事前に酒を飲むなど不健全そのものだが、昔から酒には強く、この程度ならなんら影響を及ぼさない。立ったまま、その限りなくソフト飲料に近いアルコール飲料を勢いよく飲んだ。喉の奥にさわやかな甘さが広がる。

 

 飲み干してノートパソコンを開き、学生時代から利用しているインターネット囲碁サイトにアクセスした。昨日の記事を思い出し、無性に対局したいと感じた。実戦からはしばらく遠ざかっていたので、約一年ぶりのログインだ。

 サイト内では最高段位が九段の中、四・五段を行き来することが多く、現在は五段に復帰したところで止まっている。ちょうど見知らぬ中国人から早碁の申し込みが入り、対局が始まった。さっき飲んだスミノフアイスが、脳内で心地よく浮遊している。

 

 黒番では、初手はいつも右上隅みぎうわすみの星に打ってきた。

 ある程度碁を覚えて公式の十九路盤で打てるようになってから、他の場所に着手したことはほとんどない。

 私は、しかし初手をとても奇妙な場所に着手した。

 こんな場所から打ち始める人は、見たことも聞いたこともない。とにかく自由になりたい。その一心での行為だった。昨日の記事が碁の無限なる可能性を示唆するとともに、私をそっと後押ししてくれた。


 その後も次々に常識外れの手を放ち、九手目を打ち終えたところで、張栩ちょううさえも驚倒しそうな奇抜な布陣が完成した。

 https://24621.mitemin.net/i301966/


 出来上がった謎の五角形がどういう戦術を秘めているのか、何を意味しているのかは皆目わからなかったが、これまで体験したことがないほどに興奮していた。楽しくて仕方がない、まるで最初に碁を覚えた時のような心持ちだった。

 終局してみると惜しくも五目半及ばなかったものの、そんなことは気にならないほどに清々しい気分だった。これまで築き上げた堅実な棋風を崩す必要性は感じない。それでも、たまにはこういう自由を求めてみるのも悪くない、と思った。


 時計を見ると、六時半を過ぎている。ノートパソコンを鞄にしまい、いつもより一本早い電車に乗るために家を出た。

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