己の証明
目が覚める。
床から起き上がり、硬くなった体をほぐしながらグラウンドに向かう。
何度これを繰り返しただろうか。今やなにも考えずとも体が自然に1日の予定をこなすことが出来るまでになっていた。
無理矢理脳にアップロードされた知識は次第に体に馴染み、動きにキレが出てくる。気配を探ることも覚え、近くに気配が現れると反射的にナイフを突き出すほどだ。
そして1日の終わりにはいつものように恐怖が襲ってくる。それも徐々に恐怖が増していく。
自分が他人に乗っ取られていく感覚が増していく。
自分とはなにか、成長した自分は自分ではないのか、いまの自分は自分なのか、訳がわからなくなってくる。もう自分では無いのではなかろうか、この考えも他人の考えなのではないか、そんな考えが頭の中を支配する。
もう考えるのをやめてしまえばいい。このまま流れに身を任せれば苦しまずに済む。こんなことを思う自分が怖くてたまらない。いつ心が耐えられなくなるかわからない。明日は自分じゃないかもしれない。周りの奴らと同じように機械のような人間になりたくない。
床に転がり瞼を閉じて恐怖を頭から振り払うように震えながら眠る。
まだ大丈夫、まだ大丈夫と自分に言い聞かせながら。
いつもと同じように朝がきて、いつものようにグラウンドに向かう。
すると、向かう途中で初めて見る顔の男に呼び止められた。これはいつもと違う。
「おい」
「ぁ...な、...でしょ..か..」
言葉を長らく話していなかったので久しぶりに口からでた言葉はなんとか意味を成すものだった。
最初の頃は、部屋に帰った後に何人かに会話を試みていたが、軒並み無視され続けた為、いつしか話す事を止めた。
何の反応も示さずにさも話しかけられていないようにしている人達を見て背筋が寒くなった。
「明日、試験を行う。準備しておけ」
一言言うだけ言って男は去って行った。
試験と言われた。思考する事が無くなっていた頭を動かして意味を理解しようとする。
確かに最初の頃に自分達の価値を決めるとかなんとか言っていた気がする。それのことだろう。
訓練を始めてから共に訓練をしている人数が減ってきているとは感じていたが、消えていった人達はこの試験を受けてどこかに売られていったのだろうか。
遂に自分の番が来たというわけだ。
明日、価値を決められどこかに売り飛ばされるのだろう。
そんな事が他人事のように脳内を流れてゆく。
「ん?」
(待て今、本当に他人に起こっているように感じなかったか?)
背筋が凍る。
限界が近いことを感じる。
幸いにも明日の試験が終わればこの地獄から出ていけるかも知れないが、売り払われた先はもっと地獄かもしれない。
ここ辺りで脱出を試みるしかない。
だが方法がない。
警備は厳重、持ち物はナイフ一つこれでどうしろと言うのか。
途方にくれるが、体は自然とグラウンドに足を運ぶ。
グラウンドにつき、いつものように鉄のかかし相手に訓練を始める。
それと同時に脳内ではどうにかしてこの施設からの脱出の案について思考を巡らせるが、出口のない迷路に迷い混んだような感じがして、絶望という二文字が頭のなかを蝕んでくる。
ふと気が付くと訓練時間は終わり、グラウンドに出ていた人達がぞろぞろと部屋に戻り始めていた。
結局成功しそうな案は考え付かず絶望感を強めただけだった。
部屋に戻り、食事を口にねじ込み薬品臭い水で胃に流し込む。
床に寝転がり、明日に備えて体を休ませる。
このまま何も出来ずに商品として売られていくのかと考えると、心が軋みを上げる。
浅い眠りから目を覚ます。先のことを考えすぎ、あまり眠れなかった。
起き上がり体をほぐしていく。
全体を軽く動かしたところで鋼鉄の扉が重い音をたてて開いた。
そこには昨日、試験のことを告げてきた男が立っていた。
「そこのお前とお前、それから...」
部屋に居る者達の中から数人を指差していく。
「呼ばれた者はついてこい」
淡々と指示を出し、選別された者を連れていく。
自分も昨日の告知の通り、指を指された。
男の背中を追いながらぞろぞろとついていく。
男が止まったとき、そこにあったのはローマのコロッセオのような場所だった。
「そこの席に座っておけ」
指示を出され、おとなしく指示された簡素なベンチに座る。
「そこの二人、立て」
ベンチの端に座っていた二人が指名され、二人が円上のグラウンドの真ん中に呼び出された。
「殺し合え」
一言言い残すと男はグラウンドの端に歩いていった。
その男の背中を目で追っていると、金属同士が激しくぶつかり合う音が聞こえた。
慌てて音のする方に目を向けると、無表情の二人が何の躊躇いもなく殺しあっていた。
あれが自分の末路だと本能的に理解する。
あの何の感情の揺らぎも感じられず、ただ命じられたことを実行する。生きながらに死んでいるようなあの者達の表情がその恐ろしさを物語っている。
激しい攻防の末に一人の首が掻き切られる。その傷を受けた方は、首から血を間欠泉のように吹き出しよろめく。
その隙を相手が見逃すはずもなく、更なる追撃を食らわせる。
一人が血だらけになり、事切れるまで戦いは続いた。勝利した方が自らが殺したまだ温もりを感じるであろう死体を見下ろしている。
そこに感情の揺らぎはなかった。
「次」
無慈悲にも次の二人が呼ばれる。
周りを見回すが目の前で起こった凶行によって心の揺れを感じることが出来る者はいない。
そのあとも殺し合いは続いて行く。一人、また一人と自らが作り出した血の池に沈んで行く。
「次」
とうとう自分の番が来てしまった。手は震え、呼吸は乱れている。ベンチからのろのろと立ち上がり、グラウンドの中央に歩いて行く。
やるしかない、それは分かっている。殺さなきゃ殺される。頭では理解している。だが体の震えが止まらない。ナイフが小刻みに揺れる。
対峙するのは同じか少し上だと思われる女。
「始めろ」
その声が聞こえた瞬間、女がこちらに向かって走ってくる。
そこで自分の中の何かが外れた。
女の突っ込んでくる軌道上から体を外す様に体を捻る。
かわされたとわかるやいなやナイフを横凪ぎに振るい牽制、体勢を立て直そうとするがそんな事はさせない。
軽く身を引くことで、振るわれるナイフをかわす。そして手に持つナイフを女に向けて投擲。唯一持っている武器を投げることで相手の虚をつく。狙い通り少し動きに迷いが出る。僅かだがそこが命取りだ。足を蹴りあげ体に蹴りを叩き込む。
「ッゴァ!?」
女はナイフに意識を向けていたがゆえに、蹴りに気が付かず直撃する。
そこから畳み掛ける様に近距離戦を仕掛ける。蹴りにより体勢を崩させ、その隙に投擲したナイフを空中で掴み取る。
掴み取った勢いそのままで相手の心臓の位置に突き刺す。
女はビクンと震え、膝から力が抜けたように崩れ落ちていく。
崩れ落ちる最中、女が掠れた声で何かを言った。その瞳には僅かに理性の光が灯っていたと感じた。
聞き取ることは出来なかったが、読唇術の技術もあったので、言葉は理解できた。
「これで試験を終わる。残ったものは部屋に戻り体を休めろ。明日出荷だ」
血に濡れたナイフをしまい、ふらふらとした足取りで部屋に戻る。
部屋に着くと体から力が抜け、床に崩れ落ちる。さっき自分が起こした惨状を思い出して胃のなかのものを出しそうになる。目からは涙が流れ、床に向かってえずく。
あれを自分が起こしたという罪悪感、戦闘中の別人が体を動かしているような感覚、そしてあの女の最後の言葉。全てが俺の心を締め付ける。
特にあの最後の言葉だ。
あの女は最後に
「ありがとう」
と言ったのだ。
罵ってくれた方がよほどよかった。
感謝の言葉など聞きたくはなかった。
思い付く限りの呪詛の言葉を投げつけてくれた方がよかった。
あれがどちらに向けられた言葉なのだろうか。
殺した者か、それとも自分か、殺したときに居たのは自分かそれとも埋めつけられた何かか。
どちらが自分なのだろう。殺したのは自分か、訓練していたときは自分だったか、寝ているときは、食事をしているときは...
自分って何だ
Enigma〈エニグマ〉 砂鮫 雪 @Nex
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