うたかた
淡島ほたる
#1「あやめる」
きのうの朝、ある方の訃報を聞きました。みずから死を選んだのだと知って、どうして、という感情がまっさきにうかびました。わたしはその方と現実において接点はなく、彼女の作品だけを知っていました。優しい色遣いのなかに仄かなさみしさの残る絵や、どこか孤独だけれどまっすぐな瞳をもつ少女たちのすがたを思い起こしました。
亡くなった理由として、「誹謗中傷に心を病まれたからではないか」との推測があげられていました。くろぐろとした感情がどっと心に流れ込んできて、めまいがします。
次々に表示される文字列をゆっくりとスクロールしていたとき、ぱ、と手をとめました。たくさんのひとの『ご冥福をお祈りします』にあふれた画面のなかで、唯一ぎらぎらと光を放っていた言葉があったのです。
『理由はどうあれ』。
その書き出しを、静かに口にしました。
『自殺とは自身を殺める行為であり、殺人にあたると深く理解していればそんなことはできないはずだ。心が脆く、批判されることが苦しいならば、SNSをやめればいいだけだ。死ぬまでもない。』
読んだあと、わたしはしばらくのあいだ放心してしまいました。死ぬまでもない。こういう考えをもつ人がいることに対して、強い衝撃を覚えました。
素直にいえば、受け容れがたかった。わたしがおなじことを言われたら、もう二度と立ち直れないと思った。苦しくてつらくて、なのに死ぬこともゆるされない。否定はやがて絶望につながるのではないか。自殺をとがめられること自体が、生きる希望を奪い去っているのではないか。矛盾していますが、そう感じざるを得ませんでした。
わたしがずっと死にたかったころ、生きるのが耐えられなかったころに「そんな悩みは死ぬに値しない」と言われたら、心底苦しかっただろうと思います。死ぬことも生きることもできないなんて、そんなにつらいことはない。「自殺に値する理由」をかってに推し量られてたまるか。ばかげている。
ひとにはいろんな考えかたがあって、わたしはすべてのひとの感情を受け容れてゆかなければならないと、ずっと心のうちに感じながら生きてきました。けれど、それぞれの考えに対して美しい点を見いだして寄り添ってゆくのは到底実現不可能であり、思っていた以上に心をすり減らすことなのかもしれません。
生きることも死ぬこともそのひと自身にゆだねられていて、そのひとがたどりついた答えを邪魔する権利はない、というのがわたしの考えでした。理想論なのだろうかとも思います。だれかに対して生をうながすことも死を肯定することも相手を傷つけうるのなら、いっそのことかかわりをやめたほうがいい。あまりにも極端ですが、ふとそう感じるときがあるのです。
「祈る」という行為によってだれかが救われたらどんなにいいだろう、と思います。最善だという気がしてなりません。どうか生きていてほしいと祈ることで、だれかが苦しみから解放されたら。
やさしいひとが傷つかなくてすみますように。ひとつも不足のない世の中が訪れることはきっとないけれど、どうか重い荷物をおろしてすこやかに眠れますように。
どうしたって弱さも抱えて生きていかなければならないなら、せめてすこしでも強くなれる方法を考えたい、と思います。優しさをもって戦える人間でありたい。戦いたくないと弱音を吐きながら、それでもだれかを守ることのできる人になりたいです。
大切なあなたが、光のなかで生きていてくれますように。
うたかた 淡島ほたる @yoimachi
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