再会編最終話 ただいま
事件も終わりジークハルトは特別捜査団へ戻ってきた。
クラウディアの屋敷の裏にあったパルウの畑は焼き払い、既に一株も残っていない。当然マインツへの報告では延焼ということになっている。
そして遺体の身元確認はうちの特別捜査団で担当することになった。こちらのほうがこの国の機関よりも事件の概要を把握しているからだ。
そして彼女たちの残していた資産は、そのままマインツ国からの捜査団を待って彼らに引き渡した。犯罪に関する証拠書類は全てこちらで持って帰ってきている。
彼女たちの行方に関してはレオンに伝えた内容と同じようにマインツの捜査団にも話した。この国が彼女たちの生存に関してどう判断するかはまだ分からない。
レオンは本部へ帰って早々徹夜でマインツ国への事件の報告書を仕上げ、朝にはこの国の首脳陣への報告にマインツ城へ向かった。
そのあと戻ってきて今度はハンブルク王国へ提出する報告書を作成してから仮眠を取り、その夜の便で彼は一足先に祖国へと戻っることになった。
ここまで過密スケジュールで詰め込まなくてもいいのではないかと思うが、王族でここまでの仕事量をこなすレオンには脱帽ものだ。だがただの王子でいたときよりも活き活きとしている。そして時は金なりという言葉をよく分かっている。
今ジークハルトはフローラと一緒にヴァルブルク王国への船便が出る港へ来ている。レオンと彼の護衛を見送るためだ。
「じゃあ先に帰るね。ジークハルト、フローラ、君たちが帰ってくるのを待っているよ」
レオンの目の下には隈ができているが、ようやく仕事を終えたという充足感がその表情からは滲み出ていた。船の中でゆっくりと眠れるといいのだが。
ジークハルトはというと、これから事件の後片付けがまだ山のように残っているので、国へ帰れる彼のことが非常に羨ましかった。
「ありがとうございました、殿下」
「ありがとう存じます」
フローラとともにレオンに向かって深々と頭を下げる。
彼に対しては感謝と申し訳ない気持ちでいっぱいだった。彼がフローラを連れて来てくれなかったらこれほど迅速に事が運ばなかっただろう。
証拠が揃ったら自力で脱出するつもりでいたが、あのときは装備が見つからなくてどうにもならなかったしな。彼が援軍を連れてきてくれて助かった。
ジークハルトはフローラとともに無事な船旅と安眠を祈りつつ彼を見送った。
レオンを見送ったあと捜査団本部へ戻ってきた。これから始めなければいけない仕事量を考えるとうんざりする。
フローラはというと捜査団本部の一室に滞在してもらっている。どうやら彼女には捜査団の中に既にファンができているらしく、目を離すとやたら馴れ馴れしくアプローチをかける奴がいるから油断も隙もない。
今こそうちの屋敷に来た当初のような地味スキルを発揮するべきなのに無防備にもほどがあるぞ。ここは自分が婚約者であることを皆に知らしめておく必要があるな。
いや、そんなことよりそもそもこのパルウの事件がなかったらもうとっくに祖国へ戻っていたはずなんだ。
フローラとはもう片時も離れていたくないから一刻も早く残りの仕事を終わらせる。それが終わるまでは本部で待っていてもらうつもりだ。
執務室に籠り事件の後始末と特別捜査団の引継ぎに追われる。
顧客リストの調査も含めた残りの仕事をディックに引き継いだ。これでようやく彼をこの捜査団の団長に指名することができる。
「頼むぞ、ディック=ブライトナー特別捜査団団長。お前にならこの捜査団を任せられる」
「アーベライン副団長……。ご期待に沿えるよう全力で取り組みます!」
ディックが敬礼をして指名を了承する。
これで終わった……。事件の後片付けと引き継ぎで10日もかかってしまった。
最も時間のかかったのが屋敷の焼死者の身元確認……これは残念ながら確認が取れなかった者が多かった。焼死体であるということも原因の一つだが、もともとあの屋敷の使用人として働いていた者は訳ありでその過去を消していている者が多かったためだ。
生き残った者はその証言から身元を特定できたが、既に口の無い者に関しては彼らの雇用契約書ごと焼けてしまったため、身元を特定できるものが皆無だ。そもそもそんな物があったかどうかすら怪しいが。
そして面接や審査を行ったダウム傘下の商会にも、彼らの身元に関するものは何一つとして残っていなかった。
横の繋がりもほとんど無かったようで、生き残った者は皆お互いがどこの誰かも知らないといった関係だった。後ろ暗い過去を持った者同士で探り合わないという暗黙の了解でもあったのだろう。
遺体を目にすることは仕事柄多々ある。そしてジークハルト自らその命を奪うこともある。だが目の前の遺体が元が善人であれ悪人であれ彼らに対していつも抱く気持ちは憐れみのみだ。今でも死を目の当たりにするのはつらいし、いつまで経っても慣れるものではない。
そして当然主犯とされるクラウディアとヘラの身元も確認できていないため焼死したものとして処理された。もうほぼダウム貿易商会傘下の商会は無力化している。あとは残りの組織を潰すだけだ。
この分だとディックたち特別捜査団の解散もそう遠くはないだろう。元々特別捜査団は、帝国への物資や情報の密輸を主導していたダウム貿易商会の傘下の会社や反逆に関わった者を壊滅させるための組織だ。
ディックたちも早く祖国へ帰りたいだろうに自分が一足先に帰ることになって申し訳ないとは思う。
だが許せ。もうフローラのいない生活は考えられない。一刻も早く帰って式を挙げたい。
自分の中でも、ノイマン伯爵家の軍の横流し事件から始まる数多くの後悔の落とし前をつけることができたと思う。心のけじめってやつだ。
この10日間フローラは退屈だったのかよく訓練場へ出入りしていたようだ。折角の柔らかい手が剣だこだらけになってしまう。それはなんか嫌だ。
今日も今日とて訓練場で騎士相手に手合わせしているフローラに会いにいく。
「フローラ、ようやくハンブルクへ帰れることになった。明日ここを立とう」
喜び勇んでフローラに帰国を告げる。彼女はそれを聞いて嬉しそうに答えた。
「本当ですか!? やっと一緒に帰れるのですね。それならば帰国前に宰相のお嬢様とやらと別れのご挨拶をしなくてもよろしいんですか?」
「んぐっ」
フローラがにっこり笑って確認してくる。ジークハルトはそれを聞いて思わずたじろいでしまう。別にやましい気持ちがある訳じゃないが。
実はこの国へ来てから何度か夜会へ招待され、その度に女性たちに秋波を送られていた。そしてその中でどうしてもとマインツの宰相自らに頭を下げられて、彼の娘と義理で一度だけ食事をした。たった一度だけだ。あくまでも義理だ。
それを部下から聞いたフローラがやたらと弄ってくる。こちらの気持ちを分かっているはずなのに、面白がって揶揄っているとしか思えない。
「私には君だけいればいいと言っただろう?」
気を取り直してフローラに言葉を紡げば、実に可愛らしい笑顔で返された。
「ふふふ。分かっています。懸命に言い訳をするジーク様が可愛くって」
ほらこれだ。フローラが悪戯っぽい笑みを浮かべてこちらの反応を窺っている。
こうやってジークハルトをときどき揶揄って喜んでいるのだから、なんだか掌の上で転がされている気分になる。フローラに転がされるのは悪くないがな。
翌日フローラと軽くマインツ観光を楽しんだあと港へ向かった。彼女は何度か一人でマインツの町へ散策に出ていたようだが、2人で歩くのは初めてだったのでとても喜んでいた。ジークハルトもとても楽しかった。
そのあとディックたちに見送られながら2人でハンブルクへ向かう船に乗った。行きは1人だった船旅が帰りは2人だ。それを思うととても幸せな気持ちになる。
甲板で手摺りに凭れながら2人で話す。
「ジーク様、わたくし幸せですわ。別人として貴方とお会いしてちょっと特殊な再会になってしまったけれど、ずっとお会いできるのを心待ちにしていたんですもの」
頬を染めて微笑みながらそう話すフローラが可愛い。ジークハルトだってどんなに彼女との再会を待ち侘びたかしれない。会えない間は彼女の絵姿だけが心の癒しだった。
「私だってそうだよ。これからはずっと一緒だ。もう離れないし離さない。フローラ、愛している」
「嬉しいです……。ジーク様、わたくしも愛しています」
ジークハルトが愛を囁くとフローラが頬を染めその美しい蜂蜜色の瞳を潤ませて気持ちを返してくれる。久しぶりに訪れる充足感に心が幸せで満たされた。
そうしてフローラの柔らかい髪を撫でながら身を寄せ合って海を眺める。2人で眺める海はまるで初めて目にしたものであるかのごとく美しく煌めいて見えた。
翌日の昼にようやくハンブルク王国へと到着した。祖国の土をフローラとともにしっかりと踏みしめる。ちらりとフローラの顔を見るとにこりと微笑まれた。なんて可愛いんだ、我が婚約者は!
港からは馬車に乗り侯爵邸へ向かう。そして馬車の中でとりとめのない会話を楽しんだ。
「そういえば今度の公演はいつなんだ?」
「次は夏ですわ」
「そうか……そろそろ君が来て1年か。んん?」
「どうしました?」
「いや……」
来月はフローラの誕生日だ。17才か……。そしてそろそろ彼女がうちにやってきて1年になるのか。感慨深いな。
彼女の誕生日には食事に連れて行って特別豪華なプレゼントを渡してびっくりさせたい。きっと喜んでくれるだろうな。彼女の笑顔を見るのが楽しみだ。
婚姻はそのすぐ後くらいでいいか。急だと言われるかもしれないが早くフローラを妻にしたい。そして名実ともに彼女の全てを自分のものにしたい。放っておくと変な虫が寄ってくるからな。黒髪の奴とかな。
脳内での結婚式の予定は思いっきり夏の公演と被り、結局延期してしまわざるを得なくなって落胆することになるのだが、この時のジークハルトは全くそんなことなど予想もしなかった。そしてこれからの幸せな毎日を空想してふわふわと夢見心地だった。
幸せな空想に浸っているうちにようやく侯爵邸へと到着する。そしてジークハルトたちをオスカーなどの懐かしい顔ぶれが出迎えてくれる。
「「「おかえりなさいませ、旦那様!」」」
「ただいま……!」
皆の笑顔が眩しい。そして破顔するフローラ。彼らを見て幸せな気持ちでいっぱいになる。
ジークハルトはフローラと2人でようやく懐かしい我が家へ帰ってきたのだった。
フローラ=バウマンには夢がある 春野こもも @yamadakomomo
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