理由

増田朋美

理由

理由

その日は雨だった。みんな部屋の中にいて、部屋の中でゲームしたりテレビを見たりしていた。そと行くのが大好きな若い人たちは、あーあ、つまらないなあ何て言いながら、しかたなくテレビの画面を眺めている人も少なくないが。

「今日は、雨ですけど、具合どうですか?」

介護人として、やってきた利用者が、水穂に声をかける。

「変わりありません。いつもと。」

水穂はその通りに答えた。

「変わりありませんじゃ困りますね。それでは、相変わらず、辛いということになりますなあ。」

利用者は、またか、という感じの顔でそういった。

「昨日、あれだけ咳き込んで、変わりありませんですか。それでは、昨日と同じ状態が続いているという事ですかね。あーあ、困りますよ。」

「でも、本当に、変わらないんですから。それしか表現のしようがないですよ。」

水穂は、其れしか思いつかず、とりあえず返答を返したが、利用者は、がっかりした様子であった。

「とりあえず、朝ご飯食べて、薬飲みましょうね。今日もたくあん一切れでもういいなんて言わないでくださいよ。はい、これ。」

と、利用者は持っていたご飯を、どしんと水穂の枕元に置いた。

「はい、こっち向いて。おかゆさん、食べてください。」

「はい。」

利用者が、お匙を水穂の口もとに持ってくると、水穂はそれを受け取って、それを口にし、利用者に返す。

「じゃあ、もう一回行ってください。」

水穂はその通りにした。

「よし、じゃあ、三杯目。いってみましょうかね。」

利用者がそういうと、水穂はもういいと首を横に振った。

「ダメですよ。だって、二口しか食べてないじゃないですか。まだまだ足りないですよ。これでおしまい何て、体力がつかないじゃないですか。頑張ってもう一回食べてください。」

と言っても、躊躇する。

「だから、もういいじゃだめですよ。せめて完食してもらわないと、体力付きませんよ。」

「もういいんです。」

しずかに返事を返す水穂だが、利用者はがっかりとため息をついた。

「もう、せっかく頑張って作ってみたのになあ。もう俺の作ったものは、やっぱりへたくそなんですかね。一生懸命勉強して、試験でいい点を取っても、実践することはまるでできないな。俺は、頑張って看護の資格取りたいのに、俺は無理かなあ。」

「そんなことありません。単に食べる気がしないだけです。」

水穂は正直に答えるが、利用者は、そういうことですよ。とつぶやいた。水穂が次に言いたいことを考えていると、答えが出るにも先に、咳が出た。利用者は、急いで匙を置いて、彼の背をなでてやった。

「仕方ありませんね。薬飲んで休みますか。」

とりあえず、吸い飲みに入っていた水に、枕元に置いてあった粉薬を溶かして、水穂に飲ませた。多分、咳は止まるが、そのせいでまた眠ってしまうんだろうな、というのはすぐに予測できた。本当はそれではいけないんだけれど、どうしてもそうなってしまう。数分後には、予想した通り、しずかに眠っている音が聞こえて来た。

「あーあ。看護学校に通っている俺が、一番身近な人の看病も碌にできないなんて、それでは、俺が、勉強したことはまるで無意味ですね。まあ、俺、まだ一年坊主だから、もっと専門的な手を使わないとだめってことかな。専門的なことを知っている、看護師さんとか、家政婦さんとかそういう人を雇って、くれればいいけれど、青柳先生が、家政婦紹介所にいくら連絡しても、ほかの家で忙しすぎて、こっちには来れないらしいし。」

利用者は、がっくりと肩を落とした。

「まあいい。俺もまだまだ勉強が足りないな。もうちょっと勉強しなきゃだめだ。学年を重ねて、もっと専門的に勉強しよう。」

眠ってしまった水穂を見て、利用者は頭をフリフリしながら、残ったおかゆのお盆をもって部屋を出て行った。

暫くして、もうすぐお昼かなと思われる時間に差し掛かってきたころだ。水穂はやっと薬が切れて、目が覚めた。

丁度その時、ガラッと戸が開いて、誰かが来たことがわかる。

「こんにちは、水穂さんいますか?」

と、声がした。声の主は咲だった。

「あ、太田さんではなくて、浜島さんでしたね。確か、水穂さんと大学で同級生で、今はフルート吹いてらっしゃるとか。」

先ほどの利用者とはまた別の利用者が応対した。

「ええ、吹いているには吹いているんですが、あたしはもう尺八奏者みたいなものです。今はお箏の先生と一緒にやっています。」

と、咲はにこやかに答えた。

「へえ、フルートが、そんな使われ方もするんですか。あたし、中学校で、ブラバンやってたけど、お箏という楽器と合わせたことはないなあ。」

利用者は興味深そうにそういったが、咲はそれよりも、水穂さんに会いたいという気持ちが強く、そのはなしは途中で中断し、

「中に入って、水穂さんと話してもいいかしら。」

と言った。利用者も、おっとこれは失礼という顔をして、わかりましたよ、と、にこやかに四畳半へ連れて行ってくれた。

「ずっと寝ていると思うんですけど、起こせば目を覚ますと思いますから。」

「わかりました。」

咲は何の迷いもなく、四畳半のふすまを開けた。

「水穂さん。」

咲は、そっと語り掛ける。軽くポンポンと肩をたたくと、そっと目が開いた。多分深く眠り込んでいたわけではなく、うとうとしていた程度だろう。

「ああ、太田さん。あ、もう太田さんではなく浜島さんと呼んだ方がいいのかな。」

布団に起き上がろうとする水穂だが、咲はそんなことしなくていいといった。再び彼を布団に横にならせ、かけ布団をかけてやる。

「ええ、其れでいいわ。あたし、今では、フルートのはまじで通っているのよ。」

「フルートのはまじ?」

ちょっと驚いた顔をして、水穂は答えた。

「そうよ。そのほうが、小さな子供さんにも親しみやすいかなと思って、そうしてるのよ。まだ、咲おばさんと言われるのは早すぎるから、そっちの方がいいわ。」

「そうですか。小さな子供さんに。」

「ええ、水穂さんは、そういう子供さんは苦手?」

咲に聞かれて、水穂はちょっと答えに詰まってしまった。

「まあ、やっぱり苦手なのね。まあ、天才と言われるような人は、そういう誰かに教えるとか、そういうことは苦手だって、本で見たことがあるわ。」

「今は、下村先生と一緒に?」

思わず苦笑いしてそういうと、水穂はふいにそういうことを聞いてきた。

「そうよ。下村苑子先生と一緒。レッスンでも、演奏するときでも。今までは病院とか、老人ホームでの演奏が中心だったんだけど、最近は、岳南朝日新聞社が後援になってくれて、ホールライブもやれるのよ。生徒さんの人数も増えて、より、重厚なアンサンブルができる様になったし。だから、毎日充実してるの。」

「はあ、そうですか。なんのために、ここへ来たんですか。」

咲が答えると、水穂は、それでは、というように、そう聞いてきた。思わず咲は変な顔をする。なんでそんなことを聞くのだろうと、不思議に思った。

「いえ、悪気を言ってるわけではありません。そんなに充実しているのなら、なぜこんなところにわざわざ来たのか気になっているだけです。」

「まあ、何だろう。右城君の顔が見たかっただけよ。」

と、咲はそう答えを返したが、水穂さんは静かにため息をついた。

「それでは、いけないの?」

わざと明るく咲は言った。

「いえ、うれしくないという感じですからね。」

と、水穂さんは言う。

「うれしくないって、あたしはいつもこの顔です。普段の顔です。其れでいいでしょう。気にしないでください。」

そう咲が急いでそう返すが、水穂はやっぱり図星かという顔をした。

「気になりますよ。そうでなければ、こんなところには来ませんよ。きっと周りの人が邦楽の奏者ばかりで、時折嫌味をいわれたりするからでしょ。それではつらいから、洋楽をしていた僕のところに会いに来た。違いますか。」

「ま、まあ、そうね、、、。」

咲は、ちょっと返事を考える。その間に水穂は、少し咳き込んで、口元を手拭いで拭いた。

「本当は、充実何かしてないでしょう。下村先生と一緒で、時には、生徒さんに、桐朋を出たくせに、こんな私たちと一緒にやるなんて、本当に落ちぶれたのね、なんて、言われてしまうことも多いのではないですか?それは、もう仕方ないけど、自分の中では昇華できなくて、其れでこっちに来た。」

「右城君には、すぐにわかっちゃうのね、なんでそんな風に理由がわかっちゃうのかしら。どうしてそうわかっちゃうの?」

ここで水穂も黙ってしまった。しばらく間が開いて、こう返してきた。

「いえ、なんだか直感ですよ。」

「違うでしょ。」

咲は答えを打ち消すように言う。

「ごめんなさい。もしかしたら、失礼なこと言ってしまったかもしれませんね。もしかしたら僕がさっきいったこと、間違いだったのでしょうか。癪に触ってしまったかな。そうしたら、ごめんなさい。」

「そんなことありませんよ!質問を変えるわ。」

ちょっと語勢を強くして、咲は言った。

「どうしてそんなに優しいの?」

暫く間が開いた。

「ごめんなさい、そんな怒ってしまうようなつもりで発言したわけではなかったのですが、咲さんが傷ついてしまったというなら、謝ります。ごめんなさい。」

水穂が、そう改めて謝罪の言葉を口にした。本当にどうして、この人は、すぐにこうして謝罪をしたがるものなのだろうか。本当は、あの図星になるような質問をそのまま押し通してもらいたかったのだ。其れこそ咲が今回、求めていた「答え」だったのだから。其れなのにどうして謝罪をされなければならないのだろうか。

「謝らなくたっていいわよ。どうせ図星だったんだから。時には、生徒さんたちに出身大学はどこかって聞かれて、桐朋だって答えると、桐朋なら、ソリストとして、ものすごい活躍するのがあたりまえなのに、どうして私たちと一緒になろうと思ったのか、なんて聞かれて、あたしは返答に困ってしまって。其れで、どうしたらいいのか、悩んでこっちに来たんだから、図星よ。でも、其れは、もうちょっと話してから言おうと思っていたのに、なんですぐに見破ってしまったのか、それを聞いているんじゃない。」

水穂も理由はちゃんとあるのだが、それをいったらいつものとおり、バカにされてしまうのではないかという恐怖が先立って、口に出して言えない。

「それが優しいというものなんでしょうか?」

代わりにそんな質問をした。

「そうに決まってるわ。だって、ほとんどの人は、桐朋出て、邦楽の奏者と一緒にやっているのは、おかしいと思っているのよ。それを、わかってくれて、その悩みを見破ってくれて、これ以上優しい人なんている?しっかり自分のこと、考えてよ!」

咲がそう答えを出すと、水穂はこれまで以上に強く咳き込んで、其れに反論することもできなかった。ああ、ほらほらと、咲は口元を、枕元にあった手拭いで拭いてやった。

「誰かの言葉を借りて言えば、咳で返事しているとはこのことね。できれば、そうではなくて、言葉で返事をしてもらえないかしら、、、。」

と、言っても、其れは、通じなかった。水穂は、まだ咳き込むしかできないのである。肝心な時になんでこうなってしまうのかなあと、咲は本当に失望してしまった。

「お薬飲んでおこっか。」

咲は枕元の吸い飲みを、そっと口元に持って行った。これを飲んでしまえば、もうしばらく答えを得られないことは知っていた。でも咳を止める必要はあった。水穂もそれをしっていたのか、すぐに中身をのみ込んだ。

「それで当たり前なんですよ。ただ、それをしただけの事です。」

それでは、答えになっているのか不詳だが、水穂さんは静かにそんなことをいった。咲がなにか返そうとすると、水穂は眠ってしまったようで、いくら名前を呼んでも、反応を示さなくなった。

あたりまえか。そんなことが当たり前に行われるはずがないじゃないか。だって、私は、こんなに嫌味をいわれて。もし、そんなことが当たり前なら、嫌味何て言われるはずもない。ただ、水穂さんにとっては当たり前らしい、いったいなぜ?

咲は結局、水穂さんの人間性だと思って四畳半を出た。ちょうど利用者が、今度こそ完食してよとつぶやきながらやってくるのとすれ違った。水穂さん、今のことが当たり前なら、どうかご飯を食べてあげてと思いながら咲は廊下を歩きだした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

理由 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ