聖剣を抜きし者

 だが、相手が悪かったな。コイツ八歳の少女はまだ子供だが、聖剣この俺を引き抜いた者だという事を忘れては困る。


 聖剣この俺を引き抜いた者には、様々な加護が与えられる。その最大の加護は、はるか昔に英雄として生きたこの俺が、この娘の体に憑りつくことが出来るというもの。


 つまり、何の訓練もしていない人間が、英雄と呼ばれる人間と同じ事が出来るようになるという事を意味している。


 ギガーゴリラの拳が地面に大穴をあけるより前に、少女の体は宙を舞う。


 コマ送りのように映し出される風景とその動き。意識を乗っ取っているので分からないだろうが、今コイツ八歳の少女はそう感じているだろう。


 本来、俯瞰的に見る俺の視界がコイツ八歳の少女の視界と繋がる事により、その感覚はより多くの出来事がとらえられるようになっていく。聖剣この俺を所持しているだけで……。


 ただ、憑依した場合は話が違う。得られる感覚がそれを凌駕する。

 驚異的な能力の向上がもたらすもの。それは、コイツ八歳の少女とギガーゴリラ達との間に、違う時間の流れを作り出すようなものだと言える。


 だから、その一瞬を筋肉ダルマは見えていない。ただ、ギガーゴリラはそれを感じたようだった。


 おそらく、手ごたえの無さがそう告げたのか、その瞳は振り下ろした拳の先を見ていなかった。

 それは本能が告げるものなのだろう。拳が地面を穿つ瞬間、ギガーゴリラの視線は上を向いていた。


 だが、この瞬間の出来事は、体とその認識が一致していないと言えるだろう。その差異により、ギガーゴリラはまだ完全にこの姿を捉えてはいない。ただ、俺は宙を浮いたままだから、それは時間の問題といえるだろう。


 そして、それは現実となる。


 コイツ八歳の少女の瞳に描かれた、ギガーゴリラの信じられないという顔。それは次の瞬間には苦痛の叫びをあげていた。


 小剣ほどの大きさにはなっているが、聖剣この俺の切れ味は変わらない。ギガーゴリラの体毛と表皮は鋼と同じ強度だと言われていても、聖剣この俺にかかれば、バターとナイフのようなもの。


 まあ、コイツギガーゴリラも被害者のようなものだ。筋肉ダルマたちにいいように操られているんだろう。でなければ、貧民街とはいえコイツギガーゴリラが街中をウロウロできるはずがない。


 ――殺しはしない。ただ、手加減に手加減を重ねて、格の違いだけを見せつける。


 一旦急降下して、軽くギガーゴリラの表面をえぐり切る。噴き出る血をそのままに、もう一度軽く飛び上がる。すでに、コイツ八歳の少女の姿を見失っているギガーゴリラは、コイツ八歳の少女の眼前に無防備な頭をさらしていた。


 『蹴ってください』と差し出しているかのようなその頭。


 そのままそこに踵を落とす。小柄な少女の体重は軽い。だが、その力は何百倍に高めることが出来ている。


 瞬間的に意識を失った事だろう。切り裂かれた上に、頭を叩き下ろされたギガーゴリラは前のめりに倒れ込もうとしていた。


 だが、それでは終わらせない。その体に烙印を刻んでやる。


 落とした踵を支えにして、体をくるりと回転させる。そのまま宙に浮いた体勢で、ギガーゴリラの顎を蹴りあげた。


 前に倒れ込もうとしていた体が大きく開く。


 その無防備な体勢は、まだギガーゴリラの意識が回復してない証だろう。コイツ八歳の少女が着地した時もまだ目を覚ましていなかった。


 ギガーゴリラの体に刻むのはバツの証。すなわち、今度はさっきとは逆に切り上げることで完成する。


 体の正面でクロスさせた刀傷。そこから噴き出す血が、この娘を赤く染めていく。


「ウホホー!」

 死んではいない。そこまで深くは切り裂いてはいない。だが、これ以上は戦う事はできないだろう。


 ただ……。さっきの声は、何故だか満足そうな声に聞こえたが……。まぁ、気のせいだろう……。切られて喜ぶギガーゴリラとか聞いたことないし……。


 唖然とした表情を向ける二人の男女。その目の前にギガーゴリラの巨大な背中が降ってくる。


 避ける気配も見せず、二人はただそれを見守っている。


 その眼の前に、地響きを立てて倒れたギガーゴリラの体。意識を失っていても、その顔はとても満足そうだった。


 ――本当に大丈夫か? このゴリラ……。


 それ恍惚のゴリラをしり目に、今度は二人に刃を向けると、互いに抱き合った姿でへたり込んでいく。


 大きく息を吐き出すと、ここは騒然とした雰囲気に包まれていた。


 騒ぎを嗅ぎつけたのか、慌ててやってくる衛兵たち。


 ――遅いだろ? 本当にこの国は大丈夫なのか? この百年で、ダメな国になっていないか?


 いつの間にか湧いてきた野次馬共が、衛兵に事の顛末を話している。聞こえてくる限り、その話には嘘はない。っていうか、お前ら全部見てたのかよ……。


 ――それはそれで言いたいこともあるが、人間とはそういうものだとは理解している。もっとも、俺もその人間だった過去もあるが、聖剣として生きている方が長いからな……。


 まあ、大半は寝て過ごしているわけだが……。


 いや、それももういいだろう。あまり長時間憑依するとこの娘の体が壊れてしまう可能性がある。


 ただ、八歳の少女とはいえ、これだけ力を見せつけたんだ。妙な考えを起こすものはいなくなるだろう。


 そういう意味では、コイツ筋肉ダルマと酒場の娘らはいい宣伝になったよな。


 まあ、コイツ八歳の少女の目的が少し問題だが、差し迫って今はする事がないのも事実。というよりも、まずはコイツ八歳の少女を鍛えていくしかない。聖剣この俺が再びこの世界に甦ったからには、おそらく何か意味があるに違いないのだから……。


 その時に聖剣この俺を使いこなせるようになるために、せいぜい励んでもらおうか。もしかすると、その過程で聖剣この俺の所有者にふさわしい人物になるかもしれない。


 さて、これから何を見せてくれる?


 ただ、憑依を解いた少女の瞳。そこに映るのは血まみれのギガーゴリラ。


 小さく笑うその瞳には、何かを見つけた喜びの色が見えていた。

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憑依する聖剣 あきのななぐさ @akinonanagusa

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