花言葉は二つある。

榊原モンショー@転生エルフ12/23発売

花言葉は二つある。

「……としくん?」


 少女の声は可憐で儚かった。


「……あれ。何で分かったんだ?」


 僕は、心の中で一息を入れて彼女の前に顔を出した。

 少女――伊藤芹いとうせりは「影が丸見えだったよ」と小さな笑顔を作る。

 白いベッドに小さく座る彼女の側では透き通る黒髪と共に白のカーテンが夏風になびいていた。


 高校のHRが終わってすぐに僕は近くの花屋で黄色とピンク、白のガーベラを購入した。それらを束ねてミニバスケットに入れ形を崩さないように走りながら病院まで出向いた。本来であれば息を整えてから芹の病室に入りたかったのだが、僕の下らない失敗のせいで息が上がったままの状態で彼女に会う形となってしまったのだった。


「それ、ガーベラ?」


 芹は僕が手に持っていたミニバスケットの中身を見て笑みを零した。


「あ、ああ。ガーベラだ。黄色とピンクにそれぞれ意味が……あれ? 何だっけ?」

「――黄色は『究極の美しさ』、ピンクは『崇高な美しさ』、白は『希望』」

「そう! それだそれだ。さすが文学部志望!」


 「調子いいんだから」と笑みを絶やさない芹に近寄った僕は病室の窓を静かに閉めた。

 一時、静寂が場を支配した。


「……ん? これ……」


 そんな折、僕の視界に入ったのは束になった原稿用紙だった。

 僕のその様子を見た芹は「ああ、これね」と遠い目を見せた。


「前まではパソコンに打ち込んでたんだけど、今は手で書いてるほうが生きてるって実感が湧くから……」

「どっかのサイトに投稿してるって言ってたなぁ、そういや」

「もう止めたんだ。不特定多数の人に見られる小説も良いけど、自分しか読めない小説を書くのも楽しいの」

「……そういうもんか?」

「そういうものだよ」


 そう言って芹は束になった原稿用紙を裏返した。すると、そこにはマス目に綺麗に沿って綴られた文字の数々。目測でも、百枚ほどはありそうだ。


「どんな物語か、聞いてみていいか?」


 俺は病室の隅から椅子を引っ張り出してきて、芹の座るベッドの横に位置をつけた。

 芹は束になった原稿用紙をぱらぱらとめくり始める。


「私は――生まれた頃から病弱で、腎臓を患ってた。中学の頃に良くなったけど、高校になって悪化したじゃない?」

「……ああ」

「私は今まで外を本気で走ったことはない。土日は、皆と外で遊んだりしたことはない。だから――元気なお話が書きたかったの」


 芹は幼い頃から腎臓を患っていた。幼稚園から友達だった僕は彼女が今までいかに自身と戦い続けたかの一部しか知らない。

 高校へ入学してもその一ヵ月後には病状が悪化し、今は透析を続ける毎日だった。日に日に弱っていく芹の生きがいが「小説を書くこと」。一時は、僕が薦めたネットの小説投稿サイトに公開もしてそれなりの人気を博したこともあった。

 僕は、伊藤芹という作者の一ファンでもある。


「一人の女の子が、一生懸命男の子を想って自分自身と闘うお話。周りから何を言われても、男の子が昔の誓いを忘れていても――女の子は何も言わずに男の子を応援するの」

「……恋愛もの?」

「いつもの私なら、ただの恋愛もの。ただこの物語はね」


 芹は小さく口を動かした。


「――バトルファンタジー」


 ……バトルファンタジー? あの芹が……?


 芹が投稿サイトに投稿していたときには、現代を舞台にした完全な恋愛物だった。そのため、読者さんからの感想には「キュンキュンした!」「これぞ、本当の『恋愛ジャンル』だ!」と褒められていた。

 芹自身も自身に最もあっているのは「恋愛物」だと豪語していたはずだった。


「学校で、こんなことがあったらいいな。クラスメートと楽しくお話できたらな。命懸けで男の子を護って闘って、男の子と成長して、一途に想って、面白い毎日を送る。たったそれだけのことを私は私自身が体験したい。そのための物語。だから載せられないんだ」

「……戦闘描写、書けたっけ?」

「難しいんだ……あのね――」


 それから数十分、芹は剣と剣での勝負、剣と銃、また人物の動かし方などに苦戦していることを語った。

 俺たちは来年受験を控える。芹は小説家になるという夢を掴むために、小説を書く傍ら文学部の最高峰であるK大を志望していた。勿論、学校の成績は常に優秀。だが、合格は厳しい可能性のほうが高かった。


「……手術、受けるんだ」


 芹は思い出したようにミニバスケットの中の黄色のガーベラを取り出した。


「……そっか」

「腎臓の移植。私の場合、拒絶反応が出るかもしれないんだって」

「……死なないよな?」

「お医者さんは、限りなく難しいって言ってた。今のままでも充分に生きていけるって。でも――」


 ――私も、皆と同じことがしたいんだ。


「一生このまま。そんなの、嫌だもの」

「――死なないって、言えよ」

「……私ね、外の世界で、を味わいたい。そうすれば、この物語もきっと息をしてくれると想うの」


 芹は、両手に持った百余枚の原稿用紙をぐっと掴んだ。


「今、物語この子はまだ赤ちゃん。私の手で、物語この子を生んであげたいの」


 ――だって。


「……そのためのお花でしょ?」


 芹はバスケットの中から黄色、ピンク、白のガーベラを一本ずつ取り出した。


「究極の美しさ、崇高な美しさ、そして希望。敏くんだって、信じてくれてるじゃん」


 ――そうだよ。


 ――芹が手術するってのは、先週彼女の母親から聞いた話だった。


 ――成功の確率が低い事だって、知ってる。


 ――それでも……怖いじゃないか。


「お見舞いに来るとき、手ぶらだった敏くんだもんね。お花なんて敏くんには似合わないよ」

「……た、たまたまだって」

「じゃあ、そういうことにしておいてあげるよ」

「……むぅ」


 笑いながら芹はバスケットにある三つの色のガーベラを一つずつ取り出した。


「花言葉は一つだけじゃないんだよ」

「……マジで?」

「黄色は親しみやすさ。ピンクは熱愛。白は律儀」

「……?」

「敏くんは敏くんの花言葉を送ってくれた。私は、私の花言葉を敏くんにプレゼントするの」

「……すまん、意味分からん」

「台無しだよ、もう」


 ……だ、だってしょうがないじゃん! 花言葉が二つあるなんて初耳だ!


「私、頑張るよ」

「……術後、見舞いに来てやるよ」

「その時は別のお花持ってきてね」

「……マジか」


 そんな短い応答の後に、俺たちは小さく笑いあった。

 誰もいない病室の片隅で、二人の笑いが木霊した――。


○○○


「……持ってきてやったぞ。ガーベラだけどな」


 俺はいつも通り、右手に持った三色のガーベラを置いた。


 ――またガーベラ?


「持ってくるだけいいと思えよ……。花は苦手だ」


 左手に持つ鞄を開いた。その中に入った、原稿用紙三百三十三枚。


「女の子が男の子を慕い、闘い、成長し。皆の日常を描いた。そうしたものがこれだけのボリュームだ。小説投稿サイトにも、誰にも見せてない。芹の、芹のためだけの物語だ」


 ――大丈夫なの? それ。


「ああ。まあ、ゆっくり読んでくれよ。文才ないなりには頑張ったんだから」


 芹は最期に遺言を残した。


 ――私の小説を、お墓の下に埋めて欲しいの。


 完結していない物語。男の子と女の子が織り成す学園バトルファンタジー。

 彼女の意識が朦朧とする中で、俺は芹に無意識に言葉を紡いでいた。


 ……続きを、俺に書かせてくれ。


 ――敏くんが?


 その俺の言葉が伝わっていたのか、伝わっていなかったのか――彼女は一筋の涙を零した。

 その涙を、俺は勝手ながら肯定として受け入れさせてもらった。


 K大学文学部。日本の文学部最高峰と呼ばれる大学に俺は入学した。


「夢は小説家だ」


 もう答えは返ってこない。


「……僕のデビュー作だ。大切にしてほしい」


 頬を夏の風が通り過ぎた。

 それはまるで、芹がこの世に再び舞い降りてきたかのようだった。


 ――ありがとう。


 僕は彼女に差し出した花の中から、ピンク、黄、白のガーベラを抜き取る。

 芹の言葉を背に受けた僕は、三色のガーベラを鞄の中にしまい込み、さよならを告げた。

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