登らなきゃいけない山
白部令士
登らなきゃいけない山
どうしてだか、ひとり山のなかにいた。
『カケルくん。今日、遊びにおいでよ』
学校で、友だちのヨウくんにさそわれた。だから、うちに帰ったぼくは、宿題をすませると直ぐに家を出た。
けれど。
ヨウくんの家に遊びに行ったら、るすだった。仕方がないので、公園でちょっと遊んで帰ることにした。
――それなのに。ぼくは今、山のなかにいる。山に入ったおぼえなんてない。ここがどこの山なのか見当もつかない。
「とにかく、山を下りよう。下りれば人もいるだろうし、うちにも帰れる」
道なんてない。すべらないよう気をつけながら、山を下りて行く。
しばらく歩いていると、もやがかかってきた。下りるにつれ、ひどくなるようだった。
「こんなかっこうで、だいじょうぶなのかな……」
半そで短パンに、ふだんからはいている運動ぐつ。食べるものといったら、短パンのポケットにソーダ味のあめ玉がひとつ入っているだけ。
「そうなんしたらどうしよう。――えぇっ?」
ぼくは足を止めた。止めるしかなかった。
自分が立っている少し先。そこには、見わたすかぎりにこゆいもやがしずんでいた。いや、それはもう、もやとはべつななにかに見えた。
海。
そう、まるで海。なみはないけれど、まっ白い海。
そこから先、そこから下は、まっ白でなにも見えない。まっ白が広がっていた。
――。
ふと、だれかの声が聞こえたような気がした。
「たすけてぇ〜」
「くるしいぃっ。なにもぉ見えないぃっ」
今度は、はっきりと聞こえた。先の、まっ白い海からわいてくる声だった。
足がふるえてくる。どうしようもなく、ふるえてくる。
「下には――行けない。行きたくない」
どうしよう。どうしたらいいの?
なやんでいると、まっ白い海から、白いかたまりがいくつもうかび上がってきた。どれもひとかかえはありそうな大きさで、そのうちのひとつがぼくにむかってきた。
近くで見ると、白いかたまりには下の方に手足がついていた。ぺらぺらで、紙をさいたようなものだったけれど。手と足、だった。
にげなきゃ、と思った時にはおそかった。
目の前がまっ白になる。白いかたまりがおおいかぶさってきたんだ。ぼくは、いきができなくなった。のがれようともがいたけれど、白いかたまりはいっこうにはなれてくれない。
大きく、よろけた。
「あぶない」
と、声がして――それは多分、女の子の声で――ぼくは右手を引っぱられた。同時に、しかいがもどり、いきもできるようになる。白いかたまりがはなれたんだ。
「もう少しですべり落ちるところよ。しっかりなさい」
ぼくの手を引いてくれたのは、長いかみをツインテールにした、赤いワンピースを着た女の子だった。
「走れる?」
「うん」
ぼくがうなずいて見せると、女の子は山を走って登りはじめた。手をつないだままなので、ぼくも同じペースで登ることになる。
これは、しんどい。
「あ、あのさ。えぇと。――登るの?」
「さっきみたいにつかまって、あの、まっ白いなかに引きずりこまれたらどうするの。きっと、とんでもないことになるわ」
「そ、そうだね」
どうにかこたえながら、みがるにかけ上がる女の子の足もとを見た。女の子は、ワンピースと同じ赤い色のサンダルをはいていた。
どのくらい走ったのだろう、いつの間にかもやが晴れていた。白いかたまりがおってきていないのをかくにんして、ぼくたちはきゅうけいした。
「サンダルでよく走れるね。すごいや」
「そう? なれているだけよ」
と、女の子はなんでもないことのように言う。
「これからどうしよう」
「登らなきゃ。ここはどうやら、そういう山なんだから」
「もう、うちに帰りたいよ。……まだ登るの?」
「まだまだ登るわよ。白いかたまりにおいつかれないようにね」
「あぁ……」
女の子に言われ、しかいがうばわれていきができなくなった時のことを思い出した。
少し、もやが出てくる。もやがおいかけてきたみたいだった。
「わかったよ。登るよ」
「いい子ね」
「なんだよ、それ。そんなに子どもあつかいしないでよ」
見たかんじ、ぼくと女の子は同じくらいのとしだった。子どもあつかいとか、かんべんしてほしい。
「はいはい」
と、女の子は小さくわらっている。
「あのさ。ぼく、カケルっていうんだけど」
「そう。じゃ、行きましょうか、カケル」
「えっ。う、うん」
こちらが名のったので、てっきり相手も名のるものだと思っていた。なんだか、ちょううしがくるった。
いいんだけどね、べつに。
……。
ずいぶんと長い間、登り続けていた。走ってはいないから平気、というわけにはいかない。
「いいかげん、つかれたんだけど」
「つかれた? いいじゃない。生きてるしょうこよ」
女の子は、なんでもない、という顔をしている。
「ひどいや」
「本当に、ひどいよな。ひどい、ひどい」
ぼくのつぶやきにこたえるよう、男の人の声が聞こえた。
男の人の、声。
「だ、だれ?」
ぼくは登るのを止め、まわりを見る。
「どうかしたの?」
女の子も足を止め、ふしぎそうな顔をした。
「今、男の人の声が……」
「男の人? 声?」
女の子は首をひねった。
「聞こえなかったの? おかしいな……」
「その赤いのをしんようするな。仕組まれているぞ」
と、また男の人の声がする。赤いの、とは女の子のことだろう。
「えっ? それって、どういう――」
「しずかに。気づかれる」
男の人の声が注意してきた。
「ねぇっ。男の人なんていないけど。声がしたの?」
見まわして、女の子が言った。
「あ、いや。ぼくのかんちがいかな」
「そう?」
女の子はけげんな顔をしている。女の子には男の人の声が聞こえていないらしい。
「その赤いのをしんようするな。この山をサンダルで走れるなんてふつうじゃない。あやしいじゃないか。じつは、正体をたしかめるいい手がある。ポケットのあめ玉を食べさせるんだ。白いつつみ紙の方だぞ」
と、男の人の声。
う、ん。
言われてみれば、あやしい子だという気もしてくるんだけれど。
……白いつつみ紙のあめ玉、か。たしかに、短パンのポケットにはあめ玉が入っている。でも、ソーダ味の青いつつみ紙のものがひとつだけだったと思うけど。
「あめ玉、あめ玉――と」
ポケットに手をつっこんでみる。――手ごたえがあった。つかみ出してみると、それはふたつのあめ玉で。
青いつつみ紙のあめ玉と、白いつつみ紙のあめ玉。
……本当に、あった。白いつつみ紙のあめ玉。
「ねぇ、どうしたの?」
「いや、あのさ。……これ」
ぼくはソーダ味の青いつつみ紙のあめ玉をポケットにもどすと、白いつつみ紙のあめ玉を女の子にさし出した。
「なに? あめ玉? くれるの?」
女の子は白いつつみ紙のあめ玉をうけとった。
「カケルの分はあるの?」
「うん。ぼくのもあるから」
と、短パンのポケットをたたいた。
「そう。ありがとうね」
女の子があめ玉を口にほうりこんだ。――と、思ったら、直ぐにはき出した。
はき出されたあめ玉から、もやがふいて、あの、白いかたまりがきゅうくつそうににじり出てきた。女の子は出てきた白いかたまりをたたき落とし、あめ玉もろともふみつぶした。
白いかたまりはもがくように動いて――きえた。
「カケルぅ」
女の子がふくれっつらでぼくをゆびさした。
「ご、ごめん。そうするように言われて……」
「さっき言ってた、男の人の声ってやつ?」
「うん」
「そう。そう、なの。ふぅん」
目を見て知れる。女の子はおこっていた。
「カケルが聞いたっていう声の主がなにものなのか、けんとうはついているの。――頭にきた。気がすむまでまどわされてあげて、おんびんにすませようと思ったのに。カケルの心を直にむさぼろうとするなんて」
女の子がりょう手をふってじたんだをふむ。くやしがっているのではなく、なにかべつな強い気もちをかんじた。
「うげっ」
と、短いうめきが上がった。
足もとがなみうって、ぼくと女の子の足が少ししずむ。
「こいつめ、こいつめ。――こいつめぇっ」
赤いサンダルがひときわ深くふみこまれた。ぼくらの立っているあたりがふくらんで――はじけた。
「グゥォォォォォッ」
低い、声なのか音なのかわからないものがつき上げてきて、ひびいた。
「わぁっ」
ぼくは、おどろいてしりもちをついた。そのまま山を転げ落ちる。
目の前がまっくらになった。
「お〜い。どうしたの? すわりこんで」
ヨウくんの声だ。ヨウくんが――ぼくのそばにいた。
「えっ……」
まわりのけしきが目に入る。よく知っている遊具、センダンの木、かなあみのさく。
ぼくは公園の砂場にすわりこんでいた。目の前には砂でつくった山があって、どうしてだかてっぺんからふみつぶされていた。
「お母さんとぼくとイノリとで、買い物に行ってたんだ。カケルくん、なかなかこなかったから」
イノリというのはヨウくんの妹で。ヨウくんは、すまなそうに頭をかいた。
「宿題をやってたから、少しおそくなったんだ」
ぼくも、頭をかいて立ち上がった。ぼくとヨウくんはやんわりとわらい合う。
「さっきうちに帰ったんだけど。イノリが、どうしても公園に行きたい、って言って。だから、つれてきたんだ」
ヨウくんの後ろから、イノリちゃんが出てきた。
「カケルくんが公園にいるとは思わなかった。でも、よかったよ。一度、うちにきたんじゃないの?」
「うん。そうなんだけど……」
「やっぱり。ごめんね。本当に、ここで会えてよかったよ。な、イノリ?」
ヨウくんに聞かれ、イノリちゃんはだまってうなずいた。
イノリちゃんは、むねにだいた人形をなでていた。それは、ツインテールの――赤いワンピースを着て、赤いサンダルをはいた女の子の人形だった。
(おわり)
登らなきゃいけない山 白部令士 @rei55panta
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