若気の至りは、コブレンツに在り
急に身体感覚を手元に帰ってきて、僕は目蓋を乱暴にこじ開けるように目を覚ました。どこかの窓からか朝日の自然光が入ってきている。
自分が仰向けになって柔らかく温かい物で包まれているのを、瞬時に脳が判断した。
「板倉さん、おはようございます」
左耳に若い女性の声が自然と流れ入ってくる。
声の方に顔を振り向けると、白い布団を引き寄せるようにして肩まで被り横たわっている木下さんの姿があった。
僕と目線が合った途端、木下さんは初恋をした乙女みたいに頬を赤く染めて俯いた。
え、なに?
状況がわからない僕は、上半身を起こして近傍に目を配った。
木下さんと同じ布団で同じベッドの上にいる。
つまり…………僕は木下さんと同衾している?
「あの、これはどういう状況なんでしょうか?」
正面の部屋の白い壁を見つめて、独り言ぐらいのテンションで誰にともなく問うた。
「意地悪なこと言わないでくださいよぉ」
左横で身じろぎする気配の後、甘えるようなたゆんだ声を木下さんが発してしなだれかかってくる。
「自分から私を抱いたくせに」
その言葉で与えられた危機感でゾクゾクッと全身が凍り付いた。
僕は昨夜、一体何をしてたんだ? 僕の方から木下さんを抱いた? そんな記憶ないぞ! はっ、そもそも夕食から後の記憶が消し飛んでいる!
とまあ、この時の僕は焦りに焦った。
頭の中で事実否定の言葉が飛び交う。
「もう何か言ってくださいよぉ。何を求めても受け入れますからぁ」
「じゃあ、帰ります!」
布団から飛び出して、ベッド横の小さいテーブルに置いてある黒のショルダーバッグの紐を掴んでドアに爪先を向けた。
「服も持ってってくださいよ。まさかそのままの姿で帰るわけじゃないでしょ?」
「え、服?」
自分の姿を見下ろすと、上下の肌着だけのとても外を出歩けない格好だった。
慌てふためきながら部屋の中で服を探すと、陽光の射し込む窓際の収納棚の前に綺麗に折り畳まれた状態で積まれてある。
僕は急いでラフなブルゾン姿に戻って、バッグを袈裟懸けし直しながら部屋から、さらには住居から逃げ出した。
幸いまだ雄司さんが起床しておらず、見咎められずに葡萄畑を抜けて、つんのめるように走って左右を芝生に挟まれた坂道を下った。
丘の麓の道路でタクシーを拾い、息を切らしたまま一昨日に泊まったホテルに行き先を決めて、運転手に告げた。
タクシーが走り出してしばらくすると、拍動が落ち着き、呼吸が整ってくる。
普段の呼吸に戻ると、口の中に味が残っていることに気付く。
その味は甘酸っぱく、昨夜のワインの味なのか、それとも――。
それ以上考えるのが恥ずかしくて、僕はタクシーの車窓からの風景に視線を移すと、ラインとモーゼルの分水嶺が街を隔てて遠く望めた――――
心なしか、口の中で当時の甘酸っぱさが蘇ってきている。
葉書に書かれた結びの挨拶の後、まだ続きがある。
追伸
あなたが雑誌記者をお辞めになりましたら、私と父は快く入り婿として歓迎いたします。
私の知らないうちに日本へ帰るなんてことをなさっても、私が日本へ追いかけてでも責任を果たしてもらいます。
すぐにでも今の職業から身を引きこちらでお暮しになっていただきたいのですが、強引に婿に迎えるのは迷惑と存じますので、猶予をお与えします。
ですから、他の女性と婚姻などはなさらぬように、お願いいたします。
未来の夫へ、未来の妻より。
僕は無言で葉書をテーブルの上に伏せて置いた。
甘酸っぱさの甘さだけ除かれて、梅干しみたいな酸っぱさだけが口の中を満たし始める。
雄司さん、僕も若気の至りという失敗談を語れるようになりました。33歳だけど。
あなたたち、木下親子のおかげでね……。
今にして思えば、木下さんと同じベッドで寝かされたのは、木下親子の策略だったんじゃないかと考え得る。
※送られてきたワインは、後程美味しくいただきました。
板倉朋音の取材録 青キング(Aoking) @112428
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