狼青年は毎日が空恐ろしい

坂入博

壱. 通常運転の日

 「恥の多い生涯を送ってきました。」と太宰は言った。歳を食えば僕もそう思うのだろうか。たばこの煙をだらしなく吐きながらそんなことを考える。喫煙所には、暖かい風が吹いている。


 喫煙所といっても自立型の灰皿とベンチが一つずつ申し訳程度に設置されているというまあなんとも簡素なものである。

 去年までは建物内のグラウンドに面した場所にあったのだが、人が10人も入れず、その外で喫煙する学生が後を絶たないので、大学側は仕方なく駐輪場の端のスペースにに喫煙所を設けたのだ。屋根はあるが、雨天の時は、雨が吹きぶってくるので、不満を漏らす学生も少なくない。でも僕は結構気に入っている。屋内の喫煙所の臭いは、喫煙者でも耐えがたいので、外のほうが気持ちよく喫煙できるのだ。


「ねえねえ、昼飯一緒に食べようよ。」


 新入生だろうか。春の陽気に障てられた連中が盛っている。女共も「え~」などと言いながらまんざらでもない顔をしている。気持ち悪い。

 だから春は嫌いだ。みんなが活気に満ち溢れている。新入生、新社員、それを迎える先輩たち、大半の人は生活に変化が訪れ、気持ちを新たに褌を締めなおす。誰に言われたわけでもないのに頑張ろうとする。それがなんだか狂気的に感じてしまう。僕にとって春はどこもかしこも桜の森の満開の下だ。


 そろそろお昼にするか・・・

 重い腰を上げ、いつもの場所に向かおうとする。


「おい、お前また講義さぼっただろ。」と背中を殴られた。

「ああ、野々村か。」

「ああ、野々村か。じゃねえよ。もう3欠席だぞ。」

「今日は出るつもりで来たんだけどなあ。そこで事切れた。」


 1回。


「誰だ!こいつが通る道に喫煙所を作ったのは!まさか・・・陰謀・・・?」

「ジュラル星人の仕業に違いない!」

「・・・なあ、そのボケ他の人にやるなよ?この大学でそれが通じるのは、お前に無理やり見させられた俺だけだからな。」

「わかってるよ・・・」

「んー、考えられるのは大学側の人間か?お前みたいなやつが教師になったら子供に悪影響を与えるのは間違いないだろ?」

「間違いないのか。」

「たぶんお前の出身大学になるのが嫌なんだよ。」

「それはそんなやつを見抜けず入試に合格させた大学が悪いのであって、僕に責任はない。」

「ごもっともで。」

「野々村みたいに教師におあつらえ向きな性格じゃないことは認めるよ。」

「まあお前は頭のいい子供を吐瀉物で煮込んだみたいな性格だけど、教師って職業が向いてないとは思わねえよ。」


 小学校からの仲だというのにこいつはひどいことを言う。


「そんなモンスターの好物みたいな教師が授業なんかできないよ。保護者(モンスター)に食われて終わりだ。」

「違いねえ。」


 そんな話しをしているうちにいつもの場所に着く。


 ここは、学生ホールと呼ばれる場所で、大きい机と椅子数個のセットがいくつかおいてあり、学生が昼食をとったり、空き時間に駄弁ったりするところだ。簡単に言うと学生のたまり場である。グラウンド側の壁がガラス張りになっていて、テラス席で仲睦まじく弁当をつつくカップルが目に入る。彼女の手作りだろうか。どうか彼氏がこの後下痢になりますように。


「おーい。こっちや、こっち。」


 ゴリラ顔の小太りが手をぶんぶん振りながら僕らを呼んでいる。そのゴリラの机には後輩と見られる女が4,5人集まっていて、何やらこちらを指さして小太りとキーキー楽しそうにしゃべっている。少女地獄。僕は心の中で中指を立てた。

  野々村が小走りでその豚ゴリラのもとへ向かい、僕はそのあとを歩いてついていく。


「野々村先輩こんにちは!」

「おっす!お前らまたこいつとしゃべってたのか。」

「だっておもしろいんですもん~」

「そんなほめてもなんも出やんで。」


 僕は輪に入れずスマホをいじる。


「ねえ、そろそろ・・・」


 一人が僕のほうを見ながらしゃべっている女の肩をたたく。


「あ、そうだね。じゃあまたお話し聞かせてください!」

「おうよ!」

「またな。」


 一人が僕に会釈する。

 僕は笑顔で小さく手を振った。


「山口、あいつら誰?」

「ん?自治会の子らやで。」

「あー、なるほどね。」


 山口と野々村は自治会というやつに入っている。自治会とは、主に学園祭、その他行事を取り仕切る、生徒会と文化祭実行委員を合わせたようなものである。


「静太も入ればよかったのに。」


 野々村が残念そうに言う。


「僕がそんなめんどくさそうな委員会に入ると思う?」

「まあ入んねえな。」

「だろ?さっきみたいなやつらの相手するのも嫌だし、疲れるし、だるい。ただでさえ、お前らの顔が広いせいで一緒にいる僕まで認知されて迷惑してるのに。」

「知り合いが増えんのはええことやろ?」

「知らないやつに笑顔で名前を呼ばれるんだぞ。恐怖以外の何物でもない。最初は自分が記憶障害なのかと疑ったよ。」


2回。


「見たことあるのに覚えてないんだから記憶障害といってもあながち間違いじゃないだろ。」

「1回見たらもう知り合いなのかよ。じゃあ会ってもおはようくらいしか言葉を交わさないくらいのやつとかいるけど、そいつら全員大親友だな。友達100人と富士山でおにぎり食べるのも夢じゃないよ。」

「・・・静太ってほんまひねくれてるっていうか、ねじり切れてるよな・・・」

「頭のいい子供を吐瀉物で煮込んだみたいな性格なんだってさ。」


 片方だけ口角を上げて笑いながら野々村のほうを見る。


「そんなに仲良くない人と接する時の猫かぶってるお前はすげえいいやつなのにな。さっきの笑顔もなんだあれ。」

「好印象持たれるにこしたことないだろ。」

「あの子たちも、あの優しそうな人誰ですか?って言うてたで。」


 指さしてたのはそういうことか・・・


「山口に譲るよ。はあ・・・また知らない知り合いが増えた・・・まあ、別にどうでもいいか。」

「なんかお前といるとこっちまでだらけた気分になってくるよ。」

「日々怠惰をモットーに生きております。」


 できるだけ面倒なことはしない。必要以上に人間関係を広げない。嫌われるのも面倒なので、疲れない程度に愛想よくする。責任を負うことはしない。自分は○○ができる!と自慢する人はどれほど自分に自信があるのだろうか。僕はできそうなことをするときも保険を掛ける。できなくても仕方がないと思わせる。期待されないようにする。


 それが僕の堕落論。


 4時限目の講義も終わり、サークル活動に勤しむ学生の姿がちらほら伺える。学生ホールも今日の講義を終えた学生で賑わっている。あのエネルギーはどこからわいてくるのだろう。光合成?いや、雨の日でも元気か・・・


「静太!一服しにいこや!」


  山口も年中元気だ。


「うん。」


 喫煙所に人はあまりいない。教育系の大学なのだから当たり前といえば当たり前か・・・


「なあ、静太って彼女おったっけ?」

「ん?いないけど?」


 3回。はあ・・・


 たばこをくわえ、オイルライターで火をつける。


「そりゃそうか、めんどくさいことの代表格やもんな。」

「あんなこと好んでするもんじゃないよ。」


 付き合う女の人にもよるだろうが、行動が制限される。金がかかる。ケンカになるとめんどくさい。嫉妬されるとめんどくさい。相手をするのがめんどくさい。

 そもそも何のために付き合うのか。付き合わなければ二人で会えないわけではないし、仲良くしゃべってヤるだけなら別に付き合う必要はない。僕らくらいの歳で結婚を考えてるやつも少ない。興味・妥協・惰性。大抵そんな感じだろう。


 いや、理由なんかないのか・・・


「山口もいないだろ?」

「そうやねん。誰かいい子おらんかなあ・・・」

「お昼の子たちはダメなの?」

「ダメってことはないねんけど・・・静太はどう思う?」

「んー、そうだなあ・・・たぶんあの子たちはお前のことが好きで声をかけてくるんじゃなくて、大学で目立っている人気者の先輩が好きなんだよ。お前と仲がいいことを一つのスペックだと思ってるんじゃないかな?この大学での地位向上を図るのに使われてるんだよ。」

「・・・お前に聞くべきじゃなかったわ。」

「これ以上利用されずに済むだろ?」

「あほか。聞かんかったら今まで通り気分よくしゃべれたわ。」

 山口はむくれながら灰皿に灰を落とす。

「まあまあ、お前デブゴリラの割にモテるからそのうちできるだろ。」

「否定はせんけどもうちょいオブラートに包めよ・・・」

「ああ、ごめんごめん。すでにラードに包まれてるからダメージ通りにくいかと思って。」

「ひどい!父さんにもそんなこと言われたことないのに!」

「まともな父親なら実の息子に油まみれで食うとこないなんて言わないよ。」

「いや、その前に食う前提で育ててへんやろ。」

「ははは、そうだな。いやあ、山口といると飽きないよ。」

「俺も静太とおるおかげで、自虐ネタのレパートリー増えてうれしいわ・・・」


 遠い目をしている。あれ?山口さん?泣いてないよね?ね?


「そろそろ帰るか。山口は?」

たばこの火を消しながら聞く。


「おれは今日も打ってから帰るわ。」

右手をひねりながら悪そうな顔をしている。


「ほどほどにしとけよ・・・」

「おう!勝ったらあした昼飯おごったるわ!」

「期待せずに待ってるよ。」


 鞄を持ち、門へ向かう。


「静太!ちゃんとおごられに来いよ!」

「わかったわかった。恥ずかしいから大きい声でそんなこと言うなよ。」

「だってお前1か月に2回くらい勝手にゴールデンウィーク入るだろ?」

「僕のカレンダーにはそう書いてんの。」

「お前はほんまに・・・1週間に一回は顔見んと寂しなるんねん。静太ロスみたいな?」

「そんな電王の赤いやつみたいに言うなよ。てか、気持ち悪いよ・・・ゲイなの?」

「ちゃうわあほか!」

「・・・まああしたは来るから。ちゃんと勝てよ。」

「おう!任せとけ!」


 午後9時。ベッドに寝ころびながら本を読む。至福・・・


 ピコーン。通知音が鳴る。

「今日何してたの?」


 はあ・・・


「大学行ってたよ」


 ピコーン。

「今は?」


 この流れは電話しよパターンか・・・


「疲れたからもう寝る。おやすみ。」


 てきとうに返信してスマホの電源を落とす。

 机に移動し、ノートを開く。


「今日は3回・・・程度も回数もましなほうかな・・・」


 ノートに書き綴られた日ごとの回数と内容を見返す。

 今日の2時限目の講義に出るつもりはなかった。というか講義が終わる時間に大学に着いたし、知らないやつに声をかけられたことなんかないし、彼女もいる。

 そう、僕は嘘をつく。我ながらどうしてこんなしようもない嘘を・・・と思うが、無意識のうちに、息をするように、心臓が鼓動するように、嘘をついているのだ。

 こんな奴が教師になんてなれるわけがない。まあなるつもりもないが・・・

 教師でなくとも社会人に、大人になったときにこんな人間が生きていけるのだろうか。


 無理だろうな・・・


 ”あんなこと”があったのに改善の傾向が見られない。

 きっと死ぬまで同じことを繰り返すのだろう。


 僕は毎日が空恐ろしい。






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