第15話『セイルバイン』

 曇天が青空を覆い隠し激しい鉄砲雨が降る中、リザードマンの少年が2人、黒頭巾を被って歩いていた。


 干ばつで一切の水分を失い干上がった大地に、先日突如雨が降り出した。


 ここ最近、全く雨が降らず気温も上がり続け、少年2人が住む村は活力をなくしてしまった。作物は育たず、疫病が流行り、食料を求めて村の外から凶暴な魔物が押し寄せてくる。

 そんな日々に、この雨は終止符を打つのだ。


 ――と皆歓喜した。

 しかし、この降り出した雨もまた異常気象の序章に過ぎなかった。

 雨は止むことを知らずに、日増しに激しく、強くなりながらも降り続けた。


 上昇しきった気温は徐々に下がり、一向に姿を現さない太陽に村のリザードマン達は気力も体力も、何もかもを失った。それはリザードマン達だけではないようで、日に日に村に来る魔物も少なく、弱くなり、遂には来なくなる。


 外に出歩くリザードマンもなくなり、村を守る要である戦士でさえ、家から1歩も出てこなくなった。

 村長であるリザードマンは疫病で寝込んでおり、既に村は村としての機能を成していなかった。


 そんなある日の早朝、2人の少年、――村長の息子とその友人が村を抜け出した。

 抜け出した理由は単純にして明快。 

 打開策を探して村の外へ出た訳ではない。家に閉じこもる大人に呆れたから、という気持ちは少しはあったのかもしれないが、単に飽きたのだ。ずっと家にいるのは退屈だったのだ。


 リザードマンは朝に弱い。なので、誰も起きていないであろう早朝に、2人は抜け出した。

 激しい鉄砲雨に打たれながらも、持ってきた食料で腹を満たしつつ、どこに進んでいるのかもわからない状態で何も考えずにただ歩き続けた。

 木に目印を付けながら歩いたので帰るのに支障は無い。


 歩き続けて2日目の昼、食事を取ろうと2人は近くの小さな洞窟に入った。

 その洞窟は見た目に反して、中に入ると奥が見えないほど予想以上に広く、2人は食事を終えると、この洞窟を探索しようと奥に進んだ。

 リザードマンはある程度夜目が利く。

 洞窟内は真っ暗闇だったがなんとか前進できた。しかし、いくら進んでも一向に行き止まりに辿り着くことは無く、2人は道を引き返そうと後ろを振り向く。


『……ギギ』


 すると、洞窟のさらに奥から何か鳴くような音と地面を擦るような音が聞こえてきた。

 その音は徐々に近づいてくる。

 2人は短剣を手に、身構えた。


「ギャギャ!グギャギャ!」


 訳の分からぬ言語で唾を撒き散らしながら目の前に現れたのは、緑の皮膚に醜い顔面、そしてボロ布を身に纏う1匹のゴブリン。


 2人の少年は視線だけで合図をとると、ゴブリンを挟むようにして同時に走り出した。

 ゴブリンは手に持つ棍棒を我武者羅に振り回すが、2人の少年にはかすりもせず、首を掻っ切られて絶命する。


 絶命したゴブリンは、驚くことに光の粒子となり消滅した。

 洞窟内で倒した魔物が消滅する現象を、2人とも知っていた。

 そして、2人の少年は確信する。


――ここハ迷宮ダ。


 ちょうどその頃、村民総出で2人の捜索が始まろうとしていた。

 村に帰ると2人は村長らにこっぴどく叱られた訳だが、まるで反省している様子はない。

 どころか、興奮冷めぬ様子で今にも喋りたそうにしている。


「どうしタのダ?」


 病がちな村長が尋ねると、2人は待ってましたと言わんばかりに口を開く。

 そのあまりに衝撃的で懐疑的な内容に、皆が耳を疑った。


――迷宮の発見。


 村長は重い腰を上げて戦士数名を迷宮と疑いのある洞窟へ派遣する。

 数日後、帰ってきた戦士から迷宮発見の報告を受け、与えられた選択肢は2つ。

 留まるか、移住か。


 即決だった。

 それは誰もがこの生活に嫌気がさしていたから。


「移住の準備をせよ」


 決定してからは早かった。

 全村民が1日で荷物を纏め、次の日の夕方下がり、リザードマンらは出発した。

 疫病にかかっているものは歩けるならば歩き、歩けないなら誰かが背負い、互いに協力しながら、1日かけて迷宮に辿り着いた。

 入口付近に住むことも考えたが、全村民が居住できるほどの広さはない。

 奥に進むという選択肢しかなかった。


 数時間歩くと広い空間に出る。

 ここなら住めそうだ。誰もがそう思った。

 食える魔物はいる、水もある、暑くも寒くもない住みやすい温度。地面は土質。作物も育つだろう。




 だが、芽生えた希望は一瞬のうちに摘まれた。


 この空間の地面全体が突如赤く発光する。

 大規模転移魔法陣だ。

 魔法陣からは誰も逃れられない。

 そのままリザードマン達は転移した。




…………………………………




 いつからだろうか、希望を捨てたのは。

 いつからだろうか、全てを諦めたのは。


 親が死んで、兄弟が死んで、親友が死んで、息子が死んで――。


 この迷宮へ迷い込んでから、その全ての死を見届けてきた男がいる。

 色褪せた彼の世界に光などない。無限に続く闇が、――絶望が、彼の心を蝕んでいた。

 彼の体は今も昔と変わらないくらい動くはずだが、心が腐っていくにつれて体も心を追うように動かなくなってしまった。

 動くことをやめた彼は、今を生きる若者に託した。

 そして村長という座に就いた。かつての友を追うように――。


 そんな彼に不思議な、転機とも言える知らせが届いた。


「1界よりも上カラ来タという者ガ寝床を対価に我々を救う、とカ……訳の分カラぬことを言っておりマす。どうナサいマすカ?」

「ここよりも上カラ?そんナ馬鹿ナ」

「ジュダルオン殿も一緒に居ラれて、話を通すよう言ワれ……」

「ふむ……ジュダルオンをここに呼べ」

「ハ!」


 焦った足取りで走っていく様子を眺めながら、懐かしい感情を思い出していた。

 それは“期待”だ。

 既に1である分際で、何を期待しているのか。


「お待タせしマしタ。――セイルバイン様」

「止めんカい。儂のことハ長老と呼べとアれほど言っておるのに」


 そう。長老、――セイルバインこそが悠久の時を生きるリザードマンなのである。


 セイルバインは、ここに来て30年ほど経った頃に行われたカタツムリ大討伐作戦において戦死した。

 そう、死んだのだ。


 カタツムリ大討伐作戦とは、3界までのカタツムリを殲滅するというものだった。当時はまだ1界にしか居住区が無く、二界からは戦場だった。

 そこで決行された作戦で、沢山のリザードマンが戦死した。その内の1人だったはずのセイルバインは、10年後突如変わらぬ姿で目を醒ました。

 そして奇跡的に上の界まで這い上がってきた……という話になっている。


「それで、ジュダルオンよ。上カラ来タ者というのハどのようナ者ナのダ?」

「――圧倒的強者です。手も足も出マせんでしタ」

「戦ったのか……」

「そして――」

「マダ何カアるのカ」


 ジュダルオンは右手を高く掲げた。その指には煌びやかな、何故か視線を逸らせない魅了的で不思議な指輪が嵌められていた。


「私の主です。負けて従魔にナりマしタ」

「ハ?」


 セイルバインは混乱の極みにあった。

 圧倒的強者。敗れて従魔。主。これらの単語が頭の中をぐるぐる回った。

 理解できないのではない。したくないのだ。

 何故ならそれは――


「ときにジュダルオン。お主ハ今後どうしタい」

「主様についていきマす」

「そうカそうカ……」


 間髪入れずに返事がくる。

 ジュダルオンの目を見れば、聞かなくてもどう答えるかは分かっていた。

 それでも聞いたのは、意志の強さを確かめるため。

 心に揺らぎがないか確かめるため。


「――よカろう。おい!」

「「ハッ!」」

「速ヤカに寝床を用意せよ」


 セイルバインのこの判断が、誰も予想しない形でリザードマン達の未来を大きく変えた。


「入るぞー」

「こらっ!デューク!あ、どもー」

「……失礼しマす」


 次の日、セイルバインの部屋に1界よりも上から来たという者がやってきた。セイルバインは1人だと思っていたが、どうやら違うようで2人いた。

 やってきた彼らは、遠い昔の、小さい頃の記憶に残っている種族、人間だった。


(懐カしいの)


 人間、または人族と呼ばれる種族は、特徴がないことで有名だ。突出したものがない、とでも言えばいいか。

 しかし、だからこそ。何にでもなれる種族。ある意味最強だ。

 そんな種族がセイルバインの前に現れた。


 1人は目の青い黒髪の男で、長めの髪で右目を隠したどこか気だるげな青年。

 もう1人は流れるような美しい銀髪に、愛らしいくりくりとした翠目。僅かに残る幼さの中に清らかさを兼ね備えた白装束の少女。


「まず質問をいくつかしたい」


 纏う雰囲気が常人のそれとは違う、とでも言えばいいのか。2人は強者の風格を持ち合わせていた。

 恐らくここにいるリザードマン達では敵わない。どころか、精鋭を集めても勝てるか微妙なところだ。


 そして、交渉を無事終えて一休みしようか考えていたセイルバインの元に、広場でリザードマンの子供が上から来た者に暴言を吐きながら危害を加えている、という情報が入った。

 セイルバインは焦った。

 気にでも触れてさっきの話をなしにされるかもしれない。まだどういう人物かも掴みかねている。おちゃらけているようで掴みどころのない、油断ならない男だった。だから祈った。

 そして、その祈りは届いた。

 セイルバインはこの時、初めて神に感謝したかもしれない。


「デューク殿御一行ハ、子供ラを許し弟子にしタそうです」


 その知らせを受けて、安堵したセイルバインは、やっと一息つくことができたのだった。


 次の日、セイルバインは久しぶりに部屋から出た。

 ついさっき3界にいくという連絡をしてきたデュークらの実力はどれ程のものなのか。それを考えたらいても経っても居られなくなり、実際にこの目で確かめようと思ったのと、なんだか嫌な予感がしたからだ。

 セイルバインが護衛を引き連れて3界、防衛隊担当地区へ行くと一触即発の雰囲気が漂っていた。


「私ハ主様にテイムサれ、従魔にナりマしタ。その時、1つお願いをしタのです。私タちを助けて欲しい、と」

「ナに勝手に決めてんダ!アァ?!誰の許可貰ってこんナとこ連れてきヤガっタ!」


 非常にまずいと感じたセイルバインは、すかさず口を開いた。


「――儂じャよ」

「ア?――っげ!長老、どうしてこんナところに」


 険悪なムードは一気に消散して、話し合いが始まった。

 だが、何事もなく話し合いが終わるはずもなく、デュークの挑発とも思える発言、行動に再び険悪な雰囲気になったままこの話し合いは終わった。


「デュークよ。本当に大丈夫ナのカ?」

「任せとけ。なんたって俺は、――二十代目極剣だからよ」

「……なんと」


 その発言に、脳天が撃ち抜かれたような激しい衝撃がセイルバインに襲いかかった。


 極剣とは、様々なおとぎ話にでてくる人物で、最強の代名詞だ。

 『極剣が負ける時は世界が終わる時だ』と言われるほどの強い人物。

 極剣物語という本が、リザードマンの村にもあったのだ。そして、その本はセイルバインが大好きで、大切な本だった。


 もとより少しだけでも戦闘を見ていこうと考えていたセイルバインだが、その意思が更に固まった。と同時に、期待も際限なく高まっていった。

 久しく忘れていたこの感覚に、セイルバインは震え上がった。


 そして行われた戦闘は、予想だにしないものだった。

 極剣と名乗っておきながらカタツムリに拳で殴りかかったのだ。

 てっきり剣を使うものだと思っていたセイルバインは、ポカンと口を開け放心した。

 剣はトドメを刺す時にしか使っていない。

 だが、鮮血を散らしながらカタツムリの殻に殴り掛かるその姿に、無意識のうちに昔の自分を重ねて、セイルバインは両拳にできた古傷を眺めるのだった。

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勇者パーティーを追放された最強剣士、魔剣を拾い迷宮を征く 春舞祐斗 @night-knight

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