慰み

 一体、どこへいったんだ。

 少し目を離したらこうだ。猫にだってもう少し気配があるというのに、まったく……

 まあいい、見当はついている。ゆっくり、追い詰めてやる。

 エレベータの扉が開いた。

 案の定、ボタンを押してからの時間と今登るのに使った時間は等しい。気まぐれで屋上へ出てはいないようだ。こんなときに一人でリゾート地へ行きはしないか、流石に。

 とすると、何か考え事でも見つけたのか?

 致命的な問題にまた一人で気づいたのかもしれない。

 自然と壁の流れが早くなる。

 ぶつかったら簡単に壊れてしまいそうだったのは昔の話。

 だが、どれだけ柔らかくなろうと、思い詰める性質は残り続けている。それが核になっているのだ。これからも消えることはないだろう。

 心配だ。

 深く沈みすぎてなければいいが。

 せめて命題だけでも取り出しておかないと今日が全く無になってしまう。

 最奥の部屋。ここにいるはずだ。いきなりドアを開けたところで、咎められるいわれは全く無いが、中で何をしているのかわからない以上ノックを。お互いの為に。

 二度三度、繰り返しても反応が無い。

 やむを得ず、カードキーをかざす。生体認証は絶対イヤだと言って譲らなかったっけ。

 他の事は何を聞いてもそれでいいよとしか言わなかったのに。相変わらず、人間の基準はよくわからない。

 ソケットが感知してノブのないドアが去るまでの一瞬で心を造り上げる。

 最早内心は視られているのだとしても、やはり普段は何時も通りでありたい。誰に対してもそうするように。それも中々難しくなってきているが。

 室内は真っ暗。

 外部だどうなっているのかはともかく、ここに於いて今はまだ日中、頂点を過ぎていったくらいの時間。あえて作らなければこうはならない。

 もう三十分は遅れている。

 早く連れ出さないと。

 片手で照明のスイッチを全て入れる。キーに連動して点いていたフットライトだけでは力不足。

 いつから咲いているのかわからない漏斗状の白い花が一輪いるだけの部屋にぐったりした人間が座っていた。

 明かりに反応して、眩しそうな顔がこちらを向いた。

「やっぱり。ほら、行くよ」

 声をかけると再び目を閉じて天を仰いだ。至極、不服そうに。

「もー、なにしてんのさ。みんな待ってるんだから、はやく、可及的速やかに立ち上がって」

 デスクにわざとらしく寝そべると、たしかな微笑みを向ける。それでごまかせるつもりなのか。

 ひとまず、深刻さは感じられず安心だ。

 問題は引きずり出すことはできそうにない事だ。

 一歩踏み込めばドアは自動的に閉まってカギもおりる。剣闘士の檻のように、どちらかが勝つまでは出られない。間合いに入ってしまったら抗えるかどうか、自信がない。

「寝てたの? 眠そうだけど」

「いいや。ちょっとした旅をね。たまには思い出さないと忘れちゃいそうだから」

「ふーん。そう、ならよかった。今日これからなにをしなくちゃいけないのか忘れたわけじゃなさそうで。急にいなくなるんだから。昔っからそうだったよね、ふらふらいなくなってさ」

「そうだった?」

「思い出せなかった事もあるみたいですね」

「そうなんだよね。忘れちゃったら、しかたない、そう考え至ったのよ。とりあえずは、ってのもたまには大事」

 真っ白な柔らかい平面へと落ちていた。

 椅子からよろよろ立ち上がったと思えば、脇目も振らずに。

 折り曲げられていた体を伸ばすのはさぞ気持ち良いことだろう、うつ伏せで抱いたクッションに慰めを求めて、背徳に浸っている。

 じっとりと見おろす。

 気付かれないように息を吐きだして気を強く持ち直さなければ。

 ベッドを軽く叩きながらチラチラと視線を送ってくる。

 いつだってネコ扱いだ。気まぐれすぎる猫を呼びに来たのはこっちだというのに。

 ここは我慢所。

 焦れて近づいたら最後、ドアが閉まって、他の誰かが入る余地がなくなってしまう。

 物理的にも。空気的にも。

 しかし、黙って立っていても戦況は変わらない。

 膠着が敗北である以上、不利承知で攻めるしかない。

 微睡み微笑み、見つめられている。

 無言でいることに圧力を感じるような相手ではないし、間柄でもないことはわかっている。

 だとしても、手順は踏まれるべきだ。

「三秒以内に立ち上がらなければ、お覚悟を」

 今日くらいは強情に。

 それなりに重要な日。

 感情を弄ぶようで気が引けるが他にやりようがない。何もするつもりはない。だからこそ効果的だ。

 二つ折ると、無気力だった瞳が瞬きの後、仕事用のものへと変わった。

 希望が諦観に変わった。ゆっくりと起き、デスクに椅子をしまい、振り返った姿は凛々しくまるで別人の、優等生そのものだった。

 最後の抵抗として差し出された手くらいは引いてあげる。

「ノックしても返事がないから何事かと思ったよ。どうせ部屋にいるとは思ったけど」

「ん? ノックしたの?」

 余っている右手を顎に当ててなにやら思い返すように眉を顰め、立ち止まった。エレベータにはまだ遠い。

「したよ。何度も何回も幾度となく」

「なるほどね」

「なにがなるほどだよ。随分な瞑想だったようじゃないか」

「いやいやそれほどでもないんだけれど。やけに臨場感たっぷりだったなと思って。ほんと、寝てたわけじゃないからね? 今日がなんの日かくらい理解しています。ただ。ただ、いざとなるとねぇ、どうしようもないことが気になったりして……」

「逃げ出したくなる?」

「逃げ出せれば簡単なんだけれど」

 どんな意味が込められているのかは計り知れない。ただ、辛く囚われている様子ではないことが救いだ。

「始めちゃったものはしかたがないさ」

 誰かと歩く場合、互いに歩調を合わせようと遅くなるのは常だが、より顕著に現れている。

 床を叩く音は建ち並んだダンボールに掻き消され進んでいるのかどうかも怪しく感じる。視線も感じる。

 何度目かの逡巡の後、目を上げるとやはりこちらを見つめていた。目を合わせても表情を変えず微笑んだまま。これではたかが五十メートル程度を進むのに何年もかかってしまいそうだ。

「なんだい? ジロジロ見て。前見てないと危ないよ。何が転がってるかわからないからね、ここには」

「そうね。相変わらず、雑多に散らかってる。あーいうのもいるし」

 足元をなにかが通り過ぎていった。

 誰かが創った地を這う無機物。いかなる機能もない仕事半分遊び半分の産物。

「けれど、へーき。先導してくれているからよそ見していてもへーきなのです」

 前を見るどころか目を閉じてしまった。

 手に力が込められる。やはりこの手はそういうことなのだろう。

「何か考えたい事でもあったの? 思いつきがさ。なら、みんなにもそう伝えておくから、存分に考えるべきだ。急ぐ必要はないんだし、ゆっくりやればいい」

 私が。

 それが私に与えられた唯一の存在意義。

「んー。そうじゃないんだけれど。まあいいや。引き続き、エレベータまでよろしく」

「そう?」

「うん。残念ながらなにも考えておりません。心配しなくてもみんなが計算してくれた通り進んでる、頭の中ではね。あとはしっかり現実を見つめられていたかどうかが結果として出てくるのを待つしかない。我々は熱を持った観測者だからね。カミにはなれない」

「じゃあ何を…… 随分嬉しそうだったよ、にこにこしちゃって」

「いつもそうじゃない? 心がけてはいるんだけれど」

「そうだけど。そうじゃなくて。こう、何か良い事をひらめいた感じだったから」

 んふふ、と笑みを口に含んでいる。

 珍しく気分が高揚している様子。

 今日という日がそうさせるのか、あるいは別の要因なのか。

「昔もさ、こんな感じで、一緒に帰ってたなと思って」

「それだけ?」

「そうだよ」

「あんな真っ暗な中で寝るわけでもなく居たのは?」

「サンタを待つ子供と同じ」

 捕獲された手が目の前に晒されている。

 なるほど思う壺というわけ。

 全戦全敗。勝ち筋は存在しない。

「やっぱり、疲れてないかい? 最近は忙しかったからね、今日は寝ててもいいんじゃない。起動して少しデータを取るだけなんだからさ」

「呼びに来た人が言う」

「それはそれだよ。立場や役割は一つじゃないんだ、色々天秤にかけながら、選ぶ。で、今は一番大切な方に乗ってるわけ」

「それは、どうもありがとう。お礼はたっぷり夜にね」

 ニヤリと唇が歪んだ。

 ゾッとする。ゾクゾクする。

「でも大丈夫。言ったでしょ、今はへーき。今度はうまくやれる」

 結んだ手をより、強く。

「絶対に失敗は起こらない」

 決意と自信とを。底知れない瞳の奥に輝かせて。

「そういうとこが心配なんだけどなー」

「大丈夫。自分のことは自分が一番よく知っているんだから。他の誰よりも、私には無限の記憶も瞬時の計算もないけれど、それだけはある。至って異常に、狂気には堕ちずに。ほら、おいしそうなものを見たら食欲が湧くでしょ、それよそれ。結局は欲ってこと」

「んまあ、やる気があるっていうのはなんにせよ良いことだ。いい加減問い詰めるのもやめておくけどさ。なら、大人しく座っていてくれればよかったのに。二転三転波打って、振り回される方の身にもなってよね」

 まったく、いつも通り。

「ごめんごめん」

 頭を撫でられて。

 睨み返したとしても喜ばせるだけ。

「ちょっとトイレに、くらいのつもりだったんだけれど」

「電気もつけてなかったしね」

 わざわざ遮光してまで。

「でしょ。暗い所で目を閉じるとどうもね…… すぐに立ち上がるつもりでも、こう、椅子が離してくれないというか。それで、あれもこれもと思い出しているうちにね」

「やっぱり寝そうだったんじゃん。うそつき」

「ウトウトしてただけだから、夢と現の境で遊んでいただけだから」

 それを常識では寝ているという。

 戻ってくることなど本来、かなわない。

「あと少しだったんだけれど…… うん、あと少し遅かったら危なかったんだよ?」

「なにが危なかっただよ。もし寝ていたとしても椅子ごと運び出されるだけだから何も変わりはないんだ。結局はここに。意思とは無関係にだ」

「昔を思い出すこともなかっただろうね」

「いや、夢は見るだろう?」

「見ないよ。決してね」

 おかしな事を言って、ただ、微笑んでいる。

 戯言なのか本心か、いつもこの笑顔が煙に巻く。

「変なことついでにさ」

「うん」

「私にだってわかることくらいあるんだから。顔に出てた、何言ってんだろーって。ま、読みとっても汲み取りはせずに続けるけれど」

「好き勝手なさる」

「思い出すだけの凡人にとっては無意識が掘り起こした時間は貴重なんだよね。だから、今のうちにって感じで、回想の階層を行ける所まで進むわけなんだけれどさ。やっぱりそういう事はないのかなって。特別な人間は」

 誰もいない廊下。

「さあね、どうだろう。直接聞いてみたら?」

 特別で在るという事、ここに来てからは久しい。きっと以前ならとぼけることもなかったのだろう。

 また一つ、大人になってしまっている。年月と経験からは逃れられない。

「直接聞いてるの。他の誰かなんてどうでもいい。これから半分の笑いと半分の非難と少しの諦めを向けてくる天才の群れはどうでも。私にとって唯一無二の特別なヒトに聞いてるんだけれど」

 眼が。この眼に眇められるだけで、私はあたふたとして、思考不可能に陥る。

 昔からなにも変わっていないじゃないか。年月と経験からは逃れられないなんて、誰が言ったんだ?

「ないよ。索引を捲るだけだから」

「いいなー。ずるいじゃんね。昨日の食事を思い出すので精一杯な人だっているのに」

「そんなにいいものでもないさ」

 新鮮、という錯覚も無いのは思っている以上に退屈だ。

 大抵の場合、積もった埃を払っただけで、真に新しいものなんてそうは無い。

「ねえ」

 立ち止まる。

 わずかばかりの慣性が指に残った。

「ん、なんだい?」

「脳って美味しいのかな」

「唐突だな。脳って、人間の?」

「うん。同源同食とも言うし、食べたら同じようになれるかなって。思いつき」

「随分凄惨じゃないか、発想が。冗談で滅多なことを言うもんじゃないよ」

「真剣だとしたら?」

 そう言う目はどこも見てはいない。

 だとしたら? そんなことは決まっている。

 いつからだろう。出会ったときからかもしれない。

「食べてみる?」

 最早これまで。

 それで十分、幸せだ。

 きっと死ぬとしても、益になるのならそれで構わないと思える。どうせなら、そうしてほしいとさえ思う。

 背中に壁、隣にはダンボールの山。

 いつものように髪を掻き上げられる。

 犬のように心が沸き立ち、欲望が待ちわびる。

 けれど、これで終わり。

 それでも尚、これでいいと思える。

「いや、いらない」

 淡々と。金銭の如く。

「いらないの? それはそれで寂しいかもしれない」

 もっといいのがある。そう言われなくても、そんな最悪は首をもたげてしまう。

「あんたの中に収まっているから意味があるんだから。他のどこに在っても、同じ意味にはならない。だから、いらないよ」

「そっか」

「うん」

 また、頭を撫でてくれた。

 そして、もう一度だけ、壁が背中に。

「そもそも、大体ね、そんな事したら死んじゃうじゃないのよ。お腹も空いたし、羨ましくもあるけれども」

「えぇ、そんな根本的な指摘、言い出したのはキミの方だろう」

「そうだったっけ?」

「危ないよ。働き詰めで脳機能が低下してるのかもしれない。ストレスはすぐそこにいる。昨日何食べたのか言えるかな?」

「そんなの簡単よ。考えるまでもない。あまりに単純で口にするのも憚られるほどなんだけれど。そっちこそ覚えているのかしら?」

「えっ。昨日でしょ? 昨日、昨日は…… なんだったっけ?」

「そんな。嘘でしょ?」

「覚えてる?」

「そりゃあもちろん。あー…… こういうのは、簡単な事、えっと」

 どんなに深い思考に落ちているときよりも悲愴を纏い、片手でこめかみを力の限り絞っている。

「ぺんぎん、…… ?」

 にやけを隠す必要はなかった。

 珍しく、人目をはばからず目を覆って苦しんでいる。

 浅い沼に落ちてもがく姿は妙に愛おしい、動物観察に熱中する学者達もこんな気持ちなのかもしれない。

「―― ……あれ、もしかして、何も食べてなくない?」

「正解。やればできるじゃん」

「すぐそうやってからかう」

「たまにはね。しかしだ、ペンギンはどうだい、食べ物は無理がないかい?」

「頭に浮かんだの。やむを得なかった。窮した猫は藁をも掴むって言うじゃない」

「もうめちゃくちゃだよ」

「それに、案外食べてみたら美味しいかも。飛べないし。脂肪も十分あって鶏よりいいかもよ」

「コストがかかり過ぎる。食卓の座を奪うには、味だけじゃね。家畜にだってプライドはあるんだ」

「たしかに。なんらかの条約にも怒られそうだし、知らないけれど。やめときますか」

 言葉とは裏腹に、ホルモン物質でごまかされ続けていた胃は収縮して欲望を顕にした。

 理性なんかくそくらえだと言わんばかりに、叫んだ。

 決まり悪そうな顔で目を逸す。

「部屋でなにか食べてくればよかったのに」

「いやあ忘れてた、今の今まで。食べた気になってたのかもしれない」

「食堂に寄って行こうか?」

 今更十分そこら増えたところで誰も気にはしない。

 誰もエレベータの行き先まで睨んではいないだろう。

「そうもいかないよ」

 選ばれたのは下へのボタン。

「早かったね」

 ゆっくり歩いていたつもりだったが、いつの間にかエレベータの前。

 言う通り、たしかにこの時間は懐かしい帰宅の路。惜しむものでもないはずなのに、どこか寂しい道程だった。

「そーお? 私的にはもう少し簡単に済ませられるつもりだったんだけれど」

「なにがだい?」

「早かったって言うからさ。研究の事じゃなくて?」

 漏れていたのか。

 とろけきる前に栓を締め直さなければ。

 踵をかえすことになりそうだ。

「ああ、そうじゃないんだ。なんでもない、気にしないで」

「んー、すとれす感じちゃうなー。降りたくなくなってきたかも」

「ごめんごめん。大したことじゃないよ、ただ部屋から早く着いたなと思っただけで」

「むしろ遅すぎた。本来なら走るべきだったと思うけれど。時間に遅れているわけだし」

「そんな真っ当な精神があるのなら、準備に退屈してもふらふらいなくなったりしないはずなんだけどな」

「ご尤もで」

 しかし指摘は妥当だ。

 なんのために上がってきたのかすっかり抜けていた。

 ごまかしたところで逃れるすべはない。呵責もない。

「人が待ってるから急いでみようか。今からでも」

「あとは一歩エレベータに乗るだけだけれども」

 歩き出すつもりで顔を向けると丁度、ドアが閉まった。

 やめておけよとでも言うのか、あるいはこの期に及んで雑談の種を蒔いた事に呆れているのか。

「その気になるとこうだ。黄身は裏返るしドアは閉まる」

「若者の嘆き、日頃の行い」

 改めて開かされた口の中。

 辛うじて見えている自室のドアも、もうじき白い壁に塗り替えられる。

 なんとなく目が上へ。

 これは自分の欲求。

 お腹が空いていれば、単純だったが。もう少し。でも、もう遅い。

 素直に言えば良かったはずなのに。

 愚か。ずいぶん人間らしいじゃないか。

 現実には如何なる反映もなされず、ただ、そこにある認識だけが変化する。理解していながらつらつらと思う事自体がその証拠。

 影響、伝染、融和…… どれだけ願い努力しようとも叶う理屈はなかったはずだったのだが。

「ねえ、今度映画でも見ようか。つまらないやつ」

 こっちを見もせず、さもどうでもよさそうに言った。

 言語野に浮かんだ文字をそのまま読み上げたような声色。

 けれど。

 いつなら空いているだろう。

 記帳をめくりながら時間を稼ぐ。

「つまらないやつなんだ」

「面白かったら、ほら、意味ないから。アテはある、ずっと見せたかったんだ期待してよ」

 来週の木曜日。夕方、夕食前。

「決まりね」

「まだ何も言ってないんだけど」

「いつにしようか?」

「ふん。いつでもいいよ、なんなら今日だって、構わない」

「なら今日でもいいけれど。いいの?」

「いいって?」

「どうにかなっちゃうかも」

 どうにかってなんだ?

「よくわからないけど。今日でいいよ。いや、今日がいい。それなら辻褄もあうし言い訳もいらない。今日にしよう」

 つい横目が窺った、見上げてしまった。

 確かめるように、目が合った。

「そこまで言うのなら、そうしよっか」

「じゃあ早く終わらせて、早く帰ろう」

 もう、それしかない。のんきでいられた時分は過ぎてしまったのだから。

 無人の廊下。

 こうして見ると人工並木道にも人間の配慮のようなものが見て取れる。が、どちらかといえば獣道。明日には違う景色に変わってしまう。

 結局、下へ。

 やるべきことをして、成されるべきことが起こる選択は変わっていない。

 右手が不自由になっただけ。

 これ以上はない。

 わずかに体が浮き上がる感覚が、それだけのことだった。

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希望の花 @acquiesce

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