エピローグ
「諸君、ザ・クロックを倒したことを祝して。カンパーイ!」
インタグルド本部のサウスブロックの一階。
一階にキュンメネンのバリトンの効いた声が響く。
ザ・クロックを倒した祝賀会が始まったのだ。
サウスブロック一階は普段はリクライニングスペースとして開放されているが、こうしたイベントのときにも使われる。
旧ザ・クロックを倒したときもサウスブロック一階で祝賀会が行われたという。
飛鷹は会場の隅の壁に背中を預けながら思い出す。
旧ザ・クロックを倒したあと、飛鷹は長期入院を余儀なくされたから祝賀会には参加していない。
つまりこの祝賀会が飛鷹にとっては、初めてのインタグルドのイベントとなる。
今回は大した怪我をしなかったから参加できたのだが、大した感慨はわかなかった。
「O学会か」
ザ・クロックは倒された。だが戦いは終わらない。
どれだけの敵が控えているか、想像もつかない。これから先、このような戦いを強いられるかもしれない。想像するだけで嫌になる。
今回の戦いで、インタグルドの損害は小さくはない。また日本連邦と北米同盟は虎の子の第一パトロール艦隊と第七艦隊を消失するという損害を被っている。今回のように協力体制を敷くことは多分、もう出来ないだろう。
インタグルド単独で、ザ・クロックの本拠地を攻め落とせるだろうか? 今回の作戦の目的のひとつは、クロックロイドの技術を手に入れることにあった。無人ロボットであるクロックロイドを戦力として組み込めれば、インタグルドの戦力は底上げされる。
しかし、クロックロイドを戦力に組み込んだとして、次の戦いに勝てるかどうかはわからない。仮に倒したとしても、その背後にはO学会という謎の組織が控えている。
O学会は新旧のザ・クロックにオーバーテクノロジーを授けた、となれば、ザ・クロックが扱う全てのオーバーテクノロジーを単独で保有していることになる。その戦力はどれだけか? 想像するだけで吐き気がした。
人類が勝てる相手ではないのかもしれない。O学会という存在は、人智を越えた相手なのかもしれない。あるいは宇宙人か? 異世界人、未来人とでも言うつもりか?
「不安なようね」
スワーラがコップを片手に話しかけてくる。
「相手が相手だからな。不安にもなるさ」
飛鷹はコップの牛乳を一気に飲み干す。
「死ぬなよ、スワーラ」
「あら、愁傷な態度ね。まさか私に惚れたのかしら?」
「生憎と俺の心は雫に捕らわれたままだ」
「大した泥棒さんね」
「あいつの盗みの腕は天下一品さ。俺限定だけどな」
「素敵な恋ね。私も一度でいいからしてみたいわ」
くすりと笑いながら、スワーラは去っていく。
それからしばらくは話しかけてくる相手はいなかった。
近づくなオーラを全身から放っていて、わかってくれたからだろう。
優秀な人材が揃っているインタグルドは、こういうところが助かる。
ふとスミーヴァの面々はどうしているかと会場内を見渡してみれば、祝賀会を楽しんでいた。会話の内容は聞こえないが、ひとつの区切りがついたのは大きかったのだろう。楽しそうに話している。
――あいつらにとってみれば、はじめての勝利だもんな。
自分からすれば、過去の因縁に決着がひとつついた。復活したザ・クロックを倒し、雫の仇を取ったことになる。黒幕が判明したので、そいつらを倒さなければいけないが。
そんなことを考えているときだ。
一人の隊員が血相を変えて祝賀会に駆け込んできた。
顔色は真っ青で息が切れている。
「大変です! フィウーネ共和国が消滅しました!」
大声で叫んだ内容に、会場が凍り付く。
「消滅? ザ・クロックの攻撃を受けたのか?」
キュンメネンの声が凍り付いた会場によく響く。
「いいえ、地図に沿って……隣接する国には一切被害が出ずに灰になりました。人も動物も植物も全てが灰になっています!」
「一体誰が……」
「ザ・クロックに技術を提供した黒幕――O学会だったか。しかしなぜ?」
「セダム・ナエストがあなたに情報を流したペナルティーでしょうね」
師匠はこうなることを想定していたのか? いや、ここまでは想定していないはずだ。
「勝てるのかよ、こんな途方もない敵に」
どんな攻撃手段を用いたかも検討もつかない。だが、それ以上に恐ろしいのは躊躇いもなく一国を消滅させる精神性だ。残虐非道にして冷酷なことを実戦出来るその精神性が恐ろしい。
「それであなたは誰かしら――?」
スワーラが青ざめたままの隊員に拳銃を向ける。
「なっ、なにを言っているんですか!? 自分は――」
「そんな大事な情報はまず総司令に伝える決まりになっているのよ。みんなに聞こえるようにわざわざ話したりはしない。まるで動揺を誘うように――いいえ、動揺を誘うのが目的とみたほうがいいかしら、O学会の人?」
O学会。スワーラが拳銃を向けている相手がO学会のメンバーであることに、心臓がどくんっと高鳴った。スワーラが言うだけで、確証はない? いや、そんなはずはない。スワーラの言葉だ。
うちの総隊長の洞察力は一級品だ。言葉の内容にも筋が通っている。間違えるはずがない。
「それは動揺してしまって」
「インタグルドは動揺して、凡ミスを犯すような人間をスカウトすることはないのよ。引き抜く人材には全て高額なお金を払っている。凡ミスを犯すような人間を雇ったら損じゃない」
「ケチ臭い話ですね」
「ご託は終わりよ。正体を白状しなさい。そうすれば苦しまずに殺してあげるわ」
「どっちにしても殺すわけですか」
「O学会の人間を生かして帰すと思う? あなたたちは存在ですら万死に値するのよ」
「クククッ、それは酷いですねえ」
隊員から動揺が消え、笑みが浮かぶ。
「では改めて自己紹介を」
隊員は顎を摑みながら一気に引き上げる振りをする。変装がバレたときに正体を現すおなじみの演出だ。実際にはすぐに引き離すと皮膚が傷つくし、本当に掴んではいない。
正体を明かすためのふざけた仕草なのだろう。
こんなところにのこのことやってくる相手だ。なにを考えているかはわからないが、大胆不敵なのは間違いない。
「おっと、なにも起きませんね」
「死になさい」
スワーラは引き金を引いた。パァン、という乾いた銃声が会場に響く。
隊員が倒れる。眉間に命中したのが確かに見えた。
「これはいきなりですねえ」
隊員は何事もなかったかのように立ち上がり、両手を叩いた。
隊員の姿が変わる。
八十年代風のスーツを着たハット帽を被った若い男だ。
「みなさまはじめまして。O学会の営業を担当させていただいております、コードネームはロキと申します。以後お見知りおき」
青年は恭しく頭を下げる。
「そのロキがなんの用かしら?」
「ご挨拶をしようと思って参った次第」
「下手な嘘ね」
「そうですね。嘘でございます。ほんとうはただ、皆様にフィウーネ共和国のことを私の口から直接、お教えしようと思いまして」
「あなたが敢えて伝える意味は何かしら?」
「質問が多いご婦人ですね。少しは自分で考えてはいかがでしょうか?」
「あなたこそ言葉を選ぶべきよ。ここはインタグルドの本部。隊員の多くが集まっているところよ。保安部があなたを捕らえる準備は出来ているし、スミーヴァのメンバーも揃っているわ。
今後どういう処遇がされるかはあなたの言葉次第ね」
「これはこれは。私は虎の穴に自らの身を投げ込んでしまったというわけですね」
ロキと名乗った男は肩を抱いて震える。あまりにもわざとらしいパフォーマンスだ。
「脱出出来る自信があるようね」
「自信というか、脱出できるに決まっているではないですか。私とあなたたちは元を辿れば同じ技術を使っている。しかしあなたたちが人道的観点から躊躇している間に、我々はより解析を進めることが出来た。
こちらの方が一日の長があるのですよ」
「そんなハンデは私たちの実力でたたき壊してあげるわ」
「たしかに我々は暴力を持ち得ていない。今回のことで優秀な人材を一人失う結果になりました。ああ、嘆かわしい。彼を失ったことは我々としても悲しいことなのです」
「なにを言っているのかしら?」
「我々は十一の組織にオーバーテクノロジーを提供しました。そしてその組織が滅びると、そのオーバーテクノロジーを扱うことに長けた科学者が命を落とします。
彼らの研究のために、今回のザ・クロック戦争は勃発したといっても過言ではありません。といいますか、それが目的ですね。全ては研究というか、ぶっちゃけ好奇心のためです」
頭にカッと血が上った。
飛鷹は駆け出す。クレセントムーンを取り出し、怒りにまかせて斬りかかった。手応えはなかった。
「乱暴な方だ。まだ話は終わっていません」
斜め後ろからロキの声が聞こえてきて、そちらに向かってクレセントムーンを振るった。
「私が来たのは、我々の存在をしっかりと周知してもらうため。あなたたちもわけのわからない黒幕が背後に控えていると考えるよりは、我々の存在をしっかりと胸に刻んでいたほうが戦いやすいかと思いましてね。
我々としてもそのほうが研究が進むというものです。あなたたちが本気を出してくれれば、それだけザ・クロックの方々も頑張りますからね」
スワーラの背後にロキが回っている。
これでは迂闊に斬りかかるわけにはいかない。万が一にもスワーラを巻き添にしてしまうかもしれない。
「それでは皆様、ごきげんよう。悠長に祝賀会をしている余裕なんて、あなたたちにはないのですよ。それも言いたかったのです」
ロキの姿が煙のように消える。
「あれが黒幕」
O学会。厳重な警備を誇るインタグルドにあっさり侵入し、おちょくって帰って行った。力の差は歴然だ。勝てる気がしない。
「飛鷹、弱気になっているのかしら?」
「――まさか、と言いたいところだが、正直勝てる気がしないぜ」
「ならば、仇討ちはやめる? グランドコンプリケーションを二度も倒したあなたが諦めるとしたら、インタグルドの勝率はかなり下がるわ。O学会どころか残りのザ・クロックとの戦いにも勝てないかもしれない」
飛鷹は視線に気づく。
この場にいるインタグルド全隊員が、自分を凝視している。
インタグルドは二度、勝利を掴んだ。その勝利は自分がいたからこそ出来た。そんな自分が弱気になれば、この先勝つことは出来ないかもしれない。少なくとも士気は大きく低迷する。
だから飛鷹は大声で、自らを鼓舞するように宣言する。
「やってやるぜ! O学会、てめえらをぶっ潰してやる! 必ずだ!」
インタグルド隊員たちから「オオオォォォ!」という雄叫びを上げた。
体の芯がぐっと熱くなる。
やってやる、残ったザ・クロック、そしてO学会。てめえらを残らずぶっ潰してやる!
ヒーローズコンセプト 機械仕掛けの囚人達 アンギットゥ @angitwu
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