第3話 タンザナイト・毒の殺し屋 後編

「氷華さん?!」

 左手に鋭い痛みが走る。

 タンザナイトお得意の毒だ。掌から腕にかけてジクジクと痛む。

「ぐっ…!」

 ナイフがカランッと音を立てて落ちた。

 氷華は歯を食いしばり左手首を力一杯右手で抑えた。

「あはは!いいねぇ、その顔!君は苦痛に歪む表情も美しいね、パール!」

「…嫌な性格ですね。私は貴方が嫌いです。汚い大人達と変わらない。弱い人間を蔑み、道具としか思わない大人なんて、大嫌いです…!」

 タンザナイトをキッと睨み、左袖からメスを取り出して流れるように投げた。

 だが、タンザナイトも懐から別のナイフを取り出し、メスを叩き落す。

「同じ手が通用すると思っ…」

 ドンッという音と共に後ろの廊下が煙に包まれた。反射的にタンザナイトが振り返ると、今度は窓を開く音が耳に届いた。

「なっ…?!」

 ベランダからフッと落ちるように人影が消えた。慌てて駆け寄ると、下にはゴミ収集車が止まっている。が、微かに血の跡が屋根についているのがわかった。ほぼ間違いなくパールの血液だろう。

「逃げたか。さて、微量ではあるけど、僕の毒でどこまで持ちこたえられるのかな?ふふふ…ふふふふふ…」


 ーーピピピピピ…


「…何?余韻に浸ってたんだけど」

『すみません、タンザナイト。マンションで爆発が起こったと住民が通報したようで、消防と警察がそちらに向かっています』

「そう、わかった。あぁ、そうだ」

『?』

「パールは--」

『…わかりました。伝えておきます』


 *


 時刻は午後六時を回ろうとしている。

 氷華と蒼は廃工場で身を潜めていた。

「氷華さん、本当に大丈夫ですか?あの人、毒使いなんですよね?あれから二時間は経ちますし、もう毒が回っているんじゃ…」

「大丈夫です。ある程度の免疫はありますから、これくらいならまだ動けます」

 応急処置を施した左手を見つめ、氷華は軽く拳を握った。

 蒼はそんな氷華の姿にまた怒りを露わにした。

「動けるかどうかじゃない!なんで君は、自分を大事にしないんだ…!」

 だが氷華は、蒼の言葉に首を傾げた。

「何故、自分を大事にする必要性があるのですか?」

「は?」

「私にはわかりません。私は自分を大事にしろと教わったことはありません。なので貴方のその考えには同意しかねます」

「な?!わからない?!そんなこと、習わなくても分かることじゃないか!」

 驚きのあまり、蒼は氷華の肩を掴み、目を真っ直ぐ見つめたまま問いただした。

「自分を大事にするのは当たり前の事だ!それに君は女の子なんだ、尚更大事にしないと…!」

「女だからなんですか?何故、全ての人が理解できると思うのですか?分かっていて当たり前なんて、誰が決めたんですか?」

 氷華の瞳は氷のように冷たい。感情も考えも読めない、空虚な瞳。

「だ、だけど…」

「女だからって体を大事にしないといけないなんて、ただの差別だと思います。でも、貴方の気持ちだけは受け取っておきます」

 氷華はスッと立ち上がり、扉の方へと向かう。

「少し外を見に行きます。貴方はここから出ないでください。もしタンザナイトが来たら隠れてください」

 彼女はスッと部屋から出て行った。


「自分の体を大事にしろ、だなんて言われたのは、いつ以来だったかな…」

 階段を下りながら、パールは先ほど蒼に言われた言葉を思い出す。

 もう何年も言われなかった言葉。

 親にさえ言われたことのない、己を心配する言葉。

「最後に言われたのは、ジュエリーに入って間もない頃だったな」

 フッと微笑み、外を見る。赤い夕暮れが宝石のように輝いている。その輝きを受けるように、一人の男が立っていた。途端に場の空気が変わる。パールが戦闘モードに入ったのだ。

「ここまで来ましたか、タンザナイト」

 タンザナイトはゆっくりと工場に入ってきた。

「やっと見つけたよ。よくこんな場所まで逃げてきたね、パール」

「貴方もしつこいですね。貴方では私を殺せないのは分かっているのに」

 蔑むように階段の上から見下ろし、不敵な笑みを浮かべた。

「そう言っていられるのも今の内だよ…!」

 タンザナイトは目にも留まらぬ速さでナイフを投げつけた。

 そのナイフをパールはメスで薙ぎ払う。フッと液体が舞うのが見えた。緑色の液体。それが足元に落ちると、ジュワッと蒸発した。

「塩酸、ですね。ナイフに塗るとは…考えましたね…」

「どこまでも、僕を見下すつもりか…いいよ、今、ここで、君を殺してやるよ!!」

 別のナイフを片手に、今度は自ら突っ込んできた。突き出されたナイフをメスで受け、液体が触れないように細心の注意を払いながら押し返す。彼の表情には焦りが表れている。

「冷静さを失った貴方に、私を殺すことはできません。確実に」

「う、うるさい!!」

 後ろからもう一本のナイフを取り出して投げつけ、手にしていたナイフをパールの腹部目掛けて刺しに行く。

 投げたナイフは叩き落され、手にしていたナイフに肉が刺さる感触があった。

「…かはっ?!」

 ポタポタと血が床に滴り落ちる。二人の間に血溜まりが出来ていく。

「哀れですね。自分のナイフについた毒で死ぬなんて」

 パールがナイフを引き抜くと、タンザナイトが崩れ落ちた。

「貴方のことは嫌いですが、同じ組織の一員としては尊敬していましたよ」

 倒れているタンザナイトの前にそっとナイフを置いた。

 上着を調べてみると、解毒剤を見つけた。手の包帯を外して傷口にかけると凄く染みる。


「氷華さん!」


 振り返ると蒼が心配そうな表情で駆け寄ってきた。


「…部屋から出ないように忠告したはずですが」

 ジトッと蒼を睨みつけ、氷華はため息を吐いた。

「まぁ良いです。用は済みましたので」

「用は済んだって…え?!その人、さっきの?!」

「えぇ、タンザナイトです。先ほど私が倒しました」

 平然と言ってのける氷華に対し、蒼は言葉が出ない。

「今回は怪我もしていませんし、貴方が心配するようなことは無いと思います。さて、用は済みましたし、自宅まで送りますよ」

 タンザナイトを避けて氷華は階段を降りていく。

「ほ、本当に、君が彼を…?」

「見れば分かるでしょう。行きますよ」

 蒼は振り返ることなく返事を返す氷華の後を駆け足でついて行った。


 *


「ただいまー」

 蒼が帰宅したのを見送ると、氷華はその場を離れて近くの路地に入った。

 途端に足の力が抜けてガクッと体勢が崩れた。

 それをそっと支えられる。

「全く、無茶しすぎだろ」

 アメジストとはまた違った爽やかな声。

 ふわりと香る石鹸の香り。

 とても心地が良くて、意識が飛びそうになる。

「…うるさい。離せ」

 普段の敬語口調とは違い、荒っぽい言葉遣いで相手を睨みつけた。

「うわぁ、なんで俺に対してはそんな敵意剥き出しなんだよ。俺、何かした?」

 男は苦笑を浮かべているが、支える腕の力を緩めようとはしない。

「…うるさい。いいから、離せよ」

「同一人物とは思えないほどの豹変ぶりだよなぁ、お前。ま、これも愛嬌ってことにしておきますか」

 ヒョイッと氷華を抱き上げると、男は近くに停めておいた車へと運び込んだ。

「…余計なことを」

「まぁまぁ、こういう時くらい、素直に好意を受け止めろっての。お前、まだ毒が抜けてないんだろ?送ってやるから、寝てろ」

「…フン」

 後部座席に横になった氷華に、男はそっと上着を掛ける。布団の代わりと言ってはなんだが、体を冷やすよりは良いかもしれない。

「本当に、なんでアンタは…私を…たす、け…」

 憎まれ口を叩きながらも、スッと眠りについていく。男はそんな氷華を見つめて、フッと微笑みながら車のエンジンをかけた。

「何はともあれ、お前が無事で良かったよ。俺のたった一人の年下上司なんだからさ」

 氷華を起こさないよう、静かに車を発進させた。

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ジュエリーキラー Noa @Noa-0305

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