第30話
奥田の恋煩いは、アッと言う間に完治してしまった。
葵が水樹に言った事を克樹が平林に伝えると、現金なものでアッと言う間に熱が下がって、食事も食べれる様になって、二、三日も経たない内に、しばちゃんを連れて岡山に行ってしまった。
あの奥田潤司がである。
恋は盲目と言うが、御曹司でも秀才でもエリートでも、恋をすると皆んな何も見えなくなってしまうらしい。
天は何て公平な物を作られた事だろう……と思うのは、やはり凡人たる由縁だからだろうか?
「奥田の豪邸話しは、無くなるだろうなぁ……」
克樹が残念そうに呟いた。
「無くなるのか?」
公輔が克樹を伴って、得意先への挨拶に行く為の車の中で聞いた。
「奥田は岡山に、移住しかねないからなぁ……」
「移住?あの奥田潤司君がか?」
「ええ。最も田舎暮らしが似合わない、あの奥田潤司です」
「へぇ、あの奥田君が?確かに考えている事が、我々とはかけ離れた若者だが?」
「もっと吃驚ですよ。畑をやるそうです」
「畑?あの野菜を作る?」
「ええ」
「どういった心境の変化だ?確かに未開発な土地に行って、開拓しそうな若者だが?」
「若者若者……と言っても、そろそろ三十路目前ですよ」
「いや、まだまだ若い。俺が独立したのが、その頃だったからな……そうか畑仕事か……彼なら想像もつかない程、近代的な畑仕事を確立しそうだ」
「はは……確かに……。しかし相手が手強いからなぁ、たぶん従来通りの、ゆったりした仕事になる……それこそ昔に戻って無農薬とか、化学肥料を使わない……」
「相手?結婚でもするのか?」
公輔は興味津津で聞いてくる。
「あーいや、仕事のパートナーは、葵さんです」
「葵君?」
「水穂ちゃんの結婚式で、紹介したんで……」
「ああ……土地の話しか?」
「そこで奥田が、気に入ってしまって……」
「なるほど?パートナーか?確かに、葵さんはポワンとしているが、かなり芯が通っていて、そして考え方が実にしっかりしてる。時代の寵児と煽てられ、自分でも自負しているところのある潤司君には、又とないパートナーと言えるな……」
「そうかなぁ?」
「ああ見えて葵君は、決して他人に振り回されない……潤司君が手広く仕事を広げる事は阻止できる……うん、仕事のパートナーとしては最高だ……そうか……パートナーか……」
公輔は感慨深い面持ちで、噛みしめる様に言った。
岡山に行った奥田は、そのまま押しかけ……同様に、葵さんと畑をする事にしたらしい。
さすがに大樹さんの家では落ち着かず、市街地の旧家におじいさんと葵さんと、何人かの使用人としばちゃんと住んでいるらしい。
そして毎朝車を飛ばして、畑仕事に勤しんでいると言うから吃驚だ。
手が空く頃に、藤沢の土地の話しを進めるつもりでいる様だが、それより何より、奥田家の奥様が直々おじいさんに挨拶に出向いて、元気になったおじいさんを唖然とさせているらしい。
奥田家……否、奥田潤司に関わってしまったら、のんびりとした生活は期待できない。平林を筆頭に次から次と人が出入りするから、おじいさんも萎れてばかりいられないと、なんだか張りのある毎日を過ごしている様だ。
こんな中で、全く生活リズムを変えようとせずに、マイペースに日々を過ごしているのが、あの葵さんだというから、さすが奥田が見初めるだけの事はある。
なんだかんだと慌ただしい二人の話しに気を揉んでいる内に、桃ができる頃となって、それは立派な桃を送ってくれた。
「潤司君と二人で作った桃なんよぉ」
相変わらず、おっとりと連絡して来た。
「凄く立派な桃を、ありがとうございます」
「いいよぉ、初めての二人の作品じゃけん、心して食べてみて……水穂ちゃんの所にも送ったけど、もうそろそろじゃろう?赤ちゃん。こっちが落ち着いたら、伯父さんも吃驚するくらい元気になってのぉ、お祝いに行かしてもらうつもりじゃけん、宜しく言っておいて……」
「あー解りました。ありがとうございます。おじいさんに宜しく。あっと……奥田君にも……」
「うん。言っとくよぉ」
水樹はにこにこ笑って切った。
「葵さんは相変わらずだな?……って、あの二人どうなってんだ?」
「どうなってる……って?」
「奥田と葵さん」
「それは奥田君次第でしょう?奥田君の性格上……?」
「聞くのは野暮だが、恋煩いというものをアイツはしたからな。俺ですらそれは無かった」
「……って事は、聞く事ないしょ?……そういう事じゃなきゃ、葵さんは奥田家の豪邸の地下室……って事になってる」
「水樹……さすがだ。あそこはお母様迄出張ったからな、葵さんは藤沢の当主であり、奥田家の後ろ盾を得て、もう誰も愛人の子とは口が裂けても言えん」
恐るべき奥田潤司である。
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