第28話

水樹が水穂のお腹が大きくなるのを、まるで我が事の様に楽しみにし、お腹の中の子が動いたと大騒ぎをしている頃、奥田家ではちょっとした事件が勃発していた。

その情報は逸早く、平林から克樹にもたらされた。


「大変な事が起きた」


平林はいつになく、トーンを下げて電話をして来た。


「なんだ?お前達の大変は、俺らとは次元が違うからな……」


「そうやって呑気な事を、言っていられるのも今の内だ」


平林が意味ありげに言う。


「はっ……なんだ?勿体つけてないで早く言えよ」


「奥田が恋をしている」


「はぁ?」


克樹は頓狂な声を発して、我ながら呆れた。


「奥田が恋?こい?コイ?まさか柴犬のしばちゃん……なんて落ちじゃないだろうな?」


「もっとお前らに関係しているから、こうして電話をしている」


平林は至極大真面目に言っている……様だが、とても真面目な話しではない。

奥田潤司だ。

頭が切れるというならば、高城という人間もいるし、過剰な偏愛者という面でも高城と張り合う事ができるが、偏屈、変わり者……と言ったら、向こうを張れる相手が見つからない様なヤツだ。

恋という言葉が、この世で最も似合わないとも言える……。

そんな奥田が?これはどう考えても、真面目に聞く話しではない、そう克樹は判断した。


「ああ……解った解った……だったら早く言え、俺はお前らと違って忙しい身なんだ……」


「克樹、お前真面目に聞いてないな?」


平林は少しムッとした様に言った。


「いやいや……で?」


「まぁ……仰天するから安心しろ」


……何が仰天だ……


と、内心思いながら聞き流す用意をしていると


「岡山の葵さん……」


「は?」


克樹は、聞き捨てならない名前を言われて耳を疑った。

冗談にしても、平林から出る名ではない事くらい理解している。


「葵さん?」


さすがに聞き返した。


「驚いただろう?」


鬼の首でも取った様に言う。


「えっ?奥田が葵さんに恋?なのか?」


「ふっ、やっと本気で聞く気になったか?」


「なったかもなにも……奥田が葵さんに、好意を寄せているのか?……その

恋の方の?あいつの事だから、お友達になりたいとかでは無くて?」


「あいつの事だから、お友達になりたい……は有り得ない」


確かに……興味を持つはあっても……それは克樹の事だが、あいつから〝お友達になりたい〟などと言われた試しは無かった。

平林が懐こくて近寄って来たが、〝友達〟ではなく〝興味の対象〟であった。

ただの興味の対象であっても、奥田潤司に目を付けて貰えるという事は、克樹の様な脛に傷を持つ者に取ってはありがたい事だった。

奥田と平林が親しげにしただけで、克樹を見る学生ではなくて、その親達の目が変わったのだから……。

つまり今の話しで〝お友達〟云々は、有り得ないという事だ。


「しかしどうして?」


「水樹の妹の結婚式で見初めた」


「はぁ?しかし……しかしあの時は……」


「さすがの奥田も、じっくりと己の気持ちと向き合う、時間が必要だった様だ」


「つまり……つまり向き合った結果〝恋〟と判断したのか?あの奥田が?」


「もはや寝ても覚めても……と、いうヤツに落ち入ってしまっていて、熱まで出して寝込んでいるから、奥田家では大騒ぎだ」


「ああ?熱?馬鹿馬鹿しい……ただの風邪だろう?」


「馬鹿はお前だ克樹。あそこは主治医が身内だが、かなりの名医で見立てがなんだと思う?」


「わ、解る訳ないだろう?」


「恋煩い……だそうだ」


「はぁ?」


「熱は出るは食事は喉を通らないわ……見るもの見る者皆んな、かの人に見える。とうとう相手は誰だという事になった、じきに相手が割れて雁字搦めになるぞ」


「いやいや……その、雁字搦めってゆーのは?マジ聞くの怖いんだが……」


「想像通り……葵さんは気の毒だが、奥田家に拉致されかねん」


「ら、拉致?ちょっと待て平林、さすがにそれは……第一岡山じゃ、かなりの名家の当主だぞ、それを……」


「克樹。奥田家を侮るなよ、あそこは俺の所とは大違いだぞ、あの奥田は奥田家の弱点だからな、どんな手を使おうと奥田の思いを通させるぞ」


克樹は唖然として言葉も出ない。

ほんのちょっとの間、あそこの婿と呼ばれたが、確かに潤司だけは、他の縁者の子供達とは別格の扱いだった。

何がそうさせるのかは、凡人の克樹には全く解らなかったが、潤司が気に入っていた克樹は、仮令出自が不釣り合いであろうと、脛に傷があろうとそんな物は、なんの弊害にならずに迎え入れられる程の力があった。

つまりは、その潤司が気に入って欲しいといえば、その権力に物を言わせて、物にする事も可能という事か……。

あのおっとりした葵が、あの奥田と渡りあえるだろうか?


……困った……ただ困った……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る