第26話
あの日から……。
早苗という女との事を知られてしまった日から、克樹は水樹に腑抜けにされている。
確かに可愛くて大切な存在だった水樹だが、もはやそんな存在では無くなっている。
水樹が無くては、夜も昼も明けない……ってヤツに陥っている。
そんな克樹とは反対に、水樹は妹の水穂に気が行っていて、克樹は置いてきぼり感に虚しさを感じる今日この頃となっている。
水穂は安定期に入って、大事にされている為に、お腹もかなり目立ち始めている。
マタニティドレスや、胎教に良い物を暇さえあれば、素子さんと買いに行ったり、出産はもう少し先だというのに、インターネットで子供の物を物色して忙しい。
「また見てんのか?」
呆れる様に言うと、水樹は嬉しそうにそれを克樹に見せる。
「どう?水穂に似合うと思わない?」
「同じ様なのこの前も買ったよな?」
「そうだっけ?」
「そうそう……」
頷く気すらならずに口で言う。
「たぶん女の子かも……って言われてるけど、そうだったら親子でお揃いの可愛い……」
「なぁ水樹……」
克樹は水樹の顎を持ち上げて思う存分誘いをかける、 すると水樹は克樹に潤む様な瞳を向けてくるが
「えっ?これ良くない?」
ほんの一瞬の差で、再びパソコンに目を移してしまった。
こうなってしまったら、もはやお手上げだ。
ここから暫く水樹は、パソコンから目が離せなくなる。
水樹にとってはたった一人の肉親……血を分けた妹だから仕方ないと思うが、今からこんな状態だったら、先が思いやられるばかりだ。
子供でも産まれたら、それこそ水樹を奪われかねない。
克樹はあの燃えるような水樹との夜から、一週間も経たない内に、独り寝の様な状態に追いやられている。
何時まで夢中になっているのか、気がつくと水樹は克樹の傍らで、抱きつく様に寝入っているが、余りに深く寝入る体質なので、何度となく水樹に試してはみたが、克樹の要望には答えてはくれなかった。
仕方ないので諦めて、生殺しの様な格好で寝入る事になっている。
水鈴の時の自分ですら、こんなではなかった……と反省しきりだ。
そして休みともなれば、水樹は水穂の所に入り浸りだ。
妊婦ではあるが、新婚である水穂の所に、こんなにしょっ中顔を出しては……と、克樹は思うのだが、水樹に言ったところで聞くわけがない。
仕方がないので、克樹まで顔を出す羽目になってしまう。
今日も今日とて、克樹と高城が蚊帳の外で対座して飲み物を飲みながら、互いに無愛想な顔を突き合わせる格好となった。
「相変わらず仲が良いのか、君が離れられないのか?」
高城は、変わる事のない精悍な顔立ちを、目一杯無愛想にして言った。
「この間の事で、一言礼を言いたくて……」
「この間の事?」
「結局香里のお陰で、事が収まりました」
しおらしく頭を下げる。
「水樹が君の事で心配していると、松長から聞いたのでね、ちょっと調べさせてもらった」
「……どうも」
「君にしては失敗したもんだね?まぁ、こういう事は女同士の方がいいと思ってね。ちょっと奥田君に話してみたんだが、あそこまでしっかりと片を付けてくれるとはね……」
「さあどうかなぁ?そこまで見通していた様にも思えるけど……」
「どうかなぁ?」
高城は白々しくとぼけて見せる。
「水樹の香りが変わったね」
高城は水穂と楽しく語る、水樹を見て言った。
「あいつは整髪料は、何も付けませんよ」
「そういう事じゃない……あれは君の香りかなぁ?」
「…………」
「憎らしいが、上手く行っている様だね?」
「あなたのお陰ですよ」
高城は克樹をじっと見て笑った。
「気味が悪いね……」
「俺はあんたみたいにはできません……脱帽です」
「………?」
「水穂ちゃんを引っ括めて、あんたは水樹を愛してる。たぶん一生だ」
「だったら君も一緒だろう?」
高城は克樹の肩を叩いて、立ち上がって言った。
「奥様がお呼びだ」
高城は水穂を誰よりも大事に扱う。
それはここに来る度に感じる。
本当に少女が憧れる白馬の王子様の様に、絵の中の紳士の様に、理想の夫そのままに……。
それは高城が選んだ、これからの一生だ。
水樹と歩んだ時の様に優しく穏やかに、相手を包んで愛し続ける。
だが決して嫉妬も言い争いも無い、穏やかに愛し包まれる若妻は、愛されるがゆえに許される、奥深き大人の愛情と錯覚する。
その見つめる瞳のその先に、自分以外の人間が存在するがゆえの、優しさと包容力だとは露ほども知らずに……。
水穂はこの世の栄華と、夫の常しえの愛情を一心に受けていると、信じてやまない笑顔を向ける。
高城は決して水樹をその瞳に映す事無く、視線を水穂だけに向けて微笑む。
美しく羨ましい程の夫婦愛がそこにある。
だが克樹だけは、決して高城が向ける事の無い、水樹への視線を読み取れる。
当の水樹すら、気づく事の無いその視線を……。
辛く悲しい程に食い入る視線を……。
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