第22話

水穂の様子を水樹は、甲斐甲斐しく見にいく様になった。

素子さんと三人で、出産の準備を楽しんでいる様だ。

克樹は仕事に打ち込む事によって、あの事を忘れようと努めた。

自分が喋らなければ、一生水樹に知れる事も無いと思うようになると、

忌わしい女の乳房を思い出す事も無くなった。


……今夜久しぶりに飲みに行きませんか?……


野島から連絡が入った。

今夜は高城の帰りが遅いので、水樹は水穂と素子さんと買い物の帰りに、食事をすると言っていた。

家族と縁のなかった水樹は今、不思議な縁の家族と最も楽しい日々を過ごしている。

そんな三人の邪魔にならぬ様に、誘いを断った克樹だったから、渡りに船の野島の誘いは早々に快諾返事を送る。

野島の好む店は、どちらかといえば庶民的だ。

その所為で例のホステスと、関係を持ってしまった。


居酒屋の隅で克樹と野島は、一気にビールを飲み干した。

もう一杯を店員に注文したところで


「そう言えば。以前行った鶯谷の店の女の子、覚えてます?」


と例の女の事を聞いてきた。


「あっ?」


当然のように克樹の眉間に皺が寄る。


「この間駅で会ったそうですね?」


克樹はそのまま、新しくきたビールに手をやった。


「凄え美人と一緒だったとか?」


「だから何だって言うんだ?」


「いや……どうしても一度、会いたいって言うんですよ」


「ああ?」


眉間に皺を寄せたまま、不快そうに克樹は言った。


「悪い子じゃないだが、ちょっと軽くて……あの、あの日何かありました?」


野島は北海道からちょっと帰って来ていた克樹を、行きつけの店に連れて行った、例のあの日の事を聞いていた。


「何かって……」


身構える様に聞く。


「いや……悪い子じゃないんだけど、惚れっぽくて……実はずっと会いたいって言われてたんですけど、俺の方で止めてたんっすよ。ところが先日偶然会って、また火が付いたみたいで……」


実は困っているのだと締めくくられても、いい迷惑としか言いようがない。


「いやちゃんと、格差がありすぎる事は言ってあるんすけど、ちょっと意味ありげに言うもんで……」


「なんだ?」


「克樹さんにだけ言うって……」


克樹は黙って、立て続けにビールを流し込んだ。

あのまま流せると高を括っていたが、どうもそうはいかないらしい。

女に追いかけられるのには慣れているが、今回だけは伏せれるだけ伏せておきたい。

こんなに知られたくないと、切望したのは初めてだ。

ごたごたと揉めて、水樹に知られる事になる前に、片を付けようと克樹は連絡を取って、女と会う事にした。

第一名前すら覚えていない相手だ、金で片を付けようと考えた。

喫茶店で待ち合わせて行くと、奥で手を振る女を見つけた。


「話しって何だよ?」


「座って」


女は頬を赤らめて言った。

克樹は無愛想に座ると、珈琲を注文して女を見た。

丸顔の童顔の女で、克樹のタイプではない。

それは水樹に似ているところが、どこにも無いと言う事だ。

だが水樹の言っていた通り、可愛い顔をしている。だからといってどうと言う事はないが。

女は早苗といった。

そう呼んで欲しいとも言われ、克樹の表情は険しいものとなった。


「何で俺がお前を、名前で呼ぶ事があんの?」


「……専務さん、あの夜の事覚えてる?」


頭に血が上るのを覚えて、早苗を睨みつける。


「覚えてない」


「そうなんだ?だけどそれって嘘でしょ?」


「なに?」


「いくら酔っていたって、あんなにしつこくしてきて、覚えてないなんて有り得ないもん」


「覚えてないもんは、覚えてない」


克樹の険しい表情に早苗は一瞬たじろいだが、じっと克樹を見つめてくる。

克樹は確かに覚えていない。

ベッドまで運ばれたのは切れ切れに覚えているが、自分が激しく水樹を求めたのは記憶にあるが、肝心なところが全く記憶に無いのだ。

水樹と思って誰かを抱きしめたが、あの忌わしい記憶しか残っていなくて、確かにたわわな乳房を貪ったまま、克樹の記憶はパッタリと消えてしまっている。

気がつくと自分も女も全裸で、寝具に横になっていたので、何かあったと理解した程度だ。

本当に記憶に無い……。

言い逃れでも何でも無く……。


「本当に私達寝たよ。意外と激しくてエッチだったよ」


「嘘をつけ」


「嘘じゃない。第一自分で認めたから、お金くれたんじゃないの?」


「金で済む事だと判断したまでだ。事実じゃないとしても、君は女性だから……」


「私だってあれだけだったら、あのままにされても仕方ないと思うけど」


「だったらいいじゃないか?」


「子供ができた」


「はぁ?」


「専務さんの子」


「馬鹿な」


克樹は早苗の襟首を掴みそうな勢いで、手を差し出して直ぐ様引っ込めた。


「俺の子供かどうかしれたもんじゃない」


「専務さん以外と、あんな事してない」


「嘘をつけ、どうせ複数の男と関係してるだろう?」


「そんな事……絶対専務さんしか……」


「嘘をつくな」


克樹は大声で怒鳴って、一瞬店内が静まり返って、客の視線が克樹一点に注がれた。


「俺は本当に覚えてないし、君が言う事は全く信じられない。が、もしそうだとしても、俺は認めないしその子は処分してもらう事になる」


「酷い……」


「幾ら欲しいんだ?」


「私はお金なんて……」


「金も要らなきゃ結婚も望まないか?ただこの子の父親という事を認めて下さいか?」


克樹は自分の口がこんなにも滑らかに、そして口汚く言葉を吐くとは自分でも思わなかった。それでも止められなくて、立て板に水のように流れ出る言葉に驚愕した。


「君みたいな女の常套手段だからね。そうやってこっちの良心に付け込めば、結婚できると思ってんの?それとも認知?だが生憎だが、俺には良心なんてものは全く無いんだ。今まで何人の女と関係持ったと思ってんの?ただ一度だってそれらの相手に、良心なんか持った事も無いね。だから俺は絶対にその子を認めないが、始末する金だったら払うよ。もし、誰の子か判らないんだったら、その方が儲けもんだろう?」


克樹は自分でも上等だと思える程に、落ち着いて話をしている。


「金の話し以外で連絡するな!」


克樹は早苗の注文書を手に取って席を立った。

どうやって支払いどうやって帰途についたのか、克樹は覚えていない。

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