第8話

克樹はマンションの、ドアを開けて中に入った。

長年住んで居るが、ただ名ばかりの住まいだ。

何も必要のない部屋だった。

ガランとしているものの、少し荷物が増えている。

乱雑に脱ぎ捨てられた上着やシャツが、敷かれたままの布団の上に置き去りにされているし、昨日見たのか資料もそのままだ。


「マジか……」


克樹は呆れて立ち尽くしながらも、口元を緩めた。


「だらしねぇ……」


今まで女の問題を起こすタイプだったから、当然の事だが世話を焼いてもらう側だったし、相手も嬉しそうに片付けてくれたりしていたが、この光景を目の当たりにして、相手が水樹である実感が湧いてきた。

少なからず問題視されてきた、女性ではない事だけは確かだ。

克樹は自分のボストンバッグを下に置いて、片付けを始めた。

見るとスーツケースも開けっ放して、ごちゃごちゃの状態で着るものが置いてあるから、スーツなども皺になっている。


「あいつマジで性格変わった?」


とにかく布団の上の下着とワイシャツは、洗濯しなくてはならないだろうが、確かに洗濯機も置いて無いから、ビニール袋に一纏めにして、コインランドリーで洗うしかない。

そうこうしていると、水樹が帰って来た。


「あれ?克樹帰ってたんだ?」


「ああ……さっきな」


「ふーん?」


「ふーん?じゃねぇよ。これは何だ?」


「………」


克樹が敷きぱなしの布団を指差して言うと、水樹はそれは可愛い表情で首を傾げて、克樹を見つめる。


「ああ……忙しかったから……」


「この上に洗い物乱雑。スーツ皺だらけ……」


「慌ててたからさぁ……早く買い出しに行かないとな……。冷蔵庫しかないじゃん?洗濯機も無いし?」


「お前なぁ。この先にコインランドリーが有るだろう?」


「そうなの?」


「……じゃ、ねぇよ。有名珈琲チェーン店は知ってて、コインランドリーは目に入んないのか?」


「必要ないからね」


「はぁ?お前洗濯物、どうする気だったんだ?」


「今日克樹が帰って来るじゃん?」


「はぁ?」


「克樹に聞こうと思ってさ」


克樹は一瞬言葉を失って、水樹を見つめた。


「お前今までどうしてたんだ?」


「野村さんがやってくれてたから……」


「のむらぁ?」


「通いの家政婦さん。飯しが美味い」


「ああ……」


克樹は納得して頷いた。

水樹が養子に入った時に、余りに太れない体質だから、高城が心配して料理上手の家政婦さんを雇ったのだ。


……通いだったのか……


「そうそう、今度こっちに来てもらう事にしたから」


「だ、誰が?」


「野村さん。土曜日に買いに行って必要な物揃えたら、こっちを頼む事にした。高城さんにも了解してもらってる。だって、あっちは新婚だし素子さんも居るからね……」


「待て。高城と話したのか?会って?」


「当たり前だろ?あそこ出る事も言わなきゃならないし、マンションをどうするかもあるし……」


「あそこ出る許可がいるのか?」


「まさか。だけど出るんだったら、言っとかないと……。あそこは高城さんの物だし」


「あっそ」


「ほんと厭そうに言うよね?……で、あそこは先々貸し出す事にして、野村さんはうちに来てもらう事にした」


「高城が言ったのか?」


「はぁ?」


「野村さんこっちにくれるって……」


「僕が言ったの!何で高城さんが?」


「お前の為の家政婦さんだからさ」


「僕の為の家政婦さんだから、僕が言ったの。野村さん以外の飯しは、おばさんのしか食いたくないから……これでいい?」


「やっ?何で怒ってんだ?」


「うー。なんだかんだと、ムカつくからさ」


「なんで?」


「解らないならいい。飯し食いに行こう」


「おっ!」


克樹はすっかり忘れていた寿司折を二つ、ボストンバッグの中から取り出した。


「マジか?凄えな?」


「駅前の寿司屋。あそこ親父の馴染みでさ、帰りがけに買って来たんだ」


「へぇ?食いに連れて行ってくれた事ない」


「夜食いに行く事余りになかったろ?」


「そうかぁ?」


水樹は疑いを持った目で、克樹を見て言った。


「解った。今度食いに行こう」


水樹は笑顔を見せて寿司折を見入る。


「特上にしてやったぞ。醤油とガリはサービスで多めにしてもらった」


そう言いながら、お茶のペットボトルも取り出す。


「気が利くね」


「味噌汁は無いがな」


「ガス台もなきゃポットも無いもんなぁ」


水樹は仕方なさそうに言った。


「高城の物は持ってくんなよ……って言ったよな」


「うん」


水樹は寿司を頬張りながら頷いた。

唇の下に醤油が垂れる。 それを目ざとく克樹は指で拭う。


「あっちの部屋にゴタゴタ置いてあるのは何だ?」


「あれはおばあちゃんちから、高城に持って行った分」


「ほんとか?覚えねーなぁ……」


「本当だよ。僕の宝物だ……。第一高城さんがくれた物だったら、もっと高級品」


「はぁ?嫌味なヤツ……」


「何にも持って来ないよ。自分で買ったものだけだ……」


水樹はもう一つ、口に頬張って言った。


克樹は高城に恩があるが許せない。

まだ子供だった水樹を好き勝手にした事も、そして自分に呪縛した事も。

自業自得だと、大人になれば解った事でも、余りに辛過ぎて許せない。

自業自得だから、いつまでも根に持っている。


「さて……」


水樹は食べ終えると、ネクタイを外して立ち上がった。


「シャワー浴びてくる」


「おう」


克樹は見上げる格好になった。

相変わらず何も無いから、床の上で寿司を食べ終えたからだ。

当然水樹は見下げる格好となっている。

目と目が合った。

上と下で見つめる形となった。


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