第5話
「……たく、どこで覚えたんだ?」
「なに?」
「そんな事……」
「だから調子に乗りすぎた。ごめん」
表面には見せない様にしているが、我慢しているのが解る。
我慢されるのが腹が立つ。
落ち込まれたりしていると、苛立ちが増していく……。
「相変わらず、何も無いんだなぁ」
ドアを開けて中に入ると、グチる様に言った。
「好きな物買って増やしゃいいだろう?奥田が勝手に、俺に押し付けたマンションだからな、必要以上に広すぎるんだよ。半端に有るよか全く無い方が、サッパリしてて気持ちいいだろう」
「サッパリし過ぎじゃん?布団も一組しか無かったよなぁ?」
「あっ……」
そうだ、二組買い換えたのは、神戸のマンションだった。
そのまま克樹は北海道に行って、暫くは水樹が使ったが、仕事で使う事が無くなったから、奥田が処分させてる筈だ。
「よく、こんなんで〝俺の所来い〟とか言うよね?まあいいや。風邪を引く時期じゃないし……」
水樹は床に腰を落として、見上げて言った。
「髪洗ってやるから、一緒に入るか?」
自分で言って赤面する。
水樹の反応も興味ある。
「なんで?」
水樹の問いに、克樹は少し動揺する。
下心が有る様な無い様な……。
「寂しいだろうと思って……」
水樹は見上げたままジッと黙っている。
だから余計に克樹は自分の思いを、見透かされそうで視線を避ける。
「そりゃ寂しいけど……」
その言葉に、克樹の頬がひくついたのを、自分で意識した。
一瞬にして、表情が変わっただろうと自覚した。
「おめでたい事だもんなぁ。高城さんも僕の面倒にかまけて、婚期をかなり逃したからな」
水樹は克樹が高城との関係を、知っている事を知らない。
だから当たり障りの無い事を、言うのかもしれないが、その言葉は克樹を満足させた。
「そうだよな、めでたい事だよな?だったら、祝儀にあのマンション売り払って、お前は此処に住め」
「何も売り払わなくても……第一、あそこは高城さんのだから」
「じゃ、あいつら住まわせろ」
「良い物件見つけて住んでるし……」
出て行ったのは三日前でも、それ以上前から水樹は知っていた事の様だ。
ショックだったろう、と憶測しても切なさが増すだけだ。
「とにかく、あそこには帰るなよ。荷物も持って来んな」
「克樹は高城さんの事となると、めちゃくちゃだよ」
「俺が中坊の時から、あいつの事どう思っているか知ってるだろう?あいつの買った物は全部気に入らないんだよ!だけど、あいつのお陰で今回だけは、全て捨てて帰って来いって言えるんだから、礼を言うべきか?俺もお前も人一倍の資格を取れた……。高城や親が居なくても生きて行ける……そうだろう?もう、あの頃とは違うんだから、今までの生活全てを捨てたって生きられる」
「厭だね」
「なに?」
「お父さんの事もお母さんの事も、高城さんやおばあちゃんの事も、全てが僕の大事な物だ。何一つ捨てたりしない……そんなの解ってるだろ?」
水樹は立ち上がると、バームクーヘンを取り出して口に入れた。
「バームクーヘンは好きだ。この一枚一枚剥がれる所がさ」
小さく欠いたバームクーヘンの層の、一枚を捲る様にして口に入れる。
「俺の時もこれだったぜ。三層も年輪重ねてねぇし……」
水樹がしみじみ見つめるから、克樹は赤面してちょっと強い口調になった。
「ほら、克樹だって捨てねぇじゃん?」
「はあ?」
「克樹が捨ててしまえばいいものを……」
「お前な……」
水樹がバームクーヘンの残りを、克樹の口の中に突っ込んだので、克樹は吃驚して戸惑いを見せた。
するとそれを一瞥すると、そのままバスルームへ入って行った。
克樹は口の中に広がる、甘いバターの香りに苦笑する。
どんな形だとしても、自分が大人になったのは事実だ。
あの時……水樹が高城の所に赴いて、だから二人は人並み以上の教育を受ける事ができた。
想像だにしなかった人脈を持ち、羨まれる様な生活が送れる大人になった。
それは水樹の不運な運命から得られた、幸運かもしれない。
もしも、祖母が水樹を探さなければ、叔母が死ななければ、叔父が自暴自棄にならなければ、克樹の父の会社は倒産し、克樹はこうしていないだろうし、無論水樹は今の仕事にはついていないだろう。
水樹の言う通り今までの全てを、捨てる事などできる筈がない。
それ等全てをありがたく感謝して、この身に抱いて生きて行かなくてはいけない事を知っている。
だけど……高城が許せない。水樹への感情も行為も、そして自分に与えた呪縛も……。
それ等を残して水樹を裏切り、水樹の弱みとする妹の水穂を選んだ事が許せない。
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