第3話 夫は妻しだい

「君達には世話になったからな」

 そう言って、屋敷に招待したその男は、腰に魔剣を下げていた。その横には白く美しい妻と艶やかな黒い毛並みの愛猫。そして、背後には数名のメイドや執事を従えている。

「この度はご招待いただき‥‥」

「いやいや、畏まらなくて結構だよ。これまで色々と迷惑をかけたからね」

 恭しく礼をするスカーレット先生を男は制し、会釈する。

「いえ、そういうわけにはいきません。‥‥そうした場だからこそ、むしろ礼儀が必要というものです」

 そう答えたのはルーセント・ヴェルファイアだった。

「そういうものかね?」

「そういうものですわ、貴方。恩義を感じているからこそ、そこはきちんとしておかなければむしろ失礼に当たりますわ」

 問う男に対し、妻はそう答えた。

「パーティの準備が整っていますので、皆様をどうぞ中へ」

「おお、そうだった。さあ、中へどうぞ」

 そう言って妻に促され、男は学生達を屋敷の中へと案内した。


「そして、私は剣を抜き、襲い来るデュルガーに果敢に挑戦したのだ!」

 パーティが始まり、最初は大人しくしていた男だったが‥‥。

「ばったばったと襲い来る敵をなぎ倒し、諸悪の根源であるデュルガーの幻術を打ち払いついに私は‥‥」

 酒が入り、妻の前ということもあって事実を捻じ曲げた演技にも熱が入っている。

 腰に下げた魔剣をぶんぶんと振るい、あれやこれやと語り続ける男を学生達はおろか、猫までもあくび交じりに聞いていた。

「そして、最後の一太刀を浴びせたとき、デュルガーはその真の姿を目覚めさせ‥‥」

 そう言いながら思いっきり一振りした魔剣は‥‥思いっきり男の手からすっぽ抜けた。

「ぎにゃああああああああああ!!!!!」

 そして、絶叫。飛んでいった魔剣は男のペットである黒猫の足に突き刺さり‥‥見る見るうちに黒い大きな影が広がっていく。

「‥‥ああ?! だ、大丈‥‥」

 心配して駆け寄ろうとした男の足が止まる。男の目の前で猫はその真の姿を現し始めていた。蝙蝠のような黒い翼。大きくなった身体は黒豹の如し。

「って、思いっきりデュルガーじゃねえか!」

 誰かが叫んだ。

「私が生まれる前からいた由緒正しい猫だぞ?!」

 曰く、祖父の代からずっと家にいた猫らしい。その年齢は軽く見積もっても20は超えている。それすなわちまともな猫であるはずがない。

「今まで気付かなかったのか‥‥?」

「というか、今までよく何もされずに過ごしてましたね」

 半ば呆れ気味のルーセントと関心気味のスカーレット。

 ルーセントが知る限り、男の祖父も父親も共に悪事一歩手前とも言えるような強硬手段で家名をあげてきたらしいが、本格的な悪に手を染めずにこれまで何とかやれてきていたという話だ。

「これは‥‥もしやチャンス?!」

「って、まさか。退治する気ですか‥‥?」

 なにやら目を輝かせる男に対し、メイドや執事達の避難誘導をしながらスカーレットは溜息をついた。

「もちろんだ! この魔剣があれば、負けるはずがない!!」

 元があまりにも長い間飼い続けたペットの猫だったこともあって、デュルガーを前にしてもおびえた様子がないのは悪いことではないが‥‥明らかにおびえてくれていたほうがましだったかもしれない。

「とにかく、退治しなければいけませんね。僕は屋敷の外に逃がさないように屋敷の周りを警戒しますから、皆さんはデュルガーを何とかして下さい」

 幸いなことに男が魔剣を見たがっていたため、学生達は招待されたときに武器を用意してきていた。スカーレットも箒は持ってきていたし、最低限屋敷から逃がさないことくらいは出来そうだ。

 そして、自分達が使える魔法だけでは手が回らないかもと判断した部員が、デュルガーに対抗できる魔法を持った学友を呼びに行った。

 こうして、学生達はデュルガー退治とそれよりももっと厄介な男の暴走を同時に相手にすることになった。


●猫の手も借りたい

 応援を求め、駆け回った剣術部の生徒達。その甲斐あって、すぐに幾人かの生徒が名乗りを挙げてくれた。簡潔に経緯を、そして敵はデュルガーという事実を伝えて準備をしてもらい、詳細は屋敷への道すがらに説明をする。

「‥‥済まない。今ひとつ状況が飲み込めないのだが、その貴族の‥‥フランクとやらがデュルガーに憑かれた訳では無く?」

 聞き返すベアトリクス・ユニバスに、内心、無理もない反応だと思うヴァルチャー・マンチェスターだ。こんな間の抜けた話を、すんなり飲み込める訳がない。

「ええっとですね、つまり、物語の勇者に憧れたフランクさんが、自分もデュルガー退治をしてみたいと‥‥」

「今までありとあらゆる手段を使ってその無謀を理解させようとしたんだが、どうしても諦めてくれなくてな」

 アーク・レイクウッドの苦労を思いつつ、ロジャー・ロレンスが大切なことを聞いた。

「で。その貴族には、デュルガーを倒すために必要な能力はあるのかな?」

「いえ、まったくもって」

 ヴァルチャー即答。ロニー・ローランド・ロバーツが、コリコリと頬を掻く。

「‥‥もしかして、デュルガーより貴族様のほうが問題?」

 振り返った剣術部の面々が、揃って大きく頷いた。

「急いだほうがよさそうね、先走った行動に出る前に」

 サマンサ・シューメーカーが苦笑い。とにもかくにも、ごく短時間で、正しい認識を共有することが出来た様だ。

「そういえば、キミは新入生なんだね」

 エインジェル・アーミティッジに話しかけられ、入学したてのケットシー、ノイ・コニョラートが身を正した。

「ノイでござる。先輩方の足手まといにならぬよう努力いたす所在。宜しくお願い申し上げる!」

 えらく古風な物言いだが、子供の様な高い声。しかも猫。かわいい。その初々しさに去年の自分たちを思い出して、なんだかむず痒くなって来る2年生一同だ。

「戦闘経験のない者を前に出すわけにはいかないな。いざデュルガーと遭遇したら後援に回ってくれ」

「フランク殿が変な事をしないように、ついてるでござる」

 アークの指示に、これも大切な仕事と納得するノイではあるが、ちょっと残念に思ってしまうのも素直な気持ち。仕方がない。

「‥‥抜かれるつもりは微塵も無いが、もしもの時は頼む」

「こ、心得たでござるよ!」

 そんな遣り取りを交わしつつ、足早に進む彼ら。

「さて、そろそろ到着ですよ。皆がフランクさんを抑えてくれていればいいのですが‥‥」

 ヴァルチャーが呟いた。嫌な予感は、ひしひしとしている。


●先走る当主

 その頃、お屋敷では。

「ですから、相手の力も分からないうちから戦いを挑むのは危険です!」

「今、仲間が応援を呼びに行っています。戻って来るまでお待ちください」

 イワン・イグナシェヴィッチとフウロ・カガミが言葉を尽くして押し止めるのだが、聞き分ける筈も無い。

「なに、大丈夫だ。私の力は前にも見ただろう? 安心して任せてくれ!!」

「貴方‥‥素敵よ‥‥」

 この調子である。

(やれやれ、奥さんの前だから余計にやる気になってるんだろうな)

(しかし、デュルガーだったとはいえ長年飼ってた猫を即座に退治しようって気になるか?)

 ティンクレ・タントンとシン・ツァンマーは、こっそり作戦会議中。そこに、ずずいと進み出たのはレイ・ハチサだ。

「いや、しかしさすがフランクさんだ。あの猫がデュルガーだと見破っていたなんて」

 言い出したレイの袖を、フォーシャル・ソルディアスが大慌てで引っ張った。

(お、おい、いきなり何を言い出すんだ!)

 しかし彼はお構いなし。

「だからこそあの猫に剣をつきたてたのでしょう? もしそうしていなければ皆が‥‥いや、奥様も危なかった」

「そ、そうなのだよ、私は前々からただならぬ気配を感じ取っていたのだ! 何たることだ、我が愛猫よりデュルガーの気配がするではないかと!!」

 フランク殿、我が意を得たりとばかりに語り出した。芝居がかった台詞回しで大げさに身振り手振りを交えながら話す内、古の勇者もびっくりの武勇伝が出来上がるという寸法。

「まぁ、そうだったのね‥‥私ったら、勢い余って剣を手放してしまったものだとばかり‥‥」

 奥さん、感動のあまり目頭にハンカチを当てる。

(‥‥正気ですか? もちろん冗談ですよね?)

 表情は見えないのに、レイヴン・シクルートが本気で心配しているのがひしひしと伝わって来て、レイは何とも言えない気分になる。

(当たり前だ‥‥こうでも言わないとおさまらないだろ。毒をもって毒を制すってやつだよ)

 ひそひそ話しているところに、スカーレット・フート先生が戻って来た。

「皆さん、逃げたデュルガーの所在が掴めました。今は厨房に潜伏しています」

「おおっ!! いよいよ私の出番というわけだな!?」

 フランク殿、言うが早いか。

「あぁっ、ちょっと待ってくださいっ!」

 フウロが押し止める間すら与えず、まっしぐらに厨房へと突進して行ってしまった。毒をもって毒を制す作戦大失敗。

「先生! なんだってこんなタイミングでっ!!」

 ティンクレ思わず八つ当たり。

「す、すいません。とにかく追いましょう!」

 スカーレットの後に続き、彼らは主を追って厨房へと向かった。


●やりきれない思い

 厨房前。

「デュルガーはどこだ、私が相手になってやる!!」

「げ、アンタ何でここへ‥‥頼むから待機しててくれって!!」

 押し入ろうとするフランクと阻むルーセント・ヴェルファイアが大揉めに揉めているところに、スカーレットと生徒達は駆けつけた。増える人の気配を嫌ったか、物陰から飛び出す黒い影。

「むっ、とうとう現れたなデュルガーめ! 剣の錆にしてくれる!!」

「いけませんフランクさん!」

「落ち着いてください、貴方だけでは危険です!」

 レイヴンとイワンが飛びついて押し止めた。鍋や食器がけたたましい音を立てる中、目にも止まらぬ速さで駆け抜けた影は、窓を破って裏庭へと飛び出して行く。

「ああっ、逃げられてしまったではないか!!」

 地団駄を踏むフランク。すぐさまスカーレットとルーセントも後を追った。

「屋敷の外に出すと面倒だ。どうにか俺達で包囲してしまおう。急がないと間に合わないぞ!」

 レイに続く生徒達。自分も向かおうとするフランクに、突然シンが食ってかかった。

「おいアンタ、いくらただの猫じゃなかったからって、よくもいきなり退治してやろうって気になるもんだな!!」

 とうとう口に出して言ってしまった。これには皆、ぎょっとする。

「お、落ち着いてくださいシン様っ」

「冷静になれ。今はまず、人々の安全を考えねばなるまい」

 フウロとフォーシャルがすかさず間に入った。

「私だって辛いのだ。しかしあのデュルガーが何をしでかすか分からない以上、退治してしまわねば‥‥そうではないか? そうだろう?」

 心外そうなフランクに、勿論、と頷いて見せるフォーシャル。

「相手はデュルガーだ。確実に仕留めなければ、必ず多くの人を苦しめることになる。ここにいながら大した悪事を働かなかったのが奇跡なんだ」

 フォーシャルに諭され、シンは渋々引き下がる。しかし神妙な顔を装いつつ期待に目を輝かせるフランクに、苦虫を噛み潰した様な表情になった。

(‥‥アンタはただ自分が活躍したいだけだろ。くそっ)

 敵が見慣れた猫の姿をしていることに、知らず惑わされる彼。平穏な20年の間には、何か通い合うものがあったのではないかと思わずにはいられなかったのだ。

 気まずい空気が流れたその時、俄に外が騒がしくなり、彼らの名を呼ぶ声が聞こえて来た。

「どうやら、待ちかねた応援がやって来てくれたようだよ」

 にっと笑ったティンクレ、彼らを裏庭へと誘導する。


●黒幕がいる?

「やはりここは私という強大な戦力が加わらなくては──」

 いてもたってもいられない様子でまたもや言い出したフランクを、イワンが制した。

「私が思うに、あのデュルガーの他に黒幕がいるのではないかと」

「黒幕、ですか?」

 首を捻るロニー。ふむ、とベアトリクスが考え込んだ。

「デュルガーを操る更に上のデュルガー。あるいはデュルガー使い‥‥」

 より勇者に相応しい敵の臭いを嗅ぎつけ、フランクの目がきらりと光った。

「むむっ、聞いたことがある‥‥気がするぞ。デュルガーを使い屋敷内の様子を探ったり物を盗み出したり‥‥その類か!!」

「なんと、そのような輩が存在するのでござるか。許せぬ!」

 ノイとフランクが義憤に燃えているのを眺めながら、ティンクレは怪訝な顔。

(なんだい? そんな奴ホントにいるのかねぇ?)」

(なんともいえないけど‥‥どうせまた怪しげな本で得た知識じゃないかしら?)

 サマンサが肩を竦める。

(ベアトリクスさんもあんまり推測で物事を言わないほうが‥‥あの貴族さん、思い込みが激しいので‥‥)

(む? そうか、悪かった)

 ヴァルチャーに窘められて、面目なさげなベアトリクス。しかしその間に、イワンとフォーシャルは目配せを交わし合っていた。軽く咳払いをし、フォーシャルが提案する。

「では、その『黒幕』に備えてグループを2つに分けようか。猫を追う者。黒幕に備える者」

 そうだな、とレイも同意を示す。

「奥様や使用人もいるんだし、警護に回る者も必要だ。‥‥しかし、もしも本当に恐ろしい黒幕が現れたら‥‥ああ、不安だ‥‥」

「仕方がないな。それなら私は黒幕に備えよう。巨大な敵には私の力が必要になるはずだ」

 フランクはそう言って、その場にどっかと腰を据えた。何と頼もしい! などと褒めそやすレイだが、慣れないおべっかの連続に、なんだかぐったりし始めている。

(なるほど。こうやって貴族の護衛をやり易くしておく作戦ですね)

(まぁ、下手に動きまわられるよりはマシだろうな)

 ロジャーとアークが苦笑し合う。フランクは上機嫌で、裏庭の様子を窺っていた。


●俺が引き受ける

 美しく整えられた裏庭に鎮座する、大きな石造りの彫像。珍しい獣を模したその頭の上に腰を下ろして、黒猫は迫る生徒達をじっと見つめていた。空には箒に跨るスカーレット先生。彼女が蓋となっていて、飛んで逃げるのは難しい。猫は、誰が付け入り易いかを値踏みしている様でもある。

「あれが件の猫ですか‥‥見る限りはごく普通の猫ですね」

 ロニーの呟きに、イワンが首を振った。

「見かけに惑わされてはいけませんよ。私達は一度奴の本来の姿を見ていますから」

「まずは奴の能力を把握したい。本来の姿を現してもらわないと‥‥」

 エインジェルが、ドラゴングラスを指の背で押し上げた。

「なら、どうする? 俺達もあやかって、剣をすっぽ抜けさせてみるか?」

「まぁ‥‥あんな偶然、狙ってもなかなか出来ませんよ。あれこそルミナの加護ってものです」

 ルーセントの軽口に、ヴァルチャーも軽口で返す。それを不敵と受け取ったか、黒猫はすっくと立って、甲高い唸り声を上げ始めた。

「そ、そんなに怒っても、怖くないんだから。来るなら来なさいよっ」

 少し離れた場所で足を止め、浄魔の弓に矢を番えるサマンサ。緊張を悟られない様に、こっそり唾を飲み込んだ。

「まずは俺が仕掛ける。後は頼む」

 僅かに足を速めたフォーシャルは、ヒポグリフブレードを逆手に抜き、ネットを構えて更に速度を上げる。不協和音の混ざった一層甲高い唸り声。と、その姿はみるみる内に膨れあがり、しなやかな体躯と蝙蝠を思わせる翼を備えた猛獣に姿を変えた。グリマルキンが、遂にその本性を露わにしたのだ。

「あ、あれが本来の姿ですか!? 猫どころか豹じゃないですか!!」

 思わず叫ぶロニー。

「来ます! 気をつけてください!」

 イワンは警告を発しながら、冷静に自身へのルミナパワー付与を済ませる。咆哮と共に跳躍したグリマルキンは、先頭を行くフォーシャルの頭上を越え──

「行かせるものか!!」

 フォーシャルが放ったネットが、絶妙のタイミングでグリマルキンの眼前に広がった。自ら飛び込む形で絡め取られた哀れな獣は、為す術無く地面に叩きつけられた。エインジェルはすかさずウィークポイントグラスでグリマルキンの弱点を探る。

「‥‥ダメだ、見えない」

 弱点があるにしても、目に見える様なものではないということか。

「なら、力尽くで行くまでだ!」

 フォーシャルの声に、皆、瞬時に腹を括る。

「押さえていてくれフォーシャル!」

 ベアトリクスが駆け込み様、翼の根本にロングソード+1を叩きつけた。身の竦む様な鈍い音、苦痛と怒りの籠もった呻き。苦し紛れに振るった爪が、ライトシールドの表面を掻いて耳障りな音を立てる。のたうつ様にしてネットを抜けるや、グリマルキンは鞭の様に体を撓らせ、フォーシャルに襲い掛かった。その爪が、彼の肩を深く抉る。体の軋む音を聞きながら‥‥しかしフォーシャルは巧みに脇に抜け、その足元を斬り上げた。もんどり打って倒れるグリマルキンの脇腹を、イワンの拳が正確に打ち抜く。

「あなた、妙に偉そうなんですよ。少し自重しましょうか」

 にっと笑ったイワン、抉る様にもう一撃。食らいつこうとしたその牙はイワンには届かず、宙で空しい音を立てた。フォーシャルのヒポグリフブレードが、その足を地面に縫い付けている。

 もはや、グリマルキンは満身創痍だ。ダメージの深さは隠しようも無い。しかしそれでも刃向かうことを止めようとしない。

「もっと傷を負えば逃げられると、そう考えてるんですか? そうはさせません」

 野生の勘で危険を察知してか、ロニーがパンドラの詠唱を始めるとグリマルキンに動揺が見えた。今更逃げようとしても、その力は無い。16人の生徒達、そしてスカーレットが、完全に逃げ道を塞いでいた。

(もっと上位の何かが出てくるかと思いましたが、杞憂だった様ですね。‥‥いやいや、安心するのはまだ早い。詠唱中を襲われたりしたら目も当てられません。封印後にクリスタルを破壊されたり奪われたりする可能性だって‥‥)

 ヴァルチャーが考えている間にグリマルキンはクリスタルに封じられ、皆の安堵の声が聞こえてきた。


「なんとか、なったか‥‥」

「フォーシャル!! 大丈夫か!?」

 倒れる様に蹲ったフォーシャルを、ベアトリクスが助け起こす。心配して駆け寄る剣術部の面々を、彼は仕草で制した。

「大丈夫だ、それより‥‥他に何もいないかもう一度調べて‥‥」

「もう、何を言ってるの!? 誰か、手当をお願い!!」

 自分の面倒は見られる、と薬を出して見せる彼に、サマンサは呆れて天を仰いだ。

「無理するなよ。それはみんなでやっておくから、お前は休んでろ」

 レイの言葉に頷き、イワンの肩を借りて戻る彼。

「ひとりであいつの攻撃を受けるつもりだったのか? ‥‥無茶にも程があるぞ」

 ルーセントが、小さく呟く。

「フォーシャルさん‥‥何が貴方をそうさせたんですか‥‥」

 ヴァルチャーは部長の姿を見送り、クリスタルを回収して来たロニーに声を掛けた。


●妻の愛

 警戒する学生達。前方を固めるレイヴンが

「今のところ‥‥。おかしな気配はありませんね」

 そこへフランクが

「‥‥少し失礼するよ」

 と、後ろから現れて身を乗り出した。

「む!? フランク殿!! 一人で出歩くのは危険でござる!!」

 ノイがすがる様に手を掴む。

「な‥‥。何をする!! お手洗いに行きたいだけだ!! そこまで断る必要があるのかっ!!」

 フランクは尊大に言い放った。

「はぁ~」

 ため息を吐くアークは

「しかしまぁ‥‥。一人で出歩くのは確かに危ない。俺もついて行こう」

 仕方無しにガードに就く。

 ロジャーも

「では私も行きますか。前後の見張りは必要かと」

 と後ろを固めた。


 シンは呆れて

「全く‥‥困った貴族さんだ」

 傍らの奥方に聞こえる声で言うものだから

「こ、こら!! いけませんよ!!」

 聞き咎めるスカーレット。しかし当の奥方は

「いいんです。主人がデュルガーを倒す力なんてないことはわかっていますから」

 と口にして回りの視線を集めた。

 フウロは言葉を選び

「それでは奥さん‥‥気がついていたんですね?」

「えぇ‥‥。童話や物語の世界に憧れる純粋な主人に私は惹かれたのかもしれません。皆様にご迷惑をかけて申し訳ないですが‥‥。主人を、よろしくお願いします」

 奥方の言にティンクレも肚を括り

「まぁ‥‥。今更かしこまらなくてもいいですよ。ここまでくれば一蓮托生です」

 レイヴンも

「悪い方でないのはわかっているのですよ。ただ‥‥」

 と言いかけた時。

「う‥‥。うわぁぁぁぁぁぁ!!」

 悲鳴が館に響き渡った。

「今のは‥‥。フランクさんの声!?」

 フウロは顔を見合わせる。シンはエストック+0を抜き

「‥‥急ぐぞ!!」

 小走りに駆け出した。


●連携プレイ

 フランクを助けながら、裏庭に飛び出して来た護衛班。

「デュルガーです、デュルガーが厨房から──!!」

 ロジャーが懸命に分かる限りの状況を伝える。ノイの肩を借りてよろよろと歩み出るフランクの服は裂け、袖口からは血が零れ落ちている。その顔は真っ青だ。

「大丈夫ですかフランクさん、しっかり!」

「あ‥‥あぁぁ‥‥」

 フウロの呼びかけにも、呻くばかり。

「ノイ!! ‥‥デュルガーにやられたのか!?」

「せ、拙者は大丈夫でござる‥‥」

 無傷だが真っ青になっているノイを、シンが検める。却ってフランクに庇われる形と成り、責任を感じているようだ。

「あなた、大丈夫!? 傷は浅いわ!!」

「奥さん、落ち着いてください! お二人は私達が必ず──」

 宥めていたレイヴンが、ぐ、と小さく呻いた。屋敷の中から、使用人達の悲鳴が聞こえて来たのだ。

「しまった‥‥早く助けに行かないと! ロジャー、頼む!!」

 ティンクレがロジャーからエエンレラの付与を受けるや、疾風の如く駆け出した。


 さて、フロウとシンがフランク達と入れ替わるように中に入ると、護衛して退いて来たアークが

「くそっ、俺のせいだ‥‥油断した!!」

 忌々しげに吐き捨てる。不意を突かれた一撃を、防ぐことができなかったのだ。

「行くぞ」

 アークの案内で進み行くと、屋敷内では逃げ惑う使用人達を庇う様に、ベアトリクスが飛び出していた。衝撃を盾で受け止め、はね除ける。

「いつまで調子に乗っている犬畜生が!!」

「いや、猫だぞ」

「いや、それじゃノイに悪い」

 突っ込みを入れつつ突っ込んで来るアーク。負った怪我もものかわと攻撃精神衰えず。

 彼ら2人の奮戦に加えて、続々と駆けつけて来る応援に、堪らず逃げ出すグリマルキン。

 シンは、泣きながら震えている使用人達の姿を見た。怪我をした夫に寄り添う奥方と、彼らを守るために傷ついた仲間の姿も。

「‥‥よく分かったよ、デュルガーってのがどういうものか」

 万一に備え、居残ったシンは、乾いた声でそう言った。


 時間は数分戻る。

 ヴァルチャーは、ふと、裏庭の一郭にある鉄製の扉に目をやった。ワインや食料を保存しておく地下貯蔵庫への入口で、厨房にも繋がっている。大きな屋敷には大概ある、何という事もないものだ‥‥。湧き起こるおぞましい殺気さえ発していなければ。

「下がって!」

 彼が叫んだのと、鉄の扉がはじけ飛んだのがほぼ同時。唸り声と共に飛び出したグリマルキンは立ちはだかったヴァルチャーに、鉄の扉ごとのし掛かる様に襲いかかった。纏ったバトルコート[Wilcox]が裂け、鉄の扉が軋むような音を上げ、砕けた。

「ヴルルルル~」

 威嚇するような唸り声。

「ヴァル‥‥うぁ!」

 再び力一杯のし掛かって、めり込まんばかりにヴァルチャーを地面に押し潰す。そして今現れたロニーに視線を向け、ヴァルチャーの抵抗が無くなると見るや獲物を狙う鷹のように一直線。

 狙いはロニーの持つクリスタルか?

 辛うじて躱したロニーの制服[シャツ♂]が裂ける。そしてグリマルキンの牙が彼の喉笛を、今しも噛み千切ろうとした。その時。

 バカ~ン! 突然、窓を破って現れたもう一匹が、体当たりをする格好となった。後を追って飛び出してくるベアトリクスとアーク。

 そして。

「みんな目を瞑って!!」

 サマンサはあらん限りの声で叫ぶと、矢筒から錬金で作り出した特製の矢を取り出した。素早く番えて引き絞り、間髪入れず空に放つ。唸りを発して飛んだ矢は、しかし2匹のデュルガーどちらをも捉えていない。けれど、みるみる内に直視できない程の目映い光を発した。

 彼女が作った機会を利して、学生達の肉弾が白刃を煌かせる。

「ア゛~~ンォア~!!」

 最後の力で翼を羽ばたかせ、舞い上がろうとしたグリマルキンの体を、ロジャーのエエンレラが付与された矢が貫いた。エインジェルの放った一矢だ。そして、駆けつけたティンクレが剣を突き立てる。

「それは虫が良すぎるって話よね」

「全くだよ。最後の見苦しい怪盗ほど惨めなものはないというのに」

 サマンサとエインジェルが手を打ち合わせて、互いの働きを讃え合った。浄化されたグリマルキンは霧散化して逃げる事も叶わぬまま、永遠の眠りにつくことになった。


●やっとわかってくれたか

「手当ては済みました。これで一安心‥‥。とはいえませんが」

 ロニーが傷ついたフランクの手当てを終了。ノイと言えばすっかり動転して

「す‥‥すまんでござる‥‥」

「全く。この男がずっと私の手を掴んでいたせいで反撃さえできなかったではないか」

 フランクの八つ当たりにティンクレは声を荒げ。

「‥‥アンタ、まだそんなこといってんのかいっ!!」

 その今にも掴みかからん腕を押さえ

「お‥‥落ち着いてください!!」

 ロジャーは必死で止める。シンも

「いや、俺も一発ぐらいブン殴ってやらないと気がおさまらない」

 こう言わねば気が済まぬ。いや、本当に殴りそうな剣幕だ。

「み‥‥みなさん。気を静めて‥‥!!」

 フウロは気が気ではない。

「‥‥お前たち!! いい加減にしないか!!」

 凛とフォーシャルの声が響いた。

「‥‥フォーシャルさん」

 イワンが振り返る。フォーシャルが目で合図するとアークがぼんくら当主に穏やかに言った。

「‥‥フランクさん。アンタもホントは気が付いているはずだ。アンタの力、いいや魔剣の力なんてあってもデュルガーは倒せないこと」

 フランクは反射的に怒鳴りかける所を

「‥‥皆さんが助けてくれなければ。貴方は死んでいたのかもしれないのですよ」

 奥方が介添えする。途端にしゅんとなったフランクは

「‥‥すまない。失礼なことを言ってしまった。‥‥ありがとう」

 形ばかりとは言え、初めて謝罪と感謝の言葉を口にした。

 却ってノイは恐縮し、

「い‥‥いえ!! 拙者、当然のことをしたまで」

 フランクの包帯を交換するサマンサは

「こらこらノイ君。あなたも背伸びはしないの!!」

 そして奥方がノイを指し、

「あなた。もしこの方が将来、とっても有名なダーナに成りましたら、きっとあなたの名前も残りますわよ。あの英雄ノイを救った勇者だと」

 と言ったので、フランクのノイを見る目ががらりと好意的に豹変した。

「そうだな。特にこの子には、是非とも立派なダーナに成って貰わんと。困ったことがあれば相談し給え」

 と、すっかり上機嫌である。

「この難物を手玉に取るとは賢い奥方ですね」

 イワンは大層感じ入った。彼女が健在である限り、この家は安泰であろう。


「元はといえば今回の件、回りくどいことなんかしないで最初から伝えておけばよかったんだ。それをわかっておきながら‥‥。俺は部長失格だな‥‥」

 フォーシャルがぼそりと言った。

「お‥‥おい。いきなり何を言い出すんだよ!!」

 レイは焦る。ヴァルチャーも

「‥‥過程はともかく。結果は上手く収まった。それに多くの方とも知り合えました。だからそれでいいじゃないですか」

 と責任を感じすぎる彼を労う。

「そうですよ!! それに変な策を持ち出したのはボクですから‥‥うぅ‥‥!!」

 顧問のスカーレットは、子供みたいに泣き出した。いや、背も低いし童顔だし、子供そのものに見える。

 いたたまれずにロジャーは

「せ‥‥先生。いきなり泣き出さないでください‥‥」

 フランクもすっかり責任を感じ

「いや!! 今回の件!! 全て私の責任だ!! それを認めざる得ない!! 本当にすまなかった!!」

 恥じも外聞も無く頭を下げた。

「‥‥そ、そんなに頭を下げなくとも」

 余りの豹変にエインジェルは、頭を上げて下さいと言わねばならぬ程。

「まぁ‥‥。それぐらい迷惑をかけてたのも事実なんだけどな」

 ぼそりとルーセントが口にした。

「ついては、君たちに対する恩返しをしたのだが‥‥」

「‥‥恩返し?」

 フランクの言葉にベアトリクスが鸚鵡返し。また、面倒な事に成らねば良いが。


●そんな物語

――――――――――――――――――――――――――――――――――

 学園の皆様へ。


 先日は大変お世話になりました。

 件のデュルガーのことは結局判らず終いではありますが。

 神官様のお話によると、

 当家の当主は仮令欲得づくの偽善であっても

『実際に人々を救ってきたから女神様の加護も受けていたのではないか。

 そして主人があまりにも夢物語を見ているところ、

 デュルガーに心狙われたのかもしれません』と。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

 届いた手紙は、奥様からの物。学生達はざわざわと話す。

「えっと‥‥。つまりはどういうことですか???」

 フウロは首を傾げる。

「つまり。あの猫デュルガーは女神様の贈り物でお家を守ってくれてたってことなのかしら?」

 サマンサの大胆な仮説にロニーは

「ええっ!! それじゃあ僕たち‥‥。余計なことしちゃったんじゃぁ‥‥!?」

 と脱線するが、

「それこそありえません。夢物語です。デュルガーは所詮デュルガーです。大方、野心家の歴代当主に魅かれて居ついたが、悪事一辺倒でもないため、災いを持ち込む機会が無かっただけでしょう」

 おいおいとイワンが口を挟み、レイヴンも

「私たちがしたことは正しかったかはわかりません。これからの彼のがんばり次第じゃないでしょうか?」

 と苦笑い。

 そして、手紙に添えられた細長い木箱の解説が続く。

「わぁ~! これは逸品ですよ」

 それはヴァルチャーに当てた贈り物。『朽ちた魔法の剣』だ。すっかり心が折れている時に救ってくれた彼の姿が、物語の勇者の様に見えたのかも知れない。

「でも、このままじゃ使えませんね‥‥」

 そう自分に言い聞かすことによって、サマンサは羨む心を自制した。


 手紙はまだまだ続いている。

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 主人も大変反省しております。

 つきましては恩返しとしまして今回の体験談を本にしたいと、

 出入りの吟遊詩人と語らっております。

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「ってつまり。どういうことだい?」

 ティンクレにはこの展開は解しかねた。アークは少し考え

「‥‥真実の自伝として売り出すつもりじゃないのか?」

「‥‥おぉ。それはいいな。私はかっこ可愛くかかれているかな」

 ベアトリクスは無邪気にどきどき。奥方の手紙の続きに目を走らせる。

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 主人が庇った形になったノイさんが、将来立派な働きをされたら、

 自分が英雄を庇った勇者として語り継がれる事を目論んで、

 大変大きく取り上げるといっていましたよ。ふふふ。

 ひょっとしたら、紋章の黒猫をケットシーに変えるかもしれませんね。

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「‥‥おぉ。それは‥‥。うれし‥‥はずかしでござる‥‥!!」

 ノイも素直に喜ぶが

「ええっと‥‥自伝ということは。あのお芝居の話も書かれるわけですよね?」

 ヴァルチャーの分別が危険信号を発した。はたと気付いたレイは

「そ、それはまずい!! 急いで止めるんだ!!」

 それを合図に走り出す剣術部面々。


 廊下。顧問と部長が

「先生。この度はご迷惑をおかけしました」

「い、いえ。あの件はホントにボクが‥‥」

 と、恐縮しあっている。そんな2人をフウロとロジャーが

「えーっと‥‥その話はもう止めにしませんか? 悪いことになったわけじゃないんですし」

「そうですね。いつまでも引きずっていてもしょうがありませぬ。これからが肝心です」

 と、励ます。

 ルーセントも

「気に病むな。お前はよくやってくれてるよ」

 責任感じすぎの部長の肩を抱く。

 そしてフォーシャルが

「‥‥ありがとう」

 とこぼす横を

「うぉぉぉぉぉぉ~!!!」

 と一団が掛け抜けた。

「なんだ? あれ‥‥ウチ(剣術部)の連中じゃないか。どこに向かってるんだ?」

 振り返るシン。

「なーんか嫌な予感がするが‥‥。一応聞いておくか?」

 エインジェルが追いかける。

 果たして、彼らは間に合うだろうか?

 彼らが登場する、ちょっと恥ずかしい物語が流布されるまでに。

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魔剣があれば 緒方 敬 @minase_mao

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