35話 鋼也/幸福な報せを、
消毒液の匂いがする。目覚めた直後に、鋼也がぼんやりと思ったのがそれだ。
身体が重い。思考が重い。深い眠りに落ちていたという証。
夢さえ見ないような深い、深い眠りだ。この一月なかったような――。
なぜ、こうも深く眠っていたのか。思い起こそうとして、思い出すまでに数秒の間が必要だった。
黒い、竜を思い出す。
そう、あれと、相打ちに近いように………。
目を閉じたままに、体の感覚を確かめる。腕。指。満足に動く。
被弾箇所は?確か、腹部辺りだった。脚は?わずかに動かす。足の指まで、確かに動く。脊髄は結局無事だったようだ。
深手ではあったはずだが………結局、また生きている。
どこか鈍い思考のままに、鋼也は瞼を開けた。
窓際の、ベット。医局、だろうか。右手側に窓が見える。珍しく晴れの日らしい。陽光が目に刺さる。
………左手側は、何も見えない。視野が半分、欠け落ちている。
それで、鋼也は知っていたことを思い出した。わかっていることを、思い出した。
生き延びはした。だが、それだけだ。ただ生きているだけ………。
「おはよう。気分は?」
左手側から声を投げかけられ、鋼也は顔をそちらへと向けた。
白衣のオニが立っている。医局の、女医………確か季蓮とか言ったか。片目がこうなってから、検査を受けた。ハーフだった、だの後天的な変異、だの。
「…………」
季蓮の問いに応えず、鋼也は上体を起こす。腹部から僅かなうずきが這い上がってきた。麻酔の結果、痛みが鈍っているのか、それとも、もう回復したのか?
……何日、眠っていたんだ?
「呆れた回復力ね。片目が空子受容体になった、って時もそうだけど、今回も。4日でふさがる傷じゃなかったわ。ハーフは免疫系が優秀って話はあるけど……」
「4日?……そんなに寝てたのか、」
「いいえ。寝てたのは一週間くらいよ。疲労が溜まってたんじゃないのかしら?」
「…………」
ずいぶん、無防備に眠り続けていたようだ。そのまま起きなければ………。
そんな事を思って、鋼也は僅かに笑った。
季蓮は声を投げ続ける。
「……どこもかしこも、傷だらけね。深手を負うのは初めてじゃないでしょう?常人なら耐えられないだろう傷を負い続けてきた。そして、不思議と全部治ってる。その辺のオニよりも回復が早い、というか、異常よ。代謝の活動が活発で、……かつ、早過ぎる」
「………何が言いたい?」
「長生きしなそう」
端的に言った季蓮に、鋼也は、鼻を鳴らしたいような気分になった。
「……誰がどう見てもそうだろ」
自分の行動を顧みて、そう自嘲した鋼也に、季蓮は続ける。
「寿命が短いかもしれない、って事よ。肉体の耐久年数が、ね?貴方、今何歳?」
「20だ。書類上は。……知らない間に誕生日かもしれないけどな。いつが誕生日か、知らない」
「そう。……どの種族も成長段階は一緒なのよ。20歳くらいまで、どの種族も一様に成長する。ただし、その後の、肉体の最盛期の長さが違う。オニだと、ヒトの2、3倍くらいかしら?勿論個人差はあるんだけど」
「だから、なんだ?」
「貴方はどっちなのかしらって話。どちらに寄ったハーフなのか。肉体自体の耐用年数がヒトのままで、その上で回復力やら、異能力やら、そういう負荷の掛かる事象だけオニに近い能力を発現しているとしたら……」
「消耗品だろ。兵士は」
医者の小言を嫌がるように、鋼也はぶっきらぼうに吐き捨てた。
けれど、医者は小言を続ける。
「消耗しすぎよ。どう考えても、自分から寿命を縮めてる。間違いなく長生きしない。……引き際なんじゃないの?そもそも、隻眼の時点でそのまま戦争しようって言うのが、」
「俺の命で、俺の身体だ。ほっといてくれ」
再度、鋼也は小言を遮って、どこか子供のように、目を逸らすように、窓の外に視線を向けた。
そんな鋼也を前に、季蓮は肩を竦め、それから言う。
「お見舞いが来てるわ。そっちの話は、ちゃんと聞いて上げなさい」
それだけ言って、季蓮は部屋を後にする。
長生きしない。それは、誰がどう見てもそうだろう。鋼也はそう、自分を嗤う。
長生きする意味もない、と。むしろ、寿命が経るのなら、それはそれで都合が良い……そんな事までも、考える。
ほんの僅か、間が空いて、その後に、季蓮が出て行った扉から、別の女が入ってくる。
紅地に金刺繍の、派手な羽織。心無しか肩を落としているような、そんな雰囲気のオニの女。
扇奈は、入って来るなり、ベッドサイドの椅子に諦観を固めたような視線を向け、けれどそこへ歩むことは無く、鋼也から距離を保ったままでいようとするかのように、立ったまま壁に背を預け、腕を組み、……その後になって、漸く鋼也に視線を向けた。
諦めた、と言うより疲れたような視線。疲れたような笑みを、扇奈は浮べている。
鋼也が怪我をした件で責任でも感じているのか……。
扇奈は口を開きかけ、けれど閉ざし……いくつか言葉を探したような様子の後に、端的に、事務的に、言った。
「鋼也。話がある」
そう言われた途端、鋼也は目を逸らし、ふてくされた様に言った。
「………お前も、無茶はやめろって言うのか?俺は……」
他に、“話”の用件は思いつかなかったのだ。単独行動への叱責。怪我をしただろ、そら見た事か。そんな、小言のようなものをまた聞かされるのではないかと、鋼也は考えていた。
当然、叱責されるだろう。当然、身を案じられるだろう。
ある意味信頼の証でもある。話を聞く前から、露骨にふてくされるまで含めて。
けれど、そんな鋼也の声を、扇奈は僅かにとがめる色の声で、遮った。
「聞け、鋼也」
「…………」
鋼也は口を閉ざし、また、扇奈に視線を向ける。
扇奈はまっすぐと鋼也を見て、また端的に、その用件を告げた。
「……桜が生きてる」
「…………」
鋼也は、何も言わなかった。
言われた言葉を理解できない、そんな気分だったのだ。
桜が生きている。そう言われて、最初に思うのは、……酷い冗談だ、と言うことだ。
桜が死んでいるところを、鋼也は見た。
それが、生きている?
ありえない。冗談にしては、笑えない。余りにも趣味が悪すぎる……。
苛立ったような、恨むような、そんな視線を向け始めた鋼也を前に、扇奈はまた淡々と、事実を伝える。
「あの夜、あんたが見た桜。いや、あんたが桜だと思った、桜の服を着てたあれ。回収して調べたんだと。それで、ほら、最初に検査とかしたろ?あんたらが来てすぐの時さ。その時に取った検査結果と、あれの検査結果が合わなかったらしい。別人だってさ」
検査結果………DNA?それが、一致しなかった?
採血をされたような記憶はある。この基地も、医療関連に関しては近代化している。鋼也が受けた治療だって、近代医学だろう。調べる能力がオニ達にあっても不思議は無い。
だが、確かに、鋼也が見たのは桜の着ていた服だ。髪飾りも。
……影武者?服を取り替えて逃げたのか?
半信半疑、思考に沈み始めた鋼也へと扇奈はまた、端的に言う。
「桜は今帝国にいる。そっちは、噂みたいなもんらしいけど、第6皇女が活動してるってよ。……わかるだろ?爺は革命軍ここまで呼びつけたんだ。帝国の情報はこっちにも流れてきてる。かなり、精度高くな」
桜が、帝国に逃げていた………。
革命軍の内部に、帝国側のスパイでもいたのか。そいつが、影武者を仕立てた上で、桜を逃がしていた?
………ありえない話ではないのかもしれない。革命軍も、元の所属は帝国のはず。スパイが紛れ込む土壌は幾らでもある。
桜が、生きている………。
少なくとも、生きている可能性は、ある。
そう、頭では考え始めても、鋼也はまだどこか疑うように……怯えるように、扇奈へと問いを投げた。
「……生きてる、のか?」
扇奈は頷く。それから、どこか無理をするような笑みを浮かべた。
「ああ。……あんたは、ここにいて良いのかい?」
桜が生きているのなら、その可能性があるのなら、鋼也は……帝国に行くべきだ。
そう、鋼也は思う。けれど、同時にどこか……それこそ怯えるような気分がある。
全部、確定情報じゃない。どれも、噂のようなもので、………全てが嘘かも知れない。
人生において、失う事が多すぎたのだ。
幸福に対する猜疑心が、鋼也の中であまりに大きすぎる。
受け止められないし、実感がわかない。全部嘘なんじゃないか、そんな疑念ばかりが、鋼也の頭の中を過ぎっていた。
けれど、鋼也の中にあったのは、本当に疑念ばかりではなかったらしい。
そう、言われるまでは、鋼也は自身で気付かなかった。
「……あんたは、嬉しい時に泣くんだね」
寂しそうな声で、扇奈はそう呟く。
言われてから、鋼也は自身の目元に触れた。
確かに、濡れている。右目が、ヒトの方の目が、涙を流していた。
疑っている。実感が沸かない。また、全て失くすだけなのではないかと、そう怯えてもいる。
けれど、確かに、それは鋼也にとって、幸福な知らせに他ならなかった。
鋼也は顔を覆い隠す。涙が流れ続ける。
「詳しい事は、冷血爺に聞きな。あっちはあっちで聞きたいことあるだろうし」
そう言った扇奈の顔を、鋼也は見ていなかった。あるいは、よく聞いてすらいなかったのかもしれない。
「……鋼也。あんたはもう、戦わなくて良い」
そんな、余りにも優しい言葉が聞こえてきて、その後に、扇奈が出て行ったのだろう、部屋の戸が閉まる音がする………。
その後、陽光に包まれる部屋に流れたのは、幸福に怯え、けれど幸福に喜ぶ、青年の嗚咽ばかりだった。
→ 35話裏 扇奈/幸福な報せを、
https://kakuyomu.jp/works/1177354054890150957/episodes/1177354054891717021
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