20話 桜花/誰が為のお姫様?
いつからか、そう、多分、物心付いた頃にはもう、どこか、何か、致命的なモノが冷めていたような気がする。
感情がないって言う、そういう話じゃ勿論ない。
嬉しい事もある。楽しい事もある。悲しい事も辛い事も腹立たしい事も。
けれど、それらが直接私の行動に反映される事は極めて稀だ。
全てが、
周囲を、観察して。
感情は、切り離して。
……
*
私は、お母様の事をよく覚えていない。お母様達の事は知っているけれど、肝心の、実のお母さんとの記憶が私にはない。
病弱だった、という話を聞いたことはない。それでも、病で倒れてしまったそうだ。
いつでも、どんな状況でも、唐突に居なくなることはあるのだろう。
葬儀。その光景は覚えている。その一角に私は確かに居た。
何が起きたのか良くわからず、ただ不思議そうにぼんやりしていた子供。
お母様の顔を思い出そうとすると、その時に花に囲まれていた写真が思い浮かぶ。
その意味を理解した頃には、実感を覚えるにはもう、お母様は遠すぎた。
お父様は皇帝陛下だ。みんなのものだ。たまにしか会わない。
子供の頃は、たまに顔を見るおじさん程度の認識だった。父親だと初めから知ってはいても、それこそ普通の家庭のように、遊んでもらった……みたいな想い出は何一つない。
母が亡くなってから、私は、私と兄さんは親戚の家に引き取られた。
今になって振り返ると、色々と考えてしまう。もしかしたら、ものすごくきな臭い理由で、私と兄さんは一時的に苗字を得たのかもしれない。だって、お母様は病弱じゃなかったそうだから。
藤宮。母親の旧姓だ。その家で、私と兄さんは育った。けれど、その内に兄さんは寄宿舎の着いた学校に行ってしまったから、その藤宮の家で、私は一人ぼっちだった。
もちろん、藤宮の家で酷い目にあった、なんてそんなはずはない。
色々な物を、私は、ねだる前から与えてもらったし、それこそ、おじさんとおばさんに、蝶よ花よと愛でられた。わがままを言う余地がないような暮らしだった。
一人ぼっちで心細かった少女は、何よりも最初に、愛想笑いを覚えた。
私の愛想が悪いと、おじさんとおばさんが困ってしまうから。だから、私は良い子だった。
そして、同時にわからなくなった。
おじさんとおばさんが私に優しいのは、私が、親戚の子だからなのか。
……それとも、私が、
だって、“桜花様”って呼ばれてたから。私は笑わなくてはいけなかった。
愛想笑いと共に、私の根底と表層は構築されて行った。
分析と
………誰に媚を売るかの話。
*
雪の狭路。目の前には、私の顔を覗き込む扇奈さん。その向こうに、革命軍が居る。
革命軍。そう、名乗ってはいるけれど、その割りに
私の家族を殺したくせに、虫の良い話だと思う。
けれど、そんな虫の良い話をしなきゃならないくらいに、革命はだから、旗色が悪いのだろう。
鋼也に固執するような話もしていた。私が知らないだけで、鋼也は軍の中では結構な有名人なのだろうか?そこは私の知らない情報だ。だから、考えない。
橘少佐が鋼也に固執している。情報として役立ちそうなのはそこだけ。そこだけ踏まえておく。
私………“桜花”を迎え入れる方は?
革命の旗色が悪い。市民のための行動のはずなのに、肝心の市民から人気がなかったりするのかもしれない。皇族を皆殺しはやりすぎだったんだと思う。その市民感情の挽回の為に“桜花”が、お姫様が必要だと、
“桜花”が許すような言動をすれば、革命が必要だったと言えば、それで少しは市民感情が動く、と革命軍は踏んでいる。
けれど、それは現実的じゃないと私は思う。
“桜花”がどの程度社会的影響力を持っているかは、私が一番知っている。その“偶像”を一番使っていたのは他でも無い、私なのだから。
周りが思うほどの影響力はない。ただ皇族に生まれただけで、何かしら実権を持ったことすらないのだから。精々、目の前にいる人がちやほやしてくれる程度で、私がこうしたいといった所で、ついてくれるような後ろ盾はそうないだろう。私の上の
革命軍は皇族の価値を吐き違えている。
憎みすぎたから、悪の権化だと思い込んで皆殺しにしたくらいだから、自分達の中で皇族の価値を大きくしすぎているんだと思う。
だから橘少佐は、縋るような言い方に、自分で気付かずなっている。
今、この場で、感情を無視して、橘少佐に微笑めば。
私の身体は暫く安全かもしれない。
けれど、そもそも皇族が全部悪いと思っていた集団だ。
私がそちらについたからと言って、革命が上手く行くとは限らないし、その可能性は低いだろうし。上手く行かなかった場合に私は多分酷い目にあうだろう。
ただ合理的にだけ感情を排して予測したら、そうなる。
一時的に生存できるだけ。その後、より酷い目にあう公算が高い。
"桜花"として、微笑めば。
*
“桜花様”は寄宿舎付きの学校に通うようになった。
名門の学校だ。名家やエリートの子息、ばかりの。
藤宮桜花はよく声を掛けられた。友達が多かった。愛想が良かったから。
……皇族とのコネが欲しい子はたくさん居ただろうし。
皆良い子だった。
私も、良い子だった。
私を嫌っていた子も、中にはいただろう。皇族の生まれを嫉む子が。けど、そういう子は大人の対応をもう覚えていて、そもそも近寄ってこなかったし。
それに、成績を上げない様にしていたから、その内に、私を嫉む理由が見当たらなくなったはずだ。
学校の成績はシンプルだ。勉強したら上がる。しなかったら上がらない。ただ、それだけの指標。
同級生は私に親しみやすさを求めていたと思う。だから、ステータスを上げなかった。
取り入り易い皇族が、その集団の公益に沿う人格だった。その頃にはもう、無意識にそういう風に考えるようになっていた。
愛想が良くてちょっと駄目。………“藤宮桜花”は可愛いでしょう?
楽しくなかったわけではない。軽んじられて、責任を突きつけられない居場所は心地良かった。からかわれるようになるのは、まるで友達が出来たかのような気分で楽しかったし。
いずれ皇族になる、負いたくないモノを背負わされると知っていたのなら、なおさらだ。
演技は、演技だっただろう。だって、私は、生まれてこの方、演技しかしていない。
けれど、それでも楽しかった。
だから、私に合う役だったのだ。“藤宮桜花”は、“桜花様”よりも。
胸を張って言える。
楽しい日々、だった、と。
だから、私は卒業式で泣いて。
その翌日から、私は“桜花”を演じだした。
“桜花”に求められているのは原稿を読む能力だけだった。別に演説だけの話じゃない。普段から、全ての局面で求められるのはステレオタイプで理想的な皇女だった。
誰も私に期待していなかった。学校の成績や、私の知識量を見れば当然の配慮だろう。
ある意味、それは、私が自力で手繰り寄せた人生だったのかもしれない。
いつしか仮面に囚われて、何も出来なくなってしまったのだ。
兄さんが居た。妹にコスプレさせて喜ぶ、アニメを作る旅人となった皇族。
………優秀さを見せすぎて大和で生き辛くなった兄さん。
そうと意識して、計算していたわけではない。
私は良く周りを見ていたし、誰を、何を求められているかが良くわかったし、物心が付くと同時にそれに沿う様に振舞う癖が付いていた。
どこまで行っても、どの場所でも、私に求められているのは皇女“桜花”だ。
悪い悪くないと言う話じゃない。
私を見ると誰もが皇女である事を思い出し、それを念頭に置いた行動を取る。
人生は人形劇だ。
私の人生において私はその主演で、同時に、客観的な批評家だったりするのだろう。
私は、私自身まで含めた周囲の全ての感情を無意識に計算して私の
*
扇奈さんが私の顔を覗き込んでいる。
表情は?厳しい。それでいて目は真摯に、………奥に迷いがある。
私に決断を迫っている。様に見えて、実は、決めかねているのは扇奈さんの方だったりするのかもしれない。
そんな風に分析してみる。
決断力がないって、そう言い訳めいた事を口にしたのは扇奈さんだ。
何かを悩んでいるのだろう。そして、決断は私に投げて寄越せる事。
つまり、私を助けるかどうか、で、未だ扇奈さんは悩んでいる。
珍しく状況がマシ、とも言っていた。扇奈さんは最初から相手が革命軍である事を知っていた。その情報を伏せた上で、自分は私の逃げ場で居ようとした。
……縋れば、この場から逃がしてくれるってことだろう。
有無を言わさずそうしていないのは、扇奈さんは、私より、多種族同盟連合軍に思い入れがあるから。
『桜。……あたしらに、ヒトと戦争させる気かい?』
扇奈さんが言っているのは本音だろう。なんせ、半分以上、扇奈さん自身に向けられた言葉ばかりだろうから。
扇奈さんは色々秤に掛けている。
私のこと。
部下のこと。
基地のこと。
………もしかしたら、鋼也の事も。
乗っているものが多すぎて、どれを選ぶべきか決めあぐねているのかもしれない。
私と近い。けれど、決定的に、違いがある。
扇奈さんは自力で色々できるだろう。戦闘であれ、他であれ。
私は微笑むしか出来ない。私は誰かに頼らなければ何も出来ない。
私が扇奈さんに微笑めば、助けてはくれる。多分。
助けた場合どうなるか。
革命軍が怒る。ヒトと他の種族で戦争が起こる。
上手いこと逃がして貰えるのだろうか?逃げた先で私はどうするのだろうか?一生、逃げ続ける?………ずっとずっと逃げられる保障なんて何処にも無いだろう。
一時的に生存できる、可能性がある。その後の保障は一切ない。
革命軍に付いていく事を、私よりも色々考えているだろう扇奈さんが最善と言ったのは、そう言う事だろう。
革命軍に微笑んだ方が、確実な寿命が長いのだ。あと、ヒトと他種族での戦闘が起こらない。
飲み込めば最善、とはそう言う事だ。
情感を切って捨てて、私の家族を皆殺しにした相手に微笑めば、それで丸く収まる話だったりするのかもしれない。
合理的にだけ考えたら、感情を排せば。
“桜花”は、革命軍に微笑むべきなのかもしれない。
………私の帰る先を、思い出を、真っ赤にした相手に微笑めば、一時的にこの周囲全員が最低限の利益を得る。
八方美人の面目躍如だ。
公益に微笑むのだ。それが皇女だろう。“桜花”はそう言うモノだ。
私は、そういう風に生きるのだろうか?
……そういう風に、生きてきたのかもしれない。
*
露骨に嫌われ続けるのが新鮮だった、と言ったら嫌味だろうか?
普通、………少なくとも私が生きてきた普通の中には、皇女に対して露骨に嫌悪を見せる人間は居なかった。
ましてそんな人とプレハブ小屋に押し込まれる事もこれまでなければ、頼れる相手がそんな、私を嫌っている人しかいない、なんて状況はある訳もなかった。
今まで“藤宮桜花”がそうしてきたように、可愛らしく媚を売ってもなんら反応を示さず、ただ私を嫌って、恨んでいる。
“桜花”を演じようにも、何一つ要求してこない。そもそもこちらを見ない。
媚を売りながら考える。この人は何を求めているのか。なぜ私を恨んでいるのか。
………私に何かできることはないのか。
恩人だから、と言うのは、勿論、ちょっとは入っているだろう。
冷たくされて躍起になった、みたいなのもちょっとは入ってるかもしれない。
不良が子犬を拾ったら可愛く見える理論だ。……あの人は対外的な計算を何もしていないから、多分素で、かつ偶然に近いんだろうとは思うけれど。
結果論だ。
傷ついて、泣いて、あの人は漸く私を見た。
“桜花”を恨んだ上で。時間を掛けて“桜花”と“藤宮桜花”を否定した上で、”私”を見た。
理屈っぽく言うと、だから、態度で演技を全部否定されたってことだろう。
皇族である事を何一つ求められなかった。むしろそれを嫌っている、と言う風に私には思えた。偶然、全部否定してもらえたのだ。
その上で、“私”を見てもらえた。
これまで会ってきた人は全員、親戚や友達まで含めて、皇女を愛して、皇女の気を引こうとしていた。
この人はそうじゃないのかもしれない、と。
………そんな気がしたってだけかもしれないけど、私はそれでも、安心できた。
その後の、今に到るまでの日々の全てで。
愛想が悪いのも、妙に生き方が不器用なのも、全部全部可愛いような気がして来た。
“藤宮桜”は、そういう役柄だ。
結局、演技していることに違いはないのかもしれないけれど、演じていて楽しい……いや、幸せな役。
これまでの人生で、唯一、ただ一人のためだけにある役。
皇女から、一文字取れたそれの役。
だから、私は………私が、一つ役を選ぶのだとしたら。
*
扇奈さんの目を見る。ただ傍観しているのではなく、ちゃんと意思を持って、私は扇奈さんの目を見た。
「………で?」
察しの良いお姉さんは、ただ端的に問いかけてくる。
私が何かを望むのであれば。
私が何かを決めるのであれば。
それは、卑しい話だけど、誰に媚を売るかって、そういう話になってしまうのだろう。
そういう風に生きてきたし、そういう風な基準でしか、私は多分、何も決めれない。
誰に笑いかけたいか。
誰に、私の笑顔を見ていて欲しいか。
………誰のモノでいるのか。
どの道も先行きが不確かならば、私は、私が幸せでいられる役でいたい。
そう思ったから………私が口にするのは、多くの人に迷惑を掛ける、わがままだ。
「……鋼也も、ちゃんと連れて来てくれるんですよね?」
私のそのわがままに、扇奈さんは少し目を見開いて、その後、額に手をやった。
「………考え込んでそれかい。なんていうか……まあ、そうだよねぇ。ちょっとうらやましいよ」
呆れたような言葉を口にしながら、扇奈さんの口元には小さく笑みが浮かんでいた。
それから、扇奈さんはどこか仰々しく頭を下げた。
「もちろんです、殿下。……眠り姫はばっちり抑えてる」
扇奈さんは笑っている。信じても大丈夫だ。元々、扇奈さんは踏ん切りをつける言い訳を私に求めていただけだろうし、準備は全部してあるのだろう。
なら………。
私は、扇奈さんの影から身を乗り出し、革命軍と橘少佐へと微笑みかけて、こう言った。
「橘少佐。……人の家族殺しといて正義は薄ら寒いですよ?」
「な………」
橘少佐は絶句している。
いい気味だと、私は思います。さて。
「じゃあ、扇奈さん。逃がしてください」
「………………なんか、余計なもんを起こしちまった気がするよ……」
呆れ果てた、と言いたげに、扇奈さんは天を仰ぎ………やがて、今度は大きく溜め息を吐いた。
「鴉が飛んで来ちまった………どいつもこいつも。まあ、良いけどよ」
そう呟いて、扇奈さんは懐から紙に包まれた飴を取り出し、それを私に握らせる。
「……予定変更だ。なるようにしな?行先は甘いもんを包んでるよ」
優しい目で私を見ながら、扇奈さんはそう言って。
直後、だ。
めまぐるしく、私の目の前で舞台は踊る。
扇奈さんが動く。鋭い、私には目で追えないような速さで、雪を散らして―――気付くと、扇奈さんは橘少佐の首に刃を掛けていた。
切り落としてはいない。……人質、かな?
予定変更、って言うのは、多分、そう言う事だろう。
カラスが飛んできたから、扇奈さんは、革命軍の足止め、だけでよくなった。
黒い鴉が、私の目の前に落ちてくる。衝撃で足元の雪を吹き飛ばした、黒い、傷だらけの鴉。
怪我はもう良いのだろうか?もし、傷を押して来たのなら、心配だけれどちょっと嬉しい。
そんな事を考えた私へと、黒い巨体、“夜汰鴉”………飛んできた鋼也は決定事項の様に言った。
「……逃げるぞ、桜」
「はい!」
愛嬌良く、ちょっと小首を傾げてみたりしながら、私は、笑みを浮かべた。
私が選んだ、
→20話裏 鋼也/ご都合主義のワルツ
https://kakuyomu.jp/works/1177354054890150957/episodes/1177354054890907276
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