19話 桜花/現実が鎌首を擡げ

 扇奈さんは何も言わなかった。

 私も、口を開かなかった。


 本陣を後にして、受け渡し場所………つい3日前に戦場だったその場所へと向かう間。


 厚い雪が山肌を覆い隠す冬空の中、戦果で戦禍、竜の死骸を雪が覆い隠すそこ、私はコートで身体を抱きながら、扇奈さんの足跡を辿って、帰路に付く。


 どこか、そう……拗ねたような心地だったのかもしれない。

 子供のように。帰りたくないと。そんな感情を諦めの感情が覆い隠して、だから、私は扇奈さんの背中ではなく、雪に残る足跡ばかりを見ていた。


 ことさらゆっくりと、扇奈さんは歩いている。たまに立ちどまり、様子を覗うように周囲に視線を走らせ、その最後に、扇奈さんの視線は私を捉える。


 私は目を合わせなかった。

 扇奈さんは心無し肩を竦めて、また、歩き出す。


 とぼとぼと、帰り道のはずなのに、どこか遠くへ向かうような気分で、感情も感傷もどこか遠いまま、ただ、そう人に言われるままに、お人形の様に、私は歩き続けた。


 どこか現実離れしているような気分。

 私にとってもう、現実はあのプレハブ小屋のことだったんだろう。


 出てくる前にあの小屋を掃除して来ただろうか?


 今更、そんな事を考えて………そんな時に、扇奈さんがポツリと口を開いた。


「桜」

「…………」

「こう見えてね。あたしはビビりで、決断力がないんだよ。のらりくらりは、裏返せばそういうことさ」

「…………」

「こう見えて長生きで。だから、どうとでも出来るようにはしておけるけど、どうするかは結局、他人に頼っちまう。これで割と芯がかよわくてさ」

「…………」

「で、まあ、なんつうか。言い訳みたいに聞こえるかもしれないけど、やっぱ……。決めるのはあんたであるべきだと、あたしは思うんだ」

「……なんの、お話ですか?」

「老婆心、だよ」


 肩越しに振り返り、白い息を吐き、それきり、扇奈さんは口を開かず、ただ歩み続けた。

 多分、私が何かを……あるいはそう、私が誰なのかを選ぶ、その場所へと。



 *



 両脇に雪の斜面、なだらかなそこに凹凸を作っているのは、多分、覆い隠された竜の死骸だろう。


 扇奈さんが足を止めたのは、そんな場所だった。

 何も言わず、扇奈さんは一歩、横にどく。


 紅地に金刺繍の背中が私の目の前から離れ、代わりに、正面に姿を現したのは、の部隊だ。

 

 狭い渓谷の底に整然と立ち並ぶ、黒い鎧。FPA――“夜汰鴉”。

 それが、10機。鋼也の物と違って、片方の肩が白く塗られている。何か特別な部隊なのだろうか?

 まだどこか現実離れしたような気分の中に居た私は、プレハブ小屋で教わった知識をゆるりと引き出して、そんな事を思った。

 

 そんな10機の“夜汰鴉”を背後に従えて、一人のヒトが、目の前に立っていた。

 30歳位だろうか。精悍な顔立ちの、冷静さが軍服を着ているというような、そんな短髪の男。

 その男は、手元の写真と私の顔を見比べ、それから警戒するように周囲に視線を走らせた後に、扇奈さんへと問いを投げる。


「駿河鋼也少尉は?」

「…………お休み中だ。来ないよ」

「そうか」


 固い口調で、だがつまらなそうにその男は白い息を吐き出して、それから漸く、その視線が私を捉えた。


「大和帝国第6皇女、桜花様ですね。お初にお目にかかります。私は、革命軍第1大隊大隊長、橘龍司少佐です」


 その男、橘少佐はそう名乗りを上げ、恭しく頭を下げた。

 少佐。どうしても最初にそこを考えてしまうのは、プレハブ小屋で鋼也に散々たしなめられて、ちょっとたしなめられたくて、わざと間違えてみたりしていたからだろう。


 偉い人だ。最初に思ったのは、それだけ。

 けれど、じわりじわりと、景色が赤く色付いていくように、塗り替えられていくように、一つの言葉に実感と恐怖が付与されていく。


「………………かくめい?」


 そう、私は呟いた。呟いた時点でその実感は遠く、けれど実感は毒のように身体を縛り付けていく。


 かくめい。

 革命?

 ………帝国じゃ、ない。違う。帝国だったけど、帝国じゃなくなった。

 それは、どういう意味だろうか。

 わかる。わからないわけがない。けれど、わかりたくない。


 寒さに凍えるような私を、橘少佐は冷徹な目で射抜く。

 

「はい。革命です。我々は人民の解放を主眼として帝国に反旗を翻しました。厳密に言えばクーデター、ではありますが、理想とする所は大和全人民の圧政からの解放です」


 圧政からの解放。

 ………圧政?お父様が?していた事が?圧政?

 圧政かどうかが、私には、本当にわからない。


「殿下は、大和帝国の市民生活を知っていますか?そこにある貧富の格差を」


 避けてきたのだ。政治の知識もなにも、知れば普通が終わる気がして、学校に行って、だから、暮らしている間、知ろうとしなかった。


「貴方の様に、上流として生まれた方は良いでしょう。生まれて一度も食に困ったことはないはずだ。けれどそんな人生を送れるのは、貴方の様に恵まれたごく一部だけに過ぎません。総人口の何パーセントが成人に到れるのか。まともな医療など望むべくも無い。教育など手が届くはずも無い。疫病、餓え。飢餓から来る治安の悪化。貧民街を見たことは?」


 橘少佐は、だんだんと言葉に熱を帯びさせ始める。

 私は首を横に振った。貧民街を見たことはないし、……話を聞いていたくないと思った。

 現実逃避だろう。全部全部、現実逃避だ。何も聞きたくないような気分になっている。


 革命の正当性。熱を帯びる言葉が向かう矛先。


「駿河鋼也少尉なら理解できるはずだ。共感できるはずだ。彼はそういう境遇から生まれ、その不条理を知って育ち、その上名を知られる英雄になった。彼が来てくれれば、旗印と成りえるかもしれない。我々は確かに正義だと。旧態依然とし既得権益にこだわる腰の重い連中も動くのではないか。私はそう思う。彼は知らないだろうが、救われた事があってね。彼の勇敢な自殺に」


 橘少佐の声は、あくまで冷静だ。冷静だと言うのに、どこかボタンを掛け違えたような熱が随所にある。


 狂信、だろうか。自分に言い聞かせているようだ。

 正義だと。自分は正しいのだと。


 この人橘少佐は、不安なのだろう。何がかは、知らないけれど。何でも良いから縋りたいのだ。

 ……そんな風に、どこか冷めたように他人を観察してしまうのも、私が、今、現実逃避を続けているからだ。

 ずっと、そう。

 に注力し続けて、目の前だけを見て、先を考えないようにして来た。


 考えたくない現実は、だんだん、だんだん、酷い話になっていく。

 最初に、竜に怯え。

 次に、鋼也が戻ってこない事に、敵のただ中に一人残される事に怯え。

 その次は継承権争い。家族が殺しあっている可能性に怯え。


 そして、行き着く果てが………革命。

 革命、される側が、だから………私の家族。


「ただ、私は、別の選択肢もあると思っている。なんだって良い。旗印になるなら。そう、だから、……殿下。貴方の身の安全は保障させていただこうと思います。我々の言う通りに動いてくれるのであれば」


 冷徹な………奥底に暗さが濁る目が私を捉える。

 この人の言っている意味が、よくわからない。理解する為に必要な情報を私が知らないから?それとも、考えれば分かる話なのだろうか?


「殿下に革命家になれってか?今更お家騒動にして権威付けしようって?……旗色悪そうだねぇ、革命」


 どこか嘲る風に、扇奈さんが口を開いた。多分、ちょっとでも私にわかるように言ってくれたんだろう。

 革命家になる?

 旗印?

 権威付け?

 お家騒動?

 橘少佐の狂信。縋りたがっている。

 革命は上手く行っていない?


 政治の、話だ。革命が上手く行かなくて。皇女を、“桜花”の名前を使って、それをどうにかしようとしているって事?


「革命は道半ばだ。………我々が正義である事は揺るがない」


 橘少佐の言葉の歯切れが悪い。扇奈さんの言うとおり、革命は上手く行っていないのだろう。

 なら、そうだ。私は、そこに、上手く行っていないという部分に、縋りたかった。

 だって、私にとってそれは、政治の話ではなくて、家族の話だから。


「……なら、お父様は、まだ………」


 縋ろうとして、呟いた私を、橘少佐の暗い目が射抜く。


「既に革命は成っております。……現在、こちらで生存を確認している皇族は貴方だけです、殿下」



 ………皆、もう、いない?

 フラッシュバックだ。

 目の前で竜に殺された人。帝国軍の基地から逃げるとき。警備の。その光景に、お父様の姿がかぶさって。

 野戦病院。阿鼻叫喚。つい3日前に見た地獄。欠けた、みんな、家族。


 パーティ。酒宴。あの思い出が真っ赤な惨劇に塗り換わったかの様な気分だ。


 ただでさえ遠かった目の前世界が、全て対岸にあるように、私の手から零れ落ちていく。

 全てに実感がないかのような、寒ささえ彼岸にあるような………。


 頭に靄が掛かる。頭に、靄を

 全ての実感を切り離して、感情を切り離して、ただ客観的に情報だけを処理する。

 あるべき、抱くべき情感の全てを、私は受け入れないようにした。


 そうでなければ、私は、………耐えられない。


「桜」


 声がする。扇奈さんの声。俯いた私へと、扇奈さんは言葉を継ぐ。


「………あたしには、悪者になってやれる度胸がなくてね。それに、なってやれる状況でもなかったと思う。だから、……悪かったよ」


 扇奈さんが謝る理由は?だから、知っていたと言う事だろう。

 革命だと言う事を。

 私の家族がいないと言う事を。

 扇奈さんは、自分の口からそれを私に言いたくなかった。言わない事に合理性があった。

 ……それを先に告げてしまったら、私が扇奈さんについていくことはなかったかもしれないから。私の行動を制御しきれなくなる可能性があるから。


 言いようによっては、私の逃げ場になってあげようと、そういう優しさとも言えるかもしれないけれど、………制御しようとしている事には何も違いはない。


 ………なんだ。扇奈さんだって、優しそうにだけだ。

 桜花は、モノだ。何処まで行っても。何処で、どう生きていても。


「けどね、桜。……よく考えな。この言い方は酷く聞こえるだろうけど、……珍しくあたしの予想より状況がマシだ。いいかい。今飲み込めば、あんたは比較的安全に生き残れるよ。あんたは、革命軍にも必要とされてる。身の安全は保障される。感情じゃない。損得の話だ。公益を中心に考えて、その上であんたの身の安全を考えるんなら、飲み込むのがこの瞬間では最善だ。あんたは、賢い子だろ?」


 親身に諭すように、扇奈さんは“桜花”を利用しようとしている。

 この瞬間の最善。

 私が革命軍について行ったら、多種族同盟連合軍は革命軍と敵対せずに済む。

 私も、この瞬間は生き延びられる。


 けれど、その後は?

 革命の道具になる。望まない旗印になる。私の家族を殺した人たちの駒になる。

 ……私が家族を殺した事になる。それを容認した事になる。


 革命の正否。最終的に、革命が成功するか。成功したら、私は一生、家族を殺したと、それを容認したとして生きる。

 失敗したら、旗は燃やされえる。


 私のためのような言い方をしているだけに過ぎない。丸め込んで、利用しようと………。


「桜。顔上げな。………桜!」


 叱り付ける様な、鋭い声に私は視線を上げた。

 目の前には扇奈さんが立っている。革命軍を私の視界に入れないように、そんな風に目の前に仁王立ちし、私の目を覗き込んでくる。

 睨むような視線。同時に、真摯で親身な目。


 扇奈さんは私を見据え、語り掛けて来る。


「……世の中は不条理だ。どうしようもないしがらみってもんがある。こないだあんたが覗いた地獄は、あたしや鋼也の現実だ。だからあんたが背負っちまう必要はない。ただ、今ここにあるのはあんたの現実だよ。言われなくてもあんたが一番わかってるだろ?あんたのしがらみだ。あんたが背負う問題だ。すべて、あんたの現実だ。………だから、あんたが決めるべきなんだよ」


 私が、決める?何を?

 私の事だ。私がこれからどうするか。

 私が誰か。誰として生きるか。どう、生きたいか。


 急に問われているようで、けれど、ずっと前から、私はその問いを抱えて生きてきた。

 先送りにし続けたモノが、今目の前に一気に現れただけに過ぎない。


 決めなくちゃいけない。けれど…………。


「迷ったって良い。正解なんてないんだ。後悔だってする事もあるだろう。けどね、決めなきゃ一生、あんたは進めないんだ。……あんたの生き方を、あたしは聞いてる。今、この瞬間、あんたがどうしたいか。あたしが聞いてるのはそれだけだ」


 私が、どうしたいか。今、この瞬間、私は何を求めているか。


 …………

 頭が、働いていないからだろうか?

 いや、もしかしたら………私は、最初からだったのかもしれない。


 確かに私はそこに居る。その舞台の中心に居る。けれど、それでいながら、私は同時に、だから、………映画を見ているような気分。


 客観的に、引いて周囲を、自分自身さえも、観察する。

 観察した中で最適と思える動作を演技ロールプレイする。


 桜花はモノだ。

 皇女。お飾りのそれである事を求められた、モノで偶像。



 追い詰められて。

 突き付けられて。

 漸く、自覚する事がある。


 私にあるのは、私が私の行動を決定する要因としてあるのは、だけだ。

 主体的に、と、私の望みで行動する事ができない。


 私の本質は、どこまで行っても、致命的な………八方美人だ。


 誰かに言われるままに。誰かに望まれるままに。誰かの行動を待って。

 ひたすら他人の顔色を覗い続けるだけ。


 ………それが、”私”だ。



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