6章 凍えた世界に熱情を
18話 桜花/夢の終わりが
血ばかりを見ている気がする。
この場所、救護施設で。
酷い、本当に酷い光景を見て。
雪の中座り込んだら、血の匂いのする羽織を肩に掛けられて。
………戻ってきた鋼也は血だらけだった。
『桜』
血だらけの鎧に、そう呼ばれて、もしかしたら、気のせいかもしれないけれど………その後、鋼也は何かを言った。
掠れてしまっていて、聞き取って上げられなかったけれど………もしかしたら、『逃げよう』とかだろうか?
連れ出してくれるつもりだったのかもしれない。
私も、連れ出して欲しかった。
けれど、鋼也の傷が、それを許さず。
そして、私は今も血を見ている。
ぽつぽつ。赤い雫が垂れている。静かな救護施設の一角。チューブで繋がった輸血パックに。取ったばかりかもしれない、血。
そのチューブが繋がる先、ベットには、中性的な青年が寝込んでいた。
身体中に裂傷。内出血。打撲。……詳しく聞く度胸はなくて、詳しく聞けるほど、私は冷静ではなくて。
雪の中。
動かない真っ赤な鎧に縋りつく私を、どかしたのは確か、扇奈さんだった。
こじ開けたFPA。ずるりって、だから、血だらけの鋼也が外に引き出され、運び出され。
処置も、見ていられなかった。ずっと外で座り込んでいた。
季蓮さんが出てきたときも、私は何も尋ねられず、ただ視線だけを向けた。
『大丈夫。一命は取り留めたわ』
優しい嘘の様に、そんな響きの言葉を聞いてから、今日で3日。
鋼也は確かに生きている。触れると体温がある。ただ、目を覚まさないだけ。
3日間ずっとだ。鋼也はずっと眠ったまま。
私はずっと、ただ鋼也が目覚めるまで、横に座って待っていた。
先のことを良く考えられないまま、寝顔に、いつ起きるんだろうと思いながら。
今だけ見ていれば。今、目の前だけを心配していれば。……先の事を考えないで済む。
静かな病室で、私は血を見ている。
輸血。……私と鋼也は血液型が違う。種族の違いより、そっちの方が大事らしい。元々、純粋なヒト、とか、純粋なオニ、とか、そう言うのはもう長い歴史でいなくなったらしいし。
身を乗り出して、寄りかかるように……これで『痛い』とか言いながら起きたらちょっと面白いな、と思いながら、鋼也の胸に頭を乗せる。
鼓動が聞こえる。規則的な鼓動が。ああ、本当に眠っているだけなんだ、と。
私は安心して。
波の音を思い出すような鼓動の中、安堵にもたれかかったまま、私は、瞼を閉じた。
*
夢を見た。1年前位の……もう、ずっとずっと前の様な気がする、そんな日の夢を。
よく考えると、宮殿が洋風なのは不思議だなぁ、ってそんな事を思ったのは確か、高校の卒業を控えたある日。
皇族、となるための説明を受ける、その為にと聞かされて。本殿とか、パブリックハウスとか、なんでか人によって呼び方が違う、だから……私の家に久しぶりに帰った時だろう。
詰まんない話を聞くんだろうな~って。そんな事を思いながら、……“桜花”になりたくなくて拗ねてたから、だから私はムスッと帰って。
ムスッと帰った私を、家族が総出で出迎えてくれた。
お父様。お母様達。兄妹達。
一同に会すのは凄く珍しい。皆忙しいし、皆、それぞれ、険悪だったりするから。
その場に居なかったのは、放蕩者の、例のプリティブロッサムの、
何のための集まりか。それは、多分、私が皇族になる、というその祝福の場だったのかもしれない。でも、誰もそれを口にしなかった。
ただ、久しぶりに会ったから、と皆笑顔で。
それはどこか誕生会のようで、更けて行くと主賓が中心から外れるのはそういう会の常だろう。
お母さん達は隅っこでぎすぎすしだし、けれど弟達が泣き出すと全員おろおろしながら世話を焼き始める。
第1皇子、長兄の
話に混じりたいならそうすれば良いだろうに。人見知りなんだから、とそんな風に思っていたら、橙理兄さんは第5皇子、
色々、裏で、政治があったのかもしれない。
けれど、私から見たら、全部ただの、家族の話だ。お酒が入ったら色々収拾が付かなくなって、結局主賓のはずなのに、下の子たちの面倒を見るのが私、とか。
親戚の集まりって、多分こんな感じなんだろうなって。
お父様は泣き上戸だ。私がいる時だけかもしれない。いつも厳格なのに、その時だけ、私の“お母さん”の話をしてくれた。
『紫遠と桜花は、良く似ている』、と。
『奔放で強かで、……自分に正直だ』、と。
……継承権蹴った紫遠兄さんには当てはまりそうだけど、私、それ当てはまるかな?って。
そんな事を思いながら、私は頷いておいて。
そんな、だから………思い出だ。
………なんでこんな事を思い出したんだろう。
多分、鼓動を聞いて、安らぎにまどろんで、懐かしい思い出が揺り覚まされて。
現実が思い出を引き裂く。
継承権争い。
………私が帰る先は、そこだ。
私の家族が殺し合いをしている、そんな現実が、私の帰る先。
そう、思っていた。
*
「桜」
呼びかけられて、私は瞼を開ける。変わらない、ベット。鋼也はまだ寝入っている。
あんまり廻らない頭のまま、私は身を起こして、声の方に視線を向けた。
扇奈さんだ。けれど、いつもの扇奈さんとは違う。笑っていない……笑う余裕も無いといった、そんな、冷たい目をした扇奈さんが、私を見て、まだ寝込んでいる鋼也を見て………また私を見て。
扇奈さんらしくない口調で、その優しいお姉さんは言った。
「……殿下。お送りします。身支度を」
意味がわかった気がした。扇奈さんの態度の意味。今の、状況。
あの基地を逃げ出したばかりの、何も知らない“桜花”だったら、何にもわからないまま流されていただろう。
けれど、“藤宮桜”は、ほんの少しでも普通じゃない場所に居た私は、状況がわからないでもなかった。
噂話はここにも届く。帝国軍が、連合軍を助けてくれたそうだ。
そして、多分、助けてくれた理由は、“桜花”。
だから私は帰らなくてはいけない。
けれど、私は嫌だった。“藤宮桜”で居たかった。……せめて、帰るなら、鋼也と一緒にって。
扇奈さんの前で声を荒げたのは初めてだったかもしれない。
でも、上手く丸め込む事は、結局、感情論ばかりの小娘には出来なくて。
扇奈さんは、私を丸め込む。たった一言で。
「桜。……あたしらに、ヒトと戦争させる気かい?」
なんとなく、だ。扇奈さんの、その冷たい口調は、嘘だと思った。何かを隠している気がする、と。
でも、同時に現実だとも思った。私が居るから、帝国軍は助けに来た。私がいないと言えば、それは、この基地の人が嘘を言った事になる。
本当に戦争になるかは、わからない。
けれど、敵対はしてしまうだろう。
………私一人のわがままのせいで。皆、優しい人なのに。
せめて、鋼也が目覚めるまで。そう言っては見ても、扇奈さんは首を横に振る。
もう、3日待たせてる。限界だ。
結局、私は頷くほかなかった。
ベットを眺める。鋼也は、まだ、寝込んでいる。
……もう会えないって、そう言う訳じゃない。そう、鋼也も帝国に帰ってくるだろうから、その時に、私はわがままを言おう。お姫様なんだから、わがままを言ってあわせてもらおう。
そう考えて、私は、私を納得させた。だって、ほら………。
*
全てに制限時間が付いている事は、最初からわかっていた。
いずれ、“藤宮桜花”ではなく、ただの“桜花”と呼ばれる様になると、そうわかった上で、普通に暮らしていた。
普通が終わって、演説の勉強をして、演説しにいって、そこが、酷い場所で。
連れ出された私は、“藤宮桜”だ。
結局、オニさん達に”桜花”だとばれちゃってたみたいだけど、それでも、“藤宮桜”のまま、多種族同盟連合軍の基地で過ごして。
だから、普通みたいな日々がそこにあった。
プレハブ小屋。ストーブを囲んで。様子を伺うと、向かいに無愛想な顔がある。目が合うと、ちょっと視線を逸らすし。クスリと、笑わないのは無理だ。
それで良かった。それが良かった。そのままが………。
“桜花”は、モノだ。
政治、軍事………立場に見合った能力を持ち合わせている兄弟とは、違う。
けれど、少しは学んだ。少しは教わった。少しは………現実を見た。
私にも、できることはあるだろう。皇族はしがらみで、同時に力だ。わがままだって言って良いはず。
置物のように微笑んで、ただ、渡された原稿を読み上げる。“桜花”に求められていたのは、ただ、それだけ、だとしても。
何もしようとしなかったから、何も出来なかっただけだ。
でも、何をすれば良いのか。
“桜花”には、何が出来る?
連れ出して欲しい。連れ去って欲しい。“藤宮桜”で居させて欲しい。
けれど鋼也は眠ったまま。
私は、結局、扇奈さんに連れられて行くほかになかった。
帝国に帰るんだ。継承権争いのその場に向かうんだ。
………そう、思い込んだまま。
現実はもっと、もっと酷いと、そう知らないまま。
革命。
他人にとっては、ただの出来事で。
………私にとっては、とても身近な、家族の悲劇だ。
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