4章 多種族同盟連合軍基地防衛戦 序曲
10(13.5)話 目前の砲歌/老兵の言葉
多種族防衛連合軍基地――鋼也達が身を寄せる他種族の基地から北に20キロの地点。
目前に白い山岳を見るその平地に、幾つもの仮設施設が設置されている。
簡易――全ての頭にその言葉が付く、基地それ自体とほぼ同一の機能を持った仮設施設軍。前線防衛拠点―――オニは好んで本陣と呼ぶ。
その最奥。幕に囲まれ、旗が閃き、………そこら中に通信用のケーブルが走るその場所に、老齢のオニは腰掛けていた。
周囲には警護兵。傍らには壮年のオニと神経質な顔のエルフ。
座り込んだ老齢のオニの耳に、通信機越しの報告が入る。
「――竜の
後数刻も待たず、竜がこの地点に襲来する。その報告に老齢のオニは静かに頷いた。
時代が時代なら、それこそ法螺貝でも吹いたことだろう。実際にそれをやった事のある老齢のオニは、けれど使えるモノは余さず使う主義だ。
老齢のオニは通信機に手を伸ばす。手に取るのは拳大の小さな
便利な世の中だ。老齢のオニはそんな感想を持ちながら、慣れた手つきでスイッチを入れ。
………その声は、戦場へと送られる。
*
『今更、名乗るまでもなかろう。将羅だ』
『現状は、この声を耳にする全ての兵が理解していることだろう。竜1万、舐める事などできようも無い多勢がこの防陣に迫っている。策も何も、既に全兵が理解していることだろう。だからこそこの場で、この私が諸君らに投げかける言葉は一つだ』
『……生き延びようとするな』
*
白銀の絨毯。今はまだ静かな最前線。
その、やけに晴れた空に、何本もの鉄の杭が浮いていた。
自分の意思を持つかのように、あるいは何者かの意思に踊らされているかのように、杭は廻り舞い、雲の様に、形を作っては解けていく。
……手遊びだ。
それをしているのは一人の女――肩辺りの金髪に、とがった耳。厚手のコートに袖を通し、今宙を舞っているのと同じ杭3本、地面に打ちつけたそれに腰掛け凭れ掛かり、足を組んでいるエルフの美女。
アイリスは、あくびを一つした。
将羅の声は聞こえている。小型の
その馬鹿みたいな大きさの通信機でも、オニにとっては革命的かも知れない。それ一つで、一々伝令を走らせる必要が無くなるのだから。
ただ、アイリスにとってはあくびの出る話だ。
「……ええ。そうね。わかってるわ、兄さん。これ、おじいちゃんの願望でしょう?」
響く演説の声を揶揄しながら、不意にアイリスは呟く。
独り言のよう――アイリスの周囲に、その“兄さん”の姿はなく、話し相手がいると言う訳でも無い。
気でも違った―――そう見えてもおかしくない光景に、けれどアイリスの部下のエルフ達は特別驚いた様子もなく、日常風景の様に聞き流していた。
「目くじら立てなくても良いじゃない。指揮官の意識が前線に近いのは悪い事じゃないわよ。少なくともそう思わせる事は。兄さんだって、その内演説の技術が必要になるかもしれないんだから………」
空子理論。ヒト以外の種族の超能力。
オニは、武器の性能を向上させる能力。
エルフは、一般的に、酷くイメージしやすい念動力を持つ。
そして、ハーフの兄妹は、またそれとは別の“特別”を持ち合わせていた。
それこそ、馬鹿でかい通信機は愚か
「え?……そんなだから潔癖って言われるのよ。駄目だと思うならそれでも良いじゃない。これで士気が駄々下がり?そうなったら教訓にすれば良いのよ。せっかく先人が命がけでミスってくれるんだから、ありがたい話でしょう?」
演説をBGMに。
手遊びの様に晴れ空に杭を舞わせ。
すぐ傍まで戦火が迫っていると知って尚、悠然と足を組み。
ここにはいない遠くの相手と会話しながら………やがて、アイリスはどこか楽しげに片眉を釣り上げた。
「ええ。そうね。わかってる。だから、わかってるわ、兄さん。心配性なんだから……」
飽きた―――空を舞う杭がいきなり全てそう言ったようだ。
地面に何本もの杭が落下し、雪を巻き上げ突き刺さる。
巻き上がる雪の向こうに、立っているのは黒い鎧。FPA。“夜汰鴉”。
右手に
そんな有り合わせの武器を持った鎧――駿河鋼也を眺めて、アイリスの青い瞳は楽しげに歪む。
「私は、私より“私達”が大事だから。……上手く使うわ。あのガラクタに、本当にその価値があるならね?」
演説の声は響き続ける―――。
*
『この声を聞き、今尚死地へと赴かんとする諸君らは、その出自根幹は別でありながらも、皆々一様に確かな覚悟の上、刃をその手に取ったはずだ。なぜ、諸君らは今生きている。なぜ、諸君らはその手に刃を持っている。なぜ、諸君らは戦場へと赴く?』
『明言しよう。諸君らの命は捨てる為に今この時も存続している。今もう既に捨ててあるものと思え。拾おうとするな。悠久を得ようとするな。惜しむな』
『……生き延びようとするな』
*
その声は戦域の到る所―――最後方に位置する仮設救護施設にも流れていた。
広間に置かれているのは、医薬品の類と幾つものベット。
今の所、誰もそこに横たわるものはなく、合間合間を衛生兵――オニの女や数人のドワーフ、そして一人きりのヒトの少女が忙しく駆け回っていた。
ここの責任者、白衣を着たオニ、季蓮の指示に従い、女達は準備を進めていく。
藤宮桜も、季蓮の指示に次々と動きながら………それでも、老兵の声が耳に付いた。
桜も一応、演説の作法の走りくらいは知っている。
印象的な言葉の繰り返しで、聞く者に思惑を刷り込むものだ。
“生き延びようとするな”
将羅が繰り返しているのはそれ。
酷い言葉だと、そう思ってしまうのは………覚悟がないせいなのか。
桜に、覚悟はない。命がけ、なんて……そんな考えを本気で持った事は、桜の人生にはなかった。
けれど、自分に出来る事をしようと思った。だから、自分から志願して、この救護施設での仕事を貰ったのだ。
簡単な応急処置や、どう周りをサポートすれば良いか。それは、この数日で教わった。少なくとも、いても邪魔になる事はないはずだ。
……戦場の救護テント。それは、きっと、酷い惨状になるのだろう。それこそ、またトラウマが――目の前に広がる赤が――再現されるのかもしれない。
藤宮桜に出来る覚悟は、その状況を目撃することへの覚悟だけ。
ただ待っているのは嫌なのだ。
今度こそ、鋼也は戦うだろう。その、直接の手伝いをする事は出来ずとも―――。
ただ待っている事に耐え切れるほど、つながりの薄い人が戦場に立つわけでは無いのだ。
「桜!」
いつの間にか足を止めてしまっていた桜は、叱責の声にすぐさま返事をし、また動き出した。
演説は続く―――。
*
『捨て、散らし、惜しむ代わりに竜を一匹連れて行け。その死、無為とはならん。お前の死を別の者が必ずや拭い去る』
『お前が殺した竜が。お前の隣を歩む者を殺す」
『お前を殺した竜を。共に歩む者が必ずや討ち果たす』
『誰一人として己を惜しむことなく、死を恐れずましてそれを
『地獄は何処にある?お前達の前か?お前達の後ろか?お前たちは何処に地獄を作る?』
『祖国が背後にある者。お前の惜しんだ命の結果、背に負った国が、そこに住む家族が命を落とす』
『祖国が背後にない者。だからこそもう、何も惜しむ必要もあるまい。あるいは他に負う者もあろう。お前の惜しんだ命が、お前の背負う者の命を必ずや食い散らす』
『地獄を何処に作る?喜々としてその身を地獄へと差し出すか?無辜の他者にそれを投げ渡すか?なぜ、諸君らは刃を手に取った?なぜ、諸君らは今地獄へと歩む?』
*
「………生き延びようとするな」
演説中に繰り返されるその言葉を、扇奈は特に意識することなくただ繰り返した。
効く奴には効くかもしれない。そんな事を思いながら。
場所は、さっきの救護テントのすぐ近く――本陣の傍。
つまりは、最後方だ。
扇奈達の部隊は、司令付きの特務隊。予備兵力と考えればまあ納得の行く配置だが………おそらく事態はそう単純じゃないだろう。
若干苛立たしげに演説――それが流れている機材を睨んでいる扇奈に、部下のうちの一人が声をかけた。
「姐さん。この配置って……」
「………気にすんな。命令が来たら動けば良い」
配置の理由はおそらく複雑だ。
この部隊、……てっきり扇奈が預かるとばかり思っていた鋼也が、最前線のエルフのトコに突っ込まれた理由も。
懲罰。謀略。策略。戦後処理。防衛活動。1級の要人。
桜を後方とはいえ戦場に置いたのは………真相を知った上での味方への欺瞞だろう。
扇奈の頭は良く回る。
こと、人間の思惑なら大抵察する。
察した上で………決断する権限は扇奈にはなく、与えられてしまえば命令に背くことは出来ない。
桜の事は気に入ってる。
鋼也の事も……まあからかうには面白い奴だ。
が、扇奈には別に部下達がいる。将羅の用意した首輪になってる奴だって、部下は部下。
直接、扇奈が預かっているのは、その部下達だ。
感情。打算。両方ありながら結局、従うほかにない。
周りにそう見せているほど、扇奈は強くは無いのだ。
演説は続いていく――。
*
『貴様の惜しんだ命が、貴様の隣の者を殺す』
『貴様の捨てた命が、貴様の隣の者を救う』
『貴様はなぜ生きている?貴様が今この時立った所以はなんだ?いつ捨てる命だ?何の為に捨てる命だ?戦友の為に死ね。祖国の為に死ね。家族の為に死ね。惜しむな。捨てろ』
*
『生き延びようとするな!』
不意の一喝。語気を強めた老兵の声が、開戦を目と鼻にする戦場に木霊する。
別の作業を続けていた兵士も、あるいはその演説を初めから真剣に聞いていた者もまた、声につられるように、まるでその機材の場に将羅が立っているかのように、視線を声へと向けた。
『今この時を置いて死地はないと思え!地獄へと向かえ!地獄を生め!地獄を這い一匹でも多くの竜を討ち果たせ!』
『選べ!地獄は何処だ?地獄を何処に
複数形にしない問いと、特定の単語の乱用。教科書どおりの手法でありながら、その計算を覆い隠す熱量の声が、兵士達の耳朶を震わせた。
『生き延びようとするな!死ね!死んで来い!』
『その死は無駄ではない!惜しむからこそ無駄に散るのだ!国の為、友の為、家族の為……』
見抜く者もいる。共感しがたいと、理性が抗うものもいる。
けれどその言葉は確かに刷り込まれていく。
『生き延びようとするな!臆すな!怯むな!弾丸を、命を惜しむな!』
『地獄を生め!トカゲ共を帰路なき地獄へと突き落とせ!貴様が作った地獄へ、貴様自身が踏み入れろ!背負うモノへと容易く明け渡すな!お前が選べ。お前が決めろ。お前の命はなぜそこにある』
『………生きようとするな。その末にこそ、平穏なる明日は切り開かれるであろう』
『死ね!死して明日を掴み取れ!諸君らの命は、今日この日死ぬ為にあるのだ!』
ところどころで声が上がる。熱と狂気に焼かれた者はただ雄たけびを上げ、それよりも一段冷静に物事を見る者もまた、もはや続いていないその演説を、知らず呟いていた。
*
「……生き延びようとするな」
覚悟を決めろと、そういった意味の言葉ではない。
覚悟がない、そんな状況を許さない。
窮地であると知らしめるだけの説得力を持った言葉。
………駿河鋼也――俺もまた、知らず、その言葉を繰り返していた。
演説なんてまともに聞く気はさらさらなかったが、そこだけはやけに耳に残る。
お誂え向きの言葉だ。全て敵だと――いや、事実背中を撃たれる可能性のある俺には尚の事。
俺が配置されたのはエルフの部隊―――境界線の様に雪原に突き刺さった杭の向こうから、敵意に近い視線を俺に向けているのが、この大規模な戦闘での俺の仲間、だ。
おそらく、エルフ達は勅命を受けている。この戦場で、竜のついでに俺も殺せ、と。
………覚悟はもう出来てる。死ぬ覚悟は最初からある。その上で、生き延びる覚悟も。
今死ぬわけには行かない。桜はこの戦場に居る。死ぬなとも言われた。勝つ、必要がある。勝った上で生き延びる必要が。
だから、俺は、………生き延びようとはしない。
結果的に生き残るだけだ。捨てる覚悟でなければ拾えないモノもあるだろうから。
「……あ~あ。さて、おじいさんのありがたい話も終わったみたいだし、そろそろかしら」
不意に、そんな呟きが届く。アイリスの声。また、独り言か?
俺が視線を向けた先。
境界線の様に何本もの杭が突き刺さった雪原。その向こうに居るエルフの部隊長。
味方で敵の女、アイリスもまた、その青い瞳を歪め、俺を嘲った。
「死にたがりの少尉さん?出番よ。……頑張って踊りなさい?」
分岐リンク(大筋は特に変わりません)
4章一周してここに来たよ~or決戦前日常回興味ないよ~な方。
→14話 14話 開戦/狂気の手綱を握り
https://kakuyomu.jp/works/1177354054889537417/episodes/1177354054890558157
決戦は始まる前が本番、派の心の広い方
→11話 決戦に到るまでⅠ/静かなヒビ
https://kakuyomu.jp/works/1177354054889537417/episodes/1177354054890492725
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