9話 吹雪の末/拭い難く、隠し難く
「………はあ?」
不満げな、呆気に取られたような声を上げ、扇奈は硝煙の上がる20ミリを下ろす。
俺もまた、拳銃を下ろし………
千切れた
起こった事は単純で、それでいて同時に馬鹿げてる。
俺が単眼に銃を突きつけた次の瞬間―――白銀の竜の姿が忽然と消え去ったのだ。
他に言いようがない。俺が引き金を引く直前、竜の身体が光を放ち、その光の最中に溶け行くように、竜がその姿を消したのだ。
「……こいつは、逃がしたって奴かねぇ」
「誰かの見事な射撃のおかげでな」
「うるさいねぇ……。趣味じゃない、って言ったろ?」
言い訳しつつ不満げに20ミリを叩く扇奈を横目に、俺はもう一度、ついさっきまで竜のいた場所を眺めた。
雪に竜の足跡はない。姿が見えなくなった、と言う訳でもなさそうだ。となると、瞬間移動?
そんな事の出来る竜が………いや、そもそも、俺の基地を陥落させたのは、忽然と現れた竜に寄る挟撃。
……今更、何が出てきても大して驚きはしないが。
「瞬間移動できる奴がいるのか?」
「あたしに聞くなよ。見たままだ。………そもそも、トカゲはよくわかんねえ門から出てくるんだ。似たようなもんだろ?」
「<ゲート>か………」
そもそもの、竜の湧き出る根本。何処に繋がっているかすらわからないそこから、トカゲ共は這い出てくる。
あの知性体は単体で<ゲート>を発生させられる?仮にそうだとしたら、厄介以外の何者でも無い。
………一体幾つ、頭痛の種が増えれば気が済むんだ。
俺と扇奈は、暫く、そのまま佇んでいた。消えたからには出てくる可能性がある……そんな警戒の最中に、些細な軽口が扇奈から出る。
「……こないだ。ついさっき。今。………3回だな、クソガキ」
………恩着せがましい話だ。
「最後の奴は俺が飛び出た結果だ。数えるな」
「なになに?他二つに関してはちゃんと恩義感じてるって?」
「……事実は、事実だ」
「嫌そうに言うなよ。ホント、融通利かないねぇ……」
会話と言う会話は、それだけだ。
しばらく経ってから、扇奈の部下達がこの場へと下りてきた。銃声を聞きつけて様子を身に来た、らしい。
警戒と周辺探索を支持する扇奈を横目に、俺も漸く警戒を解き………見るのは、上下に分断された“夜汰鴉”だ。
先ほど、4本腕がいじくりまわしていた……顔を背けたくなるような惨状の、それ。
……情報が必要だ。この“夜汰鴉”の所属は?この場所に居た理由は?“月読”にあった銃痕の意味は?
何かしらの情報を得ようと、俺は、その、むちゃくちゃになって酷いにおいのする装甲を外し、それこそ、さっきのトカゲと俺の行動は同じではないか、そんな事を思いながらも、……探り続ける。
情報は、見つからなかった。
見つかったのは、一つ。“夜汰鴉”の装甲の裏側、胸の辺りにお守りのように挟み込まれていた、写真。
女の写真だ。関係性は、わからない。兄妹か、あるいは恋人か、それとも妻か………。
どうあれ、家族の写真、だろう。………俺には、手に入りようのないものだ。
いや、似たような写真は、この間、ふざけたような格好のそれを撮られた、か。
俺はその写真を装甲の裏側に戻し、その代わりに、兵士のドックタグを手に取り、ポケットへと突っ込んだ。
それから、今度はパーツ取りだ。人工筋繊維が使える状態で残っているかを、調べ始める。
パーツが必要だ。FPAが必要だ。生きるため、守るため、戦うため。
この兵士は何の為に戦っていた?あの写真が理由か?
俺には、初めから、家族はいない。
家族だと思っていた仲間達も、もう、いない。
残っているのは?
ついさっきも、その前も、死を前に思い出したのは?
…………浮いた話のようで、けれど浮ついたような気分にはなれない。
俺にはもう、他に、何も無いのだ。生きている理由が、他に存在しない。
もはやその為だけの命だ。桜を生かすため、だけの。
たとえ、影武者だったとしても………そう、それは、俺にとって……どうでも良い話。
何の為に残った命か。何の為に捨てる命か。
「そういや、なあなあのままだったねぇ。答えは?」
指示を出し終えたのだろう。やはりヒトの心でも読めるように、扇奈が不意に、そう問いを投げてくる。
桜は、何者か。俺の、答えは………。
「………未練だ」
「はあ?」
「……どうさぐっても、俺には他に、生き残った意味がない」
扇奈はしばし腕を組み、作業を続ける俺を眺め……やがて口を開きかける。
だが、その目前に、オニのうちの一人が扇奈へと声を投げた。
「すいやせん。……姐さん、上で。ちょっと………」
その先は耳打ちだ。俺には、扇奈達の話の内容は聞き取れなかった。
だが、良くない話である事は、間違いないだろう。扇奈へと耳打ちするオニ――その視線が、どこか疑うように、俺に向けられている。
*
『――このような難局に、皆々様方を巻き込んでしまいました事、私心捨て公僕と到ったこの身でありながら尚、心苦しく思います』
録画データだ。ノイズ交じりで飛び飛びの録画データ。それが、あの公衛部隊達が最後まで守っていたトレーラーの中に残されていた。
トレーラ内部のひび割れたモニター、その映像にノイズが走る。
『――先を思いなさい。逃れ生き延びたその先を。私は皆様の名を決して忘れません。この難局の末―――』
データが壊れているのか。ノイズは俺の良く知る――台本を演じている少女の笑顔を裂く。
何も言わず、ただやわらかな微笑を浮べるだけの映像が流れる。酷く簡単で曖昧なお褒めの言葉も。
数パターン用意してあったのだろう……応対、として、どうとでも活用できる録画データだ。表情だけのパターンがあるのは、見ている者に対話していると錯覚させるためのものだろう。
大きなノイズが走る。おそらくデータの最初に戻ったのだろう。
ひび割れた画面で演じている少女は、名乗った。
『大和帝国第6皇位継承者、桜花と申します』
そう。桜花――桜の映像だ。それが、公衛部隊の、無人のトレーラに残っていた。
………わからない事は、まだ多く残っている。だが、一つだけはっきりした事がある。
このトレーラの中には、お姫様もその影武者も、最初から居なかった。
ダミーだったのだろう。この部隊の行動そのものが。
“月読”には銃痕があった。ヒトに、桜が狙われていた。その上での政治よりの策略が、このダミーの逃亡部隊と、単機で突破した俺。
ダミーがなければ、俺と桜の方がヒトに追われていたかもしれない。下の“夜汰鴉”は、ダミーの方に食いついた追っ手か………?
ならば、やはり桜が本物?……よく似た影武者である可能性はまだ残っているが、そこの真偽は、もはやどうでも良い。
俺が守れと命令されたのは“桜”だ。俺が生き延びた理由も同じ。そのための命だ。
だから………問題は、このデータが今この瞬間、ここに残っていたことの方。
思い悩むような神妙な顔で、扇奈は録画データを眺めている。
今、トレーラの中に居るのは俺と扇奈だけ。ただ、この外のオニは……間違いなく全員、このデータを見ただろう。
いよいよ隠しようもなく、桜が皇族であると知ったのだ。
録画データが途切れる。トレーラの中に沈黙が落ち、やがて、その沈黙を割ったのは扇奈だった。
「………未練って、言ってたねぇ」
「ああ」
「なくなったら成仏できちまうって事かい?」
「……なくなり方によるだろうな」
蒸し返された話にそう答えながら、俺の手はまた、拳銃を探る。
疑念は、終わりだ。覚悟は決まってる。
当然、撃ちたいわけではない。だが………どうしても必要になるならば、俺は躊躇わない。
扇奈の視線は、どこか睨むようだ。
「お姫様だからか?帝国への忠誠か?皇族への献身か?」
「碌に食い物もくれない国や金持ちに、そんなモノを持った覚えはない」
「じゃあ、なんで未練なんて大層なモノになる?」
「………俺は、仲間の為に生きていた。家族がいなくなった時点で、俺はもう死んだようなものだ。……半ばで投げ出したら、家族に顔向けできない」
「それだけか?」
…………。
「………この尋問の意味は何だ?」
答える代わりに問いを投げ返した俺を前に、不意に、扇奈は肩の力を抜いた。
「老婆心だよ。………お互い、えらいもん拾っちまったみたいだねぇ。待ってな」
そんな言葉と共に軽く俺の額を叩き、一人先にトレーラの外へと歩んで行く。
トレーラの出口から、横顔が見える。弱まり、またちらつくだけになった粉雪の最中に降り立った扇奈は、そこにいるのだろう部下達へと視線を投げ………堂々とこう言い放った。
「お前ら!………見なかった事にしときな」
扇奈の声に、オニ達の間でざわめきが漏れる。
………見なかった事にしろ。軍人でありながら、情報を秘匿しろと言っているのだ。部下が動揺するのは、当然の話だろう。
構わず、扇奈は続けた。
「腹芸に巻き込まれたいかい?あらかた状況読み取れる奴しか生き残ってないだろ?せっかくそこそこ生きたってのに、
………少なくとも、俺の実感では、拾ったのは後者だ。だから……振り返ると疑念は些細になったのだろう。
「飲み込んで白切っときゃ済む話もある。まとめて切られたいか?余計な話で拾った命捨てるか?すねに傷がねえ奴は、ここにはいねえだろ。ヤバイ物こそ知らんぷりしとくべきだ。だろ?………爺からまた厄介な命令貰いたいかい?」
「飲み込んどきな。………あたしに預けろ。以上だ」
扇奈が話し終えた時には、外のざわめきは静まっていた。そしてその静まりを、扇奈の声が散らす。
「ほら。作業に戻りな!あんまこだわると死にたがりにつれてかれるよ!」
トレーラー……俺の方を顎でさしながら、扇奈はそう言い放つ。
………俺が拳銃に手を伸ばしかけていた事も、見抜いているらしい。
外では騒がしい声が漏れ始める。扇奈の説得……いや、命令に応じたのか。
作業に戻っていくのだろうオニ達を、扇奈は暫く値踏みするような視線で眺めて、やがて、トレーラの中へと踏み込んでくる。
「……これで、借りが3つ目か?」
そう問いを投げた俺を前に、扇奈は溜め息と共に、首を横に振った。
「人間は、必ずしも従順じゃない。喋れって言うほど黙る奴も居る。黙れって言うほど喋る奴もいる。いいかい、少尉さん?………ほぼ確実に、爺の耳にこれは入るよ?そして、間違いなく爺は利用する。どう使うかは、しらないけどねぇ………」
なら、なぜわざわざ口止めを?
俺は怪訝な顔でもしたのか。扇奈は横目に俺を眺め、やがて小声で囁く。
「特別に種明かし、さ。……あたしは今、あんたのご機嫌を取った」
「なぜ?」
「……死にたがりを敵に回すのはごめんだからさ。真横から顔面撃たれんのは嫌だしねぇ。それに、ちょっと噛み付いても爺はあたしを捨てない。価値があるうちはねぇ。顔が自慢の、良い女だし?」
ふざけた調子でそういった直後には、もう瞳に計算高さを覗かせて、扇奈は続けた。
「………とりあえず全部敵だと思っときな。あんたの立場は、そうしなきゃ立ち行かないよ。種族問わず、それこそヒトだってね。その上で、全ての敵の機嫌とりながら立ち回るんだよ」
「部隊長の心得か?」
「長生きの秘訣さ」
「なら、俺には、必要ないな」
「………あんたさ。マジで1回説教してやろうか?」
呆れたような表情で、扇奈は言う。
やたら顔の多い女だ。割に、結局………俺は、そのどの顔にも害意を見出せなかった。今もそう。この女の“ご機嫌取り”……印象操作に、まんまと俺も掛かっているわけだ。
全て敵だと思え。そんな事をわざわざ忠告してくれる奴の事は、結局どうも、俺には敵に見えそうもない。
「だから、言わなかったかい?……あたしは性格悪いんだよ。ご機嫌とって長生きしてんのさ。ほら。あんたも、サボってねぇで働きな」
そんな事を言う扇奈の顔は、妙に、満足げだった。
…………こいつは、本当に読心術が使えるんじゃないのか?
あるいは、この見た目より長く生きた女から見れば、俺はそれほどわかりやすいのか。
それが、この疑念ばかり積み重ねた墓荒らしの最後に、俺が持った………ささやかな疑問だった。
*
疑心。疑惑。疑念。尋問。情報。立場。生き方。
パーツのついでにそれらを拾ったのか、あるいはもう真逆になったか。
とにかく、FPAの修理に必要なパーツは手に入った。それが、この状況における明確な戦果だ。
それ以外の点については、あるいは俺も、飲み込んでおくほかにないだろう。
いや。表面上何事もなかったかのように振舞っておく必要がある、か。疑念、疑心は飲み込んでおく必要がある。露骨に妙な行動を見せれば、それこそ政治的に価値のある駒がいると周囲にわからせるだけだろう。……桜とは、話しておく必要があるが。
結局、部下に向けた扇奈の言葉は、そのまま俺に対する忠告だったのかもしれない。
………親切な女だ。
俺が掴んだ状況、情報は、片鱗、種に過ぎない。
目の前で芽が出るのはもう間近だ。
そして、根はもう、この時から既に、回りきっていたらしい。
裏で事態は動き始めている。
帝国の基地に残留する1万の竜。
ダミーが必要になるような、皇女の逃走。
俺には到底読みきることの出来ない思惑の数々。
………このタイミングで覚悟が出来ただけ、あるいは、俺は、幸運だったのかもしれない。
とにかく、今この瞬間はまだ、桜は無事なはずだ。今は、それで良い……。
→9話裏 桜花/“私”にも出来るお仕事を
https://kakuyomu.jp/works/1177354054890150957/episodes/1177354054890422242
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