8話 邂逅、知性体/狭心に揺れて

 俺は、何者か。何を目的に生きるのかの話で、兵士である以上、それは何の為に命を捨てるのか、そんな話になる。


 ついこの間までの俺は、そんな疑問を持った事もなかった。明瞭な答えが、仲間の……家族のための命だと、仮に問われたら臆面なくそう答えていただろう。


 だが、今、俺はそれを疑問にしてしまっている。

 命令を遵守するなら。あがいた時の女々しさを思い出せば。どうアレ着地点は一つのはずだ。けれど、それを明言しきれない。


 疑念に霞んだのか。予想していない方向の困難に……状況によっては、竜ではなくオニ、ヒト……人間に銃を向けなくてはならない可能性にビビったのか。


 ああ。そうだ。覚悟が足りていない。わざわざ親切なオニに言われずともわかっている。

 わかっていようとも、けれど腹を据えかねたまま………吹雪の中で俺が見たのは、また別の脅威だった。


 *


 吹雪の最中、断続的に砲歌20ミリは流れ、やがてそれは途絶える。

 先ほどまでいた洞窟の傍、森の中だ。木々が壁となったおかげで、多少なりとも風雪が薄らいだその中を、俺と扇奈は途切れた砲歌へと向けて歩んだ。


 そして、その先に見つけたのは………異様としか言えない光景だった。


 黒いFPA――“夜汰鴉”が、木々の最中に、

 上下に分断されたその巨体から流れ落ちる液体が瑞々しく紅いのは、ほんの数分前までその兵士が生きていたと言うその証だ。

 傍には20ミリが落ちている。発砲したのは、その兵士だろう。


 “夜汰鴉”。公衛部隊ではない。俺と同じように、第3基地から逃げ出した兵士か……それとも、上にあった“月読”に銃痕をつけた奴か。


 ……仲間が、所属としては間違いなく仲間だろう人間の死体を見つけたと言うのに、俺は酷く冷静になってしまえていた。心が麻痺したように。

 積み重なりすぎた疑念のせいか。

 それとも、その光景にいる、あからさまに異様なもう一つの存在のせいか。


 竜がいる。見慣れた、焦げたような灰褐色のそれとは違い、どこか澄んでいる様にまで見える白銀の竜。


 サイズは、他の竜と変わらない。3メートルほど………その単眼は、興味深そうに、そう知性を匂わせる佇まいで、上下に分断された“夜汰鴉”を眺め……


 腕があるのだ。腕、と呼んで良いのかわからないが、翼と一体化した前脚……その更に内側に、鋭利で繊細な爪の付いた3本指の腕が一対。内側の方の細い腕で、“夜汰鴉”の装甲をいじり、外し、あるいはそのを無理やり外し、取り上げ…………。


 雪に垂れる血痕に無意識に顔を顰めつつ、俺は小声で呟いた。


「あれは………」

「賢い奴、だろうねぇ。知性体って奴だ。…………けど、腕が4つあるやつは、見たことないねぇ……」


 隣の木の影に身を潜め、俺と同じように竜の様子を覗いつつ扇奈は小声でそう呟いた末に、一瞬だけ視線を俺に向けた。


「どうするよ?やるかい?」


 知性体。戦域に一匹いるだけで竜全体が戦術を得るようになる、特殊な個体だ。なぜここにいるのか、はこの際どうでも良い。トカゲ野郎の思考なんて俺にわかる訳がない。


 ただ、殺せるときに殺しておくべき相手だ、ということは間違いない。一匹だけでいるのを見つけたのは僥倖だろう。

 感情的に言えば、いつまでも解剖気分で、人間の死体をいじらせておいてやろうなんて思うわけも無い。

 だが、俺はまだ、奇妙に冷静なままだった。


「お前、武器は?」


 扇奈に、俺はそう問いかける。そんな俺を小ばかにするように、扇奈は得意げに答えた。


「こう見えて、秘密の多い女でねぇ……」


 扇奈の手には、いつのまにか短刀があった。袖の中にでも隠し持っていたのか………強かな女だ。さっき、撃ってたら、俺は間違いなく殺されてただろう。


 とにかく、一応武器はある。俺の手には拳銃が、扇奈の手には短刀が。

 多少特殊に見えるとはいえ、竜一匹くらいなら、やってやれないことも無いだろう。


 だと言うのに、俺は即座に決断できないでいた。あの4本腕に手を出すかどうか………戦闘をするかどうか、それ自体に迷いがある。


 我ながら、らしくない。奇妙な冷静さが………戦わない理由を探してしまっている。

 疑念を見つけてしまったから?腹を据えかねているから?いや、なんてことはない。俺は、ただ………生身で戦場にいるのが怖いだけなのか?


「………尻尾巻いて逃げる……訳にはいかないみたいだねぇ。伏せな!」


 不意に鋭く、扇奈が声を上げる。

 即応して地に伏せた俺―――その頭上を、降りしきる雪よりも鈍く鋭利な白銀が、木々諸共薙ぎ払った。


 尾、だ。間違いない。さっきの、4本腕の竜の尾。それが振り回され、扇状に、伏せた俺と扇奈の頭上を抉り取った。


 半ばで折れ、木々が倒れ、遮る物のなくなった風雪が吹き荒びだす。


 同時に、俺の脳裏で思考があふれ出す。

 話し声を聞かれたか?あるいは、別の手段で補足されたのか?

 薙ぎ払いは見覚えのない行動だ。範囲も広い……尾が伸びるのか?特異な個体だけあって行動が別とちがうのか?様子を見るべきか?


 ………逃げ腰の思考のまま、俺は次の行動に即座に移れず………そんな俺を、とがめるような扇奈の視線が捉えた。


 お前はあっち。あたしは向こう。扇奈は指でそう俺に指示を飛ばし、わざわざ指折りしてカウントまで始める。


 ………完全にエスコートされている。欲しくも無かった勲章に嗤われているような気分だ。


「………ッ、」


 扇奈のカウントが0になったと同時に、俺と扇奈は同時に、逆方向へと動いた。

 薙ぎ払われたこの場所から左右へ、両側の木々の中へとそれぞれ駆けて行く。


 駆ける途中、俺は4本腕に銃口を向け、雑にトリガーを引いた。

 当たりはした。ただ、弱点ではなく硬質の皮膚―――豆鉄砲は弾かれ、吹雪の中に消えていく。


 4本腕は身動ぎすらしない。攻撃もしてこようとしない。ただ、どこか興味深そうに、俺と扇奈の動向を眺めている。


 ………やはり、生身で、かつ拳銃で立ち向かうのは無謀じゃないのか。

 逃げ腰が脳裏を掠めたままに、俺は薙ぎ払われた地点を抜け、木々の中へと踏み込み――風雪はまた遠ざかり――呼吸を整えることなく奥へと進んでいく。


 逃げ出しているような気分だ。いや、事実その通りか。

 ある程度のマージン………先ほど尾が薙いだのは4本腕を中心に7メートルほどの距離。その7メートルの外まで逃げ延びた末、俺は姿勢低く、木に身を隠しながら、竜の動向を探る。


 白銀の竜は動いていない。出方を覗うように、その単眼を俺と扇奈が消えた森へと散らしている。


 まだ、俺は、奇妙に冷静なままだ。

 ………いや、もう、化けの皮は剥がれた。俺はただ、ビビッているだけだ。

 FPAが……“夜汰鴉”があればまだ勇敢に、あるいは無謀に動いていただろう。

 あるいは、それすらも方便か。


 情報が、俺の脳裏を踊り続ける。

 知性体。戦略的な価値、倒した場合の全体に対する戦果。

 公衛部隊。権力争いの可能性。戦略的な行動と見通し。

“夜汰鴉”。そこで死んでいる奴。この場所にそれが居た、と言う意味。“月読”の銃痕。


 全て、この一瞬生き延びるためには……兵士には不必要な思考だ。

 俺は、そんな余計な事に囚われ、余計な事に言い訳を見出し。


 ―――オニの女は、もう何年も前に、そういった事を全て飲み下していたらしい。


 木々の合間から、風雪の最中へ。紅地に金刺繍は、短刀と好戦的な笑みを携え、竜へと挑み掛かる。

 雄たけびを上げるような愚を冒すことなく、4本腕の視線が俺の方を向き――扇奈に背を向けたその瞬間を見逃さず。


 瞬く間の出来事だ。雪道をものともしない鋭い足運び、握る短刀は確かに竜の首を捉えかけ―――けれど、その刃は一寸の差で届かなかった。


 背後に目でも付いているのか――竜の尾が動き、扇奈の一閃を受け止めたのだ。

 悪態と共に、扇奈はすぐさま背後の木々へと退き始め――そんな扇奈を、竜の単眼が捉えた。


「チッ……反応早……」


 扇奈は悪態を途中で打ち切り、顔を引き攣らせる。

 竜の対応が異常に早い―――その尾は、既に振り回され始めている。扇奈を、あるいは扇奈がまた潜もうとした背後の木々を、吹き飛ばすかのような勢いで薙ぎ倒していく。


 大立ち回りだ。扇奈はその尾の一閃を、かわした。

 一足で3メートルほど軽々と飛び上がり、尾が薙ぎ払ったのは、扇奈の足の下。

 扇奈は、無傷でその一瞬を潜り抜けた。

 けれど、無傷のまま着地する……までは到らなかった。


 いまだ宙にある扇奈を、竜の単眼が捉える。

 薙ぎ払ったまま引き戻された尾が、鋭く、扇奈へと突き出される。

 幾ら身体能力が高くとも、空が飛べるわけではない―――。

 身をかわす事ができず、ぎりぎり差し込んだ短刀でどうにか両断される事は避けながらも、けれど、扇奈は尾の直撃を受けて、地面へと叩き落とされた。


 短刀が扇奈の手を離れ、吹雪の中へと消えていき、


「が、………」


 僅かな呻き声と共に、扇奈は雪の中へと落下する。

 すぐさま扇奈は身を起こすも、その手にはもう、武器はない。

 

 4本腕の単眼は、扇奈を捉え続ける。


 ………俺は、それをただ見ていた。

 いや、ただ見ているより尚悪い。………静観する合理性を見つけてしまっていた。


 扇奈は、桜の正体に勘付いている。口止めできない合理性は、部下の存在。

 が扇奈を殺した場合、間違いなく、俺は扇奈の部下に殺されるだろう。

 けれど、が扇奈を殺したとしたら?幾らでも言い訳が立つ。


 ………反吐がでるような話だ。我ながら、クソみたいな発想だ。

 ビビッて逃げる口実を作りたがってるだけに過ぎない。

 生身で戦うのが、それほどまでに怖いのか………。


 4本腕を前に、扇奈は、動いていない。

 諦めた、のか。いや、視線は一瞬動く。見ているのは、“夜汰鴉”の横に落ちた20ミリ。

 機を待っているらしい。扇奈が待っているチャンス、とは………この状況でそれを作れる人間は?


 ……もはや、あのオニの女には、未来が見えると言われても驚かない。


 あいつは何を拾った?俺は何者だ?

 クソ野郎か?それとも、それより少しばかりマシな腰抜けか?


 ああ、その通りだ。選ぶのは俺だ。選択肢は、銃は、俺の手の中にある。

 ………だから、


「クソ野郎が!」


 俺は、誰に向けた物かも知れない悪態と、酷く頼りない弾丸を放ちながら、駆け出した。

 弾丸が白銀の竜スカしたトカゲの即頭部に当たり、弾かれ………鬱陶しいといわんばかりの単眼が豆鉄砲を手に竜へと駆け出す俺へと向く。


 俺に、生身で、扇奈のような大立ち回りは無理だ。ターゲットにされた瞬間に、俺は死ぬ。

 一歩進むごとに自殺しているようなものだ。けれど、その方が清々しい辺り……俺は根っからぶっ壊れているのだろう。


 元々、生きている理由の方が少ないのだ。命令とはいえ仲間を置いて逃げ出した時点で、俺は半分死んでいるようなものだ。

 けれど、今の今まで生きていて、今の今まで生きようとしていた。


 理由は?

 ……戦場が怖いわけじゃない。死ぬのが怖いわけでも無い。

 ただ。何の為に死ぬのか………なんの為に生きていたのか。それがわからなくなるような終わり方をするのが怖いだけだ。

 ……胸を張って死ねないのが、酷く怖い。


 単眼が俺を捉える。その尾が動きかける。数秒後に俺は死ぬ。

 想う事は?


 見得に似たような、嘘一つ。皇女殿下に付いた嘘。影武者かもしれない女に付いた嘘。


 疑念が、俺の覚悟を揺らがせていたのだろう。だが、飛び出した以上、その疑念ももう、

 死に掛けなくては腹が決まらないとは、つくづく、俺は女々しいようだ。


 ………悪いな、戦闘をしないと言うのは、嘘だ。

 

 だが……まだ死ぬ気はない。



 竜の注意が俺に向いた瞬間に、扇奈は動いていた。


 雪を踏み散らす――“夜汰鴉”を飛び越え、その真横へとすべりながら―――生身に余る20ミリの砲身を軽々と持ち上げる。


「……こいつは趣味じゃないんだけどねぇ」


 巨大な砲を腰に携え、和装の女はそう嘯き―――異形の竜へと、トリガーを引いた。


 放たれるのは20ミリ。箇所問わず当たれば竜をただの血肉に変える鉄鋼弾。

 吹雪を散らし溶かし、雑な狙いの弾丸の嵐が、白銀の竜を捉える。


 前脚が一つ千切れ飛び、白銀の竜は苦悶の咆哮を上げる―――。


 反動を御しきれないのか、扇奈の握る20ミリの銃口は雪空へと跳ねていく――


 趣味じゃない、では済まない酷い射撃だ。止まってる目標に6メートルの距離で致命打を与えられないのか?


 だが――苦悶の咆哮を上げる4本腕スカしたトカゲがよろめき、俺に近付く暇を与えたのは確かだった。


 吹雪が、雪が紅い。吹き出る竜の血を意に介さず、俺は竜の胴体へと飛びつき、拳銃を突きつける。


 単眼は見ただろう。自身の眼球弱点へ突きつけられた暗い孔ライフリングを。


「死ねッ!」


 躊躇わず、俺は引き金を引いた。

 これで確かに、殺せたはずだ。…………それが、ただの、知性のない竜だったなら。


 俺が引き金を引く寸前。

 4本腕の身体が、淡い光に包まれた―――。


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