4話 慟哭の無双/雪解け

 月光に瞬く、広く白い雪原。林の切れ目で、開け放たれたその白銀の絨毯に、一人だけポツリと、黒い鎧が立ち尽くしている。


 物騒な兵器であり、巨大な砲をその手に携えていながら、その姿はどこか迷子のよう。

 林の中に身を隠し、木に寄りかかり腕を組み………扇奈はそんな事を思っていた。


 思い起こすのは、あの鎧の中身だ。死に囚われた暗い瞳。コウヤは自分でわかっていないだろう――将羅に戦う事を提案した時、自身が酷くやつれた笑みを浮かべていたと。


 いや、それ以前。脇挿しを差し出したその時でさえ――コウヤは嗤っていた。

 そして、同時に扇奈は思い出す。


 桜――そう名乗った少女を。桜は、コウヤの狂気と怨嗟に気付きながら、できる限り明るく振舞おうとしていた。内心の不安と恐怖を押し隠して。


 傍から見れば良くわかる。桜はあえて気丈に振舞っている。ただ一人この場で頼れるだろう相手に、余計な心労を与えないために。だが、その健気さを向けられている当の本人が、今死に急ごうとしている。

 それが、気に食わない。


 だが、同時に、扇奈は武人――兵士でもある。仲間に殉じたいと言う気分もまた、わかる話だ。

 同じような目にあえば、扇奈だって死ぬまで戦おうとするだろう。

 顔を顰めて考え込む扇奈――不意に、その頭上で枝が揺れた。

 下りてきたのは、伝令役の、身軽なオニの男。


「……姉御。いいんすか?俺ら全員隠れちまってて。あいつ一人にやらせるんすか?」

「おめおめ邪魔しに行ったら、トカゲごと蜂の巣にされるよ」

「……見捨てるんすか?」


 投げかけられた問いは、扇奈にとって自問でもある。


「………しらねえ。準備だけさせときな」

「へい」


 そう、軽い調子で返事を投げて、伝令は扇奈の前から消え去った。

 また、白い木陰に一人、扇奈は孤独な――自身でそうと思い込んでいる鎧を眺めた。


「………生死問わず。あたしに任せる、ね……。あの爺、やたらぼんやりした言い方しやがって……」


 呟きと共に吐き出される息は白く、風景に、雪原に溶け――やがてその雪原の果てに、多くの影が雪崩のように蠢いた。


 *


 俺は、両親の顔を知らない。おそらく、もう生きてはいないだろう――知っているのはそれだけだ。住処を竜に蹂躙された。ただ、それだけの話だ。


 両親は八つ裂きにされたのだろう。雪原の向こうから蠢き這い寄ってくるトカゲ共を前に、レーダーマップを真っ赤に染め上げるその侵略者を前に……俺が、これからそうなる様に。


 怨嗟、どす黒く死を望みながら――俺の胸中には怒りもまたわきあがる。

 あのトカゲ共が、俺の仲間を。家族を殺した。

 だから―――


「死ねぇッ!」


 咆哮と共にトリガーを引き絞る―――放たれた弾丸が竜を砕き、雪原を血に染めていく。

 そして――その竜の死骸が、後ろを這っていた竜に踏み抜かれ、ぐちゃぐちゃに潰れていく――。


 同族意識などまるで無いのだろう。それが、竜の本質だ。

 あるいは、ヒトも、上積みをはがせばそうなるか。


 孤児は多かった。孤児院は、数に限りがある。

 ……乾パンが美味しいとは結構な話だ。流石皇族、暮らしが知れる。


 俺はそれが主食だった。それ一欠けらの為に殴りあうような、そんな暮らしだった。

 まともな暮らしを知ったのは……一番それと縁遠いはずの、軍に入ってからだった。


 竜の大群は迫る――白雪を、同族の死骸を踏み散らし、愚直に俺へと迫り、俺の放つ弾丸に倒れていく。

 始まってしまえば冷静だ――見慣れた愚かな物量の波を撃ち散らしながら、俺はそんな事を思う。


 そうなるまで、仲間と共に戦ってきたのだ。

 何も考えなくても基礎的な戦術と分析は実行される。


 レーダーに注視、飛ぶ奴がいないか――この一群には混じっていないらしい、地面を這い回るやつしかいない。弾薬の残数を把握し、緩やかに後退しながら、突出した一匹を撃ち抜いていく。


 基礎は、隊長から教わった。戦術や連携は、仲間と共に生み出した。

 この冷静さと技術は、だから………形見になるのだろう。


 幻視する。迫る竜――その尾に貫かれた仲間の姿。その牙に引き裂かれた家族の姿。

 幻視する。俺がいない場所で、戦い抜いて力尽きた仲間の姿を。


「……クソが、」


 呟きと共に放たれる弾丸が竜を砕く――その異形の雪崩は、じわじわと迫り寄ってくる。


 このペースのまま行けば、あるいは、俺は生き残ってしまえるのかもしれない。この竜の一群を一匹残らず根絶やしにする事ができるだろう。

 …………仮に、残弾が無限だったなら、の話だ。


 フルオートから3点バーストへ。キルレートは落ちたが弾数は節約し始め―――けれど、足りない。


 そもそも補給無しの継戦だ。第3基地を後にした時点で残弾は底が見え始めていた。残りは50発強――どう見ても竜はまだ100匹以上いる。全て一撃で沈めても、終わらない。


 ………生きるための計算をしているのは、そう、仲間に教え込まれたから。


「クソが!」


 三点バーストから単発に、更に弾薬を節約しながら、俺は後退を止め、前に出た。

 馬鹿みたいな、それこそ自殺みたいな行動だ。わざわざ引き裂かれに行っているのだから。


 けれど、………これは前にもやった自殺だ。部隊の仲間まとめて死に掛けた、絶望的な状況で、……俺だけが死のうと。仲間は逃がそうと。


 FPA――身体は鋼鉄に覆われ、身体能力はヒトのそれとは比べ物にならない。訓練の結果、完全にイメージ通りに動くその身体で、俺は高く跳び上がる。


 地を這う竜の頭上を取り、見上げる竜の頭を踏み抜くと同時に、目の前にいる別の竜の眼球へ、0距離で弾丸を叩き込む――。


 直後、俺はまた跳ねた。足蹴にした竜が、周囲の竜に引き裂かれる光景を眼下に―――俺はまた、別の竜を踏み殺す。


 誰もやろうとはしない。だが、効果はある――そう、俺が実証した戦術だ。群れの中に飛び込み、竜を踏み手近で即応する可能性のある一匹を撃ち殺し、それ以外が反応する前にまた飛び上がる。


 竜は知性がない。次の行動を予測しない。だから、着地点の敵の分布さえ見間違えず、ミスらず、正しく次のを選び続ければ、同じ行動を続けていても、竜は永遠に対処できない。

 

 この自殺を前にやった時、やり遂げた時――俺は勲章を貰った。

 勲章などどうでも良かった。そのせいで死地から一人逃げ延びるハメになったのだから、今となってはもはや呪いのようなものだ。


 勲章なんてどうでも良かった。ただ……部隊の仲間は、家族は、それを俺より喜んでくれた。だから、誇ろうと思ったのだ。

 家族を………仲間を守り抜いたと言う、その証だったから。


 俺だけが死ぬなら納得できた。

 …………俺以外が、全員いなくなるなんて……。


「うああああああああッ!」


 獣のような咆哮が、俺の口から漏れる――。

 ぐしゃりと、もう何回目になるのかわからない潰れた音が、足の下から響き、竜の血が装甲を濡らす――。


 同時に、俺の手の銃口は手近な竜の目に向けられ――トリガーを引き絞る。

 だが、弾丸が放たれない。


 フェイスモニタ――残弾の表示は、エンプティ。………弾切れだ。


 眼前で竜の尾が奔る―――生身であれ、FPAであれ、それを受ければ身体は両断される。

 ………やっと死ねる。その安堵は、確かに、胸中にあるはずだと言うのに。


「うあああああああああッ!」


 俺はまだ竜を殺そうと――生き延びようとする。

 迫る尾――突き出されるその鋭利な先端を屈んでかわし、もう弾丸の残っていない砲門、その銃口を、竜の目玉に突き立てる。


 尾が肩の装甲をかすめ――おびただしい返り血が“夜汰鴉”を染め上げる。


 そして、俺はまた跳び上がり――群がる竜の爪を、牙を、尾をかわす。

 もはや武器も無い。あるのは鋼鉄の肉体だけ。精神すらももう、死を受け入れている。

 それでも身体が、叩き込まれた技術が勝手に、闘争を続ける。


 諦めるな。生き延びろ。その教えもまた、部隊の……家族の形見。


「殺せぇ!俺を殺してみせろォ!」


 踏み潰す。叩き潰す。装甲は返り血と掠り傷に塗れ、けれど叩き込まれた反射が紙一重で死をかわし続ける。

 身体が、緩やかに、だが確実に歩み寄る死に抗い続ける――。


 叩き込まれた。生き延びろと。

 叩き込まれた。仲間の為に死ねと。

 叩き込まれた。………命令は絶対だと。


 今、帯びている命令は?死ぬ事?………違う。

『いってらっしゃい』と、そう言った時、あの子はどんな顔をしていた?

 その顔すら見ていない。見ようとしなかった。


 あれは、あの子の願望だったんじゃないのか。

 あの子には、他に、頼れる相手はいない。だから、戻ってきてくれと。見捨てないでくれと……そんな願掛けを口にしたんじゃないのか。

 

 あのお姫様を送り届けるのが俺に言い渡された命令だ。そのために仲間を置いて――逃げ出さざるを得なかった。

 そして俺は今、また、死んで、楽になって、命令を無視して……逃げ出そうとしている。


「俺は………ッ!?」


 衝撃が襲い掛かった。紙一重でかわし続けられたこれまでがおかしかった……それだけの話だ。


 肩の装甲が大きくそぎ落とされた――肩が熱い。身体まで達したらしい。まだ腕は繋がっているようだが―――。


「クソッ!」


 咆哮と共に、俺は大きく飛び退く。

 まだまだ、竜は周囲に蠢いている――その集団から抜け出そうと、俺は竜を踏み抜き、退いて行く。


 だが、―――着地のたびに、傷が増えていく。

 知っている。この戦術は自殺だ。生きようとすると、その途端に足場(・・)の選定の精度が落ちる。抜け出す事を前提に考えると、逆に密集地帯に足を踏み込む事になる。


 傷が増えていく。体中が熱い。


 笑い話だ。この期に及んで……桜の顔が思い出せない。

 俺は、よほど、生きる理由を見たくなかったのだろう………。

 

 足に痛みが走る――まだ五体満足なのは、まだ反射が働くから。訓練が、形見が、血肉となるまで染み付いた仲間との日々が、俺を生かそうとするから。

 ……だが、次はもうない。


 竜の残骸を踏みしめ――けれど、身体は跳び上がらない。足が動かない。生身の方の問題ではなく……FPAの脚部が、人工筋肉が断裂したのだろう。それがなければ、この鎧は身動きを封じるただの棺桶だ。


 動けない俺の周囲に、竜が集う――牙が、爪が、尾が………蹲った俺へと向けられる。

 明確な死。心から望んでいたそれが、手を伸ばしてくる――。


「………死ねない、」


 そう、呟くだけだ。他に、俺に出来る事は何も無い。

 諦観の中、心は諦めながらも……俺の口はそう呟いた。これもまた、願掛けか。

 ……願いを叶えるのは、他人だ。


 ―――刃が閃く。


 白銀の世界に尾を引く剣閃は淀みもゆがみもなく、ただ真一門に奔り、竜の首を、尾を、爪を牙を………一刀の元に切って捨てる。


 芸術品だ……死地の最中でそんな事を思ったのは、その一刀を振るったのが角はあれども確かな美貌の麗人だからか、あるいはその技術が完成の域に達していたからか。


 刃は――太刀は振るわれる。その刃圏にある竜は悉く、甲殻ごと両断される。

 瞬きする間の出来事だ。一瞬のうちに、俺の周囲の竜は全て、血飛沫を上げズレ、崩れ――俺の眼前に、紅地に金刺繍の背中が踊る。


「見物は終いだァ!後始末しなァ!」


 一振りで刃にこびり付いた血を払い、扇奈はそう吼えた。

 途端、雪原を囲う林のそこら中で、鬨の声と共に白刃を振り翳すオニ達が姿を現し、恐怖を微塵も見せず竜へと躍り掛かって行く。


 数の上では、未だ竜の方が多いだろう。けれど、その数の差を埋めるほどの練度を、現れたオニ達は誇っていた。


 時代錯誤に太刀を振りかざす前衛。その背後、カバーポジションに立つオニの手には、アサルトライフルが握られている。0距離での白兵戦を組み込んだ上で、確かに分隊、小隊での連携も取られている、危なげのない戦闘だ。


 この様子なら、戦力が足りないと言う訳ではなかったのだろう。わざわざ俺を使ったのは、……俺に死地を与えるためか。いや、それよりも………。


「なんで……助けた……」


 死地を与えてくれたんだろう?潜んでいたと言う事は、見捨てるつもりだったと言う事だろう。それがなぜ、今更手を出したのか。


「腰抜けは嫌いだ。けど、馬鹿は好きだ。……素手で20匹殺る馬鹿はオニにもいねえよ。気に入った……事にしといてやる」


 そんな事を嘯きながら、太刀を肩に担ぎ、扇奈は振向いた。どこか呆れたような、そんな表情で。


「投げ出すくらいなら、最初から見捨ててりゃ良かったのさ。………あたしもな。これも縁だろ?あんたは、死にそびれた。まだ、やるべき事があるって事だ。……観念して、一生懸命生きな」


 それ以上扇奈は言わず、俺に背を向け、勇ましく竜へと立ち向かっていく。


 まるで動かない棺桶の中、俺は戦場を眺め続けた。

 妙に現実感がないのは、死を望んだ上で、生き延びてしまったからか。

 それとも、意思に反して身体が勝手に動くほどに現代戦を仕込まれた末、目の前でチャンバラを見せつけられ、それに命を助けられたからか。


 ………疲れた。

 続く戦場の一角に蹲りながら、俺の頭の中にあったのは、その思いだけだった。


 *


 その戦闘は、犠牲なく終わった。大部分俺が削り取ったかららしいが、武勇を誇ろうなんて気力も無い。

 文字通り運ばれて例の城まで帰り着き、傷の手当てを受け、……俺の足が薄雪を散らしあの小屋へ向かったのは、もう夜も更けた頃だ。


 向こうが妙に騒がしい……勝ったから宴会、みたいな、短絡的な事をオニ達はしているのだろう。その騒ぎが僅かに聞こえてくるからか――向かう小屋は異様に静かで、静謐に見えた。


 監視のオニの姿がない――そんな小屋の戸に辿り着き、寄りかかる様に、俺はその戸を開けた。


 途端、目が合う。部屋の隅に座り込んでいる桜と。どうやら、まだ眠っていなかったらしい。


「あ、……スルガさん?良かった……見張りのオニさんが、戦いに行ったって……」


 そう声を上げる桜の顔を、俺は、漸く見た。

 目の大きい、品より幼さが目立つような顔立ちだ。長髪は少し乱れ、桃色の髪飾りが付いている。


 疲れや不安が顔に張り付いているようにも見える。皇族がどう暮らしているのかは知らないが、戦場を目にした事も、軽装備で冬の山を越えた事もなかっただろう。まして、同行者は碌に話すらしようとしていなかったのだ。

 ………俺は、もう少し、気遣ってやれなかったのか。


 今更ながらそんな事を考えた俺を前に、不意に、桜は憔悴の上に微笑を重ねた。


「やっと、私の顔、見てくれましたね。良かった……」

「…………。申し訳ありません、殿下」


 他に何を言う事もできず、ただそう頭を下げた俺を前に、桜は少し慌てたように手を振った。


「あ、いえ、責めているわけじゃなくて。私は……」


 そこで、桜は少し逡巡するように視線をさ迷わせる。けれどその視線はやがてまた、まっすぐと俺に向けられた。


「あの……聞いてくれるようになったら言おうと思ってたんです。何も出来ない私を、救っていただいて、ありがとうございます」

「………命令、されただけです」

「だとしても、私を助けてくれたのは、スルガさんです。それは変わりません」

「…………」

「……多分、私のこと、助けたくなかったんですよね?」


 ……見透かされていたようだ。数日顔を付き合わせていたのに、見ていなかったのは俺の方だけだったらしい。


「その通りです。俺は、貴方を邪魔だと思っていた。お前さえいなければ、俺も、仲間と共に死ねたのにって。………けど、死ねなかった」


 俺の言葉を聞いて、桜の顔に僅かに影が差した。けれど、桜は直ぐにその陰を振り払い、顔に微笑を浮べる。


「良かったです。生きていてくれて。こうやって、ちゃんとお話出来て。お礼が言えて良かったです」


 寂しそうな微笑みだ。唯一頼れる相手に恨んでいたと言われれば、心細くもなるだろう。

 けれど、桜は笑っている。内心を笑みで覆い隠そうとしている。


 ずっと、こうしていたのだろうか?俺が鬱陶しいと思っていた、能天気な態度は、暗い胸中を隠すためだった?俺に心労をかけないようにしていたのか。


 護衛が聞いて呆れる。まるっきり逆じゃないか。


 戸口に俯き、黙り込んだ俺を前に、桜はしばし言葉を探して、それから、躊躇いがちに口を開く。


「ええっと……そうだ。言ってませんでしたよね?……お帰りなさい」


 お帰りなさい、か。確かに、言われてなかった。仮宿であれ、帰る場所か。

 俺は僅かに笑っただろう。そんな俺を前に、桜は首を傾げる。


「……?どう、したんですか、スルガさん」

「………何がですか?」

「スルガさん、泣いてますよ?」


 言われた途端、俺は自分の目元に触れた。……確かに、濡れている。

 泣いた?お帰りなさいと、そう言われただけで?……なんとも、情けない話だ。


 自分が酷く滑稽で笑えてくる。自覚した途端に涙が止まらなくなる辺り、道化以外の何者でも無い。


「ええっと………。なにか、食べますか?そうだ!遂にサバ缶食べます?」


 とことん、気を使われてしまう。

 自嘲ではない笑みを浮かべようとして……それだけで酷く疲れた。

 漸く、俺は小屋の中に入り込み、その隅に蹲る。


「すいません。食事は、いいです。少し、疲れたので………」

「碌に眠れてませんでしたもんね」

「それは、殿下もでは?」

「………あてずっぽうでしょう?」


 からかうような調子でそう言った桜に、俺はもう、笑うしかない。


「ばれますか……。さすがのご慧眼です、殿下」

「……からかってますか?」

「そんな……恐れ多い」


 蹲った途端、眠気が襲ってくる。自分が何を言っているのか、自分でいまいち理解できていない。


 酷く重い瞼、滲みきった視界の中心で、桜は俺を見ていた。


「スルガさん。殿下も敬語も、禁止です。私は藤宮桜二等兵です。そうでしょう?」

「そう……だったな」

「………ところで、二等兵ってどの辺の偉さなんですか?二等って、結構上の方ですよね?」


 それすら、知らないのか。さぞ縁、遠い、暮らしをしていたのだろう。………階級の講釈は、明日に、でも…………。


 *


 コウヤの寝息が静かに響く夜更けの小屋の中―

 ――その静寂を打ち破るように、小屋の戸が酒瓶を持った赤ら顔のオニの手で思い切り開かれた。


「よう!もしかしてしっぽりやってっか!せっかく勝ったんだからよ、主役の馬鹿がいねえと………」


 扇奈の声は、静かに眠りこけるコウヤと、しぃと口を押さえる桜を前に、沈んでいく。


「やっと、眠れたみたいなので。申し訳ないんですけど………」

「……みてえだな。じゃあ、あんたは来るかい?乾パンにゃ飽きたろ?別にとって食ったりなんかしねえよ」

「いえ。……私もここにいます」

「そうかい。……じゃあ、後でなんかもって来てやるよ。何食いたい?」

「ええっと………お肉じゃなければ、なんでも」


 躊躇いがちに、桜はそう言う。

 肉が嫌い……と言う話で済めば良いが、まあ、大方別だろう。ここに来た経緯を考えれば、肉を奇異する理由は察しがつく。


 扇奈はそんな事を考え、小屋の中に踏み込み、後ろ手に戸を閉めた。

 そして勝手に小屋の一角に陣取り、その場で瓶を傾け出す。


「……あの、」

「こいつは自慢なんだが、あたしはここで一番強いぜ?で、あの鎧着てりゃ、そこのガキは多分2番目くらいだ」

「………はい?」

「……安心して、ゆっくり眠りな。ここにいる限りなんもビビる事ぁねえよ」

「……はい」


 桜は、疲れきった顔に微笑み浮かべ、そのまま、瞼を閉じる。


 程なくして、小屋の中に、寝息が一つ増えた。


「……甲斐性なしと、甲斐甲斐しいのか」


 寝入るコウヤと桜を眺め、扇奈はそう呟いた末―


「若いねぇ……」


 そんな言葉を、酒と共に流し込んだ。


→3話裏/桜花/薄明かりに膝を抱えて

https://kakuyomu.jp/works/1177354054890150957/episodes/1177354054890150962



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