桜吹雪に鋼鉄の楔―サイドストーリー―

蔵沢・リビングデッド・秋

3話裏/桜花/薄明かりに膝を抱えて

 小屋の外から、冷たい、酷く冷たい、夜の白い明かりが差し込んでくる。

 一人ぼっちでその暗く冷たい中にいる事に耐えかねて、私は、勇気を出して、小屋の戸を少し開けてみた。

 薄雪の積もった小屋の外には、オニが立っている。どこか退屈そうに、背中を壁に預けて。


「あの……。スルガさんは、まだ、戻りませんか?」

「あ?……ああ。戻んねえかもな」

「え………」

「戦にいったってよ」

「戦………」


 戦闘に向かったと、そう言う事だろうか?私に、何も言わず……あの、酷く追い詰められた様子のまま?


「そう、ですか……」


 それしか言えず、私は、また戸を閉めて、一人小屋の中に座り込んだ。

 薄明かりの小屋が、いつになく寒い。足元が音を立てて崩れ落ちたようなそんな気分で、私は膝を抱えて、小屋の隅に蹲った。


 *


 全てに制限時間が付いている事は、最初からわかっていた。

 いずれ、“藤宮桜花”ではなく、ただの“桜花”と呼ばれる様になると、そうわかった上で、普通に暮らしていた。


 普通に学校に通って、普通に友達と遊んで、普通に勉強して、普通に卒業して。

 卒業式で泣いたのは、もしかしたら、それで“普通”が終わってしまう事が嫌だったからかも知れない。


“普通”に暮らしている兄弟もいる。継承権を捨てて、自分で生き方を選んだ兄弟も。

 けれど………どんくさい私には、到底、自分の力で生きていく事ができるとは思えなかった。


“桜花”は、モノだ。

 政治、軍事………立場に見合った能力を持ち合わせている兄弟とは、違う。


 私は何もできない。何も知らない。知る事を求められてもいなかった。

 卒業後、務めまでの準備期間。教わったのは、皇族としての立ち振る舞い。演説の手法。政治についての講義も確かに受けたけれど、本当に簡単な歴史の話を聞かされただけで、難しい話は誰一人として教えようとすらしなかった。


 置物のように微笑んで、ただ、渡された原稿を読み上げる。“桜花”に求められていたのは、ただ、それだけ。


 つい数日前が、その“桜花”としての務めの一度目だった。この先何度も、それこそ永遠に、“桜花”が続くはずだった。

 官僚の書いた原稿を、官僚が用意した檜舞台でただ読み上げるだけの日々が。


 けれど、永遠なんてものが存在しない事を、私は、この目で見せ付けられた。


 先導してくれる、“桜花”を守ろうとする兵士の人。階段を昇りきった先にあるヘリポート。赤い、ヘリの操縦席。初めて見る竜。


 竜の尾が、先導してくれた、“桜花”を守ろうとしてくれた人を―――


 *


「………ッ、」


 声にならない悲鳴と共に、私は目覚めた。

 場所は、この数日ですっかり見慣れてしまった簡素な小屋。窓の外からは、雪の日の白い夜の光が差し込んでいる。そんな薄暗がりの中、私は口を押さえて、吐き出し、泣き出してしまいそうな気分を飲み込んだ。


 嫌な夢をみてしまった。もしかしたら、この先も、ずっと見続ける事になるのかもしれない、本当に嫌な夢を。

 けれど、泣き出してしまうわけにはいかない。


 視線がある…………部屋の隅に座り込み、声をかけてくる事もなく、ただ暗い目を私に向ける青年の視線。

 筋肉質だが、どこか線が細く見えるのは、顔立ちが中性的だからだろうか。

 それこそ普通に街ですれ違ったら、友達とちょっと噂話でもしたかもしれない………そんな顔立ちに色濃く浮かんでいるのは、疲弊と焦燥、そして………恨み。


 スルガコウヤ。どんな漢字を書くのかすら知らない、私を……いや、“桜花”を救ってくれた人。


「あ……えっと。すいません。起こしちゃいましたか?………なぜか唐突に崖から落ちる夢ってたまに見たりしません?」


 とぼけたような声で、私は、笑いかけた。……笑いかけているように見えるはずだ。こんなに薄暗いんだから、ちょっと顔が引き攣ってしまっても、コウヤからはわからないだろう。


 ……そもそも、私を見ていないようだから、こんな強がりをする必要も無いのかもしれないけれど。


「…………」

 コウヤはなにも答えず、ただ瞼を閉じた。


 私は、ほんの小さく、コウヤに聞こえないように息を吐いて、また瞼を閉じた。


 *


 夜、悪夢に魘されて目覚めてしまう事が、たまにある。その度に、コウヤの暗い目が私を捉える。


 コウヤは、眠っていないのだ。眠れないのかもしれない。食事も、殆どとろうとしない。

 何を考えているのかは、話しかけても殆ど返事をしてくれないからわからないけれど、同じ小屋に押し込められて、ずっと一緒にいれば、わかる事もある。


 恨まれている。明らかに拒絶されている。それは、わかる。

 コウヤが助けたのは、“桜花”だ。私じゃない。

 命令で、軍人として、不本意な命令に従ったのだろう。

 コウヤは、皇族に恨みでもあるのだろうか?それとも、何か別の理由で私を助けたくなかったのだろうか?


 時間だけはたくさんある。ここは、多種族同盟連合軍の基地。プレハブの小屋の中に、数日ずっと閉じ込められて、手慰めに掃除をしてみる他には何も、する事がない日々だ。だから、色々と考えてみようとする。


 今は、どういう状況なのだろうか?良い状況なのだろうか?悪い状況なのだろうか?

 勿論、平穏無事で何事も無い……そんな状況じゃないことくらいは私にもわかるけれど、どの程度危機的な状況なのか、私には良くわからない。


 ヒトと亜人間デミ・ヒューマンは戦争をしていた。それは、歴史の授業で知っている。

 けれど、今の敵は竜だし、休戦……してるらしいし、コウヤがこうして私を連れてやってきたと言う事は、このオニさんたちの基地は、味方の基地なんじゃないんだろうか?

 でも、コウヤは、皇族と明かすと面倒な事になると言っていた。

 なぜ?味方の基地のはずなのに?味方じゃないの?休戦、って戦争が終わったって意味じゃないの?


 色々と、考えてみようとはするけれど………結局、私には何もわからない。

 政治も軍事も知らない。碌に勉強しようとも思わなかった。それらを学ぶと……“藤宮桜花”が終わる事を、認める事になる気がしたから。


 今更、少し……勉強しておけばよかったと思う。もう少しだけでも知識があって、ちゃんと状況がわかれば……私も、少しは力になれたのだろうか。


 高飛車で自信に満ちたお姫様でいられただろうか。

 ただのお荷物じゃない、別の何かでいられたのだろうか。


 ずっと一緒にいれば、わかる事もある。

 コウヤは、恨んでいる。おそらく“桜花”を。そして………コウヤ自身の事も。

 食事を取ろうとしないのは?この間、オニに剣を渡されて……暗い目で笑っていたのは?

 

 コウヤの事はわからない。どんな人か、どんな人生だったのか……たぶん、今聞いても答えてくれないだろう。だから、私にわかるのは一つだけ。


 コウヤは、自分の事が嫌いなのだ。……私と同じように。あるいは、私以上に。


 そう思って、そうわかっても………けれど私に出来るのは、お荷物ではあってもせめて重荷にはならない様に、笑っていることくらいだ。


 他に、私には何も出来ない。頼りきってしまうことのほかには、何も。


 *


 日々はどこか緩やかでまるで変化がない。

 小屋の中で、ぱさぱさしてあまり美味しくない乾パンを食べて、水を飲んで。ヒーターでも止め切れない隙間風に震えそうな時は、掃除をして少しでも身体を動かして。


 コウヤは、何もせずずっと座り続けている。私はそんなコウヤを観察し続ける。

 他に、見るモノがない。おしゃべりをしようにも、返事をしてくれない。

 そうしているうちに、私はまた、気付いた。


 ごくたまに、1時間ぐらい。昼間であっても、コウヤは眠っているらしい。

 深い眠りに落ちる事はなく、眠ってもすぐに目覚めてしまうようで………けれど、幾らコウヤでも、まったく眠らないわけにもいかないのだろう。コウヤもまた疲れきっている事は、間違いないのだから。


 珍しく晴れの日のようだ。窓の外からは、やわらかな太陽の光が差し込んでいる。その日も、コウヤは部屋の隅に丸まって、眠っていた。私は、起こさないように気をつけて、ヒーターを少しコウヤの方に寄せてみたりして、その後は何もせず、座ってコウヤを眺める。


 軽いノックが響いて、小屋の戸が開いたのはそんな時だ。

 開いた小屋の戸、吹き込む冷たい風と共に小屋の中に入って来たのは、オニの女の人だ。

 この間、森の中で出会った、派手な羽織を背負った女性。


 改めてみると、角は生えてるけど、美人だしカッコ良い。肌綺麗。スタイル良くてうらやましい。どこかぼんやりとそんな事を考えながら、私はオニの女の人を眺める。

 彼女の方も、どこか値踏みするように私を眺めていた。


 振り返ると、我ながら………もうちょっと危機感を持つべきなんじゃないかとは思う。オニの女の人は腰に刀を持っている。色々と、心配しなきゃいけない事はたくさんあるように思うけれど、私が最初に心配したのは、コウヤが起きてしまっていないかどうか、だった。


 やっと、少しでも眠れてるのに、と。


 私はコウヤに視線を向ける。瞼は閉じたまま。身動ぎもしない。起きてはいないようだ。


「……寝てんのかい?」

「はい。……眠れてるみたいです」


 そんな返事と共に、私はオニの女の人に視線を戻した。

 オニの女の人は、やはり値踏みするように、眠り続けるコウヤを眺め………やがて、後ろ手に戸を閉めると、検分でも始めるように、小屋の中を歩き出した。

 そして、食料の入っている箱の中を覗き込むと、露骨に眉を顰めた。


「なんだよ。あんま減ってねえな。飯食ってねえのか?」

「……あんまり、食べたくないみたいで」

「………みたい?」


 怪訝な顔をされてしまった。なにか、変な答え方をしただろうか?

 首を傾げた私を、オニの女の人はまだ怪訝そうに眺め、それから、合点がいったと言うようにコウヤの方を見る。


「あんたの話さ。その腰抜けじゃなくて」

「スルガさんは腰抜けじゃないです」


 すぐさま、私は答える。腰抜けで、逃げ出したんじゃない。命令されたから、をもって逃げる羽目になっただけだ。立派に、務めを果たそうとして、それを腰抜けといわれるのは納得できない。


 私は知らず、睨みつけでもしてしまったのだろうか。

 オニの女の人は意外そうに片眉を釣り上げて、……それから、笑った。

 ………私は何か、笑われるような事をしただろうか?

 ほんの少しムッとした私を、オニの女の人はまだ笑っていた。


「そう怒んなよ。……悪いねえ、こんなとこに押し込めちまって。まあ、即歓迎とはいかねえよ。休戦ったってなあ。わかるだろ?」

「待遇に、文句はありません。乾パン美味しいです」

「……妙なとこで気合入った奴だな」

 

 オニの女の人は、まだ笑っている。どこか満足そうな様子で。

 そして、なにやら袖の中をごそごそさぐりながら、オニの女の人は私に歩み寄ってきた。


「気に入ったよ、お嬢ちゃん。よし、お姉さんが飴を上げよう」

 

 そんな言葉と共に、オニの女の人は袖の中から、紙に包まれた飴を取り出すと、私へと差し出してきた。

 ……お姉さんじゃなくて、なんか、近所の気の良い………。


 見た目は、20代始めくらいだと思うんだけど、意外ともうちょっと年上だったりするのだろうか。そういえば、オニは人間より長生きって聞いたような………。


 そんなあれこれ考えつつも、「ありがとうございます」と、私はから飴を受け取った。

 そして、それを握りこむ。そんな私を、お姉さんは怪訝そうに眺めた。


「食わねえのか?」

「えっと……ご馳走なので、後で頂こうかと……」

「今食いな」

「……実は、甘いもの苦手で……」

「なんだよ。じゃあ、返しな」

「えっと………」


 愛想笑いを浮べて、飴を握ったままの私を、お姉さんはどこか値踏みするように眺めた。

 それから、お姉さんの手が、不意に伸び、飴を握る私の腕を掴む。

 凄い力だ。見た目からは想像できないような怪力。……そもそも、別の生き物なのかもしれない。


「あ、………」


 つい、上がりかかった悲鳴を、私は飲み込んだ。起こすわけにはいかない、と。

 それでも、今更な恐怖が、私の脳裏をよぎる。女の人だから、と油断していたけれど……もしかして。


 そんな事を思っても抵抗できず、どこか押し倒されるように私ははがいじめにされ、顎をつかまれ、無理やり口を開けられ………。


 そんな私の口の中に、お姉さんは無理やり、封を解いた飴を放り込んだ。

 ………甘い。イチゴ味だ。


 口の中で飴をころころ転がし始めた私を前に、お姉さんはどこか満足げに身を離す。


「うまいか?」

「……はい」

「なら良し」


 そう言って、お姉さんは立ち上がると、私を見下ろして、問いを投げてくる。


「あんた、なんて名前だっけ?」

「え?えっと………」


 “桜花”。その言葉が、私の本名が口をついて出かける。

 けれど、…………そうだ。私は今、“桜花”じゃない。そう名乗るなと言われて、別の名前で良いと言われて、……だから。


「……桜です。藤宮、桜」

「そうかい。あたしは扇奈センナだ。じゃあ、また来るよ、桜。鬼が寝てる時にね」

 コウヤを顎で差しながら、お姉さん――センナは、小屋を後にしていく。


「………どうしたもんかねぇ……」


 どこか困ったようなそんな呟きと共に、頭を掻きながら。

 ……角はあるけど。別の生き物かも知れないけど。それでも、……良い人かもしれない。


 コウヤが目を覚ましたのは、センナが立ち去ってから程なくのことだ。

 ころころと口の中で飴を転がす私を、また暗い目で眺めて………何も言わずに、また瞼を閉じる。


 ……なに食べてるんだ、位、言えば良いのに。そんな言葉を、私は飴玉と共に飲み込み、顔に微笑を浮べておいた。


 *


 藤宮桜だ。“桜花”じゃない。“桜花”じゃ、無くて良い。

 ただ、それだけを再認識して………私は少し、気楽になれた気がする。

 そういう場合じゃないのかもしれないし、それで何か、状況が変わるって訳じゃない。

 私に何も出来ない事は変わらない。何も出来ない、ただの女の子の……桜だ。


 ふと、思った。

 私はお礼を言っただろうかと。

 助けてくれてありがとうと、そう、言っただろうか。

 お礼を言おう。コウヤから険が取れたら。“私”を見るようになったら。

 そんな風に、少し拗ねた風に決めてみて。

 いずれ、きっと、コウヤも………と。


 私は、ついこの間、悪夢と一緒に学んだはずだった。

 永遠はないと。全てに、制限時間はついていると。


 小屋の中に一人、私は蹲り、座り込む。薄い月明かりがいつになく寒く、心細い。

 コウヤは、戦いに行ったらしい。

 戻ってこないかもしれない。そうなったら、私は一人ぼっちだ。誰も、頼れなくなる。

 いなくならないでほしい。いてくれるだけでそれで良い。それで、私は、我慢するから。


 震えは、きっと、この酷い寒さのせいだろう。


 何かできる事はないだろうか。何かできる事はなかっただろうか。そんな事を考えてみても………私は、私のままだ。

 

 小屋の中に、僅かな嗚咽が響く。

 この嗚咽を聞くのが、私だけで良かった。そんな風に、また強がってみて。


 私は、ただ…………。ただ、ただ…………



 →4話 慟哭の無双/雪解け

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054889537417/episodes/1177354054889537487

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