15センチの短冊

古新野 ま~ち

第1話

「へぇ、呪いかぁ。鳥肌立つわ」

祖母は口調を柔らかくして、その目尻の皺いわゆる烏の足跡(本人はセキレイやと主張している)をさらに深くした。ちなみにこれは笑顔ではない。

「生徒さんが困ってるんやったら、とりあえず手助けくらいしてあげてもええんちゃうか」

「俺が中学んとき、オカルトに凝ってた美術教師が呪術を用いた遊びをして、2ヶ月入院したことがある」

「入院くらいなら、婆ちゃんにもあるからなぁ。なんともわからん」

「婆ちゃんに分からんのやったら、俺はもっと分からん」


というわけで、アルバイトの塾講師に、オカルトはいかんともしがたいから諦めてほしい、と伝えた。

「嘘いうなよぉ。たすけてせんせぇ」

おいおい泣き散らかすこの子が吹奏楽部の副キャプテンだというから時代は変わったのだと実感した。自分が顧問なら責任のある立場に据える際には泣かない子を選ぶ。群れのなかで誰が一番かを分からすため俺よりすぐ下の二番三番には数多の叱責を受けてもらうからだ。


「涼さんは公立の生徒さんだし。頼りになる『せんせぇ』なら腐るほどいるやんか」

「言っだけど、犯人は見つからず仕舞いやっで、つぎ虐められるのがウチかもしらんやんか」

涙でぐちゃぐちゃになった顔と言葉の中学生におろおろとする祖母がティッシュを渡した。


顔を拭うと、口を梅干しのような皺ができるほどすぼめた。それ以上は涙を流すまいとこらえているのが分かった。

相談があると、とても切羽つまった様子だから「受験鬱」なるもので煩悶する女の子に少しでも手助けをしてあげようとすれば、このザマだ。呪いより、見知らぬ悪意により虐めがはじまるのを恐れているそうだった。クラスメイトが不登校になったらしく、そんな目にはあいたくないという正論であった。


俺の片手ほど――15センチくらいか――のサイズで赤色の長方形の紙だった。そこに見にくいけれども、極細のボールペンで「死ね」と何百近く書かれていた。涼はこの呪いの札に怯えていた。


俺は頭を抱えた。塾という商売は友人の紹介で繋がっていくことが多いため、涼もその例に漏れず、彼女の誘いで入塾した吹奏楽部員が数人いる。玄関には模造紙に涼と同じ吹奏楽の男子部員とが肩を組んだ写真がある。

生徒たちの夏期合宿の模様を掲示しているのだ。写真のまわりに二学期からの目標を掲げた色とりどりの短冊があった。偏差値の向上や中間テスト450点台など様々である。彼らはレギュラー入りと勉強の両立を掲げていた。


写真で仲のよさそうな男子生徒である。恋人かと勘違いしそうな距離であった。事実は本人たちしか知り得ないし、塾講師が知っておく理由はない。


そして驚くなかれ。涼の貰った呪いの札は、彼の相談を受けて、俺が提案したものなのである。

「涼が調子にのってて大会にでられなかった俺や後輩をいびっている」とのことだった。俺には関係ないと応じた。大学の授業と祖母と帰りの遅い母の夕食作りをはじめとした家事の合間で中学生の勉強をして、効率のよい筆記テストの解説を考えているのだ。中学生の権力争いなど、頭の片隅にさえ置く理由はなかった。


「涼がいるなら、俺はこの塾をやめようと思っています」

「急やな。それでも俺にはどうしようもないというか、君と涼さんと顧問の先生を交えてミーティングするしかないやろ」

俺の言うことを分かってはいるみたいだった。しかし 、涼とその辺りのコミュニケーションは取りたくないそうだ。ただ、純粋な愛を育んでいたいとのことだった。ならば苦痛から逃げるのであれば義務教育である中学よりも塾の方が容易い。


一度預からせてもらうと営業職のようなことを言ってその日は帰ってもらった。

塾長に報告すれば、アルバイトでも彼をこの塾に留めておくのは仕事のうちだと顔色を変えずに言った。当たり前だと言い添えて、語尾が鼻で笑う息がまじり豚のようであった。


翌日、俺は不満をもつ彼に、一枚の紙を渡した。

「この紙に、何でもいいから涼に対して呪詛を書け。思い浮かばんなら馬鹿とかアホとかでもええわ。こういうところが苦手とかでもええわ。それをこそっと涼に渡す。簡単やろ」

「えっ、いや、その怖いというか」

「彼女は暴力をふるうんか? なにが怖い?」

「あいつ俺より頭もいいから、俺が出したことに気づきそうやし」

「勉強なら自分の問題だからしらん。渡すのは君の手際しだいで、これも俺はしらん」

「それに、こんな紙に書いて渡すって陰湿というか」

「大事なのは、涼に対して何かをしたということやねん。それは分かるやろ? 君は涼にムカついた。だから呪った。もっと楽に考えたらいいねん。呪うことは何も法にはふれないけれど、やり返したという事実は残る。結果があるだけで、スッキリする。完璧やろ」

「でも、うんと、なんか女の腐ったようなことというか」

「呪いは女性だけのものではないし、何よりそこで女と腐敗を連想したのは君の偏見だよ。どちらをとるかは好きにしてくれ。堂々と彼女に意見をするか、それとも陰で呪ってしまうか」

俺はそれだけ言うと、そろそろ授業があるからと立ち去った。



するとどうだろう。彼はその紙を本当に渡していた。しかも「死ね」とまで書いて。そしていまでも涼と仲良く塾に通っている。

俺は涼の手から短冊を取り上げた。

「良いことを教えてあげる。この紙はビリビリに引き裂いて捨てること。呪った奴は涼に手出しできなかった程度のやつで、人生において何の障害もない。もし虐めがはじまったら、すぐに警察に連絡しなさい」

そして、と俺は付け加えようとしたがやめた。気づかないなら、それがお似合いな二人なのであるという気がしたのだ。俺が黙ると祖母は、涼の手をとって辛かったやろうなと言った。彼女は、また、泣きはじめた。


涼が帰ると、祖母は、あんまりひどいことはやめてあげてやと俺に注意した。その通りだと思う。もし、俺が、あの見下され続けると主張する男ならばどうするか。

たぶん、涼を徹底的に攻め立てたうえで呪うだろう。俺は俺が忌々しい。

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15センチの短冊 古新野 ま~ち @obakabanashi

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