ホテル・シーサイド、七〇二号室

 その部屋の客は、チェックアウトの時間を過ぎても出てこなかった。マスターキーを使い、少しだけドアを開けて声を掛けたが反応はなく、人の気配もなかった。客は若い男女だったけれど、昨夜見かけた女の方があまり楽しそうにしていなかったのを思い出す。私は嫌な予感を振り払い、ドアを全開にした。

 ドアのすぐ前に、ピンクのハンドバッグが落ちていた。スマートフォンや財布、小さなポーチが散らばっている。何かあったようにしか見えない。思わずため息が零れる。落ちている物を踏まないように中に入り、バスルームとトイレを順に確かめながら奥に進む。

 オーシャンビューのベッドルームの入り口には水色のカーディガンが落ちていた。その先には、アクアマリンのペンダント、パールのイヤリング、ラインストーンが光る華奢なミュールが点々と続く。それらを辿り、視線を上げる。

 窓は開いたままだった。晴れ渡った空を大きなエイが飛んで行くのが見え、私は目を疑う。しかし、気のせいや見間違いではなかった。窓の向こうが水族館の水槽に変わったかのように、次々と魚が現れる。カラフルな魚たちがそれぞれのスピードで横切る。銀色の小さな魚の群れが太陽を反射してキラキラ輝く。ウミガメが悠々と泳いで行く。クラゲは吹き流しのようだった。

 魚たちが通り過ぎた後、ひらひらと舞い落ちてきたのは白いワンピースだった。

 私は呆然と窓に近付き、空を見上げた。

 大きなホタテでできた輿に裸の女が乗っていた。茶色の長い髪がなびいている。ちらりとこちらを見て、艶やかに笑った。彼女の下半身が見えていたらもっと簡単な言葉で表現できたかもしれないけれど、ここからでは見えなかった。彼女の乗った輿を取り巻くようにして、魚の列は海に向かって空を進んでいく。

 ふと思い出し、室内を振り返ると、ベッドの上には明らかに息絶えた様子の男が横たわっていて、彼の胸には錆びついた短剣が深々と刺さっていた。



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テーマ「パレードの落し物」

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最後の名前 葉原あきよ @oakiyo

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