28, 解き放たれる獣



 どのほどの時間が経った頃か、扉を雑にノックして、捜査員が一人入ってきた。隅っこでクバルになにやら報告する。

 やりとりを終えたクバルが、きつい視線を向けてきた。


 つかつかと寄ってくる。


「携帯電話をどこへ隠した?」

「は?」


 バンッと勢いよく机を叩く。


「携帯電話をどこへ隠した?」


 怒鳴られた。思わず首をすくめる。


「隠してなんかねーよ」


 クバルの裏拳が左頬をまともに打つ。さっき肘鉄を入れられたところで、とても痛い。


「どこへ、隠した?」


 だいたいの見当はついた。身体検査や所持品のなかになかった携帯が、家宅捜索や周辺の捜索でも出てこなかったのだろう。


「だから、ほんとに俺は隠してない。ケータイなら今日は持ってたはずだし、だからどっかで落としたか、置き忘れたか」


 ガッと再度殴られる。痺れるように痛いが、でも小さい頃からずいぶんやんちゃはした。このぐらいならまだ大丈夫だ。


 それにどれだけ殴られたって、後輩のことを言うわけにはいかない。顔を上げて、クバルをにらみ返す。さらにクバルが上げた手を、アトカスが止めた。


「それ以上顔はまずいだろ」


 顔じゃなくてもまずいだろ。とは思わないのか、アトカスは。


 憮然とした顔でクバルが手を下ろす。ちっと舌打ちした。


「捜索範囲を広げろ。行った可能性のあるところ、交友関係にある人間を徹底的に洗え。サイファは押収物品の検めだ。それから通信履歴と職務経歴の開示令状はまだか!」


 怒鳴られた部下が部屋を飛び出していく。


「そいつはしばらく下へ入れておけ。埒が明かん、先にブツを固める」


 クバルの指示で若い刑事が動く。立たされて部屋から引きずり出される。アトカスがいっしょについてきた。


「まったく。クバルの短気にはまいるよ。聴取を途中でやめるなんて、気がしれん」


 若い刑事のほうに話しかける。刑事は困ったふうに「はぁ」と言った。


「警部の悪口は、まずいっすよ。飛ばされますよ」


 地下への階段を下りる。下るにつれ、どんどん暗くなっていく。下は闇に包まれていた。

 階段口のレバーを引き上げると、数少ない蛍光灯がともる。


 白光に照らされても石壁はどんより重く、気が滅入ってしかたがない。


 地下の一番奥は、かつて牢獄として使われていたらしい。一面が鉄格子になった、開放的なんだか閉鎖的なんだかよく分からない牢が並んでいる。


「ほら、さっさと入れ」


 やだなーと思って立っていたら、背中を蹴られた。

 アトカスがどこからともなく椅子を一脚持ってくる。それから白い捕縄を取りだした。


「十分な監視ができない代替措置として、逃亡や自傷防止のために拘束するけど、いいね?」

「よくねーよ」


 と言ったところでアトカスが耳を貸すわけがない。椅子に縛りつけられた。


「聴取再開まで、どれぐらいかかるか分からないが、ここで大人しくしているように」


 閂に真新しい錠をかけ、二人は戻っていった。ほどなく蛍光灯の明かりも消える。ご丁寧に電気まで消していったらしい。


 息のつまるような暗闇と静寂が後に残った。こんなところに長時間放置されたら堪らない、と思いきや、なぜか郷愁がこみ上げてきた。


 どうも子供の頃におしおきで放り込まれた穴蔵に似ているらしい。

 同時に故郷の悪友の顔やら面白かったいたずらやら悔しかった喧嘩やら、思い出が次々に浮かんでくる。


 もしやこれが人の言う走馬灯というやつか?


 そのうち闇に目が慣れてきて、真っ暗でもないらしいと分かる。背を向けている壁に小さな明かり取りか換気穴でもあるのだろう。堅牢そうな石壁が大きく抉れているのまで分かるようになった。

 一体なにをどうしたらあんな風に石が抉れるのか謎だが。


 時間が経っているのかいないのか。ただひたすらなにかを待つしかない。立つことすらできないこの状態がまたストレスだ。

 ちりちりと焦がさるような、じわじわと絞められるような、圧迫感が徐々に増す。精神的に自滅しそう。


 これもそれも市長のせいだ。

 お洒落勇者の招聘といい冤罪逮捕といい、ずいぶん手の込んだ嫌がらせをしてくれる。


 その勝手を止めるべきボスは、一体どこでなにをしてるのだろう。


 怒りが湧いてきて、なんかちょっと元気になった。でもその元気の持って行き所がない。椅子の上でじたばたと暴れる。

 なんというか、アトカスが正解だったかもしれない。縛りつけられていなかったら今頃鉄格子に蹴りでもいれて、そうとう痛い思いをしていただろう。


 唐突に、ずっどーんとでも表現するしかない爆音が、石造りの塔全体を揺るがした。

 ぱらぱらと埃とも小石ともつかない欠片が降ってくる。むせる。


 一体なにが起きたのかと耳を澄ます。


 しばらくなにも聞こえなかったが、そのうちドタンバタンと不穏な音が上階から微かに響いてきた。


 そして、静かになる。


 なんだ。なにかがおかしい。

 声を張り上げ人を呼ぶ。全然まったく返事がない。あきらめず声を出し続けていると、小さく蛍光灯がついた。


 やっと人が来る、とほっとしたのも束の間、バタバタと尋常でない足音がものすごい勢いで近づいてくる。


 まさかと思う間もなく、格子の前に二杯の敵が躍り出た。


「なっ!! なんで!?」


 こちらを覗きこんだ敵(見たことがあるやつらで、たぶん右がキャブツスフヌラカ、左がハーセショギョモーオー。位階はさほど高くないザコ)が、こっちに気づいて哄笑する。


「まーじーでー!」「捕まってやんのー」「ぐるぐるだな」「ざまーみろっ!」「しっかし、マジで捕まってんのな!」「最っ高」「バーカバーカ」「うははははははは!!」


「う、うるさいっ。笑うな。てか、なんでお前らがこんなとこにいる!?」


 怒鳴り返すが、敵は笑うばかりで答えない。

 まさか、こんなときに襲撃か。なぜよりにもよって今!


 歯がみして敵をにらむ。


「いい度胸だな、お前ら。勝手なこと言ってねーで、かかってこい! おら」


 でもこっちは手も足も出ない状況で、襲われたらひとたまりもない。ちょっぴり腹をくくる。

 入院か、下手したら殺されるかも。


「ヤだよ、バーカ」「誰が猛獣を檻から出すか」「そんな俺たちはバカじゃねーんだよ、バーカ」「触らぬ神に祟りなし?」「お前が捕まってるっつーから、見物しに来ただけだ」「やーいやーい、バーカ」「せいぜいそこで指咥えてろ」「縛られてちゃ指咥えらんねーか」


 なんかこいつら、イラッとする。


「いいもん見たわー」「よっしゃ、行くか」「鬼の居ぬ間に襲撃すっかー」「ヤッホー」


 馬鹿笑いだけを残して、敵が走り去っていく。


「あ、こら、ちょっと待て!! おい、ふざけんな。おい、無視すんなよ。おーい、なんで置いてく……これならボコされる方がまだマシ……」


 叫ぶもむなしく、一人傷心で取り残された。一体ぜんたいどういうことだ、これは。


 それに街も心配だ。

 襲撃にはみな備えていたし、お洒落勇者たちもいるから、いいように蹂躙されはしないだろうが、大丈夫だろうか。


 いてもたってもいられず、縄が解けないかと身をよじる。だめだった。

 まぁ、解けたところで手錠や鉄格子をどうしようもないから意味はない。


 せめて誰か来てくれないかと声をあげる。襲撃の規模とか状況とか、教えてほしい。


 いい加減疲れた頃、ぱたぱたと軽い足音が聞こえてきた。

 現れたのはティエラだった。


「ティエラ!? なんでここに!?」

「ああ、こんなところにいた。まったく世話が焼ける。外は今、大きな襲撃で大変なのに」


 右手に持っていた鍵を錠に差し込む。


「カギ!? どうしたんだよ、それ」

「上でたまたま拾っただけ」

「ちょっと待て」


 急に止められ、ティエラが「なに?」と機嫌悪そうに顔を上げる。


「ティエラ、誰かに見られたり監視カメラに映ったり、してないだろうな?」

「いいえ。意識のある人間はいなかったし、カメラなんて洒落た物、ここにはないでしょう」


 さっさと開き、錠も鍵も適当に放り捨てる。つかつかと寄ってくると、顔を覗きこんだ。


「ひどい。アザになっている」


 柳眉をよせて、左頬に手をのばしてくる。


「アザって、見ると押したくなる」

「やーめー! マジで痛いわ!」


 鼻を鳴らしたティエラが、捕縄を切ろうとナイフを取りだす。


「待った、ナイフはやばい。手で解いてくれ」

「失礼だと思う。間違えて君を切るようなヘマはしない」

「そういう問題でなく。ただ逃げるだけなら逃走罪になんないけど、縄をナイフで切ると拘束器具の破損で加重逃走の罪になる!」

「……意味が分からない」


 そう言いつつもティエラは手で縄をほどいてくれた。ティエラの助けを借りている時点で加重逃走罪だけれども、それは誰も見ていない。切れた縄という物証がなければ大丈夫。


 次いで取りだした小さな鍵で、ティエラが手錠も外してくれる。たまたま拾ったなんて言ってたが、絶対嘘だ。先に上を漁ってきたに違いない。


 久しぶりに自由になった肩を回す。


「で? なにがどうなってる?」

「詳しくは私もよく分からない。ただ、有玉町のほうが多数の敵に襲撃された。大半は大した敵ではないようだけれど、なん杯か位階の高い敵がいて、手こずっているみたい」

「ったく。なんだってこんなときに」

「むしろ、君がいなくなったからじゃない? ラジオのおかげで逮捕の話はすぐ広まったから、それを知った敵が好機とばかりに鬱憤晴らしに来たんだと思う」


 ティエラがさっきの敵みたいなことを言う。


「んなわけあってたまるか! でもまぁいい。鬱憤たまってたのはこっちもおんなじだ」

「もう好きに解釈すればいい」


 ちゃんと動くか、体のコンディションを確かめる。

 問題なさそうだ。

 ベルトを取られているのが、ちょっと辛いぐらいか。


「とっとと行ってケリつけてやる。悪いけど、ここの人間の処置は任せた」


 それだけ言い置き、怒りを勢いに変えて飛び出す。


「あ、ちょっと。せめて武器!」


 うしろでなんかティエラが言ったが、もう止まれない。


 塔の入り口まで上がると、見事に発破されて扉が吹き飛んでいた。最初の爆音はこれらしい。

 前庭にティエラが乗ってきたらしい原付がキー付きで放置されていた。飛び乗ってエンジンをかける。サイレンの鳴っている方角へ原付を向けた。


 街のあちこちで敵が好き勝手やっている。

 腹立たしいが、いちいち相手をするわけにはいかない。襲撃はとにかく早急に核を叩くのが肝だ。


 だいたいここらだろうと見当をつけた辺りで、おっさんを襲うごっつい敵を発見した。

 おっさんの乗った軽トラを蹴り砕いている。考えるより先に原付をふかしていた。激突。


 角度が良かったのか、敵は勢いよく吹っ飛んだ。ついでに原付の前輪がひしゃげた。


「……またやっちゃったよ。いくらかかるんだ、これ。おい、おっさん。本隊どっちにいるか知らないか?」

「あっちだよ。くそ、せっかくここまで逃げてきたのに。車がおじゃんだ」


 おっさんが指さしたほうに向かってダッシュする。


 途中、目に余る破壊行為を見過ごし、駆け抜ける。

 ケヤキ並木の大通りへ出る手前にお洒落勇者がいた。チャラベストと二人っきりで、位階の高い厄介そうな敵を相手にしている。


 それにしてもなぜ二人なのだろう。役割分担をきっちりするタイプのパーティーで、四人揃ってこそ真価を発揮するやつらなのに。


 走ってきた勢いのまま一直線の助走、思いっきり踏み切った。


「おうりゃっ」


 助走の勢いと全体重の乗っかった跳び蹴りが、狙ったとおり敵の平衡器官へ吸い込まれるように入った。

 どれだけ頑丈な敵だって、平衡器官に重衝撃を喰らったらひとたまりもない。


 倒れふす敵の上になんとか無事着地した。


「はぁ。よく考えたら、走りっぱなしで、息切れた」


 深呼吸で息を整えていると突然お洒落勇者が素っ頓狂な声をあげた。うるさいやつだ。


「大丈夫だったのか!? てか、今なにをした!」

「緊急事態だから出てきた。むしろお前らこそなんで二人なんだよ? あとの二人は?」

「敵が多くて二手に分かれた。もう少し南にいるはずだ」


 チャラベストが剣を鞘にしまう。


「にしても、ほんっときりがねぇ」


 どこかでガシャーンと派手にガラスの割れる音がした。


「首魁を探してるんだけど、お前ら見なかった?」

「いや、まだそれらしい敵には会ってない。どいつが首魁か、いまいち判然としなくて」

「テキトーにそれらしいヤツ相手にしてっけど、ハズレばっかだぜ」


 それだけ位階の高い敵が多いのだろう。面倒だが、もう少し走るしかなさそうだ。


「そっか。見つけたら教えてくれ」

「分かった。って、待て! 首魁が見つかったとして、武器も持たずに行くつもりか!」

「え? あ、ほんとだ。武器持ってくんの忘れた。まぁいっか」

「まぁいっかって。まったく君は。それでどうやって……って、今みたいに蹴り倒すのか。まさか本当に人間が敵を素手で倒すなんて」

「……マジパねぇ。ありえねーよ。あんた何者?」


 みなの言うとおりだった、とお洒落勇者が顔を引きつらせる。


「……うるさいな。敵をどうしばこうが、俺の勝手だろ」


 ややむっとする。

 もちろんこんなことをするのは緊急事態のときだけで、素手で敵を相手取るなんて馬鹿なこと、普段は絶対しない。

 だから「素手で十分強い」とか「素手で勝てる」とか「むしろ素手でいく」とかそういうのは、全部完全に誤解なんだってば。


「だいたい助けてやったのに、なんだよ、その言いぐさは」

「ああ、うん、それはありがとう。でも別にピンチだったわけじゃない」

「二人っきりでちょっと手こずってたくせに」

「そんなことはない! あのまま問題なく倒せてた」

「そうかよ。それは悪いことしたな! 俺はてっきりお前が」


 すぐ向こうの区画で一際大きな破砕音が響いた。複数の悲鳴が続く。

 お洒落勇者と顔を見合わせる。


「馬鹿な言い合いしてる場合じゃねー。あっちだ!」

「あ、一人で武器も持たずに行くな。いや、平気な気もするけど。けど、俺たちも行く」

「え、マジか、走んのかよッ」


 走り出したらお洒落勇者とチャラベストがついてきた。

 ただ身軽なこちらに比べ、武器も防具も装備してる二人は微妙に遅い。だから重たい剣なんて持たないほうがいいのだ。


 隣の区画はひどかった。

 建物やアスファルトが破壊され、無残に散らばっている。巻きこまれた市民が血を流して逃げ惑う。その合間で敵たちが勝手気ままに破壊と狼藉を繰り広げる。

 冒険者たちが負傷しつつもなんとか防ごうとするが、敵のほうが勢いがある。蹂躙された人々が悲鳴をあげ、子供たちが泣き叫ぶ。すでにパニックだ。


 その混乱の中央に、一回り大きな敵がいた。他のザコとは比べものにならない位階のノントスプケニリィーチ、こいつが首魁で間違いない、と一目で確信する。


 邪魔な瓦礫を飛び越え、仁王立ちで大音声を発する。


「見つけたー!! ノントスプケニリィーチッ!!」


 強奪物を物色していたノントスプケニリィーチが顔を上げ、目が合い、そして――。


 ノントスプケニリィーチは悲鳴をあげて身をひるがえした。


「ぎゃーっ、鬼だーっ、殺されるーっ」



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