17, 川の向こう側とこちら側
折衝地帯における動産の維持費最大項目は、修理費だ。
「敵に襲撃されるとさ、あいつら面白がって物壊すだろ。フロントガラスが割られたとか、ドアが外されたとか、屋根がぺちゃんこになってたなんてのも聞いたことあるぞ。とにかくそんなことが日常茶飯事だからな。襲撃のたびに修理だ買い換えだなんてことになったら目も当てらんないだろ。そもそものリスク考えたら、車なんて高い物は買えない」
だから折衝地帯の人間はあまり動産を増やさない。持ってたって襲撃ひとつで奪われるか壊されるかするかもしれないのだ。特に高価な物は購入しようという意欲が湧かない。
「なるほど、そういうことか」
お洒落勇者たちも理解したらしい。難しい顔でうなずいた。
「まぁ今の小鞠市って襲撃が少ないから、多少財布のひもは緩んでるけど。さすがに車を買おうってやつは少ないな」
襲撃の頻度が低いほど購買意欲は高まる。といって景気が良くなるかというと、そう簡単な話でもないらしい。
襲撃の被害から生じる買い直しが減少するから、結局のところはとんとんかちょっと良い程度だと前にボスが言っていた。
景気良くしたいならせめて一年間襲撃を防げ、とも言われている。というわけで目下の目標は一年なのだが、これが難しい。ここ一、二年の感触だと、どうも半年が壁らしい。
そして今はその半年の壁目前。襲撃の圧力が高まる、正念場というやつだ。そんなときにお洒落勇者が来たというのが良いことなのか悪いことなのか。普段と状況が変わるからか、どうも予測ができない。
「うーん」
唸りたいのはこっちなのに、隣でお洒落勇者が唸った。
「やはり、住んでみないと分からないことが多いな」
「と、とにかく、どこ座るか決めて、さっさとなんか買ってこいよっ」
なんだかお洒落勇者があっさり「移住する」とか言い出しそうだったので、急いで話を変える。お腹が空いているのは全員同じで、すぐに乗ってきた。
空きテーブルを探しあて、誰が席取りするかで少し揉め(だからやっぱり仲悪いんだと思う)、結局押しつけられたスポーツマンが残ることになった(「寿司買ってきてくれるなら俺が残ってもいいけど」「寿司!? この屋台の中から寿司を買って来いと!? あるのか!?」「チヂミチヂミー」「シシカバブ」「お前ら鬼だな。あ、俺のラーメンは良梅軒の塩じゃないとだめだから」「それはどこに?」「さあ?」「……分かった、俺が残る。丼物を頼んだ」)。
買い出しは、各自食べたいものを求めてバラバラになるはずだったのだが、なぜだかお洒落勇者がついてくる。
「……………………なに?」
「え? なにって、奢るって言っただろ? だから」
「あー」
言われてみればそうだった。仕方なく、同行を許可する。
「それにしても、すごいな」
横を歩きながら、お洒落勇者があっちこっちを振り返っている。
「
「そうだな、全くないわけじゃないが、少し雰囲気が違う。外国へでも来ているみたいだ」
「外国か。ま、川を挟んで
こっちを向いたお洒落勇者の顔が驚くほど悲しげで、そのことに狼狽える。
なにかまずいことでも言ったか。
「え、あ、ああっ、あそこ! 『丼』の旗、丼物屋あったぞ」
焦って、さっきから視界に入っていた丼物屋の旗指物を示す。お洒落勇者はちらりとそちらへ視線をやった。
「……あれは『丼』じゃなくて『井』だろ……?」
テンションは低いものの、的確にツッコミしてきた。
「『井のなか屋』っていう名前の丼飯屋だ」
「紛らわしい店名だな。しかもあまり美味しそうな名前じゃない」
「いやいやいや、ちゃんと旨いから。食べたことある。確かカツ丼もあったぞ。衣にダシがじんわり染みこんでて美味だった」
へえと冷めた声で答えながら、それでもいちおう覗く気はあるのか、屋台へ足を向ける。
そしてお洒落勇者はぽつりとつぶやいた。
「川の向こうとこちらと、隔てているのは川だけじゃないよな」
「川」というのは、この国で人類保護地帯と折衝地帯の境界のことだ。
その川より向こうは、敵が立ち入ることのない人間だけの安全社会である。政治経済の中枢を保護し伝統文化を継承し、国家ひいては人類を存続させるための規定だ。だからそれほど広くはなく、向こうに住める人間とこちらに住むしかない人間とがいる。
なにを言いたいのか、そもそもこちらに向けて言ったのかさえ分からない。
「うん。ぶっちゃけこっちとあっちを遮ってんのは、橋の上の軍だ。川じゃないな」
「俺は真面目に言っているのに……いやだがしかし、確かにそれはそうで、行き来に制限のあることが問題の一つでもあるんだが」
橋への軍常駐の建前は、敵が条約を破って侵入しないよう見張ることだという。でも実際の仕事は、橋を渡る人間の監視だ。
安全なところに住みたいという人間は多い。保護地帯はいつも人口過密気味だし、敵との公正取引規定の点からもそれはまずい。だから保護地帯は居住制限が厳しくなっている。
基本的に本籍地が保護地帯になければ住むことができない。保護地帯から折衝地帯へ本籍を移すことは簡単だが、折衝地帯から保護地帯へ移すことは難しい。というか、大金が必要だ。
保護地帯の人間が折衝地帯へ来るのは自由だが、折衝地帯の人間が保護地帯へ入るには煩雑な許可申請(とやっぱりお金)が必要になる。
たとえ保護地帯に戸籍があっても、あっちは課税が重かったり物価が高かったりして、暮らすのも楽ではないらしい。結局破綻し、折衝地帯へ堕ちてくるやつも多い。
「俺が言いたいのは、もっとこう、精神的な壁みたいなものがあるってことだ」
たどりついた井のなか屋のメニューを見ながら、お洒落勇者が言う。
「壁なぁ。正直よく分からんけど。あ、ほら、カツ丼がある」
お洒落勇者がカツ丼を一つ頼む。井の中屋のじいさんが「あいよ」と小気味よく声を上げた。
サクサクとカツを切り、用意されていた煮汁へ投入、手際よく卵でとじていく。
「ああ、確かに美味しそうだな」
湯気立つご飯の上へのっけて完成だ。若い兄ちゃんのほうがドンと置いた。
「はい、カツ丼お待ち」
お洒落勇者が財布を取りだし、言われた金額を取りだそうとする。
「しまった、小銭がないんだった」
札のほうを開く。興味本位で覗いてみたが、ドラマの金持ちみたいな厚みはなかった。がっかりだが、無意味に大金を持ち歩くほどお洒落勇者も馬鹿ではないのだろう。
「カード、使えるぞ」
お洒落勇者が万札を出しづらそうにしていたので教えてやる。それにしても、万札しか入ってないのか、サイフ。
「え、ここで? あの、カード、いいですか?」
失礼なことに半信半疑で店員に確認する。店員は「もちろん」とうなずいた。
感心しながらお洒落勇者が取りだす。そのカードが、なんか光り輝いてた!!
「うおう」
受け取る兄ちゃんものけぞって驚いた。一瞬、考え顔になる。
「……もしかして、さっきのラジオの勇者? そういえば声もそうだよな!?」
「ええ、まぁ、ラジオの、勇者候補ですが」
お洒落勇者が引け気味に答えると、兄ちゃんがすごい嬉しそうに声を上げた。
「おい、やっさん、これさっきのラジオの人だってよ!」
「なに!?」
鍋に向かっていた渋いじいさんが、勢いよく首をお洒落勇者へ向ける。
「まことかっ」
「え、ええ、はい」
またたくまに味噌汁とエビフライが二本出てきた。
「心ばかりだが、サービスだ。うちのエビフライは旨いよ」
心ばかりどころか、気前のいい大サービスだった。お洒落勇者と二人で驚く。
「うわ、ありがとうございます」
「いいって。気ぃつけてがんばってくんな」
すごい笑顔で清算を終えたカードを返してくる。その兄ちゃんに聞いてみる。
「あ、そうだ。ところで、今日って良梅軒どこに出てる?」
「あん? なんだ、よく見たらお騒がせのほうの勇者じゃん」
「うるさいな、誰がお騒がせだよ!」
なんで屋台の連中ってこぞってラジオを聞いてるんだろう。そしてこの温度差はなに。
「良梅軒ならあっちにいたが。お前もうちでなんか買えよ」
「やだよ。今日はラーメンの気分だもん」
「ったく。またご贔屓に」
こっちには仏頂面で、あっちには超笑顔。お洒落勇者がトレイを持って、屋台を後にする。
「俺に恨みでもあるんだろか、あんな邪険にして」
「自業自得だ。他の屋台のことを聞くとか、マナー違反だろ。……それより、屋台でカード使ったの、初めてだ」
「そうなのか? 俺はあんな金ピカなカード見たの、初めてだよ」
「ピカピカしてるカードなんて、まだ大したことない。もっと上がある」
「『もっと上』ってどんな色になるんだよ、それは。って、あ、あれ、寿司屋!」
こぢんまりと日陰に出ている屋台を指す。一見地味だが、ネタを冷やすための発電機がブンブン唸っているので、すぐ分かる。
「……あるんだー」
「なに驚いてんだよ。大概のものはあるからな、ここ」
嬉しそうにお洒落勇者が近寄っていく。その道の反対に、赤い梅模様を染め抜いた良梅軒ののぼりが見えた。馴染みのスープの匂いが漂う。
お洒落勇者は、いかつい顔の寿司屋のおっさんに話しかけている。でも寿司を買うだけならそう時間もかからないだろうと判断し、先にラーメン屋へ行くことにする。
良梅軒は、街の郊外にあるラーメン屋である。宣伝のために中心地に近いここで屋台も出している。本店に比べメニューは少ないが、味は店のままだ。
今も待ちの客が二人ほどいる。その後ろに並びながら、まだ十分に麺が残っているのを確認する。よし、今日はちゃんとすぐに食べられそうだ。
「へい、毎度! ご注文は?」
良梅軒の今日の屋台番は、顔見知りのお姉さんアメティスタさんだった。
「塩ひとつ。んで、席遠めだから麺硬めにして」
「了解! ちょとお待ちを。塩ひとつ入りましたっ」
先の客の麺を引き上げ、新たに麺を放り込む。その手際のよさに見惚れる。
「ああ、こんなところにいた。突然いなくなるから、探したよ」
後ろからお洒落勇者が来て言った。
「お、悪い。でもすぐ分かったろ? お前も無事寿司買えたみたいだし」
トレイを持つ手に袋を下げている。きっと寿司の箱折りが入っているのだろう。しかし。
「……なんか多いな。お前それ全部寿司? それ全部食べんの?」
「ああ、これは、そういうわけではなく。なぜかまたラジオの話になって、稲荷なんかをおまけしてくれたんだ」
少し照れながら言うお洒落勇者。恐るべきネームバリューだった。どう反応すればいいか困っていると、カシャンと妙な音がした。
見ると、アメティスタさんが茹でザルから完全に手を離し、信じられないという顔でお洒落勇者を見つめている。引っかけることすら忘れられたザルがぶくぶくと沈んでいく。
「うっそ、やだ、ラジオの勇者様!? やー、噂聞きましたラジオ聞きましたー!!」
「俺の麺俺の麺俺の麺!! 硬めって言った硬めって!!!」
「え、ああ、ごめん! まだ大丈夫! あちっ。まだ硬め!」
急いでざばーと拾い上げ、事なきを得る。隣の汁係のおっさんに渡った。
「はい、一丁上がり! 500円ね」
いつも通りの塩ラーメンになった。お洒落勇者がまたキラッキラしたカードをそっと出す。
「ここも支払いはカード使えますか?」
「もち、おっけですよー! え、ていうか、勇者様におごらせんの? 普通逆じゃない?」
なぜ逆! なぜこいつに奢らなければならない! 言いようのない感情がふつふつ湧いてくる。
「いえ、今日は俺が世話になったので、そのお礼に奢りたいんですよ」
「そーだったんですかー。あ、そうだ!」
穏やかな笑顔で言うお洒落勇者。そしてそれだけで株が上がるお洒落勇者。たぶん今、世界の不思議を目撃している。
アメティスタさんが、胸ポケットからなにか出す。
「これ、店のほうの割引券なんですよ。よかったら皆さんで来てください!」
四枚渡され、お洒落勇者はカードといっしょに受け取った。
アメティスタさんの日焼けした顔がほんのり赤いのは、絶対気のせいじゃない。
「毎度あり! またのお越しを!」
アメティスタさんの元気な声に送られて屋台を離れる。
「ほら、もういいだろ。さっさと戻るぞ」
「ああ、ソトアを待たせてるしな」
汁をこぼさないようにとラーメンをにらむ。良梅軒のラーメンは鰹だしのあっさり味だ。
「おおい」
急く気持ちのところへなぜか呼び止める声がする。誰が止まるかと思ったのに、隣でしっかりお洒落勇者が止まって振り返った。
「これも持ってき。いやさ、隣の声が聞こえたもんで。あんたんとこのパーチー、ダンジョン一つ潰したんだろ? お祝いだよ。応援してっから」
良梅軒の隣に屋台を出していた串揚げ屋のおっさんが、照れ顔でお洒落勇者に白い包みを渡す。アメティスタさんの声が大きくて、ラジオの勇者と知れたらしい。
「え、ありがとうございます」
頭を下げるお洒落勇者へ、さらに周りの屋台やら客やらから声がかけられる。
「おい、こっちもこっちも。イカ焼きやる! 喰え!」「ほら、これも喰って力蓄えてくれ」「ゆーしゃさまー、あくしゅしてー」「よければ、うちのベーコンサンドもどうぞ。がんばってくださいね」「囃子屋もよろしく!」「ひとつ撮ってもいいかねえ。いや、孫へのみやげに」「俺たちも応援してます! これはシーフードピラフです」
……ラーメンがのびる。
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