07, そして現れる不愉快なそれ



「その文旦、どうしたの?」


 唐突な問いに顔を上げると、ティエラが机の上に放置したグレープフルーツを指していた。


「……グレープフルーツだろ?」

「その皮は、グレープフルーツじゃなくて文旦だと思う」


 グレープフルーツじゃなかった。結構ショックだった。


「知らんかったー。来る途中で果物屋の親父にもらった。てか、ブンタンてなに? 普通に食えるのか?」

「グレープフルーツみたいにそのまま食べられる。なにかすれば皮も食べられたはずだけれど」


 皮の調理方法までは知らないらしい。投げて寄こした果物屋の親父か、宿屋のキッチン担当バイトくんにでも聞けば分かるかもしれない。


「よう、ツートップご両人」


 天地すら割りそうなだみ声に思わず腰が浮く。驚いて二人でふり返ると、でかい男がガハガハ笑っていた。巨漢レグルスは、パーティー・ブルーナップのリーダーで、見た目通り強い。

 一緒にいるのは、同じくブルーナップのエルンストだ。


 レグルスもエルンストも仕事から直接来たのだろう。どろどろに汚れている。ガチな戦闘でもしたものか、泥と汗にまみれ、血と敵の体液に染まっている。

 というか、すでに異臭が漂っている。

 この会議室にいる冒険者で今更そんなものを気にするやつはいないだろうが、さぞセーラばあさんの職務意識に火をつけただろう。


「おう、びっくした。テンション高いなー」


 うっかり酒でも飲んできたみたいになっている。おおかた戦闘の高揚感をそのまま引きずってきただけだろうが。


「ガハハ、サンキュー勇者。今日はお前のおかげで命拾いしたわ」

「は? 今日?」


 今日ブルーナップの命を助けた覚えは一切ない。


 笑うばかりのレグルスをフォローすべく、エルンストが手振り身振りで話し出す。


「てのはさあ、さっきやりあってた敵がちょい厄介で、これはヤバくなる前に離脱するか降伏するかしないとってなったんだけどもよ」


 ブルーナップが敵と苦戦になるとは珍しい。位階の高い強敵だったのだろうか。


「それなりにやりあってるとなりゃあ、逃げるも止まるも簡単にゃいかないわけで、戦闘パターンとしてはすでに最悪だったわけよぉ」


 戦闘が過熱した状態で降伏を申し入れても、敵の耳には届かない。そういうときは良くて重傷、悪ければ死亡である。どう頑張っても勝てない敵との遭遇を回避できなかった場合には、いっそ戦う前に降伏したほうが賢明だ。


「久々に入院かあとか思いながら、なんとか被害を最小にできんもんかとしてたときよ。狙い澄ましたみてえに全員のケータイ鳴るわけよ、お前からのメアド変えたっつうお知らせで。あんま見事に鳴っから、一瞬そっちに気い取られてよ、しまったとか焦ったんだけども」


 クレオの小さな親切が、知らないところでも波紋を広げていた。そしてこの話のオチが見えた。というか、仕事中はせめてマナーモードにしておけ。


 それ以上は話してくれなくていいのだが、エルンストは止まらない。


「うっかり敵にもお前のメールが届きやがって、手え止まってんの。お互い確認のためにまさかの戦闘中断よお。いやあ、命拾いだ」


 ブルーナップの二人がハイテンションに笑う。まあそうだろう。クレオは登録してあるメールアドレス全てに通知するよう設定してくれたのだ。


 敵味方関係なく鳴らしまくったはずだ。


「……それはそれは。大事に至らずよかったつーか……」


 サンキューサンキューとどこまで本気か分からない言葉を繰り返しながら、レグルスとエルンストは去っていく。もう席は前の方しか空いていないから、あのテンションのまま最前列に座るつもりらしい。


 そのテンションのせいで、今の会話は室内中に聞こえていたに違いない。頭が痛い。


 こちらをふり返ったティエラに苦笑いされた。

 再度視線を携帯画面へ移すが、血がのぼっていて集中できない。同じ箇所を目が行き来する。


「顔が赤いよ?」

「ほっとけ。てか声かけんな」


 八つ当たりっぽかったが、要らんことを言ってくるティエラに噛みついた。ティエラが眉をひそめたところで、前の扉が開いて偉そうな男が入ってきた。


 ロンフルモンのブランドスーツで太い腹を包み、薄くなった頭髪をオイルでなでつけている。

 三流悪役みたいな小物顔のこの中年こそが、小鞠市市長である。


 名前は知らない。というか、折衝地帯において市長とは、中央から出向して来た、そして期間が過ぎれば去っていくだけの人間である。大抵考えているのは保身のことだけで、市政などハナから顧みていない。

 市民だってそんなやつに対しては期待も信用もしていない。


 頻繁に入れ替わる市長に代わって市政を執っているのは秘書室長、通称ボスだ。

 ボスの仕事は、市長を抑え、あしらい、黙らせ、その上で代執行権を振るい、市長にある程度の功績をつけてやってお帰り頂くというものである。


 会議室の冒険者たちは、入ってきたのがボスではなく市長だったので、適当に流した。


 市長が、オホンと咳払いする。


 誰も注意を払わなかった。


 市長の後ろから入ってきた市長美人秘書が、後ろ手に扉を閉め壁際に立つ。

 まっすぐ前を見ていて、こちらなどはちらとも見ようとはしない。無表情でなにも読み取れない。


 市長が話を始めようとする。一番前に陣取ったブルーナップが、妙なテンションで拍手と大声の合いの手を入れている。どう考えても嫌がらせだ。どろどろ異臭の二人に市長がどん引きしているのが分かる。


 真面目に聞く気など起きず、視線を携帯画面へ戻す。今度はスムーズに進みそうだ。

 隣ではティエラが頬杖ついてつまらなそうに市長を見ている。きっと他にすることがないのだろう。


 片耳だけで市長の話を拾う。とりあえずご機嫌斜めらしいことは分かる。小鞠市のポイント成績が大赤字になっているのが気に入らないらしい。


 敵に襲撃報酬金を支払うのは国であって市ではない。だから実は、市の財政に直接関係しはしない。しかし、赤字は市の失点、ひいては市長の汚点となる。


 そりゃ怒るだろう。


 市長はともかく、こちらは赤字状態でもなんの痛痒も感じない。いや、本来は冒険者としてこの状況に責任を感じるべきかもしれない。というか、小鞠市唯一の勇者候補として完全に責任がある。微塵も気にならないけれど。


 だからだろう、市長がこっちをめちゃくちゃにらんでくる。


 にやりと受け、あっかんべーで返したところを、思いっきりティエラに見られた。あきれ顔だった。


 その視線から逃れるため、手もとの紙へ目を落とす。死亡は五件。少ないような、多いような。

 他のところと比べれば、かなり少ない数字ではある。が、五人だと考えると、多すぎる犠牲だ。


 敵IDの一つが、同日の重傷三件と死亡一件に関わっている。パーティー一つ相手に大暴れでもしたんだろうか。しかしこのID、携帯の中にデータがない。


 この小鞠市を狩り場にしている敵が一体どれほどいるのか、数は明らかでない。携帯にはそれなりの件数を登録しているが、はたしてどの程度カバーできているものか。ちなみに敵の助数詞は正式には「杯」。


 まだ市長は文句とも嫌みともつかない長広舌を揮っている。でも「全く役に立たない無駄飯ぐらいの冒険者」というのは言いすぎだ。

 さすがに皆聞き捨てならないのではと思い一瞥してみると、市長は青筋立ててこっちをにらんでいた。わたくしのことでしたか。無視。


 とりあえず、キル数3をマークしていた敵の情報を再度呼び出す。

 個体名は「イニツィバアツィオネ」となっている。正確に発音すると微妙に違うのだが、とりあえずこちらの言葉に置き換えて文字で表現したらこうなった。


 敵の言語は、人間には難解で習得困難である。逆に敵は人間の言葉を高度に解する。言語能力が高いのだろう。人間の言葉を数カ国語操るような敵もいて、正直そこらの人間よりすごい。


 アドレスからメールを作成する。本当は電話してやりたいのだが、いくら市長には遠慮する必要がないといってもここで通話は非常識だ。かといって後にすると忘れる気がする。


 タイトルには、携帯に登録されていた顔文字の中からプンプンしているやつを選んでみた。

 こいつには前回すでに「次はない」と警告してある。直接行く前に釈明の機会だけは与えてやろうというメールである。婉曲表現で伝わらなくても困るので、本文はシンプルに詰問と脅し文句を並べる。ただし、不殺という前提を覆してしまう「殺す」などのワードは厳禁だ。


 しかし、タッチパネルでメールを作るのは面倒くさい。うまく反応しなかったり思惑と違うところが反応したりと進まない。


 やっぱりメールにしなきゃよかったと思いながら悪戦苦闘し、下手な訳文みたいなメールが完成した。間髪入れず送信する。

 画面に屋台を引いたおっさんが現れ、手紙を持つと背景の夕日に向かって走っていった。いつも思ってるんだけど、なにこの演出。


 他にメールを送りつけておいたほうがよさそうな敵はいないものかとデータを物色する。市長の愚痴にうんざりしているらしいティエラが、生気のない瞳でこっちを見ていた。


 突然、携帯がバイブした。次の瞬間、高音質でラーメン屋台のラッパが鳴り響く。うっかりしていた。マナーモードにしていなかった。人のことは言えない。


 唐突なメロディーにティエラが目を丸くして驚いている。前の席のやつが小さく肩を震わす。どこかで忍び笑いしているやつもいる。そんなにラッパの着信音はおもしろいか。

 しかし、市長は充血した目でにらんできた。市長にはうけなかったようだ。


 メールを確認すると、思った通り敵さんからの返信だった。早かった割にやたら長文である。あの短時間でどうやってこれだけの文字数を打ったのだろう。

 やつらの手は端的に言ってごついのだが、思いのほか器用だということか。あるいは、あのよく動く触手みたいな器官で操作しているのかもしれない。想像すると気持ち悪い。


 本文の内容は要約すると「本気で手がすべっただけ」という釈明だった。手がすべった手がすべったってお前は常時手に油でも塗ってんのか、と突っこみたいがいちいちメールで打つのは面倒だ。


 返信はただ簡潔に「首を洗って待っていろ」にした。さすがにそれだけでは寂しい感じがするので、最後にナイフとフォークの絵文字[お食事]を添付して送信してみた。


 出来に満足しながら送信していると、ティエラにそでを引っ張られた。服のみならず腕まで一緒につねっている。


「いてててて、痛いってティエラ。なんだよ?」


 ティエラは答えず、硬い表情でまっすぐ前を見つめている。少し深刻そうだ。市長がどうかしたのかと前を向き、市長の横に人が立ったことに気がついた。


 いずれも若い男の四人だ。言われるまでもなく、彼らが冒険者でパーティーだと分かる。しかし顔には覚えがない。この街の冒険者ではない。


 市長のすぐ横の男がリーダーだろう。どちらかというと甘い顔立ちだが、目元は涼やかでなかなかの好青年である。育ちも良いのだろう、表情は精悍に引き締めているが、どこか上品さが漂う。

 ラフにはおったジャケットもブランドものだ。これみよがしな市長のロンフルモンとは違い、さりげなく着こなされている。

 格好はラフなのに腰には剣が提がっている。D等級ギリギリ一杯というスタンダードサイズのロングソードで、上着のすそから覗いた柄に見覚えがある。特選武器名鑑にでも載っていたものだろう。


 全体の印象を一言でいうなら、「カップ麺とか食べなさそう」。あるいは、異性からもてるのは当たり前として、同性でも羨望を感じるよりむしろ仰ぎ見たくなる、立派なリーダー。


 市長の、我がことかのような自慢話を聞いてみれば、やはり見た目だけではないらしい。


 名前は、ガーウェイ・エグザグラム。姓から分かる通り、有名コンツェルンの経営者一族のご子息だ。冒険者育成で有名なマルブルアカデミーを主席学士で卒業し、現在はパーティー・ヴィルトカッツェのリーダーとして非常に優秀な功績を挙げ続けている。


 ティエラの指先に力がこもる。つままれた腕が半端なく痛い。


「い、痛いって。なん、なんなんだよ。はっ、やはりああいうのが好み」


 こちらを向いたティエラが、さらに指先をひねる。痛い。これは確実にアザになる。


 顔を寄せ、低くティエラが声を出す。


「聞いていなかったの?」

「……なにを?」


 市長は他三人の紹介を始めている。そんなことをされても一度に覚えられないし、経歴もリーダーと以下同文みたいな感じだろう。聞き流す。


「あのお洒落冒険者、君と同じ勇者候補だって」

「まじで?」


 とうとうと語ってる市長を凝視する。冒険者どもを見渡す市長と視線が絡む。市長が嫌みったらしい笑みを浮かべた。


 当てつけか。市にエリート勇者候補とか招いて、当てつけだろう。


 そういえば、宿屋の親父が「勇者ご一行」がどうとか言っていた。これのことか。これは、もったいぶらずに言っておいてほしかった。


「なあ。怒っていいと思う?」


 ティエラに聞いてみた。ティエラは少し考えてから「だめだと思う」と答える。


「だってさっきも市長に舌を出していたし」


 こんなことになるのもムリない、と言う。確かに一理ある。


「いや、まあ、百歩譲って市長はいい。俺もそう思う。市長じゃなくて、ボス。ボスがこれを認めたってのが、なんか、裏切られた気分」


 ボスの機嫌を損ねた覚えはない。それなのに別の勇者候補を呼ぶとか、ちょっと傷つく。


 そして市長が、最高に極めつけのセリフを口にした。


「このヴィルトカッツェの諸君に指揮を執ってもらい、小鞠市の赤点改善プロジェクトを行うこととする。小鞠市所属の冒険者はガーウェイ君の指示に従い、協力するように。以上」


 してやったり顔の市長が、お洒落勇者の肩に手を置き、「では頼んだよ」とか言っている。


「ティエラ、吹き矢貸して。毒ついてる吹き矢、貸して」

「……持ってない。スナイパーライフルなら、あるけれど?」


 ティエラが足下のハードケースをコツンと蹴る。


「俺、銃使えないし」

 ティエラが肩をすくめる。

「あの市長、任期終了間近だから焦っているだけ。しばらく我慢すれば、居なくなる」


 なぐさめられた。


 会議室を出て行く市長の背を見送る。市長に続き、市長美人秘書も出て行った。結局、一度もこちらは見なかった。


 市長美人秘書。肩書きこそ市長秘書だが、正体はボスの片腕である。ボス自身が表へ出てくることは滅多にない。指示やなにやはほとんどが彼女を通ってくる。


 さっきの電話のとき、もっといろいろ聞いておけばよかった。


 お洒落勇者が、「さて」と皆に向き直る。会議室の空気は微妙だ。お洒落勇者も気づいてはいるだろうが、顔色一つ変えない。……なかなかいい度胸だ。



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