05, 市役所の冒険者ギルド課



 視線を感じるだなんて自意識過剰だろうとは思うが、どうしても気になって辺りを見まわす。


「先輩さん、どうかしたんですか?」

「いや、別に」


 小間物屋のおばちゃんがこっち見て笑ってるのは、気のせいだ。右の青果店のおやっさんがにやにや見てくるのも、気のせい。こっちの布屋の夫婦が愉快そうに話しながら視線をちらちら送ってくるのだって、気のせいだ。椅子屋の息子が近所の店主を集めてなにやら話して聞かせている。物を投げる仕草をしてこっちを指さしているのは、錯覚だな。


「てか、みんなヒマすぎだろ。ラジオなんか聞いてないで商売しろよ」

 そしてラジオを聞かなかった人間に話して聞かせるな。

「まー、テレビ見ながら店番はできなくっても、ラジオ聞きながら店番はできるっすからねー」


 なるほど、商店街は鬼門ということだ。


 残りのフライバーガーを口へ放り込む。最後の油を楽しむと包み紙に残ったタルタルソースが目についた。もったいない。普段なら絶対舐めるが、今は視線がある。人目上等我関せずと舐めるか? 一応人目は気にしてこっそり舐めるべきか?


「どうしたんすか? 先輩」


 じっと包み紙をにらんでいたせいでジューンに聞かれた。ジューンもアイスも食べ終わったらしい。包み紙をくしゃくしゃと丸めてくずかごへ放り込む。二人とも口のまわりにタレをつけている。


「いや、別に。なんでもない」


 舐めるのはやめた。包み紙を丁寧にたたんでポケットへしまう。あとで舐めよう。


「よし、行くか」


 前の二人に声をかけて走り出した。こんな居心地の悪いところに長居したくはない。


 通りからまた細い道へ入る。この道は路面電車も通っているが、電車幅と道幅がぎりぎりである。もし行き合ったらこちらがバックするしかない。


 そんな道を抜ければやっと街の中心部だ。


 広場になった路面電車ポートには人がごった返している。しかも車道と歩道に区別はなく、原付をのろのろと進めざるをえない。

 買い物袋をさげたおばちゃんとか、原付の前を堂々と横切っていく。


「こんなとこ通るなよ、ジューン」


 ジューンに言ったのだが、目の前を行くおばちゃんがふり返った。こちらを認め、にんまり笑う。隣のおばちゃんの腕を叩く。


「ちょっとちょっと、ほらあれよ、さっきのケータイ」

「あらあらあら、ほんとだ、あはははは」


 なにも見えない。なにも聞こえない。なんだか視界がぼやけてきたが、青空が目にしみるせいだ、きっと。

 あんなラジオの聴取率などたかが知れているだろうに。難儀すぎる。


 拷問みたいな人混みを青息吐息で脱出。


 この辺りは中心街ではあるが、それほど背の高い建物はない。土地に余裕があって積む必要がない上に、中央警備塔からの視界と射線確保を理由とした建築制限があるからだ。

 しかし視界と射線の確保などというが、中央警備塔がそんな大層な仕事をしているなどと聞いたことはない。


 そんなわけで、この近辺で一番背が高いのは、小鞠駅という広域鉄道の駅である。これも例の交付金によるハコモノのひとつで、煉瓦加工のほどこされた瀟洒な建築物だ。惜しむらくは、すでに一年以上電車の来ている気配のないことか。


 敵さんは、線路の発破が大好きだ。物資輸送を鉄道で行うと、さしもの敵さんも襲撃に苦労するらしい。線路を使えなくされれば輸送手段は自動車か航空機に頼るしかない。車なら襲撃はたやすい、ということで敵さんは線路をよく破壊するのだった。


 広域鉄道は国営ということになっているが、折衝地帯では管理が地方に丸投げされている。直しても直しても破壊される上に、広域鉄道であるがゆえに復旧は他行政区と連携しなければならない。

 修復はめちゃくちゃ面倒だった。

 最後には市町村間で喧嘩が始まり、運行再開のめどは全くたっていない。


 市役所へは、もう少し中心街を抜けていく必要がある。無用の長物となった小鞠駅を横目にオフィス街を目指す。


 ここまで来れば、個人経営の店はほとんどなくなる。特に多いのは、に本社を持つ企業の支店だ。

 どうも彼らは行政役所の近所に店をおきたがる傾向がある。

 ちなみにそういう会社に限って外観をミラーガラスで飾っているのですぐに分かる。きっと、敵は鏡を見ると割りたがるということを知らないのだろう。


 二台の原付は、綺麗に整備された通りへ入った。道の両側に花咲く植え込みが並ぶ。

 ここが市役所を筆頭とする行政施設が集まる区画だ。市議会堂やら警察署やら消防本部やら職安やらがある。ただし軍事関連施設はない。条約で折衝地帯への軍の駐留・進行は禁止されている。


 やっと市役所のモダンな建物が見えてきた。正確にはポストモダン建築というらしい。違いはよく分からない。


 前のジューンの原付が右折で入っていく。こちらも自転車をやり過ごしてから後を追った。簡易屋根の付いた駐輪場は十分に空いている。適当なところへ二台並べて止める。


「ふー、やっと着いたっす。アイス、後ろで疲れなかったっすか?」

「大丈夫です。ちょっとお尻が痛かったですけど」

「む。荷台はまだまだ改良の余地ありっすね」


 ジューンがアイスからヘルメットを受けとりながら話している。もしやあの特設座席はジューンお手製なのか。


 投げ込まれていたグレープフルーツを取り出す。大きくて服にしまい込めるような物ではない。適当に手に持っていけばいいだろう。


 ふと見れば、ジューンとアイスはこっちを窺ったまま動かない。


「どうしたんだよ、玄関あっちだぞ」

「……なんか市役所は苦手っす」

「どうぞ先輩さん、先に行ってください」


 冒険者は一応公務員だというのに、市役所の敷居が高いとは情けない話だ。

 まぁ、ほとんどの用件がネットで済ませられる昨今、一般冒険者がわざわざ市役所へ出向くのは試験などのおっかない用事のときばかりだから仕方ない。それと森を歩き回っている冒険者にとっては、この建物の磨きあげられ具合に場違い感がある。


 仕事外の普段着は別に薄汚い格好をしているわけではないし、おしゃれな冒険者だっているが、なぜか汚してしまう気がするのだ、ここは。


「こういうときはな」

 日陰に昨日の雨の水たまりがまだ残っているのを発見する。

「こうして泥をつけて」

 靴裏に泥装着。

「さ、いくべ」

「先輩、大人げねーっす」

「よけい入りづらいです」


 なに、冒険者は度胸だ。

 後輩たちがぐちゃぐちゃ言うのは無視して、市役所の玄関へ向かう。手の上のグレープフルーツがとても良い香りだ。

 入り口前のスロープを上ったところで、体格のいい男の二人連れと行き合った。


 消防士のジオーラとムイエだ。なにかの書類仕事で来たのか、ジオーラが大きなファイルを抱えている。市街戦のときには、冒険者と消防士は共闘する。だからお互い顔見知りだ。


「よう」

 ジオーラがこちらに気づき、手を挙げる。ムイエは無言で小さく頭を下げた。

「おう」


 ジオーラのしっかり揃ったヒゲが格好いい。火事場で焦がしたとかで一時は悲惨なことになっていたが、無事復活したらしい。

 アゴを指し、笑って「おめでとう」と言ってやる。苦笑いのジオーラに「るせ」と返された。


「オレら急ぎだ、また今度な。たまには飲もうや」


 ジオーラが早口に言い、大股で歩み去る。ムイエももう一度会釈し、足早に後を追う。どうやら無口な男だ。


 自動ドアの前に立ったところで、離れたジオーラが「おい」とまた声をかけてくる。振り向くと、足下に点々とついた泥跡を指さしている。


「怒られるぞ」

「のぞむところだ」


 にやりと笑ってジオーラは行ってしまった。後ろのジューンとアイスが、心なしか顔を白くしているが見なかったことにする。冒険者は、度胸が大事だから。


 二枚の自動ドアをくぐれば市役所の一階エントランスホールだ。二階まで吹き抜けの広い空間がひろがる。そのまま奥へ進めばすぐに戸籍謄本などの交付窓口になる民生課があるため、そこそこの人入りだった。


 上へ登るための階段やエレベーターは中央の総合案内カウンターの向こうにある。二人を連れて歩き出したところでサササっと近寄ってきた影があった。


 市役所内清掃員のセーラばあさんだ。わざとらしく、大理石の床についた泥をモップで拭きながら後をついてくる。鋭いセーラばあさんのにらみと目が合う。


 そっとジューン・アイスと距離をつめ、小さい声で「注意しろ」と教えてやる。


「セーラばあさんはホールを綺麗に保つのが任務で、冒険者を毛嫌いしてるからな」

「……たぶん、先輩さんのせいだと思います」

「……嫌われてんのは先輩じゃないっすか?」


 恐らく。とはいえ市役所に来るたびに泥をばらまいてはいない。どうしてこんなに目の敵にされているのかは謎だ。


 でも後ろのセーラばあさんは気にしない。どうせついてくるのはこのホール内だけだ。


 中央にある総合案内カウンターでは受付嬢のステイジアが来訪者に対応している。ステイジアは若く美しいお嬢さんである。

 横を通り抜けるとき、ステイジアが素敵笑顔で「ようこそ小鞠市市役所へ」と挨拶してくれた。ジューンとアイスが「うっす、ちわっす」「ここ、こんにちは」とうわずった声を返した。


 ステイジアに見送られつつエレベーターへ向かう。後ろをジューンとアイスがついてくる。その後ろをセーラばあさんがずっとついてくる。ひまなのか。


 それにしても、さすがは市役所。仕事中にラジオを聞いているような不届き者はいないし、指さしてくるようなやつもいない。嫌いなお役所を居心地良く感じる日が来ようとは夢にも思っていなかった。


 エレベーターは、ボタンを押したらすぐに右の扉が開いた。三人で乗り込む。セーラばあさんが入り口までモップでぐりぐりと拭う。こちらをじろりと睨んできた。

 グレープフルーツ側の手を軽く振って応える。お別れだ。扉が閉じた。


「先輩、帰りも追っかけられるんじゃないすか?」

「かもな」


 二階の床はカーペット敷きになっている。通路を左に進んでいくと、そこが冒険者ギルドである。

 危機管理部冒険者ギルド課。

 冒険者を管理統括する清潔で近代的なオフィスで、冒険者とのギャップにめまいがする。


 内実はともかくギルドなのだから、もう少し冒険者が集まりやすいところを作って欲しいものだ。

 ネット社会とはいえ、直に顔を合わせるのだって大事なはずだ。お上は汚い冒険者溜まりなどになってたまるかと思っているのかもしれない。


 カウンターへ近づき、軽く叩く。一番近いデスクに付いていたエステティカが顔を上げる。くりっとした瞳とまぶしい笑顔でカウンターへ出てきた。


 ピンクの唇が開きかけるのを手で制す。


「待て。今日はその用じゃない。だからそのファイルをしまえ」


 カウンター下から取り出されようとしていたファイルも押しとどめる。うっかり表紙に「勇者まがい用仕事」とか書かれている。


 エステティカが、ちっと舌打ちした。


「なんだよ、その舌打ちは」


 エステティカが笑顔を脱ぎ捨て顔をしかめる。


「たまには大人しく仕事受けろよな」

「やだよ、変な仕事ばっかおしつけやがって」

「で? 用じゃないなら何だっての。ミカンの訪問販売でも始めたのかよ」


 見た目はかわいいくせに、素の性格と口は悪い。そしてこれはミカンじゃない。グレープフルーツだ。


「出頭手続きして欲しいんだけど」


 冒険者証タグを外してカウンターへ出す。


「出頭手続き? 下でしてこい」

「いいだろ。ステイジア忙しそうだったし」


 文句を言いつつエステティカがそれを取り、読み取り機にかざす。

 ピッと短い音がして出頭確認は終了。

 実はこのまま家へUターンしても出頭はしたことになる。確実に怒られるが。


 エステティカが端末を操作し、プリンターから吐き出された一枚の紙を取る。手早く三つ折りにして渡された。


 表になった冒頭には大きな明朝体で「出頭命令書」と書かれている。本来は事前に郵送されるべき物だが、郵送費削減とかいうめちゃくちゃな理由でここで受理する。


「えーっと場所は、四階第五会議室? みたいだけど」


 端末の表示を確認しながらエステティカが言う。口ぶりからすると、やっぱりギルド課はこの招集に噛んではいないのか。

 第五会議室といえば、確かそこそこ広い部屋だったはずで、それなりの人数が呼ばれているだろうに。


 やっぱり妙だ。微かに眉間にしわが寄るのが自分で分かる。ますます行きたくなくなってきた。


「あとそれと。こいつらが仕事探してんだけど」


 後ろで肝を縮めていたジューンとアイスを示す。最初二人をにらみ据えたエステティカは、そしてエヘっとかわいく笑った。


「まぁいらっしゃい。どうぞお座りになって」

 そんな今さら猫かぶったって。

「遅いだろ、もう」

「なにかおっしゃって?」


 にらまれた。

 恐いので、一歩下がって二人に席をゆずる。やたら威圧感ある笑顔にびくつきながらジューンとアイスがカウンター前のイスにつく。

 これじゃあまるっきりヘビに見こまれたカエルだ。だから冒険者は度胸が大事なのである。


 もしかすると冒険者がギルドに寄りつかないのは、ここが綺麗すぎるからではなく、エステティカがいるからではなかろうか。というのは絶対口にしてはならない冗談だ。


 仕事はできるエステティカさんが、手早く必要事項を聞き出し端末を操作する。


「あの、こっちに来るとネットに出てない仕事情報もあるって聞いて、それで来てみたんす」

「そうね、まだネットへは上げてない情報もあるし、出さないあるいは出せない仕事もあるし」


 仕事にデリケートな事情のある場合、公募せずにギルドから直接パーティーへ打診する。その打診がギルドとコネクションのないパーティーに来ることはあまりない。だから顔を覚えてもらって信頼を得る必要がある。


「……そうねー。冒険者レベルからすると、このあたりが適正かしら」


 エステティカがコンソールを叩いて、画面をゆっくりスクロールする。

 でもそんなな仕事情報に用はない。


「おい、エステティカ」

「は、なに?」


 なぜこっちを向くときだけ眉間にしわを寄せる。


「ぶっちゃけ課外秘の仕事情報出せ」


 エステティカの細い眉がぴくりと動く。


「……っはァ? なにぶっちゃけてんの」

「わざわざ来てんのに、せこい仕事なんか出すなってこと。だいたいな、こいつらは後輩だぞ、


 に力を込めて言う。

 自分で言うのはなんだが、一応かわいい後輩のためだ。使えるものはなんでも使うべきだろう。

 エステティカが、器用に片眉をあげたまま挑戦的に見上げてくる。


「こいつら、確かに冒険者レベルはそんな抜きん出てない。けどな、このパーティーの売りはめちゃくちゃいい連携なんだ。戦闘とか、実際かなり見事だからな」


 ルーズなところとか多々問題もある一味だが、一応仕事はちゃんとやっているようだし。問題ない。と思う。


「パーティーの実力なら、レベルよりも二つ三つは上だ。それは俺が保証する。それに、こいつらの登録マネージャーもちゃんと確認してくれよ。あの親父が世話してるパーティーだ、信頼度だって折紙付きだろ。そこらの並パーティーみたいな扱いされちゃ、困るんだよ」

「……実績照会する」


 無表情でエステティカが端末を操作する。ギルド課が把握するパーティー情報には、これまでに受けた仕事やその成否、ポイントの増減記録、実績が入っている。

 それを確認すれば、エステティカは今の言葉があながちはったりではないと判断するはずだ。


 見ると、急に誉められたと思ったのか、ジューンとアイスが照れていた。


「……お前らな、このぐらいの売り込みは自分たちでしろよな」


 こっちまで異様に恥ずかしくなってきた。照れ隠しに、渋い顔で注文をつける。


「うっす、すいません」

「はーい。ありがとうございます」


 嬉しそうな顔を一転、首をすくめた。


 エステティカが画面から顔を上げる。


「へえ、なるほどね。確かに、おもしろげなパーティーじゃん」


 エステティカが目を細め、ジューンとアイスを人の悪い笑みで見据える。のけぞりかけたジューンが、踏みとどまってにらみ返す。


「う、うっす。バッチこい」


 なぜ千本ノック風なんだろうか。元サッカー部のくせに。


「課長ー」


 エステティカが振り向いて声を上げる。


 一番奥のデスクの冒険者ギルド課課長ザインが「んー?」と顔を上げた。

 逆光でよく見えないが、まぁいつも通りの顔だろう。課長の分際で肘掛けつきのイスに座っている。


「例の仕事、出していい? コレが推薦してるパーティーなんだけども」


 目の前でコレとか、失礼極まりない。


「えー。例の仕事って、どれ?」


 よいしょとザインが立ち上がる。のこのこと出てきた。途中、満杯のゴミ箱につまずきそうになった。


「うん、ああ。コレの推薦か。どの仕事か知らないけど、いーよ」


 糸目顔でいけしゃあしゃあとコレ呼ばわりしてきた。そして相変わらずすごくいろいろ適当そうだ。


 上司の了解を得てエステティカが鍵つきキャスターから薄いファイルを取り出す。大きく課外秘の判が押してある。

 よし、ここまでお膳立てすれば、後輩たちは大丈夫だろう。あとは野となれ山となれ。知ったことではない。


「ザイン課長。さっき送ったメールの件」


 ちょうどザイン課長が出てきてくれて全く都合がいい。ザイン課長も用件は心得たもので、すぐに頷いた。


「ああ、うん。はい、これね」


 ザイン課長が白い封筒を差し出す。

 市役所内では滅多に見かけることのない、部署もなにも印字されていない封筒。受け取り、特に確認はせずに懐へしまう。


「ああ、困るなぁ」


 急にザインが声をあげた。驚いて皆で課長に顔を向ける。

 眉尻さげたザインが、カーペットに点々と染みつく泥を指さす。


「そりゃ冒険者に泥つけてくるなとは言わないけどさぁ。入り口に玄関マットあるんだから、それをちゃんと使ってね、泥は落としてきてほしいなぁ」


 紛らわしいタイミングで紛らわしい注意をしてくる男だった。


「あー、悪い。しっかし昨日の雨はすごかったよな。すっかり泥になった」

「もう。布地にはさまった泥は取るのがすごい大変なんだからね。おれの仕事なんだよ?」


 課長自ら掃除しているらしい。


「課長、少しうるさい。黙っててくれる?」


 カウンターからのエステティカの低い声が飛ぶ。どすが利いている。


 口をすぼめたザイン課長は、奥へ引っこみ手箒とちりとりを持ってきた。静かに通路の床へ向かい、かりかりと泥を回収しはじめる。


 エステティカがそれを確認し、思いっきり鼻息吐いた。

 ギルド課で下克上が起きていた。こわ。用も済んだし退散しよう。


「じゃ、俺は行くから。また後でな」

「うっす」

「先輩さん、ありがとうございました」


 ジューンとアイス(と若干エステティカ)に声をかけてギルドを出る。四階へ上がるためにエレベーターへ向かう。


 エレベーター近くで泥掃除をするザイン課長の丸まった小さな背中へ声をかける。


「おつかれ、課長」

「はいはい、お疲れさま、あと少しだよ。って、また足跡つけて」


 カウンターからここまでをふり返り、ザインがまた怒る。しかし、もう靴にもそんなに泥はついていない。せいぜい土くれが散らばっている程度だと思う。


「ほら、こっちに靴底出して」


 足をつかまれて靴底を箒ではらわれた。


 両方終えてから、ザインが「ああ、そうだ」と下から見上げてくる。


「なんだよ」

「ラジオ出るよね?」


 一瞬めまいがした。思わずザインの横へしゃがみこむ。


「なんでそれを、てか仕事中になにラジオ聞いてんだよ」

「だから仕事で。いちおうギルド課長だし。冒険者に安全で快適な仕事をしてもらうのがギルドの仕事だし。そのために冒険者の実情というか、本音を知るためという名目で」


 真面目な顔して名目とか言ってしまっていいのか。いや、だめだろう。


「あのコーナーおもしろいよね。それでラジオに出るんならさ、ついででいいから、ちょっとばかりみんなをシメてきてよ」

「シメる?」


 ザインの顔を見返す。穏やかそうな糸目でさらりと怖い単語を使わないでほしい。


「そ。しばらく襲撃ないからさ、そろそろ危ないでしょ。冒険者も市民も意識シメとかないと」

「そんな小器用なこと、ほいほいできるか。課長が自分で番組に投書しろ」

「ええー。危機管理部冒険者ギルド課課長からコメントとか、番組興醒め」


 興醒めとか気にしている場合か。

 ザインの話には取りあわず、丁度いいので招集について聞いておくことにする。


「課長、今日の招集ってどんな話なんだよ?」


 なぜかザインが不思議そうな顔をした。


「なに、今日は呼び出されてんの?」

「え、聞いてないのか、課長」


 ザインと二人で首をかしげる。よくよくこの招集は胡散臭い。冒険者を集めておきながら、そのことをギルド課長に知らせていないとはどういう了見だ。


「まぁ、行って確かめるしかないか」

「ああ、うん。頼むよ。それでまずいことがあったら、早めにこっちに報せてよ。まあ、上の暴走とかだと、うちじゃあどうにもできないけどさ」


 そこはどうにかしてほしい。

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